俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した 作:朝を数えない人
ミレーユは鍵束を両手で持って、会議室へ入った。
腰には戻さない。
机の中央へ置く。
金属の音が十一。
白塔正門。
俺の部屋。
南窓。
地下礼拝堂。
遺品保管庫。
保守通路。
墓所。
鐘室。
彼女の私室。
非常扉。
外周結界。
全部、俺を閉じ込めるためにも、塔を守るためにも使える。
鍵だけではない。
白塔の所有記録は教会名義。管理者は聖女。居住者欄に俺の名はない。
俺は法的には客でも囚人でもなく、塔の備品と同じ扱いだった。
「鍵を渡しても、管理権が残れば変わらない」
オスカーの紙片。
正しい。
「居住記録を作る」
市議会長が反復へ戻る前に、公文書を出す。
《白塔居住区。レイ・クロード、ミレーユ・アルノー。双方に居住権。退去自由。相手の退去を妨げる権限なし》
「家賃は」
俺が訊く。
「国有施設だ。維持費は国費」
「それだと聖女の職務住宅のまま」
「一部を市へ移管する。居住者組合へ貸与」
「組合員二人?」
「ニナ、オスカー、エドガーも共用室の鍵を持つ」
二人だけの城にしない。
食堂、資料室、墓所は共同区画。寝室だけ個人区画。俺を閉じ込めた部屋も、俺の居室として選び直すか、別室へ移るか決められる。
「あの部屋を使う?」
ミレーユが訊く。
「今は。嫌になったら替える」
「家具は」
「勝手に固定するな」
「窓の補強は」
「安全基準を市の建築士と決める。俺専用の檻にしない」
一項ずつ、保護から権利へ名前を変える。
廊下の折り返し聖刻。
俺だけを同室へ戻す。
「解除する」
ミレーユが杖を向ける。
「待て。構造を記録してから」
「残すのですか」
「災害時の避難誘導へ使える。本人同意と出口表示があれば、迷路じゃなく救命路になる」
加害に使われた技術を、全部壊せば終わりではない。
誰が、どの条件で、誰へ使うかを変える。
聖刻図を複写する。解除権は市の防災担当へ。居住者はいつでも無効化できる。
南窓の封印。
刺客が入った窓。
「格子を外す」
「外からの侵入が」
「普通の鍵へ替える。俺も開けられる」
「就寝中は」
「閉める。朝は開ける」
「鳩が」
「まだ言うか」
彼女は黙る。
窓の格子が外れる。壁へ四角い跡が残る。
消さない。
ここに格子があったことを、修復で見えなくしない。
地下墓所。
七百一枚の墓銘板。
ミレーユだけが鍵を持つ私的な部屋だった。
「公開範囲」
個々の死因と生活記録には、過去の俺の私生活がある。全市公開はしない。研究者、被害者、現在の俺の同意が必要。
「現在の俺が、過去の全部を所有するわけじゃない」
だから俺一人でも決めない。
オスカーを記録管理者。市議会の外部監査。ミレーユは閲覧者の一人。
遺品保管庫。
物は墓銘板へ対応づけ、人格器の支柱にする。戦いの後は、現在の所有者や遺族へ返せる物を調べる。
白塔は、秘密を閉じ込める場所から、記録を預かる場所へ変わる。
書類だけで変わったとは言わない。
今日から誰が入れるか、鍵を分けるところから始める。
「返せない理由から話します」
ミレーユは言う。
会議には俺、ニナ、オスカー、エドガー、市議会長。
四人は十五秒の反復中。白冠拍動へ合わせ、会話を一文ずつ渡す。返事も一文ずつ戻る。
永昼解除まで一時間四十二分。
「一。レイが外へ出れば、白冠と大司教に狙われます」
俺は紙へ書く。
「対策。同行者、公開経路、複数鍵、追跡は本人同意時のみ」
「二。鍵を返せば、緊急時に私が入れません」
「対策。非常鍵は透明箱。ニナとオスカーも持つ」
「三。レイが私を嫌い、戻らない可能性があります」
対策はない。
「それは危険じゃない。俺の選択」
ミレーユが頷く。
「四。私は、レイが戻らない時間に耐えられない可能性があります」
これも彼女の状態。
「対策。俺を閉じ込めることではなく、お前の治療と支援」
ニナの紙片が出る。
《私と施療院で計画を作る。脈確認衝動、鍵を奪う衝動、還暁衝動を分ける》
ミレーユが読む。
「五。白塔は聖女管理施設で、私に管理責任があります」
市議会長。
《管理権を市議会・葬院・教会外監査へ分割。居住区の鍵は住人へ》
「六。レイは過去に、自分から危険へ入りました」
「今も入る」
「対策は」
「危険を共有して、止める理由があるなら説明する。最後に選ぶのは俺」
「死ぬ選択も?」
「場合による」
「返せません」
即答。
ここが中心だ。
彼女は、俺が死を選ぶ可能性だけは認められない。
「今すぐ、俺が死にたいと言ってる?」
「いいえ」
「白冠を止めるため、錨を切る処置は必要?」
「はい」
「心停止の可能性」
「七十八パーセント」
高い。
「それでも準備する」
「私は反対です」
「代替策」
「白冠を私へ移す」
初めて出た案。
「何が起きる」
「七百一の死痕と失った時間を私が受け、レイの錨を空にします。私は白冠になります」
「却下」
今度は俺が即答する。
「なぜ」
「お前が消える」
「レイは生きます」
「俺が嫌だ」
「私が選びます」
「なら俺が錨を切るのも、俺が選ぶ」
二人とも黙る。
相手を生かすため、自分の死を選ぶ。
自分の選択を尊重しろと言い、相手の同じ選択は拒む。
「世界か、お前か、の二択にするな」
俺は言う。
「俺が死ぬか、お前が白冠になるかでもない。第三の手を作った。墓銘板と青い紐と、ニナたち」
「成功率は」
「今、六十一パーセント」
「失敗すれば」
「普通の蘇生を試す。お前は鐘を鳴らさない」
「約束できません」
「知ってる。だからお前一人を鐘へ近づけない。解除鍵と同じ」
彼女の愛を信用しないためではない。
愛が強すぎる時に、行動を止める仕組み。
「俺はお前を選ぶ」
ミレーユの顔が上がる。
「世界より?」
「その二択を拒否するって言っただろ。俺は、お前が白冠にならず、人としてここにいる道を選ぶ。世界も戻さない」
「両方できない場合は」
「その時の全員で決める。今からどちらかを捨てる約束はしない」
彼女が欲しいのは、世界より選ぶという言葉だ。
言えば安心する。
たぶん鍵を返す。
言わない。
好意を同意の対価にしないなら、安心も鍵の対価にしない。
「七。鍵を返したら、私はレイを守れません」
「鍵がなくても守れる」
「どうやって」
「一緒に来る。危険を言う。俺が助けを求めたら助ける。求めなくても緊急なら、後で違反記録を書く。それでいい」
「閉じ込めるより危険です」
「そうだ」
「それでも?」
「生きるのは危険だ」
白塔を出れば、荷車も毒も大司教もいる。
塔にいても刺客は入った。
完全な安全はない。
あるように見せるため、人と時間を消してきた。
「理由は全部?」
ミレーユは鍵を見る。
「もう一つ」
「言え」
「鍵を持っていると、レイが私の場所にいると分かります。外へ出ても、私が許した外出だと思えます」
所有。
保護だけではない。
「それが一番、本当だな」
「はい」
「対策はない」
「はい」
「耐えるしかない」
「はい」
ミレーユの両手が震える。
鍵束が鳴る。
「今、何を想像している」
「レイが正門を出ます」
「その後」
「振り返りません」
「事実じゃない」
「想像です」
「続き」
「私は追います。追跡聖刻を戻します。レイの前へ転移し、眠らせ、塔へ戻します」
彼女は自分の加害衝動を、最後まで言葉にする。
「その時の対策」
ニナの紙片が出る。
《杖を預ける。鎮静薬を持たない。追跡聖刻の起動鍵はレイ本人》
ミレーユが杖をニナの手元へ置く。
ニナは十五秒後に戻る。杖も元の壁へ戻ろうとする。白冠拍動の瞬間、俺が時間外へ引く。差分として残った杖を封印する。
鎮静薬はニナの薬箱へ。
追跡聖刻の起動句を変更する。
俺が《灯りを》と言った時だけ、二時間有効。生命危機で意識がない場合は、ニナとオスカーの二人が起動。
「ほかに追う方法」
「騎士へ命令」
「指揮権を一時停止」
市議会長が公印を押す。
「自分で走る」
「それは止められない」
「門へ、私が追って出た場合に閉じる結界を」
「お前を閉じ込める?」
「はい」
俺は首を振る。
「俺がされたことを、お前へ返す気はない」
「では」
「ニナの治療計画。追いたくなったら、まず一分待つ。その間に誰かへ言う。走るなら走ってもいい。俺は逃げるか、話すか選ぶ」
完全には防げない。
人間の行動を全部術式で封じれば、新しい檻だ。
「一分で追いつけなくなります」
「それが一分の意味だ」
ミレーユは怖そうだ。
「耐えられない?」
「耐えられない可能性があります」
「なら一人で耐えるな」
ニナ、オスカー、アデル。支援相手を書く。
俺の居場所を訊かれても教えない権限も渡す。
「レイが自分から連絡するまで?」
「そう」
「何日」
「決めない」
「一日だけ」
「交渉する項目じゃない」
「はい」
返事が苦しい。
それでも、鍵を持つ手は机から離れない。
ミレーユは十一本から、白塔正門の鍵を取る。
俺へ差し出す。
「一本だけ?」
「今は」
「全部返す話だ」
「一度に返せば、私は取り戻すかもしれません」
「段階的に返す?」
「永昼解除までに、居住区と正門。白冠戦の前に全て」
逃げではない。
自分の衝動を見積もった手順。
「第三者が保管」
「はい」
居住区の鍵を俺。
正門も俺。
墓所はオスカー。
鐘室はエドガー。
非常扉はニナ。
外周結界は市議会長。
残りは透明箱へ。
彼女の私室だけ、ミレーユへ返す。
「自分の部屋は自分で持て」
「レイも入れません」
「入る時は訊く」
「はい」
鍵束がばらばらになる。
十一の音が、五人の手へ分かれる。
最後に、彼女の手には私室の一本だけ残る。
「軽いです」
「怖い?」
「はい。腰に何もないと、レイがどこにも繋がっていない感じがします」
「俺はここにいる」
「今は」
「今は、だ」
未来の保証はしない。
彼女は私室の鍵を握る。
「これは私が持っていてよい?」
「お前の部屋だ」
「レイが入る時は」
「訊く」
「私が断ったら」
「入らない」
彼女の目が少し大きくなる。
自分にも拒否できる扉ができた。
鍵を返すことは、全部の鍵を失うことではない。相手の扉を開ける鍵を手放し、自分の扉だけを持つ。
「レイの部屋の鍵は」
「俺」
「私が入る時は」
「訊け」
「はい」
対称になった。
同じ鍵ではない。
別々の扉と別々の鍵。
俺は正門の鍵を握る。
重くない。
手の中で冷たい。
「今、出る」
「永昼中です」
「塔の門まで。自分の鍵で開ける」
ミレーユも立つ。
「ついて来る?」
「はい」
「一歩」
「はい」
白塔の正門。
俺が鍵を入れる。
回す。
内側から外へ開く。
夕方六時の街。
十五秒の風。
敷居を越える。
ミレーユは一歩後ろ。
俺を掴まない。
追跡聖刻もない。
十歩進む。
振り返る。
塔の扉は開いている。
ミレーユが待っている。
戻る義務はない。
戻る。
十歩。
敷居を越える。
「ただいま」
言ってみる。
ミレーユの目から涙が落ちた。
「おかえりなさい」
戻ったことを、鍵返還の対価にはしない。
俺が今、戻りたかったから戻った。
「次は、もっと遠くへ出る」
「はい」
「戻るかは、その時決める」
「はい」
彼女は鍵を求めない。
俺も返さない。
逃げずに鍵を返す。
返された俺も、逃げるためではなく出る。
白塔の外周結界が、鍵の分散と同時に薄くなる。
レイだけを内側へ戻す折り返し廊下が消えた。
壁ではなく、普通の道になる。
試す。
廊下を一周する。
食堂。階段。資料室。南窓。正門。
同じ部屋へ戻らない。
「お前も歩け」
ミレーユが一人で廊下へ入る。
以前の術式は俺だけを対象にしていた。彼女には普通の道だった。解除後も変わらないはずだ。
それでも確認する。
彼女は階段を下り、正門から出る。
一歩。
二歩。
俺を見ずに十歩進む。
止まる。
「どうした」
「戻ってよいか分かりません」
「自分の家だろ」
「レイが、鍵を返した私と同じ家にいたいか」
「今は、いたい」
未来は予約しない。
現在の許可を出す。
ミレーユが戻る。
敷居で「ただいま」とは言わない。
「入ってもよいですか」
「共同区画は訊かなくていい」
「はい」
入る。
次に俺の部屋の前。
「入っても?」
「今は駄目」
彼女の顔が固まる。
「理由を聞いても?」
「一人で、鍵を持った部屋にいる感覚を確かめたい」
「分かりました」
扉を閉める。
内側から鍵をかける。
外でミレーユの足音が一度止まり、遠ざかる。
追跡聖刻は来ない。
扉も開かない。
俺は寝台へ座る。
静かだ。
閉じ込められた静けさと違う。
開けられる静けさ。
三分後、自分で鍵を開ける。
廊下に彼女はいない。
胸がざわつく。
探しに行く。
食堂で、ミレーユは青い紐の額を壁へ掛けていた。
「どこへ行ったか言え、と思った」
「共同区画へ移動する時も報告が必要ですか」
「必要ない」
「はい」
俺も、相手の居場所を知りたがる。
その欲求を、そのまま規則にしない。
「部屋はどうでした」
「俺の部屋だった」
「よかったです」
ミレーユは額を掛け終える。
食堂の壁。誰でも見える位置。鍵なし。
青い紐の下に、二本の居室鍵を別々の鉤へ掛ける。
使う時は本人が取る。
誰かの腰で、相手の鍵束にはならない。
永昼解除まで一時間。
白冠起動まで二日。
俺たちは開いた門から、次は全員を連れて出る準備を始めた。
最初に運ぶのは、ニナの空席。
次に七百一枚の墓銘板。
最後に永昼の解除鍵。
塔を空にするためではない。
塔の中に閉じ込めていた記録と人の時間を、外へ接続するため。
逃げない。
戻らないとも約束しない。
鍵を持って、自分で行き来する。
ミレーユも、私室の一本を持って門へ並んだ。
「行くか」
「はい」
「一緒に、は保証じゃない。途中で別行動もする」
「はい」
「それでも今は」
「一緒に行きます」
二人で門を越える。
今度は十歩で戻らない。
十五秒を繰り返す街へ向かう。背後の扉は開いたまま。戻れる。戻らなくても追われない。
腰にあるのは、相手を閉じる鍵ではない。
自分の部屋へ帰る一本だけだった。
扉は、もう背後で閉じなかった。