俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した 作:朝を数えない人
「最初から聞く」と言ったものの、最初がどこか分からない。
七百人が円の中にいる。
番号を覚えている俺。年齢だけ覚えている俺。自分が何回目かも分からない俺。そもそも死んだ自覚のない俺。
白冠は全員を《過去のレイ》へまとめた。
俺もそう呼んでいた。
便利だからだ。
便利すぎる呼び名は、だいたい何かを削っている。
「順番はどうする」
十六歳の俺が訊く。
「覚えてる年代順」
「覚えてない奴は」
「あと。死んだ状況が近い者で固まる」
「八分しかない」
「外で三分だ。残り五分」
「七百人へ一言ずつでも間に合わない」
分かってる。
俺の頭で考えると、すぐ効率化へ寄る。似た死因、似た選択を束ね、代表だけ聞く。それをやれば白冠と同じになる。
なら、目的を絞る。
全員の人生を理解するのは、今ではない。帰還扉を作るために必要な差分だけを拾う。
「質問を三つにする」
床へ指で線を書く。
一つ。死ぬ直前、生きたかったか。
二つ。還暁を望んだか。
三つ。今の俺に、何を選ばせたいか。
義足の俺が笑った。
「三つ目で喧嘩になるぞ」
「なる。喧嘩しないよう同じ答えにする場所じゃない」
「で、喧嘩している間にお前は死ぬ」
「だから答えは一息。理由は後で記録へ残す」
白髪の俺が手を上げた。
「私からでいいか」
俺なのに一人称が違う。
七十二年生きれば、言葉も変わるらしい。
「生きたかった。還暁は望まなかった。君には、彼女と老いる道をもう一度選んでほしい」
胸が動く。
遠くの圧迫だ。
一回。二回。一定の間隔。
俺は白髪の俺の答えを床へ書く。文字は黒く残った。
次、義足。
「生きたかった。望まなかった。別れろ」
「理由は」
訊いてから、自分で決めた規則を破ったと気づく。
義足の俺は答えない。
次。
「死にたかった。還暁を望んだ。ミレーユを殺せ」
若い俺が言う。
円の中で何人かが反応する。
「黙れ」
「お前が死ね」
「もう死んでる」
笑いが起きる。
俺の声で七百人が笑う。気味が悪い。けれど、全員が悲劇の顔をしているよりましだ。
「次」
「生きたかった。望んだ。一緒に逃げろ」
「死にたかった。望まなかった。彼女を許すな」
「生きたかった。望んだ。王になれ」
「生きたかった。分からない。ニナへ謝れ」
「死にたかった。望んだ。俺のことは忘れろ」
答えがばらける。
予想どおり。なのに、安心した。
七百人が同じ答えなら、今の俺が逆らうことは七百人分の遺言を踏みにじる行為になる。違うなら、誰か一人を採用して他を捨てることになる。
どちらにせよ、俺が選ぶしかない。
床へ黒い文字が増える。
生きたい、四十九。
死にたい、十七。
分からない、八。
まだ七十四人。
遅い。
外から声。
「四分」
残り四分。
身体の胸骨が軋む感触が遅れて届く。ニナか、交代した誰かが圧迫している。肋骨を守って弱くすれば血が巡らない。必要な損傷だ。
そう理解しても、身体へ戻った時に痛むのは嫌だ。
生き返りたいのに、生き返った後の痛みを先に心配する。
自分らしい。
「四分じゃ無理だ」
剣の柄を持つ俺が言う。
「全員を聞く必要はない。多数の傾向は出た」
「多数決にしないと言った」
「死ぬぞ」
「その情報はもうある」
「お前が死ねば、彼女は戻す」
その一言で、円が静かになる。
そうだ。
俺が八分を越えれば、ミレーユはどうする。
手順では、聖女治癒禁止。暁鐘禁止。八分で通常蘇生が成功しなければ、処置中止ではない。通常蘇生を続けながら、ニナが追加手段を判断する。
ミレーユは第三の手として糸を保持する。
分かっている。
それでも、俺が戻らなければ彼女の指は動くかもしれない。
疑うことと、決めつけることは違う。
俺は外へ向かって言う。
「ミレーユ。八分を過ぎても鳴らすな」
届いたか分からない。
死痕の空間が揺れる。
七百の俺の何人かが笑う。
「聞くわけない」
「あいつはそういう女だ」
「俺たちは全員、それで死んだ」
「違う」
白髪の俺が言う。
「私は七十二年、生きた」
「最後に戻された」
「それでも七十二年だ。君の十六年と同じ一文にはならない」
若い俺が白髪の俺を睨む。
「長く飼われた自慢か」
「飼われてはいない」
「そう思わされただけだ」
「君が私の生活を決めるな」
俺は口を挟まない。
白髪の俺には白髪の俺の判断がある。若い俺が受けた恐怖で塗る権利はない。逆も同じだ。
七百人は同じではない。
当たり前の事実が、帰還扉の材料になる。
白い壁へ亀裂が入った。
一本。
まだ扉にはならない。
「続けろ」
俺たちは答えを出す。
生きたかった。戻したくなかった。王都を出ろ。
死にたかった。戻したかった。彼女の手を取れ。
分からない。戻したくなかった。墓を作ってくれ。
生きたかった。俺が頼んだ。グレゴールを殺すな。
「なぜ」
また理由を訊きそうになり、止める。
グレゴールを生け捕りにした判断と一致しているから、採用したくなっただけだ。自分に都合のいい死者を詳しく聞くな。
次。
「生きたかった。戻したかった。ニナと結婚しろ」
何人かが吹き出す。
俺も声が出た。
「したのか」
「質問は三つだろ」
こいつ、腹が立つ。
俺だ。
ニナへ知られたら、蘇生直後にもう一回殺されるかもしれない。いや、ミレーユが先か。
二人の反応を想像して、帰りたい気持ちが強くなる。
大きな理念じゃない。
くだらない続きを見たい。
壁の亀裂が二本になる。
生存理由として認められたらしい。
死痕の判定基準は意外と緩い。
「次」
答えが加速する。
俺は全部を床へ書けない。書けないものは、声の形のまま聞く。記憶できる保証はない。それでも、今この瞬間に多数へまとめないことはできる。
三百人。
答えの列に規則はない。
同じ死因でも望みが違う。鐘蝕で死んだ二人のうち、一人は還暁を望み、一人は拒んだ。ミレーユの腕の中で死んだ者にも、安心した者と、最後まで逃げたかった者がいる。
状況が答えを決めるわけでもない。
まして、俺という名前が決めるわけでもない。
「二百八十九回目。生きたかった。戻してほしかった。今の彼女へ、俺の分まで謝れ」
「何を」
「言わない」
答えない権利。
床の記録へ《謝罪希望、内容非公開》と書く。
「三百二回目。死にたかった。還暁は拒んだ。今の俺には酒を飲んでほしい」
「それだけか」
「一回も飲めずに死んだからな」
俺は酒があまり好きではない。
でも、生還したら一口くらい試す。好みに合わなければ残す。それでいい。死者の願いを果たすとは、命令へ従うことではなく、選べなかった続きを一度テーブルへ載せることかもしれない。
「三百十九回目。生きたかった。戻した。俺を英雄と呼ぶな」
「了解」
「三百二十回目。生きたかった。戻さなかった。英雄と呼ばれたかった」
隣同士が睨み合う。
俺は両方を書く。
同時には叶えられない願いだ。それでも、片方を恥ずかしい望みとして消す必要はない。
「三百五十一回目。分からない。還暁を頼んだ。ミレーユに、俺は彼女を怖がっていたと伝えてくれ」
「それは伝えた」
「俺が言ったことにはならない」
正しい。
今の俺の恐怖と、三百五十一回目の恐怖は別だ。
「記録で渡す」
そいつは初めて頷いた。
外で五分。
残り三分。
胸への圧迫が止まる。
代わりに、身体の中で何かが焼ける。
「薬剤投与」
ニナの声。
「白冠片を抜く。出血制御」
刃が抜ける感覚が、こちらの胸にも走った。
膝をつく。
痛い。
死んでいるのに痛いとは聞いていない。
白い床へ黒い血が落ちる。記録空間なのに、胸に傷が開いている。
帰還路が身体へ繋がり始めた。
いい兆候か、時間切れの兆候か。
「続けられるか」
白髪の俺が訊く。
「やる」
立とうとして、足が滑る。
十六歳の俺が腕を出す。
触れられないはずだった。
今度は掴めた。
冷たい手だ。
死痕が俺たちを別の記録ではなく、一時的に同じ現在へ置き始めている。
危険だ。
七百人を同時に身体へ戻せば、俺の意識は保てない。
帰還するのは現在の俺だけ。
過去の俺を消すのではない。記録へ戻す。ただし、今までのように鍵のかかった扉へは戻さない。
「扉を全部開けたままにする」
俺は言う。
「戻ったあと、記録を読めるようにする。俺だけじゃなく、ミレーユと、ニナと、必要なら市議会も」
若い俺が腕を振り払う。
「見世物にするのか」
「公開範囲は選べるようにする」
「死者がどう選ぶ」
「今ここで印を決める。公開、限定、封印。答えたくないも含める」
義足の俺が鼻で笑う。
「今から七百人の同意を取るのか」
「帰った後も決められる構造にする」
「お前が管理者だ」
「違う。鍵を分ける」
誰へ。
すぐには浮かばない。
俺、ミレーユ、ニナ、市議会、墓守、鐘守。同じ人間へ権限を集めない。死者側の鍵もいる。
死者側。
ユアン。
あいつがここに残した文字は、外と内を繋いでいる。
「ユアン・ベルの記録へ死者側の拒否鍵を置く」
手袋の文字が変わる。
《勝手に仕事を増やすな》
笑った。
本人だ。
《ただし、ニナに椅子を返すなら引き受ける》
「条件つきで了承」
円の何人かが拍手する。
壁の亀裂が三本、四本と増える。
扉の輪郭。
七百一枚目。
取っ手はまだない。
「今の俺に何を選ばせたいか、答えはあとで読めるようにする。今は一つだけ聞く」
全員を見る。
「俺が生き返ることに反対する者」
手が上がる。
十二。
思ったより少ない、と感じた自分をすぐ訂正する。十二人もいる。
「理由を言える者だけ」
最初の一人。
「戻れば、また彼女を傷つける」
二人目。
「俺たちを利用して、自分だけ続くのが許せない」
三人目。
「生きるのに疲れた。お前にも終わってほしい」
四人目は答えない。
答えない権利。
俺は頷く。
「反対を取り消せとは言わない」
「なら死ね」
「それも選ばない」
「多数決にしないんだろ」
「少数の拒否で現在の俺を殺すとも言ってない」
ずるい。
自分に都合がいい。
そうだ。
俺は公平な裁判官ではない。今、生き返りたい当事者だ。その利害を隠して中立を装う方が危ない。
「俺は生きたい。お前たちの反対を聞いた上で、それでも帰る」
十二人の手は下がらない。
壁の扉が完成する。
反対を消さずに選んだからだ。
取っ手は、ただの鉄だった。
剣でも、紐でも、鐘鍵でもない。
王都の普通の家にある扉と同じもの。
外から声。
「六分」
残り二分。
俺は取っ手へ触れる。
開かない。
押す。引く。横へ滑らせる。
動かない。
嫌な汗が出る。身体はないのに、手が濡れる。
条件が足りない。
何だ。
七百人の違いを認めた。反対を消さず、現在の俺が選んだ。鍵を分散した。
扉の上へ文字が浮く。
《帰還先を指定してください》
拍子抜けする。
「俺の身体」
開かない。
《時刻を指定してください》
今。
違う。外の現在を俺は正確に知らない。六分と言ったあと、何秒経った。
「ニナの声が次に七分と言う時刻」
《帰還先の所有者による許可が必要です》
俺の身体なのに。
所有者は俺だ。
「許可する」
開かない。
身体の俺は心停止している。意識の俺と同一と認証されていない。
七百回、同一人物として束ねた白冠を否定した結果だ。
現在の身体と現在の意識すら、自動で同じにはならない。
困った。
正しい。困るが、正しい。
本人確認が必要だ。
外へ声を出す。
「ニナ。俺の身体へ質問を」
返事はない。
「ミレーユ。聞こえるなら、俺が今選んだことを訊け」
白い空間に声が吸われる。
七百人が黙って待つ。
しばらくして、外からミレーユの声。
「レイ。あなたは生きたいですか」
聞こえた。
質問は予想どおりだった。
だから合言葉には弱い。七百人の誰でも答えられる。
俺は扉ではなく、外へ返す。
「生きたい。ただし、俺の生存を理由に暁鐘を鳴らすな」
扉が少し開く。
まだ足りない。
ミレーユの次の質問。
「私をどうしますか」
七百人がざわめく。
殺す。許す。逃げる。愛す。
答えが飛ぶ。
俺は考える。
彼女が欲しい答えを探すな。過去の俺と違う答えを作ろうとするな。
今の俺が、今決めていること。
「何もしない。お前のことは、お前と相談して決める」
扉が半分開く。
最後。
「私は、あなたを愛してよいですか」
答えはもう決めてある気がした。
でも、以前の俺が言った言葉をそのまま使えば、今の確認にならない。
愛すこと自体へ許可を出す権利は俺にない。行為には境界がいる。感情まで支配すれば、向きを逆にした監禁だ。
「愛すのはお前が決めろ。俺へ何をするかは、その都度聞け」
扉が開いた。
向こうは暗い。
大聖堂の夜。
ニナが俺の胸を押している。ミレーユは青血糸を持ち、泣いていない。エドガーが鐘槌を押さえ、オスカーが生活記録を読み、市議会長が時刻を書いている。
全員が自分の役割にいる。
七百人を見る。
「戻る」
白髪の俺が頷く。
若い俺は目を逸らす。
反対した十二人は、最後まで手を下ろさない。
そのままでいい。
俺は扉を越える。
外から、ニナの声。
「七分」
胸へ落ちる。
重い。
痛い。
空気が入らない。
身体中が、戻ってきた俺を異物として吐き出そうとする。
遠くでミレーユが俺の名を呼ぶ。
返事をしろ。
舌が動かない。
まず心臓。
動け。
命令して動くなら医者はいらない。
それでも命令する。
動け。
胸の奥で、一度。
弱い音。
七百人の声ではない。
今の俺の心臓が鳴った。
次の拍動が来ない。
一度動いただけで成功だと思うな。
胸を押す手がまた沈む。傷口から熱いものが流れる。肺へ空気を入れられ、咳き込むことすらできない。
二度目。
弱い。
三度目。
間隔が長い。
「自発脈、再開。圧迫を止める」
ニナの声が震えた。
止めた手の重さが胸から消える。楽になると思ったのに、支えを失ったみたいで怖い。
四度目。
五度目。
自分で続く。
「時刻、七分二十秒」
市議会長が記録する。
八分ではなかった。
八分だけ死ぬ覚悟をした俺は、七分二十秒で帰った。
残り四十秒を得した、と考える余裕が戻る。
まだ目は開かない。
それでも右手の中に、冷たくない鉄の取っ手がある気がした。