俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した 作:朝を数えない人
白冠を壊せば、消えた人々の記録も壊れる。
市議会の会議は、その一文で三時間止まった。
反対意見が出なかったわけではない。
多すぎた。
今すぐ壊す。
名前を全部戻すまで待つ。
白冠だけ残し、制御者を変える。
七層のうち生活記録が多い部分を切り離す。
ミレーユの聖女権限へ移す。
ユアンの拒否鍵で永久封印する。
どれも利点がある。
どれも人を失う。
会議室の壁には、期限が書かれている。
《白冠置換まで、九時間》
朝になれば、今の王都は白塔層へ置き換わる。
死亡率は下がる。
外出、婚姻、職業、出産、移住は白冠の許可制になる。
白冠を壊せば、現在の二十八万人は選択を保つ。
代わりに、七層にしか残っていない人の記録は薄れ、完全な輪郭へ戻せなくなる。
数は、現時点で千八百十二。
数字を見たくない。
見なければ、今の人だけを守る決断が簡単になる。
見る。
千八百十二。
その中にユアンは含まれない。拒否鍵として死痕側へ移ったからだ。
マルクたち六人も、個別記録へ分離済み。
アーロンも自分で名乗った。
間に合った者と、間に合わなかった者ができる。
期限がある以上、必ずできる。
「投票を」
市議会長が言う。
広場の代表、白化被害者、観測者、医療、鐘守、墓守、教会、王城、外区。三十六人。
俺とミレーユにも一票ずつある。
グレゴールにはない。証言はできる。
死者側はユアンの拒否鍵が、議案を拒否できる。ただし賛成票は持たない。死者の意思を推測して現世の決定へ加算しないためだ。
制度としては納得できる。
俺の腹は納得していない。
七百人の俺は死者側だ。俺は現在側だ。俺が一票を入れれば、七百人の意見まで代表したように見える。
「俺の票は、現在の俺一人分と記録してくれ」
書記が追記する。
「ミレーユも同じです」
彼女が言う。
七百一回鐘を鳴らした聖女の票ではない。
今のミレーユ一人分。
最初の議案。
《白冠を現状のまま封印し、名前回復を継続》
利点は、千八百十二人へ時間を使えること。
危険は、封印が破れれば王都置換。維持には聖女権限が必要。ミレーユが生涯、白冠の近くへ残る。
俺は彼女を見る。
表情は静か。
「質問」
俺は手を上げる。
「封印維持者は交代できるか」
エドガーが答える。
「聖女血統だけだ。今はミレーユしかいない」
「拘束時間」
「一日十八時間、白冠へ接続。残り六時間も王都外へ出られない」
白塔より広い檻。
ミレーユ一人を閉じ込めれば、千八百十二人を戻せる可能性がある。
本人が同意すればいいのか。
「私は同意できます」
ミレーユが言う。
胸が冷える。
「今すぐ決めるな」
「意思表示です」
「お前は自分を代価にする判断が速い」
「事実です」
「だから無効?」
「無効ではありません。反復傾向として追加評価が必要です」
彼女自身が言う。
自分の同意を絶対にも、無価値にもしていない。
医療担当が意見する。
「十八時間接続を続ければ、一年以内に記憶障害が進む。二年目以降の人格維持は予測不能」
ミレーユが少し目を伏せる。
記憶を失う。
彼女はそれを慣れた代価として扱いやすい。
俺は反対票を入れたい。
彼女を失いたくないから。
その感情を隠して、制度上不適切だと言えばグレゴールと同じになる。
「俺は反対する。ミレーユを失いたくない。それと、一人の継続的な自己損失へ公共設備を依存させたくない」
二つを分けて言う。
ミレーユは俺を見る。
何も言わない。
投票。
賛成十二。反対二十一。棄権五。
否決。
ミレーユの自己犠牲を、愛で止めたわけではない。三十六人の判断で採用しなかった。
少し安心する。
彼女は表情を変えない。
次。
《白冠の管理権を市議会へ移し、損失最小化機能だけ使う》
グレゴールが笑う。
「制御者を変えれば正しく使えると?」
「証言者は質問へだけ答えてください」
市議会長が止める。
「白冠は管理権を移せるか」
「形式上は。だが判断基準は私の恐怖を核にしている。管理者が変わっても、失敗を避ける方向へ結果を選ぶ」
「核を交換できるか」
「できる」
会議室がざわつく。
「誰と」
グレゴールは俺を見る。
「錨を切ったレイ。七百の異なる選択を保持している。白冠へ最適な多重人格核だ」
右手が冷える。
七百人を一つへまとめない構造が、白冠の核に向いている。
俺が管理者になれば、千八百十二人を戻せる可能性が上がる。王都の選択制限も、俺が拒否できる。
代価は。
「接続後、俺はどうなる」
「現在人格は調停層になる。七百の意見を常時受け、王都の全損失を判定する」
「身体は」
「白冠内で保存。老いない。死なない」
完璧な監禁だ。
鍵を持つのは俺自身。
自分で入るなら監禁ではない、と言えるだろうか。
出られない同意を、今の俺が未来の俺へ押しつける。違う。
「退出条件」
「代替核の用意、または白冠破壊」
「俺が拒否しても、外の人が破壊を選ばなければ出られない」
「そうだ」
ミレーユの手が机の下で握られる。
俺を止めたいはずだ。
彼女は口を挟まない。
俺の選択だから。
その沈黙が、逆に苦しい。
俺は計算する。
千八百十二人。
俺一人。
数だけなら答えは出る。
白冠の答えだ。
「千八百十二人は、俺が核になることを望んでいるか」
「意思確認は不可能だ」
「なら、俺の自己犠牲をあの人たちの希望として使うな」
グレゴールが眉を動かす。
「君が望むならいい」
「俺は望んでない」
声に出すと、少し楽になる。
役に立てる。全員を救えるかもしれない。ミレーユも王都も自由にできる。
魅力はある。
それでも望まない。
「反対」
俺は票を入れる。
ミレーユも反対。
議案は賛成九、反対二十四、棄権五で否決。
三つ目。
《今夜、暁鐘と白冠を破壊する》
利点、現在王都の置換停止。還暁の永久停止。聖女権限から白冠機能を分離。
代価、七層限定記録の輪郭復元不能。還暁で失われた七百回を物理的に再現する手段も消える。広域治癒の一部も失われる。
「物理的に再現とは」
俺は分かっていて訊く。
議事録へ残すためだ。
グレゴールが答える。
「白冠の七層を七百へ増やし、それぞれの還暁直前を仮設する。記録が十分な周回は、当時の身体と人格を再構成できる」
「七百人の俺を生き返らせる?」
「君だけではない。各周回で失われた人もだ」
会議室の空気が変わる。
死者を戻せる。
輪郭ではない。文字でもない。身体と人格。
「場所は」
「七百の王都を並列維持する。白冠内では可能だ」
「外へ出せるか」
「一つの現在へ同一人物を複数置けない。一層につき一つの世界として保存する」
七百の檻。
それぞれに一人の俺と、一人のミレーユと、失われた人々。
死ぬ直前を再現するなら、苦痛も戻る。
「再構成された本人へ、残るか消えるか選ばせられるか」
「選択させれば層が不安定になる」
「できるか」
「技術上は」
「なら、選ばせず保存する案は採用しない」
俺の声が強くなる。
七百人を取り戻したい。
死痕で話した時間は短い。理由を聞けなかった。ニナと結婚しろと言った俺の続きを知りたい。白髪の俺が過ごした七十二年を見たい。
俺が傷つけた人へ謝りたい。
俺を傷つけた人へ怒りたい。
全部、今の俺の欲望だ。
だから、七百人をその欲望へ使うな。
「選択を許せば、何層残る」
「予測不能。全員が残留を望んでも、資源は七層分しかない」
「結局、選別する」
誰を生き返らせるか。
長く生きた周回か。多くの人を救った周回か。記録が鮮明な周回か。今の俺が会いたい周回か。
正しそうな基準で、また人を結果へ変える。
「白冠を残す限り、復元の希望は消えない」
グレゴールが言う。
「希望があるから、今の生活を預け続けるのか」
俺は訊く。
「いずれ技術が進む」
「いずれ、は期限じゃない」
「破壊すればゼロだ」
「そうだ」
ゼロになる。
そこから目を逸らさない。
不可能にすれば迷わず済むから壊す、ではない。迷い続ける装置が現在の人を侵害するから、壊す案を検討する。
「一部とは」
医療担当がミレーユを見る。
彼女が答える。
「死者蘇生、都市規模の時間固定、複数人の致命傷同時治癒。個人の傷病治癒は残る可能性がありますが、保証できません」
王都の医療が変わる。
聖女一人へ頼った重傷治療が使えなくなる。
ニナが資料を出す。
「代替計画。各区施療院を三から九へ。外科訓練、輸血登録、蘇生薬工房を増設。完成まで死亡率は上がる」
白冠を壊せば自由、で終わらない。
力を失った穴へ、人と技術を入れる。
間に合わず死ぬ人もいる。
その死を、自由のために必要だったと美しく呼びたくない。
「千八百十二人の記録は、どこまで残る」
オスカーが答える。
「名前、生活痕、関係者証言。輪郭と本人応答は失う。墓誌は作れる。本人の返事は聞けない」
記録は残る。
でも、記録は本人ではない。
名札を読み、好きだった食べ物を知り、日記を集めても、その人が今何を選ぶかは分からない。
俺の七百人が教えた。
同じ過去から同じ答えは出ない。
記録は選択の代わりにならない。
だから、残る記録があるから失っていいとは言えない。
同時に、いつか本人を完全復元できる可能性のため、現在の二十八万人を白冠へ入れていいとも言えない。
正しい結果がない。
投票を急がない。
代表者が各区へ戻り、公開説明をする。残り九時間のうち、三時間を使う。
短すぎる。
それでも、三十六人だけで決めるよりましだ。
俺は休憩室へ運ばれる。
胸痛は七。薬を飲む。
眠くなるが、眠れない。
扉の外にミレーユがいる。
「入っていい」
彼女は入る。
椅子を俺から二歩に置く。
「核の議案」
俺が言う。
「はい」
「止めたかったか」
「はい」
「なぜ言わなかった」
「あなたが望むかを先に聞く必要があったためです」
「俺が望んだら」
ミレーユはすぐ答えない。
「反対しました」
「俺の選択でも?」
「反対意見を言います。力では止めません。投票結果に従います」
安心する。
彼女が何でも賛成することを、俺は望んでいない。
「お前は白冠破壊に賛成?」
「私一人の意見ですか」
「そう」
「賛成です」
「失った記憶が戻らなくなる」
「はい」
「母親の声も」
「はい」
「七百回の俺も、完全には」
「はい」
ミレーユの声は平らだ。
「怖くないのか」
「怖いです」
彼女は膝の上の手を見る。
「白冠があれば、いつか全部を戻せると考えています。正しい順番で記憶を開けば、母の声も、一回目のあなたも、失敗しなかった私も」
失敗しなかった私。
最後が本音に近い。
「しかし、戻った記録が今の私を許すとは限りません。許すとしても、記録の選択を私が先に決めることになります」
「諦められる?」
「分かりません」
正直な答え。
「壊した後、後悔します。あなたへ、壊さなければよかったと言うかもしれません」
「言っていい」
「あなたを責めるかもしれません」
「その時は聞く。俺もお前を責めるかもしれない」
永遠に同じ決断を肯定する約束はできない。
今、一緒に選ぶだけだ。
三時間後、投票が再開する。
各区から反対意見が届く。
息子の輪郭を待つ母。
別層の夫を記憶してしまった魚屋。
広域治癒が必要な病人。
白塔層でも生きられると考える老人。
全部、記録される。
賛成意見も。
外出を選びたい若者。
職業を変えたい職人。
白冠に出産を決められたくない夫婦。
明日死ぬ可能性ごと、自分で治療を選びたい患者。
書記が少数意見を先に読む。
「北二区、ラウラ・メイ。娘の名前は回復対象名簿一一七番。白冠破壊に反対。娘の返事を聞くまで、現在の自由を一部制限されても待ちたい」
会議室の誰も口を挟まない。
「南外区、名前非公開。広域治癒がなければ次の発作で死亡する可能性が高い。破壊に反対。自由を語る者は、自分の死期が近くないから言えるのではないか」
胸へ刺さる。
俺は蘇生された。外科と輸血が間に合った。代替医療へ期待できる側だ。
間に合わない人へ、未来の技術を信じろとは言えない。
医療担当が個別支援案を追記する。白冠片から一時治癒薬を作り、破壊前に必要量を保存する。万能ではない。発作を二、三回延ばす程度。
それでも、反対意見から計画が一つ増える。
「西一区、モーリス・カイ。白塔層への置換に賛成。妻と子を戦争で失った。自由な王都が家族を守らなかった事実を無視するな」
誰も無視できない。
自由に選べる社会は、人を必ず救うわけではない。
選択の結果、争いも事故も起きる。
白冠を壊した後に死者が出れば、反対者は正しかったと感じるだろう。賛成者は、それでも必要だったと言うかもしれない。
将来の評価まで、今ここで統一しない。
賛成意見も実名で読む。
「中央区、フィオナ・レス。白冠破壊に賛成。白塔層の自分は、適合判定で現在と別の相手と婚姻していた。その生活を不幸とは断定しない。しかし現在の相手と別れる結果を、死亡率だけで選ばれたくない」
「東三区、魚屋サイモン。賛成。別層の夫の記憶がある。現在の妻を選ぶが、別層の夫を偽物とは呼ばない。記録を墓誌へ残すことを希望」
記憶混線した魚屋だ。
選んだ。
選ばなかった生活を消さず、現在を選ぶ。
俺たちがしようとしていることと同じだ。
投票。
白冠破壊、賛成二十二。
反対十一。
棄権五。
可決。
歓声はない。
反対十一人の望みは、負けたから間違いにならない。
ユアンの拒否鍵は発動しない。
死者側が賛成した、という意味でもない。
現在側の決定を拒否する証拠がなかっただけだ。
作戦開始まで三時間。
暁鐘を壊す。
七百回を取り戻せる最後の道も、一緒に壊す。
俺は賛成票を入れた手を見る。
正しいとは思えない。
それでも、俺が選んだ。
明日になれば、この票を後悔するかもしれない。
後悔しない未来を白冠へ選ばせるための投票ではない。後悔した時に、戻さず、その後の選択をまた引き受けるための一票だ。