俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した 作:朝を数えない人
暁鐘を壊す方法は、鳴らすことだった。
最後まで四回。
一回目で七層を現在へ固定。
二回目で白冠と聖女権限を分離。
三回目で七百の還暁記録を開く。
四回目の前に鐘身を内側から割る。
失敗すれば、白冠置換か還暁が発動する。
成功しても、鐘が割れた反動で大聖堂は崩れる。
俺たちは鐘塔へいない。
遠隔でやる。
エドガーは反対した。鐘守として最後まで鐘のそばにいる、と。
市議会が却下した。
鐘を壊す作戦に鐘守の死は必要ない。
今、エドガーは広場の操作台にいる。外れた肩を固定し、片手で鐘鍵を持つ。オスカーは墓銘板。ニナは白冠片の分離薬。市議会長は七層の帰還索。
ミレーユは聖女権限。
俺は七百の死痕扉。
グレゴールは第七索を自分の記憶へ戻す。
役割は六つ。
一つが失敗しても、別の人が代われるものは代替者がいる。
俺とミレーユとグレゴールだけ、代替がいない。
代替がいないから重要人物、ではない。
構造がまだ未完成という意味だ。
今夜を越えたら、二度と三人だけに同じ権限を集めない。そのために今、鐘を壊す。
退出経路は三つ。
広場北の施療天幕。西の地下水路。南の旧市場。
俺は車椅子なので北。階段のある地下水路は使えない。北が崩れたら、リオと補助二人が持ち上げて南へ運ぶ。
ミレーユは南。俺と同じ経路にしない。白冠が二人を同時に錨へ戻そうとする可能性がある。
彼女は嫌だと言わなかった。
俺も嫌だ。
崩落時、彼女の姿が見えない方へ逃げるのは怖い。一緒なら助けられる気がする。
その気がする、だけだ。
俺は走れない。彼女は俺を助けようとして退避を遅らせる。別経路の方が生存率は高い。
「互いの救助へ向かわない」
最終確認へ項目がある。
俺たちは署名した。
冷たい決まりだ。
だから第三者がそれぞれを助けられる。
だから三人には、それぞれ中止権がある。
誰か一人が中止を言えば、一回目の前なら延期。
一回目の後なら、白冠を封印して全員退避。置換まで残り三時間になるが、立て直す余地はある。
二回目の後は中止できない。
進むしかない。
「現在時刻、初夏月七日、午前二時」
市議会長が告げる。
朝まで三時間。
知らない夜だ。
俺は七百回のどこかで、この時刻を過ごしたかもしれない。死痕記録には夜の匂いまで残っていない。
今の俺にとっては初めてだ。
「中止希望」
一人ずつ確認。
エドガー、なし。
オスカー、なし。
ニナ、なし。
市議会長、なし。
グレゴール。
彼は拘束椅子へ座っている。両手首の鎖は残る。第七索だけ、胸の前へ出している。
「なし」
ミレーユ。
「ありません」
俺。
胸が痛い。
吐き気もある。
七百回を取り戻したい。
中止したい理由は十分だ。
「なし」
開始。
エドガーが一回目の鍵を回す。
暁鐘が鳴る。
音は空へ行かない。
七層の王都へ横に広がる。
橋崩落層の川が止まる。灰熱病層の施療院が重なる。戦争層の炎が壁へ貼りつく。永昼層の太陽が黒くなる。白塔層の扉が全部開く。白紙層へ道が一本現れる。
現在層は、揺れる。
足元の石が七つの形へ変わる。
帰還索を各区の人が引く。
自分の家、自分の時刻、自分の生活記録へ繋ぐ。
「現在確認!」
二十八万の声は聞こえない。
鐘線から、区ごとの返答が来る。
北一、現在。
北二、現在。
西門外、現在。
南市場、現在。
一地区だけ返事がない。
東三区。
魚屋サイモンの地区。
「待つ」
市議会長。
白冠置換が東三区から進む。
家の壁が白くなり、婚姻札が扉へ出る。
急げ、と言いたい。
一地区を切り離せば、他は固定できる。
誰も提案しない。
二十秒。
三十秒。
返答。
《東三区、現在。帰還索混線を分離》
魚屋が、別層の夫の名を索から外せなかったらしい。今の妻と二人で、別層の夫の墓誌へ索を結び直した。
捨てずに、現在へ戻った。
「全区、現在固定」
一回目成功。
広場の端で、一人の女が帰還索を離す。
白塔層の服を着ている。
現在の女と重なったまま、二つの顔が左右へずれている。
「どちらへ戻るか決められない」
帰還担当が索を無理に引かない。
「現在層の身体は安全です。白塔層の記憶は墓誌へ移せます」
「向こうにも子供がいる」
「現在には?」
「いない」
白塔層で許可された婚姻と出産。管理された生活でも、子供への愛情まで偽物になるわけではない。
一回目で現在へ固定する投票は済んでいる。
それでも、本人がその場で離れられない。
「子供の名前を」
記録係が紙を出す。
女は二人の名を書く。
名前、誕生日、好きな遊び、昨日叱った理由。
白塔層の子供を現在へ出せない。同一の親だけを選べない。紙へ残すことしかできない。
女は泣きながら、現在の索を握る。
白塔層の顔が剥がれる。
紙の上に、子供二人の手形だけが残った。
成功と言いたくない。
現在固定は成功。女の喪失も事実。
両方を記録する。
もう延期は難しい。
二回目。
ミレーユが聖女杖を持つ。
三日前まで、彼女の最強の道具だった。
今は先端に亀裂がある。永昼、錨切断、白冠分離で魔力を使い切りかけている。
「聖女権限を、治癒、追跡、還暁、白冠管理へ分けます」
四つの光。
緑、青、金、白。
緑の治癒は彼女の手元へ。
青の追跡は床の契約環へ。
金の還暁は暁鐘へ。
白の管理は白冠へ。
今まで一つだった。
人を治す力を使う者が、人の位置を知り、時間を戻し、王都の安全まで管理した。
善人でも危険だ。
ミレーユは金と白の間へ杖を入れる。
白冠が彼女の声で話す。
「切れば、レイを二度と戻せない」
ミレーユの手が止まる。
止まった事実を俺は見る。
責めない。
「中止?」
俺ではなく市議会長が訊く。
彼女は決められる。
「続行します」
「理由」
「現在の私が、還暁権限を持ち続けることへ同意しないためです」
俺のため、とは言わない。
金の光を切る。
暁鐘へ吸われる。
次、白。
「切れば、失った母の声は戻らない」
白冠がエレナの声を使う。
俺は本物を知らない。
ミレーユの顔だけを見る。
彼女の瞳が大きくなる。杖を持つ指が白い。
「ミレーユ」
母の声が呼ぶ。
「あなたは悪くない」
彼女が一番欲しい言葉かもしれない。
だから偽物だ、と決めるのは簡単だ。
本物のエレナも言うかもしれない。
「本人照合は」
ニナが訊く。
「不能です」
ミレーユが答える。
「声の記憶が私にありません」
「なら救命・指示対象にしない」
以前、偽の俺へ使った判定。
「お母様」
ミレーユは白冠へ言う。
「本物であっても、私を許すかはあなたが決めてください。私が作った声に決めさせません」
白の光を切る。
聖女杖が中央から折れる。
白冠管理権が、誰のものでもなくなる。
二回目の鐘。
戻れない地点。
白冠の七層が崩れ始める。
今から止めれば、管理者のない白冠が王都を無作為に重ねる。
三回目へ。
俺の右手を床の死痕環へ置く。
感覚は半分しかない。
冷たさだけは、はっきり分かる。
七百の扉が開く。
一斉に声が来る。
戻せ。
戻すな。
助けろ。
殺せ。
酒を飲め。
ニナへ謝れ。
ミレーユと老いろ。
別れろ。
前より聞き分けられる。
七百人の顔も見える。
白髪の俺。
義足の俺。
十六歳の俺。
反対の手を上げた十二人。
「今から記録を開く」
俺は言う。
「白冠は、お前たちの周回を再構成できる。残りたい者は」
手が上がる。
多い。
数えない。
「ただし七層分だけ。誰を残すかは選別される。今の王都は白冠管理下に置かれる」
義足の俺が前へ出る。
「俺の層は十三年続いた。記録量なら上位だ」
白髪の俺が首を振る。
「私は七十二年だ」
「長ければ選ばれるのか」
十六歳の俺が噛みつく。
「短く死んだ俺は価値が低い?」
誰も答えられない。
白冠が答える。
《生活時間、関係者数、復元精度、現在への有用性を評価》
人の価値ではなく、層の維持効率だと言いたいらしい。
言葉を変えても、選別される側には同じだ。
「現在への有用性って何だ」
ニナと結婚しろと言った俺が訊く。
《薬学記録を持つ周回は優先度上昇》
「じゃあ俺は残るな」
嬉しそうに言った後、隣の俺を見る。
「お前は?」
「何もない」
「剣が使える」
「もっと上手い奴がいる」
過去の俺たちが、自分を役に立つ記録へ変え始める。
残るために。
生きたいなら当然だ。
俺だって同じ立場なら、自分の技能を並べる。
だから制度の方を使わない。
必死に価値を証明しなければ生きられない選別を、本人たちの競争だから公正だとは呼べない。
「白冠の評価を止める」
俺が言う。
《停止すれば選択不能》
「選ばない」
《全記録消失》
「記録庫へ移す。身体再構成は諦める」
過去の俺たちから罵声が飛ぶ。
受ける。
俺は安全な現在側にいる。
怒られる理由がある。
手が下がる。
全部ではない。
「そんな条件は聞いてない」
若い俺が怒鳴る。
「今、言った」
「俺たちに死んだままでいろと?」
「俺が決めるんじゃない」
「破壊へ賛成した」
「現在の一票を入れた」
「同じだ!」
違わない部分もある。
俺の選択で、こいつの再構成可能性は消える。
「そうだ。俺の選択で、お前は戻れなくなる」
言う。
逃げない。
「許せない」
「許さなくていい」
「なら戻せ」
「それは選ばない」
若い俺が殴りかかる。
拳が頬へ当たる。
痛い。
記録なのに、今は触れられる。
殴り返さない。
殴らせ続けもしない。
腕を掴む。
「一回まで」
ユアンの言葉を借りる。
若い俺が泣く。
「生きたかった」
「知ってる」
「知ってるなら」
「俺も生きたい」
現在の王都で。
選ばなかった七百回を抱えたまま。
三回目の鐘が鳴る。
死痕の扉が白冠から外れる。
白塔地下の記録庫へ移る。
再構成機能は切れる。
過去の俺たちが薄くなる。
消えるわけではない。
声を聞くには、扉を開き、拒否鍵の許可を得る必要がある。身体へ戻すことはできない。
白髪の俺が最後に言う。
「老いるのは、やり直しではない」
「分かってる」
「分かっていない顔だ」
「これから知る」
扉が閉じる。
残るのは四回目。
鐘塔の内部へ、ニナの分離薬が流れる。
白冠片から作った薬。
グレゴールが第七索を引く。
自分の失敗を白冠から抜く。
「私は正しかった」
白冠が彼の声で言う。
「規則どおりだった。最小の損失を選んだ」
グレゴールの顔が歪む。
「そうだ」
認める。
「私は規則どおりに一人を後へ回した。別の一人が助かった。それでも、アーロンを後へ回したのは私だ」
第七索が白冠から抜ける。
少年の恐怖が、グレゴールの胸へ戻る。
彼は息を詰め、椅子から落ちる。
医療担当が行く。
拘束者でも治療する。
白冠の中心が空になる。
四回目の鐘槌が動く。
鳴れば還暁。
錨は切れている。それでも七層のどこかに、過去の俺の死を錨として使える記録が残っているかもしれない。
エドガーが鐘鍵を回す。
オスカーが七百一枚の墓銘板を伏せる。
死因を鐘から隠す。
市議会長が現在層以外の帰還索を切る。
ニナが薬瓶を割る。
ミレーユは折れた杖の両端を持つ。
俺は正門鍵を操作台へ入れる。
白塔の鍵。
監禁に使われ、開放に使われ、自分で戻るために使った鍵。
「破壊確認」
市議会長。
一人ずつ答える。
最後に俺。
四回目が来る。
七百回を取り戻す最後の一秒。
戻したい。
本当に、戻したい。
若い俺を生かしたい。白髪の俺と話したい。ミレーユが失った母の声を返したい。ニナとユアンを同じ食卓へ座らせたい。
無理だと分かっているから、綺麗に諦めたふりをしたくなる。
諦めきれない。
そのまま言う。
「取り戻したい。それでも、壊す」
正門鍵を回す。
ミレーユが折れた杖を交差させる。
エドガーが鐘鍵を引く。
鐘槌が内側から鐘身へ当たった。
音になる前に、亀裂が走る。
暁鐘が割れる。
白冠も割れる。
王都の上から七層が剥がれる。
橋のない王都。
病の王都。
戦争の王都。
永昼。
白塔。
白紙。
全部が光ではなく、紙片になって降る。
紙片には名前がある。
名前だけのもの。
生活の一文があるもの。
何も読めないもの。
人々が受け止める。
一枚も踏まないように、とはできない。
何万枚もある。
石へ潰され、火へ入る紙もある。雨が降り始め、文字が滲む。
人々は近い紙から拾う。
自分の家族だけを探す者。
知らない名を先に拾う者。
何を拾えばいいか分からず立ち尽くす者。
市議会は命令しない。
区域ごとに乾いた布と箱を出す。読めない紙も捨てない。白紙に見える紙は白紙箱へ。重なって剥がせないものはそのまま。
完全保存はできない。
それでも、可能な範囲で残す。
俺の膝へ一枚落ちる。
《レイ》
名前だけ。
何回目か分からない。
裏は白い。
俺は自分の紙だからと懐へ入れかける。
止める。
過去の俺本人が公開範囲を選んでいない。
記録箱へ入れる。
ユアンの拒否鍵が、箱の蓋へ一度光る。
預かっただけだ。
所有したわけではない。
大聖堂が崩れる。
広場へ石が落ちる。
退避索が引かれる。
リオが俺の車椅子を押す。
ミレーユは自分で走る。
グレゴールは担架。
エドガーも、オスカーも、ニナも外へ出る。
誰か一人が鐘塔へ残って格好よく死ぬ必要はない。
最後の尖塔が倒れる。
土煙。
音が消える。
俺は右手を見る。
冷たくない。
暁鐘の方向へ引かれない。
ミレーユの手首。
七百一本の傷は残っている。
増えていない。
空を見る。
午前三時。
朝まで二時間。
白冠のない夜。
誰の記録にも、次に何が起こるか書いていない。
怖い。
戻せない。
だから、ようやく時間が進む。
朝が必ず来る保証はない。
鐘がなくても太陽が昇ると、皆は知っている。俺も知識では知っている。それでも七百回、朝は誰かが鳴らすものだった。
今夜だけは、待つしかない。
待って、来なければ暗いまま次を考える。
来ても、昨日へは戻れない。
俺は知らない夜の時刻を、葬院手帳へ書いた。
《午前三時七分。全員、現在》
その先の欄は空けた。予言を書く場所ではなく、起きたことを後から書く場所にする。
俺の字で。
忘れずに。