ヤニねことカラカラねこ   作:きのこ大三元

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第14話 酒瓶はゴミの日に出すにゃ

 朝。

 

 カンサイねこが二階の廊下へ出ると、いつもと少し景色が違っていた。

 

「……何やこれ」

 

 壁際に、酒瓶がずらりと並んでいる。ウイスキー、焼酎、日本酒、梅酒。大きい物から小さい物まで妙に整列しており、何本かはラベルが剥がれかけ、底には少しだけ液体まで残っていた。

 

 朝の共用廊下としては、あまり見たくない光景である。

 

「酒屋でも始めるん?」

 

 当然、返事はない。カンサイねこが瓶の列を目で追っていくと、その先にあるのは氷川角子の部屋だった。

 

「……まあ、そうやろな」

 

 ちょうど階段を上がってきた大家へ声をかける。

 

「大家さん」

「ん?」

「これ、全部誰の?」

 

 大家は瓶を見て、次に角子の部屋を見た。

 

「聞かなくても分かるだろ」

「やっぱり?」

「昨日の夜から増えてたんだ……最初は三本だった。朝見たらこれだ」

「増殖しとるやん」

 

 大家は額を押さえた。

 

「共用廊下に出されると困るんだよな」

「今日、瓶の日ちゃうの?」

「来週」

「来週?」

 

 二人で角子の部屋を見る。

 

「日ぃ間違えたんやな」

「たぶんな」

 

 その時、扉が開いた。

 

「おはようございます」

 

 角子が出てくる。

 

 手には、さらに空き瓶が二本。

 

 カンサイねこが見る。

 

 大家も見る。

 

 角子も二人を見る。

 

「どうしました?」

「それ、どこ持ってくん?」

「瓶の日なので」

「来週やで」

 

 角子の動きが止まった。

 

「…………」

 

 手元の瓶を見て、次に大家を見る。

 

「今日じゃないんですか?」

「今日は缶の日だ」

「そうでしたか」

 

 角子は少し考え、そのまま二本を廊下へ置こうとした。

 

「置くな置くな」

 

 カンサイねこがすぐ止める。

 

「来週までここ置いとく気?」

「まとめておけば忘れないかと」

「共用廊下や」

 

 大家も頷いた。

 

「部屋に戻して」

「結構ありますよ」

「知ってるよ。今見てるからな…」

 

 角子は改めて壁際を見回した。自分でも少し多いと思ったらしい。

 

「いつの間にこんなに」

「飲んだんやろ」

「そうですね」

「原因分かっとるやん」

 

 角子が一本持ち上げると、中でちゃぷんと音がした。

 

 カンサイねこの耳が動く。

 

「ちょい待ち。それ空ちゃうやん」

「はい?」

 

 角子も瓶を覗き込む。底に少しだけウイスキーが残っていた。

 

「ほんの少しですね」

「他のも?」

 

 三人で確認すると、焼酎にも日本酒にも梅酒にも少しずつ残っている。きれいな空瓶の方が少なかった。

 

「空にして、軽く洗ってから出さなあかんで」

「洗うんですか?」

「自治体の出し方にもよるけど、中身残したままはあかんやろ」

 

 大家も瓶を指す。

 

「すまんが、角子さんとにかく中身入りはやめてくれ…」

「分かりました」

 

 角子は素直に頷き、一本持って部屋へ戻っていった。

 

「お、意外と素直やな」

 

 カンサイねこも数本を抱え、大家は残りを指す。

 

「全部戻して、中身処理してからにして」

「はい」

 

 

 数分後。

 

 角子の部屋には、回収された酒瓶が床いっぱいに並んでいた。カンサイねこは窓際に座り、角子が一本ずつ中身を確認するのを見ている。

 

「これ、ウイスキー。ちょっと残ってますね」

「捨て」

「もったいないですね」

「底だけやで」

「一口はあります」

「その一口のために瓶残しとったん?」

「残したというか、残っていました」

「同じや」

 

 次は焼酎だった。

 

「これもあります」

「捨て」

「まだ飲めますよ」

「飲みたいなら今飲めば?」

「朝です」

「そこは分かるんや」

「朝からはあまり飲みません」

「『あまり』なんや」

 

 嫌な部分だけ聞こえた。

 

 日本酒にも梅酒にも、やはり少しずつ残っている。捨てれば早いし、角子自身もそれは分かっているようだった。

 

 でも、酒である。

 

 まだ飲める物をそのまま流しへ捨てるのは、かなり惜しいらしい。

 

 角子はしばらく瓶の列を眺めたあと、ステンレスジョッキを取り出した。

 

 カンサイねこの目が細くなる。

 

「何するん?」

「まとめます」

「何を?」

「残ってるお酒です」

「どこに?」

 

 角子はジョッキを持ち上げた。

 

「これに」

「飲み物に戻そうとすんな」

 

 即座に止められた。

 

「まだ飲めますよ」

「種類バラバラやろ」

「ウイスキーと焼酎と日本酒と梅酒ですね」

「言うてておかしいと思わん?」

「度数は近いものもあります」

「度数の話ちゃうねん」

 

 角子は少し考える。

 

「梅酒が甘いので、案外まとまるかもー」

「まとめんでええ」

「香りも複雑になります」

「複雑で済むん?」

 

 それでもウイスキーの瓶を傾けようとするので、カンサイねこがジョッキの上へ手を置いた。

 

「やめとき」

「少しだけ」

「少しを四種類集めようとしとるやろ」

「捨てるよりは」

「朝やぞ」

「あとで飲めます」

「作り置きすんな」

 

 その時、玄関が開いた。

 

「何してるにゃ?」

 

 ヤニねこが顔を出した。

 

 誰も呼んでいない。酒の匂いだけで来た可能性が高かった。

 

「また勝手に入ってきたな」

「開いてたにゃ」

「開けたんやろ」

 

 ヤニねこは床に並んだ瓶を見た瞬間、耳を立てる。

 

「酒いっぱいにゃ」

「空瓶や」

「まだ入ってるにゃ」

「見つけるの早いな」

 

 底に残った酒へ、すぐ気づいたらしい。

 

「捨てる?」

「その話してたとこや」

「捨てるならニャーが飲むにゃ」

「朝から何しに来たん?」

「酒を救いに」

「大義名分みたいに言うな」

 

 角子は少し納得したように頷いた。

 

「それなら無駄にはならないですね」

「角子さんも乗るな」

 

 ヤニねこは焼酎の瓶を持ち上げた。

 

「ちょっとあるにゃ」

「飲まないでください」

「捨てるんだろ?」

「そのまま飲むのはちょっと」

「なんで?」

「いろんな瓶の口、ずっと開いてましたし」

「角子は飲もうとしてたにゃ」

「ジョッキに移してからです」

「何が違うん?」

 

 カンサイねこが突っ込む。

 

 角子は少し考えた。

 

「雰囲気ですかね」

「雰囲気で衛生よくならんで」

 

 その時、玄関がまた叩かれた。

 

「角子さん?」

 

 今度はヤクねこだった。

 

「どうぞ」

 

 入ってきたヤクねこは、床いっぱいの瓶、ステンレスジョッキ、焼酎を持ったヤニねこ、その腕を押さえているカンサイねこを順番に見た。

 

「……何してるんですか?」

「廃酒救済活動にゃ」

「先輩には聞いてません」

 

 少し眺めただけで、大体察したらしい。

 

「瓶の日、間違えたんですか?」

「そうみたいです」

「中身残ってますね」

「今それを飲もうとしとんねん」

「先輩が?」

「角子さんも」

 

 ヤクねこは間を置かず答えた。

 

「二人ともやめてください」

 

「ほら。まともな人来たわ」

 

 カンサイねこが少し安心する。

 

「私も全部混ぜるのはよくないと思います。保存状態も分からないですし」

「でも少しずつですよ」

「少しずつでも駄目です」

「捨てるの、もったいなくないですか?」

「次から飲み切ってください」

「正論やな」

 

 ヤクねこは今度はヤニねこを見る。

 

「あと先輩。朝から残り酒拾って飲もうとしないでください」

「拾ってないにゃ」

「意味としては同じです」

「角子の酒にゃ」

「もっと駄目です」

「本人が捨てるって言ってるにゃ」

「だからって飲んでいいことにはなりません」

 

 ヤニねこは不満そうに瓶を見る。

 

「酒がかわいそうにゃ」

「先輩が言うと、酒じゃなくて自分が飲みたいだけに聞こえます」

「違うにゃ」

「じゃあ飲まなくていいですね」

「…………」

 

 ヤニねこが黙った。

 

「分かりやす」

 

 

 結局、残っていた酒は全部処分することになった。

 

 角子が流しの前に立ち、一本ずつ瓶を傾けていく。

 

 まずウイスキー。

 

「……」

「捨て」

「はい」

 

 次は焼酎。

 

「……」

「捨て」

「はい」

 

 日本酒は少し多かった。

 

「これ、一口くらい――」

「捨て」

「はい」

 

 最後は梅酒。

 

 角子は瓶を傾ける前に、少し長く眺めた。

 

「これ、甘くて飲みやすかったんですけどね」

「思い出話始めんな」

「最後まで飲めばよかったです」

「そこはほんまにそうや」

 

 流す。

 

 横でヤニねこが悲しそうな顔をしていた。

 

「酒が死んでいくにゃ……」

「大げさや」

「まだ飲めたにゃ」

「お前が言うとほんまに飲みそうで怖いねん」

「もうないにゃ」

「だから良かったんや」

 

 すべて流し終えると、今度は瓶を一本ずつ水ですすいでいく。角子、カンサイねこ、ヤクねこで自然と流れ作業になったが、ヤニねこだけは途中から座って見ていた。

 

「手伝わんの?」

「ニャーのゴミじゃないにゃ」

「酒飲もうとはしたやろ」

「飲んでないにゃ」

「止められたからや」

 

 角子が一本洗い終える。

 

「ヤニねこさん、ラベル分けてもらえます?」

「飯出る?」

「出ません」

「じゃあやらないにゃ」

「潔いな」

 

 カンサイねこは逆に感心した。

 

 洗った瓶は種類ごとにまとめて袋へ入れ、回収日を書いた紙も貼る。

 

「これで来週ですね」

「次は間違えんなよ」

「スマホに入れておきます」

「それがええわ」

 

 角子はその場で予定を登録した。

 

『瓶・ゴミの日 来週・午前』

 

「できました」

「最初からそれやっとけばよかったな」

「そうですね」

 

 素直に認める。

 

 角子は生活が雑なだけで、注意そのものを嫌がるわけではない。言えば聞くし、教えれば一応やる。

 

 ただし、言われる前にやるかは別だった。

 

 

 瓶を全部まとめ、ゴミ置き場へ運ぶ頃には廊下も元通りになっていた。大家も確認しに来る。

 

「終わった?」

「終わりました」

「中身も?」

「捨てました」

「全部?」

 

 角子が一瞬だけ黙る。

 

「全部です」

「その間なんやったん」

 

 カンサイねこが笑う。

 

「惜しかったので」

「酒に未練残さんでええ」

 

 大家はまとめられた瓶を確認した。

 

「次から、溜める前に出してくれ」

「次は大丈夫かもー」

「“かも”じゃ困るんだよ」

「予定には入れました」

「なら、それ見て出して」

「はい」

 

 そこへヤニねこもついてきた。

 

 なぜか両手を後ろへ回している。

 

 カンサイねこはすぐ気づいた。

 

「何隠してんの?」

「何もにゃ」

「見せてみ」

「嫌にゃ」

「絶対なんか持っとるやん」

 

 ヤニねこが少しずつ後ろへ下がったところで、ヤクねこが横から覗き込む。

 

「先輩」

「あ」

 

 背中に隠していたのは、空のウイスキー瓶だった。

 

「一本持ってるじゃないですか」

「これはゴミじゃないにゃ」

「何に使うん?」

 

 カンサイねこが尋ねると、ヤニねこは瓶を抱え込んだ。

 

「酒を入れてもらうにゃ」

「誰に?」

「カラカラねこ」

 

 角子を見る。

 

「容器持ってきたから入れてにゃ」

「中身代は必要です」

「瓶あるにゃ」

「酒代は別です」

「容器持参でも無料にはならへんで」

「エコにゃ」

「エコと無料は別や」

「再利用にゃ」

「そこはええけど、中身まで湧いてこん」

 

 ヤニねこは角子へ期待するような目を向ける。

 

「少しくらい」

「昨日の分もまだ払ってませんよ」

「…………」

「また黙った」

 

 ヤクねこが呆れる。

 

 大家も空瓶を見る。

 

「持って帰るなら、ちゃんと洗って使って」

「酒入れるだけにゃ」

「洗え」

「面倒にゃ」

「じゃあ捨てろ」

「もったいないにゃ」

 

 話が一周した。

 

 カンサイねこはそのやり取りを聞きながら、改めて角子を見る。

 

 前に来た時は、自分の酒量だけ管理できていない人だと思った。今回は、それに加えて空瓶まで溜める人だと分かった。ただ、言えば片づけるし、教えれば一応やる。

 

 酒を流す時だけ、未練がかなり強い。

 

「角子さん」

「はい?」

「料理以外の家事、あんま得意ちゃうやろ」

 

 角子は少し考えた。

 

「料理は好きですよ」

「そこは聞いてへん」

「掃除は、必要になったら」

「必要になる前にやるんや」

「ゴミも、溜まったら」

「溜める前に出すんや」

「洗濯はします」

「それは偉い」

「着る服なくなるので」

「基準が全部ギリギリやな」

 

 角子は少し笑った。

 

「生活できてるので大丈夫かもー」

「その理屈、ヤニねこに近づいてきとるで」

 

 ヤニねこがすぐ反応する。

 

「ニャーも生活できてるにゃ」

「お前を基準にしたら全員合格するわ」

「すごいにゃ」

「褒めてへん」

 

 大家がため息をついた。

 

「とにかく、次の瓶の日は頼むよ。ちゃんと空にして、洗って、廊下に一週間置かない」

「分かりました」

 

 角子は素直に頷いた。

 

 その横で、ヤニねこはまだ空瓶を抱えている。

 

「これ、ほんとに酒入れてくれないかにゃ?」

「中身代をもらえれば」

「それはツケにゃ」

「前のツケがあります」

「まとめて払うにゃ」

「いつ?」

「金ある時にゃ」

「いつやねん」

 

 カンサイねこが突っ込む。

 

 ヤニねこは少し考えた。

 

「……未来にゃ」

「便利な言葉使うな」

 

 角子も頷いた。

 

「では、未来にお願いします」

「角子さんも受け入れんな!」

 

 カンサイねこの声が、ようやくきれいになった廊下へ響いた。

 

 瓶は全部片づき、残っていた酒も処分した。次の回収日もスマートフォンへ登録してある。

 

 これなら、しばらくは大丈夫だろう。

 

 少なくとも、カンサイねこはそう思った。

 

 

 その夜。

 

 角子は新しく開けたウイスキーの瓶を、いつもの場所へ置いた。

 

 空になったら、今度こそ忘れないようにする。

 

 たぶん。

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