ヤニねことカラカラねこ   作:きのこ大三元

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第18話 二日酔いの猫たち

 翌朝。

 

 角子の部屋は、昨夜が嘘のように静かだった。ただし、静かなだけできれいになったわけではない。テーブルには空き瓶と使い終わったグラス、床にも空き缶が転がり、皿には食べ残したつまみがわずかに残っている。昨夜まで氷でいっぱいだったグラスも、今では薄い水を底へ溜めているだけだった。

 

 昨日の「酒豪決定戦」が、そのまま朝まで放置されて遺跡になったような部屋である。

 

 その横で、角子は布団へ半分だけ入り、片腕を外へ投げ出していた。アルねこは床に敷いた座布団を枕代わりにして、昨夜倒れた場所からほとんど動かず眠っている。

 

 そして、もう一匹。

 

「……なんか食うものないにゃ?」

 

 ヤニねこだけが元気だった。

 

 二人が寝ている横を普通に歩き、棚を開けては閉め、今度は冷蔵庫の上段から下段まで覗き込む。

 

「んー……残ってないにゃ」

 

 昨夜、つまみが残るたびに食べていたのは自分だったが、その事実と現在の食料不足を結びつける様子はない。

 

 冷蔵庫を閉めたところで、布団から低い声がした。

 

「……閉めてください」

「閉めたにゃ」

「音が……」

「閉める音にゃ」

「もう少し静かに……」

 

 角子は顔だけ布団へ埋めた。普段から朝に強い方ではないが、今日はさらに酷い。頭の奥に鈍い重さが残り、少し身体を動かすだけで、昨夜飲んだ酒がまとめて自己主張してくるようだった。

 

 ヤニねこが少し近づく。

 

「二日酔い?」

「たぶん」

「弱いにゃ」

 

 角子は片目だけ開けた。

 

「昨日、止めてくれましたよね」

「包丁だけにゃ」

「お酒も止めてくれればよかったのに」

「ニャー飲んでないにゃ」

 

 言われてみれば、その通りだった。

 

「そうでしたね……」

 

 そこで会話は終わり、角子は再び布団へ沈んだ。床のアルねこも起きる気配はなく、ようやく静かな朝が戻る。

 

 ヤニねこは二人を数秒眺めたあと、結局もう一度冷蔵庫を開けた。

 

「やっぱなんかない?」

「さっき見たやろ……」

 

 今度は床から声がした。

 

 アルねこがうっすら目を開けている。身体を起こそうと肘をついたものの、途中で諦め、そのまま座布団へ顔を戻した。

 

「頭いたい」

「負けにゃ」

「勝ったよ」

「寝たにゃ」

「でも後だったじゃん」

「寝たら負けにゃ」

「そんなルールだった?」

 

 ヤニねこは少し考えた。

 

「知らないにゃ」

「じゃあ言わないでよ……」

 

 アルねこも目を閉じる。

 

 今度こそ静かになるかと思われた。

 

 こん、こん。

 

 数秒もしないうちに、扉が叩かれる。

 

 誰も動かない。

 

 もう一度、こん、こん。

 

「お姉ちゃん?」

 

 妹ねこの声だった。

 

 ヤニねこが玄関を見る。

 

「妹ちゃんにゃ」

「出てください……」

 

 角子は布団から出る気配すら見せない。

 

「なんでニャーが?」

「動けないので」

「アルねこは?」

「無理」

 

 即答だった。

 

 この部屋でまともに立てるのは、結局ヤニねこしかいない。

 

「ニャーはなにも悪いことしてないのに……」

 

 ぶつぶつ言いながら、それでも玄関まで歩いて扉を開ける。

 

「おはよにゃ」

「お姉ちゃん?」

 

 妹ねこは姉の肩越しに室内を覗き込み、そのまま固まった。

 

 空き瓶、転がった缶、食べ残し。その奥では角子が布団へ半分沈み、アルねこが床へ転がっている。昨日の夜に何があったのか、説明を聞く前から大体分かる光景だった。

 

「ちょっと、何これ!?」

 

 妹ねこはすぐ靴を脱ぎ、角子のところへ向かった。

 

「角子さん!?」

「大丈夫です……」

「大丈夫に見えないですけど!」

「二日酔いです」

 

 妹ねこの動きが止まる。

 

「……二日酔い?」

「はい」

 

 次にアルねこを見ると、床から親指だけ立てた。

 

「ボクも」

「何やってるんですか……」

 

 妹ねこはその場へしゃがみ込み、二人と空き瓶を交互に見る。近くの瓶を持ち上げれば空、その隣も空。少し残っている物もあるが、昨夜並んでいた量から考えると、かなり減っていた。

 

「これ、昨日の全部?」

「たぶん」

「たぶんって。こんなに飲んだんですか?」

「勝負だったので」

「普通に飲むって言ってませんでした?」

 

 角子が黙り、アルねこも黙る。

 

 妹ねこは二人を順番に見る。

 

「……勝負したんですね」

「途中から」

 

 アルねこが小さく答えた。

 

「最初は普通だったよ」

「途中から普通じゃなくなったなら同じです」

 

 反論する元気は二人とも残っていなかった。

 

 妹ねこはため息をつき、今度は姉へ振り返る。

 

「お姉ちゃんまで巻き込まれてないよね?」

「ニャーは飲んでないにゃ」

 

 そこだけは即答だった。

 

「つまみはかなり食べてたよね?」

「全部じゃないにゃ」

「かなり食べたよね?」

「残ってるにゃ」

 

 ヤニねこが皿を指す。残っているのは枝豆が三粒と、端で乾き始めたチーズが一切れだけだった。

 

「それで『残ってる』は無理あるよ」

「ゼロじゃないにゃ」

「そういう問題じゃない」

 

 妹ねこは姉との不毛なやり取りを切り上げ、窓を開けた。酒とつまみの匂いが残った部屋へ冷たい朝の空気が流れ込み、角子とアルねこがほぼ同時に顔をしかめる。

 

「まず、水分取ってください」

 

 角子は布団へ手をつき、ゆっくり身体を起こした。

 

「何か食べた方がいいかもー」

「今作る気ですか?」

「おかゆとか」

「やめてください」

「簡単ですよ」

 

 角子は一度布団へ手をつき直し、何とか立ち上がった。そこから二歩進んだところで、妹ねこがすぐ前へ回り込む。

 

「その状態で料理しないでください」

「火は弱めにします」

「火の強さの話じゃないです」

 

 角子は止まり、少し考えてからキッチンへ視線を向けた。

 

「包丁使わないものなら」

「昨日それで止められたんですよね?」

 

 角子が黙る。

 

 横からヤニねこが口を挟んだ。

 

「ニャーが止めたにゃ」

「そこは偉い」

 

 妹ねこが珍しく素直に褒めると、ヤニねこの耳が立った。

 

「もっと言っていいにゃ」

「でも、その後つまみ食べてたんでしょ」

 

 すぐ戻った。

 

「昔の話にゃ」

「昨日だよ」

 

 妹ねこは冷蔵庫を確認した。炭酸水はあるが、普通の水は見当たらない。

 

「お姉ちゃん、水持ってきて」

「なんでニャー?」

「一番元気だから」

「アルねこも起きてるにゃ」

「起きてるだけです」

 

 アルねこは床へ寝たまま片手を上げる。

 

「ボク無理」

 

 角子に至っては、すでに壁へ片手をついていた。

 

「……分かったにゃ」

 

 さすがのヤニねこも諦め、部屋を出ていった。

 

◇

 

 しばらくして戻ってきたヤニねこの手には、ペットボトルが一本あった。

 

「持ってきたにゃ」

 

 妹ねこが受け取る。

 

「炭酸水?」

「水にゃ」

「炭酸入ってるでしょ」

「水分にゃ」

 

 間違ってはいないので、少し面倒だった。

 

 すると、布団へ戻りかけていた角子の耳が動く。

 

「炭酸水あります?」

「ありますけど」

 

 角子の視線がテーブルへ向かう。その先には昨夜飲み残した角瓶が一本あり、底にはまだ少しウイスキーが残っていた。

 

 手が伸びる。

 

 妹ねこの方が早かった。

 

 角瓶を掴み、そのまま自分の後ろへ隠す。

 

「駄目です」

「まだ何もしてませんよ」

「今ハイボール作ろうとしましたよね?」

「炭酸水があったので」

「だから駄目です」

 

 角子は少し残念そうに炭酸水を見る。

 

「迎え酒の方が楽になるかもー」

「なりません」

「少しなら」

「駄目です」

「薄くします」

「昨日もその話聞きました」

 

 逃げ道がなくなった。

 

 角子は諦めて炭酸水だけを一口飲み、少しだけ顔を歪めた。

 

「酒入ってないですね」

「炭酸水なんだから当たり前です」

 

 横ではアルねこがうっすら目を開けている。

 

「迎え酒……」

「アルねこさんも駄目です」

「まだ何も言ってないよ」

「今言いました」

「言っただけ」

「飲まないでください」

「はい……」

 

 アルねこは素直に座布団へ顔を戻した。

 

 昨日までは二人とも「普通に飲んでいるだけ」と言っていたのに、朝になればこの有様である。妹ねこの中で、酒飲みに対する信用が少し下がった。

 

◇

 

 少しして、廊下からまた足音が近づいてきた。

 

「まだ寝とる?」

 

 今度はカンサイねこだった。

 

 開いた扉から部屋を覗き込み、妹ねこ、角子とアルねこ、昨夜からほとんど変わっていないテーブルを順番に見る。

 

「うわ。まだこのまま?」

「今片づけようとしてます」

 

 妹ねこが答える。

 

「角子さんは?」

「料理しようとしてました」

 

 カンサイねこの視線が角子へ移った。

 

「まだ懲りてへんの?」

「お腹空いたので」

「そういう問題ちゃう」

 

 アルねこも少しだけ身体を起こした。

 

「次は勝負じゃなくて普通に飲もう」

 

 カンサイねこの動きが止まる。

 

「まだ次の話しとるん?」

「だって普通に飲めばこうならないじゃん」

「昨日も最初それ言うてたで」

「そうだっけ?」

「そこ忘れとる時点で次やめとき」

 

 アルねこは少し考えた。

 

「じゃあ量減らす?」

「次ありきで考えるな」

 

 すると角子まで、炭酸水を飲みながら口を挟む。

 

「料理を多めにした方がいいかもー」

「そっちも次の話すんな」

 

 妹ねこが額を押さえた。

 

「二人とも全然懲りてないですね」

 

 角子とアルねこは互いの顔を見た。

 

「そんなことないですよ」

「反省はしてるよ」

 

 カンサイねこは床へ転がる空き瓶を見る。

 

「どの辺?」

 

 二人とも答えなかった。

 

 反省はしているらしい。

 

 何を変えるのかは、まだ決まっていない。

 

◇

 

 その後、とりあえず片づけを始めることになったが、角子とアルねこはほとんど戦力にならなかった。

 

 角子は空き瓶を一本持って立ち上がったものの、数歩で諦めて再び座る。アルねこも空き缶を三つほどまとめたところで壁へ寄りかかり、そのまま動かなくなった。昨夜はあれだけ酒を取りに動いていた二人とは思えない。

 

 一方、ヤニねこだけは元気に部屋を歩き回っていた。

 

 ただし、片づけはしていない。

 

「お姉ちゃん、これ袋に入れて」

「ニャー飲んでないにゃ」

「皿使ったでしょ」

「使ったのは口にゃ」

「皿から食べたでしょ」

「皿が勝手にあったにゃ」

「無理あるよ」

 

 責任の所在を皿へ押しつけ始めたところで、また廊下から足音がした。

 

「朝から何してるんだ?」

 

 大家が扉の前まで来て中を覗き込み、少しだけ動きを止めた。

 

「……昨日より増えてないか?」

 

 誰も答えない。

 

 大家は部屋へ入らず、入口から空き瓶、缶、皿、グラス、つまみの袋を順番に見ていく。

 

「これ、全部昨日の?」

「たぶんです」

「たぶんじゃなくて、そこにあるならそうなんだろうな」

 

 大家はそれ以上追及せず、現実的な方へ話を戻した。

 

「とりあえず、今日中に片づけてくれ」

 

 角子が少し顔を上げる。

 

「今日はちょっと……」

「飲んだのは昨日だろ?」

「そうですけど」

「じゃあ、今日片づけるしかないな」

 

 アルねこも床から小さく手を上げた。

 

「ボクも?」

「飲んだなら手伝って」

「はい……」

 

 その横で、ヤニねこが妙に偉そうに腕を組む。

 

「飲んだ人が片づけるにゃ」

 

 大家がすぐヤニねこを見る。

 

「皿を使った人も洗え」

 

「…………」

 

 ヤニねこが黙った。

 

 妹ねこも横を見る。

 

「お姉ちゃん?」

「聞こえなかったにゃ」

「聞こえてたでしょ」

 

 大家は流しへ積まれた皿を指した。

 

「これ、食べたの誰?」

 

 ヤニねこは皿を見て、角子、アルねこ、最後に妹ねこまで順番に見る。

 

「みんなにゃ」

「お前が一番食べてたやろ」

 

 カンサイねこが即座に返した。

 

「証拠ないにゃ」

「配信残っとるで」

 

 ハメねこの存在を思い出した瞬間、ヤニねこの耳が少し下がる。

 

「……洗うにゃ」

「最初からそう言え」

 

 大家はそれ以上追い込まず、次は空き瓶を指した。

 

「瓶は次の回収日まで部屋の中でまとめといて。廊下には出さないでくれよ」

「はい」

 

 第14話の件まであるので、そこだけは角子も素直だった。

 

「あと、今日はもう飲まない方がいいんじゃないか?」

「……はい」

 

 返事までに、ほんの少し間があった。

 

 大家はその間を見逃さない。

 

「角瓶、預かろうか?」

「それは大丈夫です」

 

 返事だけは早かった。

 

 カンサイねこが笑う。

 

「そこだけ元気やな」

 

 角子は何も答えず、炭酸水を一口飲んだ。横ではアルねこが再び床へ寝転がり、それでも「次はほんとに普通にしようね」と言い出している。

 

「そうですね」

「まだ言うてる」

 

 カンサイねこが呆れ、妹ねこは何も言わず、さっき没収した角瓶をさらに遠い棚の上へ置いた。

 

 角子の視線はしっかりその瓶を追っていたが、今は取りに行く元気もない。

 

 ヤニねこも一度瓶を見たあと、今度は流しに積まれた皿へ目を向ける。

 

「……これ全部洗う?」

「使った分はね」

「多いにゃ」

「昨日いっぱい食べたからでしょ」

 

 ヤニねこはしばらく皿の山を見つめた。

 

「楽しい時間の代償が重いにゃ……」

「自業自得」

 

 妹ねこが切り捨てる。

 

 ヤニねこはしぶしぶ蛇口をひねった。

 

 じゃああ、と水が流れ始める。

 

 その瞬間、角子とアルねこがほとんど同時に頭を押さえた。

 

「うるさい……」

「頭に響く……」

 

 洗わなければ片づかないが、洗えば二日酔いに響く。

 

 ヤニねこは蛇口と二人を交互に見た。

 

「ニャーはなにも悪いことしてないのに……」

「いいから洗って」

 

 妹ねこに即座に切られる。

 

 水の音だけが、二日酔いの部屋へやけに大きく響いていた。

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