髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第十話 割ったから、誰も潰れなかった

 

 桟橋に、女が七人いた。

 アルバ号の水夫の女房たちだ。三隻目の帆が出てこないまま、二隻が入港した。それだけのことで、この七人はもう、何が起きたかを知っている。

 港の女は、耳が早いのではない。目が早い。

 俺は、その七人の前に立った。

 

「まだ分からん」

 

 それだけ言った。

 

「沈んだとは、まだ誰も言ってない。帆が遅れてるだけかもしれん。俺は、まだ数えてない」

 

 一番若い女が、俺を睨んだ。

 

「数えたら、どうなるんだい」

「数えたら、分かる」

 

 俺は答えた。

 

「分かるまでは、何も言いません」

 

 俺は、勘定を先にやる男だ。

 勘定を先にやって、声を上げるのはその後だ。ずっとそうしてきた。

 だがこの日、俺は勘定をしなかった。

 勘定をすれば、答えは出る。十のうち一つは沈む。三隻出て二隻帰れば、三隻目は沈んだと考えるのが正しい。

 正しいが、桟橋に立っている七人の前で言うことではない。

 俺は、数えるのを、四日、やめた。

 

              ◆

 

 五日目に、南から早船が来た。

 アルバ号は、座礁していた。

 北の岩礁だ。嵐で流されて、乗り上げた。船は割れた。荷は海の底だ。

 水夫は、十四人。

 全員、生きていた。

 桟橋で、女が二人、座り込んだ。

 ボリスが泣いていた。声を出して泣いていた。この男は、いつも笑うところを間違えないが、泣くところも間違えない。

 俺は、少し離れて立っていた。

 立って、そこで初めて、勘定を始めた。

 三週間後、アルバの水夫が帰ってきた。

 漁船に拾われて、陸を歩いて、戻ってきた。十四人が、痩せて、日に焼けて、桟橋に立っていた。

 船長はヨストという男だった。四十がらみで、片方の耳がない。二十年、南方便に乗っている。

 この男が、俺のところへ来た。

 

「ハーゼルさん」

「無事で」

「荷を捨てた」

 

 彼は言った。

 

「岩に乗り上げて、船が傾いた。荷を捨てりゃ浮く。捨てなきゃ、みんな海だ」

 

 俺は頷いた。

「捨ててよかった」

「よかねえよ」

 

 ヨストは、懐から紙を出した。

 俺の紙だ。皺だらけで、塩を吹いている。

 

「賃金の半分を、これで貰った。荷が沈んだら、紙屑だ。……俺が捨てたんだ。俺が、自分の賃金を、海に捨てた」

 

 彼の後ろで、十四人が立っていた。

 全員、同じ紙を持っていた。

 

              ◆

 

「捨てろ、と言ったのは誰です」

 俺は聞いた。

 

 ヨストは、後ろを向いた。

 

「こいつらだ」

 

 一人が、口を開いた。若い水夫だった。

 

「船長が迷ってた。だから、言った」

 

 彼は、紙を握っていた。

 

「金は、また稼げる」

 俺は、その紙を見ていた。

 この紙を作ったのは、俺だ。

 賃金の半分を紙で払えば、水夫は沈まないように船を動かす。そう考えた。利害を揃えれば、人は正しく動く。上手いことを考えたと、俺は思っていた。

 揃えすぎた。

 こいつらは、自分の賃金と、自分の命を、天秤にかけた。

 かけて、命を選んだ。当たり前だ。当たり前のことを、俺は天秤に乗せてしまった。

 俺は、この日のことを、一生忘れない。

 

              ◆

 

「ヨストさん」

 

 俺は言った。

 

「その紙は、紙屑じゃない」

 

 彼が顔を上げた。

 

「十五ターレンです。一枚残らず」

 

 次の日、俺は「三の目」に、全員を集めた。

 紙を持っている者、口を買った者、船主、荷主。八十人ばかりが入った。ゲルトが樽を並べて、卓を作った。

 俺は、その上に立った。

 

「まず、払いだ」

 

 俺は言った。

 

「紙は三十九枚出てる。一枚十五ターレン。締めて五百八十五ターレン。全額、払う」

 

 声が上がった。

 荷主の一人が、立ち上がった。フランツという男で、アルバに荷を積んでいた。

 

「待て。俺の荷は沈んだんだぞ」

「沈みました」

「なんで紙が全額払われるんだ。俺の荷が沈んだのに」

 

              ◆

 

 これが、この話の全部だ。

 俺は、卓の上で、指を三本立てた。

 

「三隻、出た。俺は、三隻を一つの勘定にした」

 

 一本、折る。

 

「アルバの荷だけ、アルバの口。メーヴェの荷だけ、メーヴェの口。——そうは、しなかった」

 

 二本目。

 

「三隻ぶんの荷を、まとめて一つ。三隻ぶんの費用を、まとめて一つ。紙も、まとめて一つ」

 

 三本目。

 

「だから、一隻沈んでも、二隻ぶんの売上が入る。二隻ぶんで、紙の払いは足りる」

 

 俺はフランツを見た。

 

「あんたの荷は、三隻に分けて積んである」

 

 フランツの顔が、止まった。

 

「……分けて?」

 

「積み込みのとき、俺が指示しました。あんたの荷は千ターレン分。三隻に、三百三十ずつ」

 

 俺は卓を降りて、この男の前に立った。

 

「アルバが沈んだ。あんたが失ったのは、三百三十ターレンだ」

 

 彼は、口を開いたまま、動かなかった。

 

「割らなかったら、千だった」

 

              ◆

 

 部屋が、静かになった。

 八十人が、同じことを考えていた。

 この街では、荷主は自分の荷を一隻に積む。当たり前だ。一隻に積んだほうが、安い。手間もかからない。二百年、そうしてきた。

 だから二百年、船が沈むたびに、荷主が一人ずつ死んできた。

 

「フランツさん」

 

 俺は言った。

 

「あんたは三分の一失った。痛い。だが、あんたはまだ商人だ。明日も店を開ける」

 

 俺は、指を一本立てた。

 

「一隻沈んで、船が割れて、荷が海の底に行って——誰も潰れなかった」

 

 俺は、卓の上を見回した。

 

「それが、この仕組みの全部です」

 

              ◆

 

 払いは、三日で終わった。

 トーマは、十二枚の紙を持ってきた。百二十ターレンの麻縄が、百八十ターレンになった。三代目の船具屋は、銀貨を数えながら、手が震えていた。

 

「博打ってのは、こういうもんか」

「こういうもんです」

「……もう一回、やっていいか」

「駄目です」

 

俺は首を振った。

 

「次の船が出るまで、荷がない。荷がなけりゃ、紙は出せません」

 

トーマは、不服そうな顔をした。

 俺は、その顔を見て、少しだけ怖くなった。

 この男は、もう博打打ちだ。俺が作った。

 ヨストと、十四人の水夫には、紙の全額を払った。

 それから、俺は一つ、頼んだ。

 

「次の船に、乗ってくれますか」

「乗るさ」

 

 ヨストは即答した。

 

「乗るが、条件がある」

「どうぞ」

「賃金を、全部、紙にしてくれ」

 

 俺は、この男を見た。

 

「半分じゃない。全部だ」

 

              ◆

 

 俺は、断った。

 

「駄目です」

「なんでだ」

「あんたは、また荷を捨てる」

 

 俺は言った。

 

「捨てるべきときに、捨ててくれなきゃ困る。賃金を全部紙にしたら、あんたは一瞬、迷う」

 

 俺は、ヨストの目を見た。

 

「その一瞬で、人が死ぬ」

 

 ヨストは、しばらく黙っていた。

 それから、頷いた。

 

「あんた、変わった商人だな」

「よく言われます」

「儲かる話を、自分で潰しやがる」

「儲かる話ってのは、たいてい、誰かが黙って値段を払ってる」

 

 俺は、上着を取った。

 

「その誰かが、俺の水夫なら、俺は払わせません」

 

              ◆

 

 その月、俺の手元には四百二十ターレンあった。

 半年前、俺は八グロート借りて七に置いた男だ。

 マイヤーが帳面を見に来た。海の荷が何ターレンで、紙が何枚出ているか。

 この男は、一つずつ、指で数えた。

 二刻かかった。

 

「合ってる」

 

 彼は言った。悔しそうだった。

 

「口銭、十ターレンです」

「高くねえか」

「安いですよ。あんたは、この街で一番大事な仕事をしてる」

 

 マイヤーは、鼻を鳴らして帰った。

 その夕方、宿の前に、フォーゲルが立っていた。

 

「ハーゼルさん」

「フォーゲルさん」

「主が、あなたに会いたがっています」

 

 俺は、上着の襟を直した。

 

「割に合わん」

 

 フォーゲルは、笑わなかった。

 笑わずに、こう言った。

 

「いつまで、そう仰るおつもりですか」

 

 俺は、この男の顔を見た。

 見て、少し笑った。

 

「——さあ」

 

 

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