桟橋に、女が七人いた。
アルバ号の水夫の女房たちだ。三隻目の帆が出てこないまま、二隻が入港した。それだけのことで、この七人はもう、何が起きたかを知っている。
港の女は、耳が早いのではない。目が早い。
俺は、その七人の前に立った。
「まだ分からん」
それだけ言った。
「沈んだとは、まだ誰も言ってない。帆が遅れてるだけかもしれん。俺は、まだ数えてない」
一番若い女が、俺を睨んだ。
「数えたら、どうなるんだい」
「数えたら、分かる」
俺は答えた。
「分かるまでは、何も言いません」
俺は、勘定を先にやる男だ。
勘定を先にやって、声を上げるのはその後だ。ずっとそうしてきた。
だがこの日、俺は勘定をしなかった。
勘定をすれば、答えは出る。十のうち一つは沈む。三隻出て二隻帰れば、三隻目は沈んだと考えるのが正しい。
正しいが、桟橋に立っている七人の前で言うことではない。
俺は、数えるのを、四日、やめた。
◆
五日目に、南から早船が来た。
アルバ号は、座礁していた。
北の岩礁だ。嵐で流されて、乗り上げた。船は割れた。荷は海の底だ。
水夫は、十四人。
全員、生きていた。
桟橋で、女が二人、座り込んだ。
ボリスが泣いていた。声を出して泣いていた。この男は、いつも笑うところを間違えないが、泣くところも間違えない。
俺は、少し離れて立っていた。
立って、そこで初めて、勘定を始めた。
三週間後、アルバの水夫が帰ってきた。
漁船に拾われて、陸を歩いて、戻ってきた。十四人が、痩せて、日に焼けて、桟橋に立っていた。
船長はヨストという男だった。四十がらみで、片方の耳がない。二十年、南方便に乗っている。
この男が、俺のところへ来た。
「ハーゼルさん」
「無事で」
「荷を捨てた」
彼は言った。
「岩に乗り上げて、船が傾いた。荷を捨てりゃ浮く。捨てなきゃ、みんな海だ」
俺は頷いた。
「捨ててよかった」
「よかねえよ」
ヨストは、懐から紙を出した。
俺の紙だ。皺だらけで、塩を吹いている。
「賃金の半分を、これで貰った。荷が沈んだら、紙屑だ。……俺が捨てたんだ。俺が、自分の賃金を、海に捨てた」
彼の後ろで、十四人が立っていた。
全員、同じ紙を持っていた。
◆
「捨てろ、と言ったのは誰です」
俺は聞いた。
ヨストは、後ろを向いた。
「こいつらだ」
一人が、口を開いた。若い水夫だった。
「船長が迷ってた。だから、言った」
彼は、紙を握っていた。
「金は、また稼げる」
俺は、その紙を見ていた。
この紙を作ったのは、俺だ。
賃金の半分を紙で払えば、水夫は沈まないように船を動かす。そう考えた。利害を揃えれば、人は正しく動く。上手いことを考えたと、俺は思っていた。
揃えすぎた。
こいつらは、自分の賃金と、自分の命を、天秤にかけた。
かけて、命を選んだ。当たり前だ。当たり前のことを、俺は天秤に乗せてしまった。
俺は、この日のことを、一生忘れない。
◆
「ヨストさん」
俺は言った。
「その紙は、紙屑じゃない」
彼が顔を上げた。
「十五ターレンです。一枚残らず」
次の日、俺は「三の目」に、全員を集めた。
紙を持っている者、口を買った者、船主、荷主。八十人ばかりが入った。ゲルトが樽を並べて、卓を作った。
俺は、その上に立った。
「まず、払いだ」
俺は言った。
「紙は三十九枚出てる。一枚十五ターレン。締めて五百八十五ターレン。全額、払う」
声が上がった。
荷主の一人が、立ち上がった。フランツという男で、アルバに荷を積んでいた。
「待て。俺の荷は沈んだんだぞ」
「沈みました」
「なんで紙が全額払われるんだ。俺の荷が沈んだのに」
◆
これが、この話の全部だ。
俺は、卓の上で、指を三本立てた。
「三隻、出た。俺は、三隻を一つの勘定にした」
一本、折る。
「アルバの荷だけ、アルバの口。メーヴェの荷だけ、メーヴェの口。——そうは、しなかった」
二本目。
「三隻ぶんの荷を、まとめて一つ。三隻ぶんの費用を、まとめて一つ。紙も、まとめて一つ」
三本目。
「だから、一隻沈んでも、二隻ぶんの売上が入る。二隻ぶんで、紙の払いは足りる」
俺はフランツを見た。
「あんたの荷は、三隻に分けて積んである」
フランツの顔が、止まった。
「……分けて?」
「積み込みのとき、俺が指示しました。あんたの荷は千ターレン分。三隻に、三百三十ずつ」
俺は卓を降りて、この男の前に立った。
「アルバが沈んだ。あんたが失ったのは、三百三十ターレンだ」
彼は、口を開いたまま、動かなかった。
「割らなかったら、千だった」
◆
部屋が、静かになった。
八十人が、同じことを考えていた。
この街では、荷主は自分の荷を一隻に積む。当たり前だ。一隻に積んだほうが、安い。手間もかからない。二百年、そうしてきた。
だから二百年、船が沈むたびに、荷主が一人ずつ死んできた。
「フランツさん」
俺は言った。
「あんたは三分の一失った。痛い。だが、あんたはまだ商人だ。明日も店を開ける」
俺は、指を一本立てた。
「一隻沈んで、船が割れて、荷が海の底に行って——誰も潰れなかった」
俺は、卓の上を見回した。
「それが、この仕組みの全部です」
◆
払いは、三日で終わった。
トーマは、十二枚の紙を持ってきた。百二十ターレンの麻縄が、百八十ターレンになった。三代目の船具屋は、銀貨を数えながら、手が震えていた。
「博打ってのは、こういうもんか」
「こういうもんです」
「……もう一回、やっていいか」
「駄目です」
俺は首を振った。
「次の船が出るまで、荷がない。荷がなけりゃ、紙は出せません」
トーマは、不服そうな顔をした。
俺は、その顔を見て、少しだけ怖くなった。
この男は、もう博打打ちだ。俺が作った。
ヨストと、十四人の水夫には、紙の全額を払った。
それから、俺は一つ、頼んだ。
「次の船に、乗ってくれますか」
「乗るさ」
ヨストは即答した。
「乗るが、条件がある」
「どうぞ」
「賃金を、全部、紙にしてくれ」
俺は、この男を見た。
「半分じゃない。全部だ」
◆
俺は、断った。
「駄目です」
「なんでだ」
「あんたは、また荷を捨てる」
俺は言った。
「捨てるべきときに、捨ててくれなきゃ困る。賃金を全部紙にしたら、あんたは一瞬、迷う」
俺は、ヨストの目を見た。
「その一瞬で、人が死ぬ」
ヨストは、しばらく黙っていた。
それから、頷いた。
「あんた、変わった商人だな」
「よく言われます」
「儲かる話を、自分で潰しやがる」
「儲かる話ってのは、たいてい、誰かが黙って値段を払ってる」
俺は、上着を取った。
「その誰かが、俺の水夫なら、俺は払わせません」
◆
その月、俺の手元には四百二十ターレンあった。
半年前、俺は八グロート借りて七に置いた男だ。
マイヤーが帳面を見に来た。海の荷が何ターレンで、紙が何枚出ているか。
この男は、一つずつ、指で数えた。
二刻かかった。
「合ってる」
彼は言った。悔しそうだった。
「口銭、十ターレンです」
「高くねえか」
「安いですよ。あんたは、この街で一番大事な仕事をしてる」
マイヤーは、鼻を鳴らして帰った。
その夕方、宿の前に、フォーゲルが立っていた。
「ハーゼルさん」
「フォーゲルさん」
「主が、あなたに会いたがっています」
俺は、上着の襟を直した。
「割に合わん」
フォーゲルは、笑わなかった。
笑わずに、こう言った。
「いつまで、そう仰るおつもりですか」
俺は、この男の顔を見た。
見て、少し笑った。
「——さあ」