髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第十二話 四つ目

 

 北へ戻るのに、二日で行った。

 馬を借りた。借りる金はなかったので、ゲルトが出した。この男は理由を聞かなかった。

 

「返さなくていいのか」

「返せ」

 

 ゲルトは言った。

 

「利息は取らねえ。三十を出方の数で割るってのを、教わった礼だ」

 

 村には、天幕が張ってあった。

 ヴィント商会の天幕だ。鷲が天秤を掴んだ紋が、風で膨らんでいる。

 その下に、卓が一つ。卓の上に、木箱が四つ。

 箱の蓋は、開いていた。

 銀貨が、積んであった。

 

              ◆

 

 六百人が、それを見ていた。

 見ているだけだ。誰も近づかない。近づけない。あれだけの銀貨を見た人間は、この村に一人もいない。

 俺は、その光景を、少し離れたところから見た。

 上手い。

 金は、貸すより、見せるほうが効く。

 卓の向こうに、若い男が座っていた。

 二十歳そこそこだ。背が高くて、身なりがいい。手代だろう。

 俺が近づくと、彼は立ち上がった。

 

「ハーゼルさんですね」

「ご存じで」

「聞いております」

 

 彼は、丁寧に頭を下げた。育ちがいい。嫌味なところが一つもない。

 

「ヨナスと申します」

 

              ◆

 

「三千ターレン」

 

 ヨナスは言った。

 

「四つの村の畑を、締めて三千ターレンで買います。今日、この場で」

 

 彼は箱を示した。

 

「村の方々は、そのまま畑を耕していただきます。小作としてです。小作料は、収穫の四割」

 

 彼は、俺を見た。

 悪意のない目だ。

 

「ハーゼルさんは、種を貸されるとか」

「貸しました」

「秋に、三倍の麦で返せと」

「そうです」

 

 ヨナスは、微笑んだ。

 

「うちは金を出します。あんたは種を貸す」

 

 彼は、両手を広げた。

 

「村の方々は、どちらを取られますかね」

 

 正しい。

 この若造は、正しい。

 俺の手元には、一グロートもない。四百二十ターレン、全部、種になって畑に埋まっている。

 値段では、勝てない。

 勝てないから、俺は勝負しなかった。

 

「ヨナスさん」

「はい」

「その紙、読ませてもらえますか」

       

       ◆

 

 彼は、一瞬も迷わなかった。

 迷わずに、契約書を差し出した。

 

「どうぞ」

 

 隠していないからだ。

 この男は、隠すという発想を持っていない。持っていないのは、読んだことがないからだ。

 俺は、紙を受け取った。

 条項は、七つあった。

 一つ目。畑を売る。

 二つ目。売った者は、小作として耕す。

 三つ目。小作料は、収穫の四割とする。

 四つ目。

 俺は、そこで、手が止まった。

 止めた、のではない。止まった。

 

              ◆

 

 ——凶作の年は、小作料の納めを、翌年に延べる。

 俺は、その一行を、三度読んだ。

 三度読んでも、同じことが書いてあった。

 紙の下に、署名がある。

 ヴィント商会。

 十二年前の紙と、同じ書式だった。同じ書き出し、同じ言い回し、同じ位置に、同じ四つ目。

 この紙を作った男の癖が、一文字も変わっていない。

 十二年、この紙は、この街を回っている。

 俺は、卓の上に紙を戻した。

 

「ヨナスさん」

「はい」

「四つ目は、読みましたか」

 

 彼は、少し首を傾げた。

 

「……凶作の年は、納めを翌年に延べる、という項ですね」

「読みましたか」

「読みました」

「意味は、分かりましたか」

 

 彼は、答えなかった。

 答えられなかったのではない。

 分かっていると思っていたのに、聞かれて、分からなくなった。この男の顔は、そういう顔だった。

 

              ◆

 

 俺は、村人の方を向いた。

 六百人が、俺を見ていた。

 

「読みます」

 

 俺は言った。

 

「字が読めない方が多いでしょう。俺が読みます。読んだうえで、決めてください」

 

 俺は、卓の上に立った。

 立って、指を四本、立てた。

 

「一粒の種から、よい年は七粒穫れる。悪い年は三粒。村長さんが、そう言った」

 

 村長が頷いた。

 

「小作料は、四割です。よい年なら、七粒のうち二粒と八分を納める。残り四粒と二分」

 

 俺は指を折った。

 

「そこから、来年の種を一粒取る。食えるのは、三粒と二分だ。……よい年なら、生きられます」

 

 俺は、二本目を折った。

 

「悪い年は、三粒しか穫れない。四割納めれば、一粒と二分。残り一粒と八分」

 

 俺は村人を見た。

 

「そこから種を一粒取る。食えるのは、八分です」

 

 誰かが、息を吸った。

 

「食えません」

 

              ◆

 

「だから、四つ目があります」

 

 俺は、紙を掲げた。

 

「凶作の年は、納めを翌年に延べる。優しい」

 

 俺は言った。

 

「悪い年に、納めなくていい。飢えなくて済む。……そう、思いますね」

 

 村人が頷いた。

 全員が、頷いた。

 俺は、その頷きを、十二年前に見たことがある。

 俺の父が、同じ頷き方をした。

 

「三本目です」

 

 俺は、指を三本目に折った。

 

「延べた分は、消えません」

 

 風が、天幕を鳴らした。

 

「延べた一粒と二分は、翌年の小作料に足されます」

 

 俺は、卓の上から、村長を見た。

 

「悪い年が、二度続いたとします」

 

 村長の顔が、白くなった。

 

「一年目、三粒穫れて、一粒と二分を延べる」

 

 俺は指で数えた。

 

「二年目、また三粒。今年の納めが一粒と二分。延べた分が一粒と二分。締めて、二粒と四分」

 

 俺は、村人を見回した。

 

「三粒穫れて、二粒と四分、納めるんです」

 

 俺は、一度、言葉を切った。

 

「——収穫の、八割です」

 

              ◆

 

 誰も、動かなかった。

 

「残るのは、六分。種は一粒要る。種が足りません」

 

 俺は、紙を卓に置いた。

 

「種が足りなければ、蒔けない。蒔けなければ、また凶作です。凶作なら、また延べる。延べれば、また足される」

 

 俺は、四本目を折った。

 

「抜けられません」

 

              ◆

 

 俺は、卓から降りた。

 降りて、紙をヨナスの前に置いた。

 

「これは、村を買う紙じゃない」

 

 俺は言った。

 

「村を、永久に借金の中に置く紙です」

 

 沈黙は、長かった。

 風が、天幕を鳴らしていた。銀貨は、箱の中で光っていた。本物だ。

 

「一つ、言っておきます」

 

 俺は、村人の方を向いた。

 

「その銀貨は、本物です。三千ターレンある。今日、この場で受け取れる。嘘は一つもありません」

 

 俺は、ヨナスを指した。

 

「この人は、嘘をついてない。全部、紙に書いてある。読めば、書いてある」

 

 俺は、両手を広げた。

 

「取ってもいい。俺は止めません。俺は、金を出せない。一グロートも出せない。俺が出すのは、種だけです」

 

 俺は、村長を見た。

 

「四つ目を読んでから、決めてください。それだけです」

 

              ◆

 

 村は、種を取った。

 誰も、銀貨に近づかなかった。

 ヨナスは、木箱の蓋を閉めた。

 閉めながら、手が震えていた。

 俺は、この男の隣に立った。

 

「ヨナスさん」

「……はい」

「あんたは、悪くない」

 

 彼は、俺を見上げた。

 

「あんたは、紙を持ってきただけだ。読まずに持ってきた。それだけだ」

 

 俺は、彼の肩を叩いた。

 

「読め」

 

 俺は言った。

 

「次は、読んでから来い。読んでから来る奴は、強い」

 

 ヨナスは、頭を下げた。

 深く下げた。

 下げたまま、しばらく上げなかった。

 メルクに戻ったのは、四日後だ。

 俺は、ヴィント商会の玄関に行った。

 番頭を呼んでくれ、と言った。

 フォーゲルは、すぐに出てきた。

 

「ハーゼルさん」

 俺は、何も言わなかった。

 言わずに、懐から紙を出した。

 北の村で、ヨナスから受け取った契約書だ。

 俺は、それを玄関の卓に置いた。

 置いて、四つ目の条項を、指で押さえた。

 

              ◆

 

 フォーゲルは、それを見た。

 見て、動かなかった。

 

「フォーゲルさん」

 

 俺は、初めて口を開いた。

 

「十二年、変えてないんですね」

 

 この男は、俺の目を逸らさない男だ。

 あのときも、逸らさなかった。俺が父の話をしても、逸らさなかった。嘘は書きましたか、と聞いても、一つも、と答えた。

 この日、初めて。

 エーリク・フォーゲルは、目を逸らした。

 

 

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