髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第十三話 腐るんじゃない

 

 手元に、一グロートもない。

 四百二十ターレンは、北の畑に埋まっている。麦になるのは秋だ。あと七月ある。

 七月、何も食わずに生きられる人間はいない。

 俺は「三の目」の隅で、そのことを考えていた。

 考えていると、卓のほうで、誰かが銭を叩きつける音がした。

 術師のカスパーは、痩せた男だった。

 三十くらいだろうか。手が白い。荷を担いだことのない手だ。この街では随分と珍しい。

 この男は、二に置いていた。

 三十倍だ。当たれば大きい。当たらない。三十六回に一回しか当たらない。

 俺は、隣に座った。

 

「二がお好きで」

「うるさい」

「三十六回に一回です」

「知ってる」

 

 彼は、また銭を置いた。

 

「知ってて置いてるんだ。当たれば三十倍だぞ」

 

 俺は頷いた。

 

「置きたい気持ちは、値段のつかないものです。俺は口を出しません」

 

 カスパーは、俺を睨んだ。

 睨んで、それから、笑った。

 

「……変な奴だな、あんた」

 

              ◆

 

 この男は、術師だった。

 メルクハーフェンに、術師は十一人いる。カスパーはその一人だ。

 術師は、秘薬を使う。

 秘薬がなければ、術師は術師ではない。ただの手の白い男だ。

「一年に、どれくらい使うんです」

「俺は、樽半分だ」

「十一人で」

「六つだな。毎年、だいたい六つだ。増えも減りもしねえ」

 

 俺は、その数字を、頭の中に置いた。

 六つ。

 増えも減りもしない。

 

「値は」

「一樽、二百ターレンだ」

 

 カスパーは、麦酒を飲んだ。

 

「高えよ。だが、買うしかねえ。俺たちは、これがねえと何もできねえ」

「作れないんですか」

「南でしか採れねえ」

 

 彼は肩をすくめた。

 

「南から船で来る。夏場に来ると、三割腐ってる。だから商人は、腐る分を乗せて売る。俺たちは、腐った分の金も払ってるんだ」

 

 俺は、麦酒の椀を置いた。

 

「三割?」

「三割だ。昔からそうだ」

 

 カスパーは、あくびをした。

 

「海のせいだ。しょうがねえ」

 

              ◆

 

 しょうがない。

 この街で、俺が一番嫌いな言葉だ。

 しょうがない、というのは、誰も数えていないという意味だから。

 俺は、書記室へ行った。

 ヴィルムは、俺を見て、椅子を一つ寄越した。六年、この部屋で箒を持っていた男に、この老人はいつも椅子を出す。

 

「秘薬の綴りを」

「ないぞ」

「ないんですか」

「そんなもん、誰が数える」

 

 俺は、少し考えた。

 

「では、船の綴りを。南方便の、夏の分だけ」

 

 三日かかった。

 秘薬を積んで、夏に着いた船。二十年ぶん。三十七隻あった。

 その船が、どういう航路で来たか。どこに寄ったか。何日かかったか。

 書いてある。誰も読まない。書記の綴りというのは、そういうものだ。

 俺は、三十七隻を、二つに分けた。

 ——四十日以上かかった船と、四十日未満の船。

 

              ◆

 

 四十日以上かかった船。二十二隻。

 腐った量は、平均で四割。

 四十日未満の船。十五隻。

 腐った量は、平均で一割五分。

 俺は、その二つの数字を、三度見た。

 海は、同じ海だ。

 船倉は、同じ船倉だ。

 違うのは、時間だけだ。

 

              ◆

 

 俺は、書記室の窓を開けた。

 冬の風が入ってきた。冷たい。

 秘薬が腐るのは、海のせいではない。

 熱いところに、長く置くからだ。

 メルクハーフェンの旧市街に、地下の石倉がある。

 二十年前、氷を売ろうとした男がいた。北の湖から氷を切ってきて、夏に売る。夏に氷が要る人間はいない、ということに、その男は二年目に気づいた。

 石倉は、そのまま残っている。

 市庁舎の持ち物だ。二十年、何も入っていない。

 俺は、その扉を開けた。

 中は、冷たかった。

 市庁舎の書記官に、借り賃を聞いた。

 

「年に、五ターレンだ」

「高くありませんか」

「二十年、誰も借りとらん」

 

 彼は、書類から顔も上げなかった。

 

「一ターレンでもいい。空けとくだけ無駄だからな」

 

 俺は、頷いた。

 

「二ターレンで」

「……なんで上げるんだ」

「一ターレンで借りると、来年、誰かが二ターレンで横から取ります」

 

 俺は言った。

 

「二ターレンで借りれば、五年、誰も来ません」

 

              ◆

 

 金は、ゲルトが出した。

 二ターレンだ。この男は、また理由を聞かなかった。

 

「返せ」

「返します」

「利息は取らねえ」

 

 ゲルトは、卓を拭いていた。

 

「あんたが儲かると、俺の卓に客が来る。それでいい」

 

 この男は、数字を読まない。

 読まないが、この街で一番、俺の商売を理解している。

 氷は、北の湖から切り出した。

 冬だ。切るだけなら、荷役でできる。ボリスと、卓の連中と、荷馬車。

 賃金は、払えなかった。

 だから、こう言った。

 

「秋まで待ってくれ。秋になれば、麦で払う」

 

 誰も、文句を言わなかった。

 ボリスが、最初に鶴嘴を持った。

 

              ◆

 

 春に、南から船が来る。

 夏に、また来る。

 夏の便が、問題だ。

 俺は、秘薬商のボーデのところへ行った。

 この男は、五十がらみの太った男で、メルクの秘薬を一手に扱っている。ヴィント商会の傘の下にいる。

 

「腐るんですよ、あれは」

 

 ボーデは言った。

 

「三割ね。毎年三割。しょうがない」

 

 俺は、椅子に座った。

 座って、しばらく、この男の顔を見ていた。

 

              ◆

 

「ボーデさん。秘薬は、腐るんじゃない」

「は?」

「温まるだけです」

 

 俺は、紙を一枚、卓に置いた。

 書記室の綴りから写した、三十七隻の表だ。

 

「四十日以上かかった船。四割腐ってる」

 

 俺は、指で押さえた。

 

「四十日未満の船。一割五分」

 

 もう一方を押さえた。

 

「同じ海です。同じ船倉です。違うのは、暑いところに何日いたかだけだ」

 

 ボーデは、紙を見ていた。

 

「秘薬は、海に負けてるんじゃない。熱に負けてる」

「……だから、どうしろと」

「冷やせばいい」

「冷やす?」

「旧市街の地下に、石倉があります。二十年、空いてる。氷を詰めました」

 

 俺は、椅子に背を預けた。

 

「夏の便が着いたら、その日のうちに、俺の倉へ入れてください」

「……いくらだ」

 

              ◆

 ここが、この商売の勘所だ。

 俺は、指を一本立てた。

 

「一銭も要りません」

 

 ボーデの眉が、上がった。

 

「腐らなかった分。あんたが去年捨てた分が、今年、腐らずに残る。その残った分の、三割を俺にください」

「……残らなかったら」

「一銭も要りません」

 

 俺は、笑った。

 

「俺が損をするだけです」

 

 ボーデは、動かなかった。

 この男は、算術を知らない。だが、損得は分かる。

 断る理由が、一つもない。

 払うのは、今まで捨てていた分だけだ。それが残らなければ、払わない。残れば、七割は自分のものになる。

 

 二十年、海に捨ててきたものが、七割戻ってくる。

 

「……あんた」

 

 ボーデは、やっと言った。

 

「なんで、こんな話を、俺に持ってきた」

「あんたが、一手に扱ってるからです」

「ヴィントの傘の下だぞ、俺は」

「知ってます」

 

 俺は、立ち上がった。

 

「傘の下にいる人が、傘を差してる人より儲かる。悪くない話でしょう」

 

              ◆

 

 ボーデは、判を押した。

 紙は、五つの条項でできている。

 四つ目に、罠はない。

 その帰りに、書記室に寄った。

 ヴィルムが、俺を待っていた。

 この老人が、俺を待っているというのは、珍しいことだった。

 

「小僧」

「なんです」

「妙な女が来た」

 

 俺は、椅子に座らなかった。

 

「女」

「頭巾を被っとった。顔は見せん。だが、若い」

 

 ヴィルムは、綴りの山を指した。

 

「南方便の綴りを出せと言った。二十年ぶん」

 

 俺は、動かなかった。

 

「それから、徴発令の写しを出せと言った」

 

 老人は、次の山を指した。

 

「それから、麦の値の綴りだ」

 

              ◆

 

 俺は、その三つを、見ていた。

 俺が読んだ三つだ。

 同じ三つを、同じ順に。

 

「読んだんですか」

「読んだ」

「どれくらい」

「四刻」

 

 ヴィルムは、椅子を軋ませた。

 

「休まずに、な。わしが灯りを足しても、顔を上げんかった」

 

 俺は、しばらく、何も言わなかった。

 この街で、綴りを読む人間は、二人しかいなかった。

 俺と、ヴィルムだ。

 ヴィルムは、片付けるために読む。

 俺は、数えるために読む。

 

「その女は」

 

 俺は、聞いた。

 

「数えてましたか」

 

 老人は、俺を見た。

 

「数えとった」

 

              ◆

 

「最後にな」

 

 ヴィルムは、綴りを閉じた。

 

「一つ、言い残していった」

 

 俺は、待った。

 

「——この街に、数える男がいる、と聞いた」

「なんて答えたんです」

「知らん、と」

 

 俺は、笑った。

 

「上出来です」

 

 外に出た。

 冬の空は、高い。氷を切りに行く荷馬車が、通りを北へ抜けていく。ボリスが荷台の上で手を振った。

 俺は、手を振り返した。

 振り返しながら、少しだけ、考えた。

 ——もう一人、いるのか。

 それだけだ。

 それだけ考えて、俺は氷室のほうへ歩き出した。

 考えても、金にならない。

 今は、氷が要る。

 

 

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