髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第十四話 通らないだけです

 

 夏の便が着いたのは、七月の三日だった。

 俺は、氷室の前で待っていた。

 氷は、たっぷりある。冬に切って、藁と籾殻で包んで、地下に積んだ。夏になっても半分も溶けていない。ボリスが二日おきに見に行って、溶けた分を捨てている。

 秘薬は、樽で八つ来る。

 値にして、千六百ターレン。

 三割腐れば、四百八十ターレンが海に消える。俺の氷室に入れれば、消えるのは百六十ターレンで済む。三百二十ターレン、助かる。

 その三割が、俺の取り分だ。九十六ターレン。

 悪くない。何より、元手が二ターレンだ。

 

              ◆

 

 昼までに、荷は来なかった。

 夕方まで待った。

 来なかった。

 俺が港に着いたとき、樽は、もう荷馬車に積まれていた。

 行き先は、東の倉だ。

 石造りの、大きな倉。壁に、鷲が天秤を掴んだ紋が彫ってある。

 ボーデが、荷馬車の脇に立っていた。

 俺の顔を見て、こいつは、目を伏せた。

 この街の男は、みんな同じ伏せ方をする。

 

「ボーデさん」

「……悪い」

「判を押しましたね」

「押した」

 

 彼は、顔を上げなかった。

 

「ヴィントさんに、言われた」

 

 俺は、懐から紙を出した。

 五つの条項。四つ目に、罠はない。ボーデの判が、下に押してある。

 

「これは、なんです」

「……紙だ」

「守らないなら、なんです」

 

 ボーデは、答えなかった。

 俺は、その紙を、しばらく見ていた。

 

              ◆

 

 市庁舎に行った。

 参事会は、この街の掟を作る。契約を守らせるのも、参事会の仕事だ。

 俺は、書類を出した。

 係の男は、それを受け取って、奥へ行った。

 半刻待たされて、戻ってきた。

 

「取り上げられません」

「理由は」

「参事会が、そう決めました」

 

 俺は、係の男の顔を見た。

 この男も、目を伏せていた。

 参事会は、十二人でできている。

 俺は、その名簿を、書記室で読んだことがある。六年、あの部屋で箒を持っていたのだ。

 十二人のうち、四人が大商会の当主だ。

 三番目に、こう書いてある。

 ——アルノー・ヴィント。

 

              ◆

 

 俺は、市庁舎の階段に座った。

 夏の石は、熱い。

 俺は、そこで、しばらく動かなかった。

 

              ◆

 

 俺は、紙を作った。

 危険を割る紙。信用でできた紙。麦を貸す紙。氷で秘薬を守る紙。

 全部、紙だ。

 紙は、破れる。

 破ったとき、破った奴を捕まえるのは、俺じゃない。

 掟だ。

 俺は、掟を持っていない。

 

              ◆

 

 十二年前、父の紙は守られた。

 一文字も漏らさず、正確に守られた。豊作の年は返済を待ち、待った分は元本に足され、三年で山は倍になり、商会は消えた。

 あの紙は、守られたから、父を殺した。

 俺の紙は、守られないから、俺を殺す。

 同じ街の、同じ掟だ。

 

              ◆

 

 俺は、笑った。

 石段に座って、一人で笑った。

 通りかかった荷役が、変な顔をして通り過ぎた。

 ——掟は、持ってる奴のものだ。

 俺は、それを、その日、覚えた。

 ボーデの店に、もう一度行った。

 この男は、俺が来るのを待っていた。

 殴られると思っていたのだろう。ボリスを連れてこなかったのが、少し残念そうな顔をした。

 

「訴えるのか」

「訴えません」

「……なぜだ」

「勝てないからです」

 

 俺は、椅子に座った。

 

「この街の掟は、ヴィント商会のものだ。あんたは、それを知ってた」

 

 俺は、この男の目を見た。

 

「だから、破れた」

 

              ◆

 

「すまん」

「謝らなくていい」

 

 俺は、首を振った。

 

「あんたは、正しい判断をした」

 

 ボーデが、顔を上げた。

 

「訴えられても勝てる相手と、逆らったら潰される相手。どっちを裏切るか。考えるまでもない」

 

 俺は、肩をすくめた。

 

「俺があんたでも、俺を裏切ります」

 

              ◆

 

 ボーデは、殴られたような顔をした。

 殴ったほうが、この男は楽だったろう。

 

「ただ、一つだけ」

 

 俺は、立ち上がった。

 

「なんだ」

「来年、あんたは要りません」

 

 ボーデの手が、卓の上で止まった。

 

「……どういう意味だ」

「言葉の通りです」

 

 俺は、上着を取った。

 

「秘薬は、南から来る。買うのは術師です。十一人。年に六樽」

 

 俺は、指を折った。

 

「間に、あんたがいる。あんたが南で買って、術師に売る。その差が、あんたの飯だ」

 

 俺は、扉の前で振り返った。

 

「術師に、直に買わせます」

 

 ボーデは、立ち上がった。

 

「そんなことが、できるか。奴らは商売を知らん。船も知らん。南に伝手もない」

「知ってます」

「じゃあ——」

 

「俺が組みます」

 

 俺は、扉を開けた。

 

「十一人で金を出し合う。船を雇う。南で買う。俺の倉に入れる。腐らない。あんたの取り分が、丸ごと術師のものになる」

 

              ◆

 

「ハーゼル」

 

 ボーデが、俺の背に言った。

 

「俺を、潰す気か」

 

 俺は、振り返った。

 

「潰しません」

 

 俺は、この男の目を見た。

 

「あんたは、塩も扱ってる。麻も扱ってる。飯は食えます」

 

 俺は、扉を押した。

 

「——通らないだけです」

 

 「三の目」に、術師を十一人集めた。

 集めるのに、二週間かかった。術師というのは、手が白くて、鼻が高くて、荷役の集まる賭場に足を運ぶような人種ではない。

 カスパーが、九人を連れてきた。

 残る一人は、来なかった。ヴィント商会の顧問だからだ。それでいい。十人いれば足りる。

 俺は、卓の上に立った。

 卓の上に立つのは、これで三度目だ。

 

              ◆

 

「あんたらは、金持ちだ」

 

 俺は言った。

 

「一樽二百ターレン。年に六樽。千二百ターレン。十一人で割れば、一人あたり百ターレン。荷役の三年ぶんです」

 

 術師たちは、退屈そうな顔をしていた。

 

「そのうち、三割は腐ってます」

 

 顔が、少し動いた。

 

「三百六十ターレン。あんたらは毎年、三百六十ターレン分の、腐った薬に金を払ってる」

 

 俺は、指を折った。

 

「二十年で、七千二百ターレンです」

 

 部屋が、静かになった。

 

「あんたらは、それを、しょうがないと言ってきた」

 

 俺は、卓の縁を叩いた。

 

「しょうがないものか。四十日以上、暑い船倉に置くから腐るんだ」

 

 俺は、綴りから写した表を広げた。

 

「四十日未満で着いた船。腐ったのは一割五分。二十年ぶん、書記室の綴りに書いてあります。誰でも読める」

 

 カスパーが、身を乗り出した。

 

「俺の倉に入れれば、一割も腐りません。氷が詰めてある」

 

              ◆

 

「金を出し合ってください」

 

 俺は言った。

 

「十人で、千二百ターレン。船を雇う。南で買う。俺の倉に入れる」

 

 俺は、指を三本立てた。

 

「一つ。俺は、口銭を取ります。一割」

「二つ。船が沈んだら、金は消えます。十のうち一つは沈む。これは俺が数えた」

「三つ」

 

 俺は、術師たちの顔を見回した。

 

「危険は、十人で割れます」

 

 カスパーが、最初に手を挙げた。

 

「乗る」

「賭場で三十六回の内の一回に賭けてる男が言うと、説得力がある」

「うるさい」

 

 彼は、笑った。

 残りの九人が、順に手を挙げた。

 最後の一人が挙げるまで、四半刻もかからなかった。

      

        ◆

 

 金は、集まった。

 千二百ターレン。俺の口銭は、百二十ターレンだ。

 俺は、それを、まず氷切りの荷役に払った。

 冬に、秋まで待ってくれと言った男たちだ。

 麦で払うと言ったが、麦はまだ畑の中だ。

 だから、銀貨で払った。

 約束より、早い。

 ボリスが、銀貨を掌に乗せて、しばらく見ていた。

 

「秋じゃなかったのか」

「秋だ」

「今は夏だぞ」

「早いぶんには、文句ないだろう?」

 

 こいつは、笑った。

 その夜、カスパーが「三の目」で、また二に置いていた。

 俺は、隣に座った。

 

「まだやってるんですか」

「三十倍だぞ」

「三十六回に一回です」

「知ってる」

 

 彼は、麦酒を飲んだ。

 それから、思い出したように、言った。

 

「そういや、あんた」

「なんです」

「王都から、人が来るらしいぞ」

 

              ◆

 

 俺は、椀を置いた。

 

「王都?」

「秘薬の買い付けだ。戦で要るんだと。うちの組合に、話が回ってきた」

 

 カスパーは、賽を振る音のほうを見ていた。

 

「王国が、直に買いに来る。前代未聞だ」

「誰が来るんです」

 

 彼は、肩をすくめた。

 

「名代だそうだ」

 

              ◆

 

 俺は、待った。

 カスパーは、賽の目を見て、舌打ちをした。

 三が出ていた。

 

「——王女の、名代だと」

 

 

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