市庁舎の大広間に、椅子が並べられた。
参事会が十二。大商会の当主が四。組合の頭が七つ。
術師組合は、いちばん端だ。術師は商人ではないので、席の順が低い。
その術師組合の、さらに末席に、俺が座っていた。
術師ではないからだ。ただ、術師の金を預かって、船を雇って、南から薬を運んでくる男。
カスパーが、俺を引っ張ってきた。
「あんたが要る」
「俺は術師じゃない」
「数えられる奴が要るんだ」
参事会の正面の席に、アルノー・ヴィントがいた。
俺は、この男を初めて見た。
六十くらいだろうか。太ってはいない。背は高くない。上着は上等だが、飾りがない。
目立たない男だ。
目立たないというのは、金持ちが選べる、いちばん高い服装である。
この男は、一度も俺のほうを見なかった。
◆
王都の使者は、ヴェルナーといった。
四十がらみで、背が高く、姿勢がいい。宮廷の人間の姿勢だ。この街の商人は、誰もあんなふうに立たない。
彼は、羊皮紙を広げた。
「アルヴェント王国、王命により」
広間が静かになった。
「秘薬を、二十樽。買い上げる」
俺は、その数字を、頭の中に置いた。
二十樽。
「値は、一樽につき、百五十ターレンとする」
俺は、その数字も置いた。
百五十。
市の値は、二百だ。
「以上」
ヴェルナーは、羊皮紙を巻いた。
「六月以内に、王都へ納めること」
誰も、何も言わなかった。
大商会の当主が、順に頷いていく。
アルノー・ヴィントも、頷いた。
「承りました」
彼は、そう言った。
声は低い。落ち着いている。嘘をついている顔ではない。
この男は、二十樽を納めるつもりだ。
いや、違う。
この男は、承ると言うことにしただけだ。
◆
俺は、手を挙げた。
広間の全員が、俺を見た。
術師組合の末席から手が挙がるというのは、この街の作法にない。
「発言を」
ヴェルナーが、俺を見た。
「……そなたは」
「カイ・ハーゼル。術師組合の、預かり方をしております」
「商人か」
「そんなところです」
「二十樽、と仰いました」
「言った」
「南から、年に何樽来るか、ご存じですか」
ヴェルナーは、答えなかった。
答えなかったのは、知らないからだ。
知らないことを、この男は恥じていない。知る必要のないことだと思っているからだ。
俺は、懐から紙を出した。
書記室の綴りから写した表だ。二十年ぶん。
「二十年で、南から来た秘薬は、締めて三百二十樽です」
俺は言った。
「一年に、平均して十六樽」
俺は、指を折った。
「いちばん多かった年で、十八樽。いちばん少なかった年で、九樽」
俺は、顔を上げた。
「二十樽来た年は、一度もありません」
広間が、静かになった。
「そのうち、メルクの術師が六樽使います。残りは、他の街へ行く」
俺は、紙を卓に置いた。
「二十樽は、この街にありません。南にも、たぶんない。南の畑で採れる量が、そもそも決まってる」
俺は、ヴェルナーを見た。
「六月で二十樽というのは、半年で、一年と三月ぶんを集めろ、ということです」
俺は、指を一本足した。
「しかも、いちばん多かった年より、二樽多い」
ヴェルナーの顔が、赤くなった。
「値は、王が定めた」
「値は、定められます」
俺は頷いた。
「王は、値を定められる。参事会も定められる。この街の掟です」
俺は、椅子から立った。
「ですが」
俺は、指を一本立てた。
「無い物の値段は、決められません」
沈黙は、長かった。
俺は、参事会の席を見た。十二人が、俺を見ていた。
大商会の当主たちを見た。四人が、俺を見ていた。
アルノー・ヴィントだけが、俺を見ていなかった。
この男は、羊皮紙を見ていた。
自分が「承りました」と言った、その羊皮紙を。
「ヴィントさん」
俺は、初めてこの男に声をかけた。
「二十樽、納められますか」
彼は、顔を上げた。
俺を見た。
初めて、目が合った。
「努力いたします」
彼は、そう言った。
それだけ言って、また羊皮紙に目を落とした。
◆
努力する。
これは、商人の言葉ではない。
商人は、納めるか、納めないかしか言わない。納められない物に、努力する、と言う男は——納められないことで、儲けるつもりだ。
俺は、その場では何も言わなかった。
言うべきことは、まだ数え終わっていない。
勘定が終わる前に声を上げるのは、俺の流儀ではない。
広間を出たのは、日が傾いてからだった。
カスパーが、俺の背中を叩いた。
「言いやがったな、あんた」
「言いました」
「王の使者に、無い物は無い、と言った男は、この街で初めてだぞ」
「みんな知ってましたよ」
俺は、階段を降りた。
「知ってて、言わなかっただけだ」
◆
市庁舎の裏に、井戸がある。
俺は、そこで水を飲んだ。喋りすぎると、喉が渇く。
顔を上げると、女が立っていた。
頭巾を被っている。
顔は、影になって見えない。
背は高くない。上着は地味だが、布が上等だ。この街の女は、あの布を着ない。買えないからではない。あの布を売っている店が、この街にないからだ。
手が見えた。
白い。荷を担いだことのない手だ。術師のカスパーより、まだ白い。
俺は、水を飲み終えて、柄杓を戻した。
通りの向こうに、男が二人いた。こちらを見ていない。見ていないふりが、上手すぎる。
◆
「あなたが」
女が言った。
声は低い。硬い。
「数える男ですね」
俺は、井戸の縁に腰を下ろした。
書記室の綴りを、四刻、休まずに読んだ女だ。
灯りを足しても、顔を上げなかった。
「そういうあんたは」
「数えました」
彼女は、答えになっていない答えを返した。
「二十年ぶんの南方便。徴発令。麦の値」
「同じ順に」
「あなたが読んだ順です」
俺は、笑った。
この女は、俺が何を読んだかを知っていて、それを追いかけた。
追いかけて、追いついて、こうして立っている。
◆
「広間にいたんですか」
「窓の外に」
「行儀が悪い」
「あなたよりは」
俺は、また笑った。
この女は、軽口を返す。返し方が、上手くない。上手くないが、返そうとしている。
返そうとする人間は、退屈していない。
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「二十樽は、南にない。俺はそう言った。合ってますか」
「合っています」
彼女は、即答した。
「南の畑で採れるのは、年に三十樽から四十樽。そのうち南方諸市が自分で使うのが、半分」
俺は、彼女を見た。
その数字は、書記室の綴りにない。
「……どこで数えました」
「王国の、買い付けの綴りです」
彼女は言った。
「二百年ぶん、あります」
俺は、井戸の縁から立ち上がった。
この女は、俺が読めない綴りを読んでいる。
俺が持っていない部屋の、俺が入れない棚の、二百年ぶんの紙を。
「じゃあ、あんたは知ってるはずだ」
俺は言った。
「王国は、無い物を買おうとしてる」
彼女は、動かなかった。
頭巾の影が、少し動いた。顔を上げたのだと思う。
風が来た。
夏の終わりの、少し冷たい風だった。
「ハーゼルさん」
彼女は言った。
「あなたは、王国が無い物を買おうとしている、と仰った」
「言いました」
「王国は、無い物を買う金も、持っていません」
俺は、動かなかった。
この日、俺は初めて、勘定の途中で言葉を失った。
二十樽で三千ターレン。それが払えない、という意味ではない。三千ターレンなら、この街の大商会が一つで出せる。
この女は、そういう話をしていない。
王国が、金を持っていないと言った。
国が、だ。
「……いくら足りないんです」
俺は、聞いた。
彼女は、答えなかった。
答えずに、背を向けた。
「あんた」
俺は、その背に言った。
「名前は」
彼女は、足を止めた。
止めて、少しだけ振り返った。
頭巾の下で、口元だけが見えた。
笑っては、いなかった。
「——いずれ、また」
◆
通りの向こうの二人が、彼女の後ろについて歩き出した。
歩き方が、揃っていた。
俺は、井戸の縁に座り直した。
しばらく、空を見ていた。
その夜、俺は「三の目」に行かなかった。
宿の机に、紙を広げた。
書いたのは、一行だ。
——王国は、いくら借りているのか。
俺は、その一行を、長いこと見ていた。
見て、それから、笑った。
笑うようなことではないのだが、こういうときに笑わないと、俺は俺でなくなる。
この街の掟は、ヴィント商会のものだ。
その街を、王国が持っている。
その王国が、金を持っていない。
——面白いじゃないか。