髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第十五話 無い物の値段

 

 市庁舎の大広間に、椅子が並べられた。

 参事会が十二。大商会の当主が四。組合の頭が七つ。

 術師組合は、いちばん端だ。術師は商人ではないので、席の順が低い。

 その術師組合の、さらに末席に、俺が座っていた。

 術師ではないからだ。ただ、術師の金を預かって、船を雇って、南から薬を運んでくる男。

 カスパーが、俺を引っ張ってきた。

 

「あんたが要る」

「俺は術師じゃない」

「数えられる奴が要るんだ」

 

 参事会の正面の席に、アルノー・ヴィントがいた。

 俺は、この男を初めて見た。

 六十くらいだろうか。太ってはいない。背は高くない。上着は上等だが、飾りがない。

 目立たない男だ。

 目立たないというのは、金持ちが選べる、いちばん高い服装である。

 この男は、一度も俺のほうを見なかった。

 

              ◆

 

 王都の使者は、ヴェルナーといった。

 四十がらみで、背が高く、姿勢がいい。宮廷の人間の姿勢だ。この街の商人は、誰もあんなふうに立たない。

 彼は、羊皮紙を広げた。

 

「アルヴェント王国、王命により」

 

 広間が静かになった。

 

「秘薬を、二十樽。買い上げる」

 

 俺は、その数字を、頭の中に置いた。

 二十樽。

 

「値は、一樽につき、百五十ターレンとする」

 

 俺は、その数字も置いた。

 百五十。

 市の値は、二百だ。

 

「以上」

 

 ヴェルナーは、羊皮紙を巻いた。

 

「六月以内に、王都へ納めること」

 

 誰も、何も言わなかった。

 大商会の当主が、順に頷いていく。

 アルノー・ヴィントも、頷いた。

 

「承りました」

 

 彼は、そう言った。

 声は低い。落ち着いている。嘘をついている顔ではない。

 この男は、二十樽を納めるつもりだ。

 いや、違う。

 この男は、承ると言うことにしただけだ。

 

              ◆

 

 俺は、手を挙げた。

 広間の全員が、俺を見た。

 術師組合の末席から手が挙がるというのは、この街の作法にない。

 

「発言を」

 

 ヴェルナーが、俺を見た。

 

「……そなたは」

「カイ・ハーゼル。術師組合の、預かり方をしております」

「商人か」

「そんなところです」

「二十樽、と仰いました」

「言った」

「南から、年に何樽来るか、ご存じですか」

 

 ヴェルナーは、答えなかった。

 答えなかったのは、知らないからだ。

 知らないことを、この男は恥じていない。知る必要のないことだと思っているからだ。

 俺は、懐から紙を出した。

 書記室の綴りから写した表だ。二十年ぶん。

 

 

「二十年で、南から来た秘薬は、締めて三百二十樽です」

 

 俺は言った。

 

「一年に、平均して十六樽」

 

 俺は、指を折った。

 

「いちばん多かった年で、十八樽。いちばん少なかった年で、九樽」

 

 俺は、顔を上げた。

 

「二十樽来た年は、一度もありません」

 

 広間が、静かになった。

 

「そのうち、メルクの術師が六樽使います。残りは、他の街へ行く」

 

 俺は、紙を卓に置いた。

 

「二十樽は、この街にありません。南にも、たぶんない。南の畑で採れる量が、そもそも決まってる」

 

 俺は、ヴェルナーを見た。

 

「六月で二十樽というのは、半年で、一年と三月ぶんを集めろ、ということです」

 

 俺は、指を一本足した。

 

「しかも、いちばん多かった年より、二樽多い」

 

 

 

 ヴェルナーの顔が、赤くなった。

 

「値は、王が定めた」

「値は、定められます」

 

 俺は頷いた。

 

「王は、値を定められる。参事会も定められる。この街の掟です」

 

 俺は、椅子から立った。

 

「ですが」

 

 俺は、指を一本立てた。

 

「無い物の値段は、決められません」

 

 沈黙は、長かった。

 俺は、参事会の席を見た。十二人が、俺を見ていた。

 大商会の当主たちを見た。四人が、俺を見ていた。

 アルノー・ヴィントだけが、俺を見ていなかった。

 この男は、羊皮紙を見ていた。

 自分が「承りました」と言った、その羊皮紙を。

 

 

「ヴィントさん」

 

 俺は、初めてこの男に声をかけた。

 

「二十樽、納められますか」

 

 彼は、顔を上げた。

 俺を見た。

 初めて、目が合った。

 

「努力いたします」

 

 彼は、そう言った。

 それだけ言って、また羊皮紙に目を落とした。

 

              ◆

 

 努力する。

 これは、商人の言葉ではない。

 商人は、納めるか、納めないかしか言わない。納められない物に、努力する、と言う男は——納められないことで、儲けるつもりだ。

 俺は、その場では何も言わなかった。

 言うべきことは、まだ数え終わっていない。

 勘定が終わる前に声を上げるのは、俺の流儀ではない。

 広間を出たのは、日が傾いてからだった。

 カスパーが、俺の背中を叩いた。

 

「言いやがったな、あんた」

「言いました」

「王の使者に、無い物は無い、と言った男は、この街で初めてだぞ」

「みんな知ってましたよ」

 

 俺は、階段を降りた。

 

「知ってて、言わなかっただけだ」

 

              ◆

 

 市庁舎の裏に、井戸がある。

 俺は、そこで水を飲んだ。喋りすぎると、喉が渇く。

 顔を上げると、女が立っていた。

 頭巾を被っている。

 顔は、影になって見えない。

 背は高くない。上着は地味だが、布が上等だ。この街の女は、あの布を着ない。買えないからではない。あの布を売っている店が、この街にないからだ。

 手が見えた。

 白い。荷を担いだことのない手だ。術師のカスパーより、まだ白い。

 俺は、水を飲み終えて、柄杓を戻した。

 通りの向こうに、男が二人いた。こちらを見ていない。見ていないふりが、上手すぎる。

 

              ◆

 

「あなたが」

 

 女が言った。

 声は低い。硬い。

 

「数える男ですね」

 

 俺は、井戸の縁に腰を下ろした。

 書記室の綴りを、四刻、休まずに読んだ女だ。

 灯りを足しても、顔を上げなかった。

 

「そういうあんたは」

「数えました」

 

 彼女は、答えになっていない答えを返した。

 

「二十年ぶんの南方便。徴発令。麦の値」

「同じ順に」

「あなたが読んだ順です」

 

 俺は、笑った。

 この女は、俺が何を読んだかを知っていて、それを追いかけた。

 追いかけて、追いついて、こうして立っている。

 

              ◆

 

「広間にいたんですか」

「窓の外に」

「行儀が悪い」

「あなたよりは」

 

 俺は、また笑った。

 この女は、軽口を返す。返し方が、上手くない。上手くないが、返そうとしている。

 返そうとする人間は、退屈していない。

 

「一つ、聞いてもいいですか」

「どうぞ」

「二十樽は、南にない。俺はそう言った。合ってますか」

「合っています」

 

 彼女は、即答した。

 

「南の畑で採れるのは、年に三十樽から四十樽。そのうち南方諸市が自分で使うのが、半分」

 

 俺は、彼女を見た。

 その数字は、書記室の綴りにない。

 

「……どこで数えました」

「王国の、買い付けの綴りです」

 

 彼女は言った。

 

「二百年ぶん、あります」

 

 

 俺は、井戸の縁から立ち上がった。

 この女は、俺が読めない綴りを読んでいる。

 俺が持っていない部屋の、俺が入れない棚の、二百年ぶんの紙を。

 

「じゃあ、あんたは知ってるはずだ」

 

 俺は言った。

 

「王国は、無い物を買おうとしてる」

 

 彼女は、動かなかった。

 頭巾の影が、少し動いた。顔を上げたのだと思う。

 風が来た。

 夏の終わりの、少し冷たい風だった。

 

「ハーゼルさん」

 

 彼女は言った。

 

「あなたは、王国が無い物を買おうとしている、と仰った」

「言いました」

「王国は、無い物を買う金も、持っていません」

 

 俺は、動かなかった。

 この日、俺は初めて、勘定の途中で言葉を失った。

 二十樽で三千ターレン。それが払えない、という意味ではない。三千ターレンなら、この街の大商会が一つで出せる。

 この女は、そういう話をしていない。

 王国が、金を持っていないと言った。

 国が、だ。

 

「……いくら足りないんです」

 

 俺は、聞いた。

 彼女は、答えなかった。

 答えずに、背を向けた。

 

「あんた」

 

 俺は、その背に言った。

 

「名前は」

 

 彼女は、足を止めた。

 止めて、少しだけ振り返った。

 頭巾の下で、口元だけが見えた。

 笑っては、いなかった。

 

「——いずれ、また」

 

              ◆

 

 通りの向こうの二人が、彼女の後ろについて歩き出した。

 歩き方が、揃っていた。

 俺は、井戸の縁に座り直した。

 しばらく、空を見ていた。

 その夜、俺は「三の目」に行かなかった。

 宿の机に、紙を広げた。

 書いたのは、一行だ。

 ——王国は、いくら借りているのか。

 俺は、その一行を、長いこと見ていた。

 見て、それから、笑った。

 笑うようなことではないのだが、こういうときに笑わないと、俺は俺でなくなる。

 この街の掟は、ヴィント商会のものだ。

 その街を、王国が持っている。

 その王国が、金を持っていない。

 ——面白いじゃないか。

 

 

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