髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第十六話 売っているのは、秘薬じゃない

 

 三日、宿から出なかった。

 紙を三十枚使った。

 俺が数えていたのは、秘薬ではない。

 アルノー・ヴィントが、何で儲けるつもりかだ。

 二十樽は、無い。

 ヴィントは、そんなことは百も承知だ。あの男は、この街で一番、南の船を知っている。二十樽が無いことを、俺より正確に知っているだろう。

 知っていて、「承りました」と言った。

 なぜか。

 商人が、納められない注文を受ける理由は、一つしかない。

 納めなくても、金が入るからだ。

 王国は、戦をしている。

 戦の物資を買うのに、王国は先に金を払う。

 いや、正確ではない。王国は、金を持っていない。

 だから、手形を切る。

 ——アルヴェント王国は、ヴィント商会に、三千ターレンを支払う。期日は、来年の春。

 こういう紙だ。

 商人は、その紙を受け取って、物を納める。

 では、納められなかったら?

 紙は、残る。

 王国が切った手形は、王国の借金だ。物が納まらなくても、紙を切ってしまえば、借金は成立する。

 しかも。

 払えなければ、期日が延びる。

 延びれば、利がつく。

 ——豊作の年は返済を待つ。

 

              ◆

 

 俺は、その一行を、紙の隅に書いた。

 書いて、しばらく見ていた。

 十二年前に父を殺した一文が、国の大きさで、そこに立っていた。

 ヴェルナーは、市庁舎の裏の館に泊まっていた。

 門番が、俺を止めた。

 俺は、名を言った。

 門番は、奥へ入って、しばらくして戻ってきた。

 

「お通しになるそうです」

 

 門番が、少し驚いた顔をしていた。

 ヴェルナーは、卓に向かっていた。

 書き物をしていた。宮廷の人間は、いつも何か書いている。

 

「商人か」

「カイ・ハーゼルです」

「昨日、広間で吠えた男だな」

「吠えました」

 

 彼は、羽根ペンを置いた。

 

「何用だ」

「二十樽を、お納めできません」

 

              ◆

 

 ヴェルナーの眉が、動いた。

 

「納められん、と言いに来たのか」

「はい」

「わざわざ」

「わざわざです」

 

 俺は、椅子を勧められる前に座った。行儀が悪い。行儀のいい商人は、この部屋に入れてもらえない。

 

「ヴィント商会は、承ると申した」

「申しました」

「そなたは、納められんと言う」

「言います」

 

 俺は、彼を見た。

 

「どちらも、二十樽が無いことを知っています」

 

 ヴェルナーは、動かなかった。

 この男は、馬鹿ではない。宮廷で使者を務める男が馬鹿であるはずがない。ただ、数を見る習慣がないだけだ。

 

「では、なぜヴィント商会は承った」

「そこです」

 

 俺は、紙を出した。

 

「ヴェルナーさん。王国は、物を買うとき、先に金を払いますか」

 

 彼は、答えなかった。

 

「手形を切りますね」

 

              ◆

 

「……よく知っているな」

「知りません」

 

 俺は、首を振った。

 

「今、あんたの顔を見て、分かりました」

 

 彼の頬が、少し動いた。

 

「王国は、二十樽ぶんの手形を切る。三千ターレン。ヴィント商会が受け取る」

 

 俺は、指を一本立てた。

 

「そして、納められない。南に無いんですから」

 

 二本目。

 

「納められなくても、手形は残ります。あの男は、それを返さない。返さない理由なら、いくらでも作れる。船が沈んだ。南が閉じた。値が上がった」

 

 三本目。

 

「王国は、期日に払えない。払えなければ、延ばす。延ばせば、利がつく」

 

              ◆

 

 俺は、椅子から身を乗り出した。

 

「ヴェルナーさん」

「なんだ」

「あの男が売ってるのは、秘薬じゃない」

「——王国の、借金です」

 

              ◆

 

 部屋が、静かになった。

 ヴェルナーは、羽根ペンを見ていた。

 この男は、宮廷の人間だ。四十年、王国のために生きてきた。忠義で飯を食う人種だ。

 だから、今、この男の中で何かが崩れている。

 俺は、それを待った。

 こういうとき、喋ってはいけない。

 

「ハーゼル」

 

 彼は、やっと言った。

 

「そなた、王国が、この街の商会にいくら負っているか、知っているか」

「知りません」

 

 俺は、正直に答えた。

 

「書記室の綴りには、王国の借金は載りません」

 

 ヴェルナーは、羽根ペンを卓に置いた。

 置いて、しばらく指で押さえていた。

 言うべきではない。この男は、そう思っている。

 思っていて、言う。

             

「十四万ターレンだ」

              

 俺は、動かなかった。

 十四万。

 メルクの荷役が、一日三グロート稼ぐ。

 十四万ターレンは、二百八十万グロートだ。

 荷役一人が、九十三万日働いて、やっと届く。

 二千五百年だ。

 

              ◆

 

「税は、年にいくら入るんです」

 

 俺は、聞いた。

 ヴェルナーは、答えなかった。

 

「言えませんか」

「……申せぬ」

「言わなくていい」

 

 俺は、椅子に背を預けた。

 

「もう、分かりました」

 

 この男は、十四万という数字を、俺に言った。

 言えないはずの数字を、言った。

 言いたかったからだ。

 四十年、忠義で飯を食ってきた男が、その数字を一人で抱えていられなくなった。

 それだけで、税収がどれくらいかは、だいたい分かる。

 ——足りていないのだ。

 利息すら、足りていない。

 

「ヴェルナーさん」

「なんだ」

「十樽なら、納められます」

 

 俺は、言った。

 

「術師組合が、船を出します。南で買う。来年の春に、王都へ届けます」

「値は」

「一樽、二百ターレン」

 

 彼の眉が、上がった。

 

「王が定めた値は、百五十だ」

「百五十では、誰も売りません」

 

 俺は、首を振った。

 

「南の商人は、王を知りません。あの連中は、二百でしか売らない。百五十で買ってこいと言われれば、俺は南で立ち尽くすだけです」

 

 

 ヴェルナーは、俺を睨んだ。

 

「それでは、王命に背くことになる」

「なります」

 

 俺は頷いた。

 

「ですから、こうしましょう」

 

 俺は、紙を一枚、卓に置いた。

 

「手形は、受け取りません」

 

 ヴェルナーの目が、動いた。

 

「先に金は要りません。一グロートも」

 

 俺は、紙を彼のほうへ押した。

 

「十樽、届けます。届いたら、そのとき払ってください。届かなければ、一銭も要りません」

「……船が沈んだら」

「俺が損をします」

 

 俺は、笑った。

 

「十のうち一つ沈む。これは俺が数えました」

 

 ヴェルナーは、紙を見ていた。

 条項は、五つ。

 四つ目に、罠はない。

 

「なぜ、そこまでする」

「安いからです」

「安い?」

「王国は、俺の手形を持たずに済む」

 

 俺は、立ち上がった。

 

「借金が、二千ターレン増えません。それだけで、俺は買ってもらう値打ちがある」

 

              ◆

 

 ヴェルナーは、判を押した。

 押しながら、こう言った。

 

「ハーゼル。そなたの話は、名代に伝える」

「名代」

「王女殿下の、名代だ」

 

 俺は、扉のところで足を止めた。

 

「その方は、この街に?」

 

 ヴェルナーは、顔を上げなかった。

 

「……さあ、な」

 

 外は、夕方だった。

 通りに、人が集まっていた。

 市庁舎の壁に、触れが貼り出されている。

 俺は、人垣の後ろから、それを読んだ。

 ——メルクハーフェン参事会、布告。

 ——何人も、銀貨に代わる紙を発行してはならない。

 ——貨幣の発行は、参事会および王国のみが行う。

 ——これに反する紙は、無効とする。

 ——本日をもって、これを施行する。

 

              ◆

 

 俺の紙が、今日、紙屑になった。

 人垣が、俺に気づいた。

 誰かが、俺の名を呼んだ。

 トーマが、俺の紙を握って走ってきた。船具屋の三代目だ。半年前まで博打を打ったことのない男が、俺の紙を十二枚持っている。

 

「ハーゼルさん! これは!」

 

 俺は、その紙を見た。

 俺が書いた紙だ。五つの条項。四つ目に、罠はない。

 

「トーマさん」

 

 俺は言った。

 

「その紙は、生きてます」

「だが、参事会が——」

「紙が死ぬのは、俺が払わないときだけです」

 

 俺は、人垣の中に立った。

 三十人ばかりが、俺を見ていた。

 全員、俺の紙を持っている。

 

「参事会は、俺の紙を無効にした」

 

 俺は言った。

 

「掟の上では、これはもう紙屑だ。訴えても、取り上げてもらえない」

 

 俺は、トーマの持っている紙を、指で叩いた。

 

「だが、俺は払う」

 

              ◆

 

「掟が守ってくれなくても、俺が払う」

 

 俺は、通りを見回した。

 

「一枚残らず、払う。払わなかったら、俺を殺していい」

 

 俺は、笑った。

 

「そのほうが安いでしょう。訴訟は、金がかかる」

 

 誰も、笑わなかった。

 トーマが、紙を懐に戻した。

 それだけだ。

 三十人は、散っていった。

 誰も、俺のところに払いを求めに来なかった。

 

              ◆

 

 その夜、俺は宿の机に向かった。

 紙を一枚、広げた。

 書いたのは、二行だ。

 ——掟は、持ってる奴のものだ。

 ——俺は、掟を持っていない。

 俺は、その二行を、長いこと見ていた。

 見て、それから、三行目を書いた。

 

 

 ——では、どこへ行けば、掟が手に入る。

 

 

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