髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第十八話 今回だけだ

 

 秋が来た。

 北の四つの村で、麦が実った。

 よい年だった。一粒から、六粒。

 種を貸した分の、三倍が返ってくる。六百俵。値にして、千二百ターレンだ。

 俺は、荷馬車を十台、手配していた。

 十台目が出る前に、少年が走ってきた。

 村長の孫だ。春にも、走ってきた。

 

「兵隊が」

 

 少年は、それだけ言った。

 息が上がっていて、それ以上、言えなかった。

 俺は、水を飲ませた。

 飲ませながら、もう、全部分かっていた。

 

              ◆

 

 徴発だ。

 王国は、戦をしている。兵は麦を食う。

 王国は、領内の村から、麦を集める権利を持っている。

 北の四つの村は、メルクハーフェンの外だ。

 ——王国領である。

 俺は、六年、市庁舎の書記室にいた。

 徴発令の写しは、あの部屋の棚にある。

 俺は、それを読んだ。何度も読んだ。第六話で、フォーゲルに小麦の話をしたとき、俺が使ったのがあの綴りだ。

 王国は、麦を持っていける。

 掟の上で、正しい。

 村に着いたときには、麦は無かった。

 倉が、空だった。

 村長が、卓の上に紙を置いていた。

 俺は、それを読んだ。

 

 

 ——アルヴェント王国は、本徴発により受領せし麦の代価として、金千五百ターレンを支払う。

 ——支払期日は、来春とする。

 ——アルヴェント王国、軍務庁。

 

 千五百ターレン。

 麦の値でいえば、七百五十俵ぶんだ。実際に持っていったのは、六百俵と少し。

 多く書いてある。

 気前がいい。

 気前がいいのは、払う気がないからだ。

 村長は、俺を見なかった。

 

「返せません」

 

 彼は言った。

 

「麦が、ありません」

「知ってます」

「あんたの種で、蒔きました。あんたに三倍返すと、判を押しました」

 

 老人の手が、震えていた。

 

「……返せません」

 

 俺は、椅子を引いて、この老人の向かいに座った。

 

「村長さん」

「はい」

「食う分は、残ってますか」

 

 彼は、顔を上げた。

 

「……種と、冬の分だけは」

「なら、いい」

 俺は、頷いた。

 

「三つ目の条項です。穫れなかったら、返さなくていい」

「ですが、…穫れました」

「穫れませんでした」

 

 俺は、首を振った。

 

「あんたの倉は、空だ。空の倉は、凶作と同じです」

 

 老人は、何も言わなかった。

 言わずに、俺の手を掴んだ。

 俺は、その手を、しばらくそのままにしておいた。

 メルクに戻る道で、俺は数えた。

 俺の倉に、麦は来ない。

 だが、俺の紙は、街に出ている。

 麦一俵と引き換える紙。三百俵ぶん。

 紙の下には、こう書いてある。

 ——渡さなければ、この紙は、俺の首と引き換えである。

 俺は、笑った。

 自分で書いた紙に、自分で首を絞められている。

 笑うようなことではないのだが、こういうときに笑わないと、俺は俺でなくなる。

 三百俵は、六百ターレンだ。

 俺の手元には、四百ターレンある。術師組合の口銭と、夏の航海の口銭を足した額だ。

 足りない。二百ターレン、足りない。

 俺は、宿の机に、持ち物を書き出した。

 氷室の借り賃の権利。次の航海の口。術師組合の預かり方の株。

 全部売れば、二百ターレンになる。

 俺は、全部売った。

 三日で、三百俵ぶんの紙を、全部買い戻した。

 一俵につき、二ターレン。銀貨で。

 トーマが、最後だった。

 

「麦じゃなくていいのか」

「麦がありません」

「……あんた、なんで銀貨で払うんだ。待ってくれと言えば、俺は待つぞ」

 

 俺は、この男に銀貨を数えて渡した。

 

「トーマさん。待ってくれと言った紙が、俺の親父を殺しました」

 

              ◆

 

 俺の手元は、また、ゼロになった。

 二度目だ。

 ボリスが、宿に来て、机の上を見た。

 紙が一枚もない。銀貨も一枚もない。

 

「また、無一文か」

「また、無一文だ」

「慣れたな」

「慣れた」

 

 こいつは笑った。

 俺も、笑った。

 だが、話は、終わっていない。

 村には、紙が残っている。

 千五百ターレンの、王国の紙が。

 あの紙は、今、紙屑だ。

 王国は払わない。来春に払うと書いてあるが、払わない。

 払えない。十四万ターレン借りている国が、千五百ターレンの徴発手形を、律儀に払うわけがない。

 村の連中も、それを知っている。

 知っているから、あの紙は、村では焚きつけにもならない。

 だが。

 紙屑にしているのは、王国が払わないからだ。

 払わせれば、紙屑ではなくなる。

 千五百ターレンだ。

 俺は、マイヤーの店へ行った。

 狭い店だ。相変わらずに。

 

「マイヤーさん」

「なんだ」

「紙を出したい」

 

 マイヤーは、帳面から顔を上げた。

 

「何の紙だ」

「王国の徴発手形を、買います。四つの村から。額面千五百ターレン」

 

 俺は、椅子に座った。

 

「買うのに、六百ターレン要ります。額面の四割だ」

「手元は」

「ゼロです」

「……ゼロで、どうやって買う」

「紙を出す」

 

 マイヤーは、帳面を閉じた。

 

「駄目だ」

「マイヤーさん」

「駄目だ」

 

 彼は、俺を見なかった。

 

「あんたの規則を、読んでやろうか」

 

 彼は、抽斗から紙を出した。

 俺が書いた規則だ。判が二つ押してある。俺の判と、この男の判。

 

「俺の紙は、俺が値をつけられるものの値打ちを超えて出さない。数えられるものに限る」

 

 彼は、指で押さえた。

 

「王国の徴発手形は、数えられるのか」

 

 俺は、答えなかった。

 数えられない。

 王国が払うかどうかは、俺には数えられない。海の船なら、二十年の綴りがある。畑の麦なら、収量の記録がある。

 王国の借金には、綴りがない。

 誰も、数えたことがない。

 

「マイヤーさん」

 

 俺は言った。

 

「あの村は、種を蒔きました。俺が貸した種です。麦は実った。実った麦を、王国が持っていった」

 

 俺は、卓に手を置いた。

 

「村に残ったのは、紙一枚だ。あの紙が紙屑なら、あの村は、来年、また種を食います」

「知ってる」

「二年で、村が消えます」

「知ってる」

 

 マイヤーは、俺を見なかった。

 

「今回だけだ」

 

 俺は、そう言った。

 言ってから、自分の口が何を言ったかに気づいた。

 マイヤーは、顔を上げた。

 この男は、俺を憎んでいる。俺が街の金の値段を下げた。五割で貸せた男が、一割三分でしか貸せなくなった。

 俺が潰れれば、この男は儲かる。

 だから、この男に見張らせた。

 俺が、そう決めた。

 

「ハーゼルさん」

 

 彼は、静かに言った。

 

「あんた、自分が何を言ったか、覚えてるか」

「一年前だ」

 

 彼は、抽斗から、もう一枚出した。

 俺が、ゲルトに規則を説明した日の話を、この男は、どこかで聞いていたらしい。

 書き留めてある。金貸しの癖だ。

 

「——三年後に、俺の商会が傾いてる日が来る。あと百枚出せば持ち直す、という日が来る。百枚出せば、誰も損しない。俺は自分にそう言う。俺は、必ず、そう言う」

 

 彼は、紙を卓に置いた。

 

「あんたが言ったんだ」

 

 俺は、その紙を、長いこと見ていた。

 見て、それから、笑った。

 声を出して、笑った。

 

「……早かったな」

 

 俺は言った。

 

「三年も、かからなかった」

 

 マイヤーは、笑わなかった。

 

「出すなら、俺は触れを出す」

 

 彼は言った。

 

「ハーゼルの紙は危ない、と。この街の全員に」

 

 俺は、頷いた。

 

「出してください」

「……なんだと」

「俺が規則を破ったら、そうしろと言ったのは、俺です」

 

 俺は、立ち上がった。

 

「あんたは、仕事をしてる。俺が雇った仕事だ」

 

 俺は、扉のところで、振り返った。

 

「マイヤーさん」

「なんだ」

「止めてくれて、助かりました」

 

              ◆

 

 この男は、答えなかった。

 答えずに、帳面を開いた。

 開いた帳面を、しばらく見ていた。

 俺が店を出るまで、一度も、こちらを見なかった。

 「三の目」の卓に、俺は座った。

 ゲルトが、麦酒を出した。

 

「紙は、出せません」

 

 俺は言った。

 

「規則です。マイヤーが、首を横に振った」

 

 ゲルトは、卓を拭いていた。

 

「じゃあ、どうする」

「あんたらの銀貨で、買ってください」

 

 俺は、卓の上に、王国の徴発手形の写しを置いた。

 

「王国が、北の村から麦を取った。代わりに、この紙を置いていった。額面、千五百ターレン」

 

 俺は、指で押さえた。

 

「今、これは紙屑です。王国は払わない」

 

 俺は、卓を見回した。

 ゲルト。ボリス。トーマ。ドールス。ヨスト。「三の目」の十八人。

 

「額面の三割で、買えます。四百五十ターレン」

 

 俺は、言った。

 

「俺は、口銭を取りません。紙も出しません。俺は、値をつけるだけだ。

危険は、割ります」

 

俺は言った。

 

「王国が払えば、儲かる。払わなければ、丸損だ」

 

俺は、麦酒を一口飲んだ。

 

「王国が払う見込みは、俺には数えられません」

 

 俺は、椀を置いた。

 

「綴りがない。二十年の記録がない。この賭けの目は、誰にも見えない」

 

 卓の周りが、静かになった。

 俺は、こういうときに喋らない男だ。

 喋らずに、待った。

 

 ゲルトが、卓を叩いた。

 

「三割は、安すぎる」

「……安すぎる?」

「四割で、だ」

 

 彼は、俺を見た。

 

「あんた、王国に払わせるつもりなんだろう」

 

 俺は、この男を見た。

 数字を読まない男だ。掛け算ができない。

 二十年、卓の裏で銭を数えてきた。

 

「……払わせます」

「なら、四割だ」

 

 ゲルトは、麦酒の樽を叩いた。

 

「俺は、あんたが払わせると思ってる。三割で買ったら、それは村から盗んだことになる」

 

 六百ターレン、集まった。

 ゲルトが百。トーマが八十。ドールスが五十。ヨストと水夫たちが、締めて七十。

 残りは、「三の目」の卓の連中が出した。十八人が、十ターレン、二十ターレンと置いていった。

 ボリスが、三十ターレン出した。

 この男の、全財産だ。

 

「分からんが、出す」

「分からんのに出すのか」

「あんたが値をつけたんだろ」

「俺は、値をつけられませんでした」

 

 俺は言った。

 

「今回は、つけられなかった」

 

 ボリスは、笑った。

 

「なら、俺が勝手に賭けただけだ。あんたのせいじゃない」

 

              ◆

 

 俺は、村へ行った。

 千五百ターレンの徴発手形を、六百ターレンで買った。

 村長は、銀貨を数えて、それから、俺の顔を見た。

 

「あんた、損をするんじゃないのかね」

「するかもしれません」

 

 俺は、紙を懐に入れた。

 

「しないかもしれません」

 メルクに戻る道は、長かった。

 懐に、王国の紙がある。

 千五百ターレン。

 これを払わせるには、王国へ行かなければならない。

 王国には、掟がある。

 王国には、アルノー・ヴィントが待っている。

 

              ◆

 

 宿に戻って、俺は机に向かった。

 紙を一枚、広げた。

 書いたのは、一行だ。

 ——王都へ行く。

 俺は、その一行を、しばらく見ていた。

 見て、それから、書き足した。

 

 ——取りに行く。掟じゃない。金だ。

 

 

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