髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第十九話 断る理由が、一つでもありますか

 

 

 王都ローエンタールまで、十一日かかった。

 馬車には乗らなかった。乗る金がない。

 荷馬車に便乗して、途中から歩いた。ボリスがついてきた。

 

「なんで来た」

「三十ターレン賭けたからな」

 

 こいつは、麻袋を担ぎ直した。

 

「見に行く権利はあるだろ」

 

              ◆

 

 王都は、大きかった。

 メルクの三倍はある。

 だが、街に入って半刻で、俺が最初に数えたのは、建物の数ではなかった。

 物乞いの数だ。

 大通りを、南の門から市庁前まで歩いた。

 距離にして、メルクの港から旧市街までと同じくらいだ。

 メルクなら、物乞いは三人か四人いる。

 王都では、四十一人いた。

 そのうち、十九人が、片腕か片脚がなかった。

 戦だ。

 王都は、戦をしている国の首都だ。

 兵が帰ってくる。全部は帰ってこない。帰ってきた者も、全部は帰ってこない。

 俺は、それを数えながら歩いた。

 ボリスは、何も言わなかった。

 両替商の店先で、俺は銀貨を一枚出した。

 メルクの一ターレン。今年のものだ。銀の目方で八匁ある。

 両替商は、それを秤に乗せて、こう言った。

 

「王都のターレンなら、一枚と二グロートになる」

 

 俺は、王都のターレンを一枚もらって、秤に乗せてもらった。

 七匁だった。

 メルクの銀貨は、二十年で二割痩せた。

 王都の銀貨は、もっと痩せている。

 王が、王都で改鋳する。

 改鋳した銀貨は、まず王都で使われる。

 ——近くにいるほど、盗まれてる。

 

              ◆

 

 軍務庁は、王城の東にあった。

 石造りで、窓が小さい。書類を守る建物の形だ。

 俺は、三日通った。

 四日目に、やっと中に入れた。

 主計官のブラントという男が、卓の向こうに座っていた。

 五十がらみで、痩せていて、指にインクの染みがある。

 俺は、この男を、少し好きになった。

 書類を書く男は、たいてい、嘘が下手だ。

 

「徴発手形の、支払いを」

 

 俺は、紙を出した。

 千五百ターレン。四つの村。軍務庁の判が押してある。

 ブラントは、それを見た。

 

「来春です」

「来春に、払えますか」

 

 彼は、答えなかった。

 

「ブラントさん」

 

 俺は言った。

 

「今、この紙は、王都の裏でいくらで売られてるか、ご存じですか」

 

 彼は、顔を上げなかった。

 

「二割です」

 

 俺は言った。

 

「額面千五百の紙が、三百ターレンで売れる。それが、この国の紙の値段だ」

 

 俺は、卓に手を置いた。

 

「俺は、これを六百ターレンで買いました」

 

 ブラントの手が、止まった。

 

「四割で買ったんです」

 

 俺は、笑った。

 

「もう、三百ターレン損してます」

 

 ブラントは、俺の顔を見た。

 

「……なぜ、そんな高値で」

「仲間が、そう値をつけました」

 

 俺は言った。

 

「三割でいい、と俺は言った。四割で買え、と言われました。俺が王国に払わせると思ってる、と」

 

 俺は、椅子に座り直した。

 

「俺の仲間は、荷役と、船具屋と、賭場の親父です。あの連中は、この国の紙が二割で売られてることを知りません」

 

 俺は、ブラントを見た。

 

「知らないから、四割を出した」

 

 ブラントは、何も言わなかった。

 この男は、四十年、書類を書いてきた。

 王国が払わない紙を、四十年、書き続けてきた。

 俺は、待った。

 

「ハーゼルどの」

 

 彼は、やっと言った。

 

「王国は、払えません」

「知ってます」

「では、なぜ来た」

「払わせるためです」

 

 俺は、二枚目の紙を出した。

 ヴェルナーと交わした契約書だ。

 ——秘薬十樽。一樽二百ターレン。締めて二千ターレン。来春、王都へ納入。納入後に支払う。

 ブラントは、それを見た。

 見て、目を見開いた。

 

「これは……ヴェルナーどのの判だ」

「そうです」

「十樽、納められるのか」

「納められます」

 

 ブラントは、椅子から立ち上がった。

 

「王都に、秘薬はありません」

 

 彼は言った。

 

「軍が買えないのです。闇の値で、一樽五百ターレン。とても手が出ない」

 

 彼は、窓の外を見た。

 

「傷病兵が、二千人おります。秘薬があれば、その半分は戦列に戻れる」

 

 彼は、俺のほうを向いた。

 

「戻れなければ、死にます」

 

 俺は、椅子に座ったまま、この男を見上げていた。

 インクの染みのついた指が、震えていた。

 

「ブラントさん」

 

 俺は言った。

 

「闇の値で、一樽五百。十樽なら、五千ターレンです」

 

 彼は、頷いた。

 

「俺は、二千でいい」

 

 俺は、指を一本立てた。

 

「しかも、銀貨は要りません」

「——この紙で、払ってください」

 

 俺は、徴発手形を、卓の上に押した。

 千五百ターレン。

 

「二千のうち、千五百は、この紙で相殺してください」

 

 俺は言った。

 

「残りの五百だけ、銀貨でください」

 

 ブラントは、動かなかった。

 俺は、指を折りながら、数えた。

 

「軍務庁は、五百ターレン払う。それだけです」

 

 一本。

 

「五千ターレン分の秘薬が、手に入る」

 

 二本。

 

「王国の借金が、千五百ターレン減る」

 

 三本。

 

「傷病兵が、千人、戦列に戻る」

 

 俺は、手を開いた。

 

「——断る理由が、一つでもありますか」

 

 沈黙は、長かった。

 窓が小さいので、部屋は暗い。

 ブラントは、卓の上の二枚の紙を、交互に見ていた。

 インクの染みのついた指で、片方を押さえ、もう片方を押さえた。

 

「……ない」

 

 彼は、言った。

 

「断る理由は、ありません」

 

 彼は、判を取った。

 取って、卓の上に置いた。

 置いて、押さなかった。

 

「ハーゼルどの」

「はい」

「わたしの一存では、押せません」

 

 彼は、俺を見た。

 

「上に、上げます」

 

              ◆

 

 軍務庁を出て、俺は、自分の勘定を、もう一度数えた。

 いい取引には、見えないはずだ。

 俺は、徴発手形を千五百で持っている。額面千五百。本来なら、王国から千五百、もらえる紙だ。

 それを、秘薬代の二千から差し引かせた。

 王国は、千五百の借金が消える。俺には、五百しか来ない。

 ——本来もらえるはずだった千五百が、消えた。

 俺は、それを、承知でやった。

 商人は、こういうことをしない。

 千五百の紙を持っているなら、千五百、取り立てる。取り立てられないなら、二割でも売って、三百を懐に入れる。

 俺は、そのどちらもしなかった。

 千五百の紙を、五百に化けさせた。

 千、捨てた。

 だが、と俺は思う。

 二割で売れば、三百だ。取り立てれば、王国は「認めがたし」と突っぱねる。ゼロだ。

 この紙は、単体では、死んでいる。

 三百か、ゼロか。それが、この紙の本当の値だ。

 俺は、その死んだ紙を、額面のまま、王国に呑ませた。

 千五百の借金を、王国に、千五百のまま消させた。

 薬が、それをやった。

 兵が生き返る薬だ。王国が、今すぐ欲しいものだ。

 死んだ紙は、動かない。だが、動く薬にくくりつければ、動く。

 俺は、死んだ紙を、生きた薬の背に乗せて、王国の懐まで運んだ。

 千を、捨てた。

 だが、俺は、この国の紙を、額面で回収した、初めての男になる。

 ——紙の信用は、まだ死んでる。回収の実績だけが、先に立つ。

 妙な話だ。

 紙は死んだまま、回収だけが成った。

 俺は、それでいい。

 千を捨てて、面目を買った。

 面目には、まだ値がついていない。

 だが、いつか、つく。

 ——そのときに、千は、返ってくる。

 

              ◆

 

 三日、待った。

 宿は、王都でいちばん安い部屋を取った。ボリスと二人で、藁の上に寝た。

 三日目の夕方、軍務庁から使いが来た。

 紙が一枚。

 ——本件、認めがたし。

 ——理由は、記さず。

 俺は、その紙を、三度読んだ。

 三度読んでも、二行しか書いていなかった。

 ボリスが、藁の上から俺を見た。

 

「どうだった」

「駄目だった」

「なんでだ」

「書いてない」

 

 俺は、紙を畳んだ。

 

「理由は、記さず、と書いてある」

 

 俺は、窓の外を見た。

 王都の夜は、暗い。街灯を焚く油が、戦に取られている。

 断る理由は、一つもなかった。

 軍務庁は、五百ターレンで五千ターレン分の薬を手に入れられた。借金が減った。兵が生きた。

 全部、勘定が合っていた。

 合っていて、断られた。

 勘定が合っているのに断られるとき、理由は一つしかない。

 勘定の外に、誰かがいる。

 俺は、藁の上に座った。

 座って、笑った。

 笑うようなことではないのだが、こういうときには笑う。笑え。

 

「ボリス」

「なんだ」

「俺は、この国の紙を、六百ターレンで買った」

「ああ」

「王都では、三百ターレンで売ってる」

「……半分か」

「半分だ」

 

 俺は、膝を抱えた。

 

「あんたの三十ターレンは、今、十五ターレンだ」

 

 ボリスは、藁の上で、寝返りを打った。

 

「なあ」

「なんだ」

「あんた、その紙、いくらだと思ってる」

 

 俺は、少し考えた。

 

「……千五百だ」

「じゃあ、千五百だろ」

 

 こいつは、天井を見ていた。

 

「あんたが値をつけたんだ。あんたが値をつけたもんは、その値になる。俺はそう思ってる」

 

 俺は、何も言わなかった。

 こいつは、俺の言うことの半分も分かっていない。

 だが、信じるところだけは、いつも間違えない。

 その夜、宿の戸が叩かれた。

 ボリスが起きて、扉を開けた。

 男が二人立っていた。

 歩き方が、揃っていた。

 

「カイ・ハーゼルどのか」

「そうです」

 

 俺は、藁の上から立ち上がった。

 男は、上着の内から、紙を出した。

 封蝋に、紋がある。

 鷲ではない。天秤でもない。

 ——冠と、二本の麦の穂。

 アルヴェント王家の紋だ。

 

「王女殿下が、お呼びです」

 

 俺は、その紙を受け取った。

 受け取って、上着の埃を払った。

 払うほどの上着ではなかった。

 十一日、歩いてきた上着だ。

 

「今からですか」

「今からです」

 

 俺は、ボリスを見た。

 こいつは、藁の上で、口を開けたまま、俺を見ていた。

 

 俺は、扉のほうへ歩いた。

 歩きながら、少し笑った。

 ——勘定の外に、誰かがいる。

 その誰かが、俺を呼んだ。

 悪くない。

 少なくとも、顔を見せに来た。

 

 

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