髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第二十一話 買える奴が、一人しかいない

 

 

「なあ」

 

 藁の上で、ボリスが言った。

 

「その、十樽ってやつな」

「ああ」

「どうやって買うんだ」

 

 俺は、天井を見ていた。

 

「金がない」

「……ないのか」

「ない」

 

 こいつは、しばらく黙っていた。

 

「じゃあ、どうすんだ」

「分からん」

 

 俺は、正直に答えた。

 二千ターレン要る。南で十樽買うには、二千ターレンだ。王国は、納めるまで一グロートも払わない。俺が、そう決めた。

 自分で決めたことで、自分の首を絞めている。

 二度目だ。

 王都の東門のそばに、小さな市が立つ。

 紙の市だ。

 俺は、三日、そこに通った。

 売っているのは、農民だった。

 徴発された村から出てきた男たちだ。麦を取られ、紙を渡され、その紙を持って、十日歩いてくる。

 紙には、額面が書いてある。百ターレン。二百ターレン。

 彼らは、それを二十ターレンで売る。

 四十ターレンで売る。

 売らなければ、来年の種が買えないからだ。

 買っているのは、一人だった。

 いや、正確ではない。買い手は五、六人いる。

 だが、五、六人が、全員、同じ値をつける。

 ——二割。

 俺は、三日、その値を見ていた。

 一度も、動かなかった。

 

              ◆

 

 値段というものは、動く。

 麦の値は動く。鉄の値は動く。秘薬の値は動く。

 動くのは、買う奴が何人もいるからだ。

 誰かが二割で買おうとしたら、隣の誰かが二割一分を出す。出さなければ、荷が取れない。

 動かない値は、値ではない。

 決められた値だ。

 俺は、軍務庁へ行った。

 ブラントは、俺を見て、目を伏せた。

 この街の男も、この城の男も、伏せ方は同じだ。

 

「判は、押せません」

「知ってます」

 

 俺は、椅子に座った。

 

「別のことを、伺いに来ました」

「ヴィント商会は、去年、王国に何を納めましたか」

 

 ブラントの手が、止まった。

 

「……鉄と、麻と、塩です」

「代金は」

「二万ターレン」

「銀貨で払いましたか」

 

 彼は、答えなかった。

 俺は、待った。

「……手形で、相殺されました」

 

 俺は、椅子の背に、体を預けた。

 

「相殺」

「はい」

「ヴィント商会が持っていた、王国の古い手形。額面二万ターレン。それで、納入代金を消した」

「……はい」

「軍務庁は、銀貨を一枚も払っていない」

「払っておりません」

 

 俺は、天井を見た。

 窓の小さい部屋だ。書類を守る建物の形をしている。

 ——相殺は、できるのだ。

 俺には、できなかった。

 断られた。理由は、記さず。

 

「ブラントさん」

「はい」

「その額面二万の手形を、ヴィント商会は、いくらで手に入れましたか」

 

 彼は、俺を見た。

 

「……存じません」

「二割です」

「四千ターレンです」

 

 俺は言った。

 

「東門の市で、農民から買っています。三日、見てきました。値は、一度も動きません」

 

 俺は、指を折った。

 

「四千で買って、二万で使う」

 

 ブラントは、動かなかった。

 インクの染みのついた指が、卓の縁を掴んでいた。

 

「……王国は」

 

 彼は、やっと言った。

 

「王国は、二万ターレン、損をしている、ということですか」

「いいえ」

 

 俺は、首を振った。

 

「王国は、損をしていません」

 

 俺は言った。

「二万ターレン分の鉄と麻と塩を受け取って、二万ターレンの借金を消した。勘定は合っています」

 

 俺は、卓に手を置いた。

 

「損をしたのは、二割で売った奴らです」

 

 部屋が、静かになった。

 

「額面百ターレンの紙を、二十ターレンで売った農民がいます」

 

 俺は言った。

 

「その紙は、ヴィント商会の手で、百ターレンになりました」

 

 俺は、ブラントを見た。

 

「八十ターレンは、どこへ行きましたか」

「ヴィント商会は、王国から盗んでいません」

 

「——王国が徴発した相手から、盗んでいます」

 

 ブラントは、椅子から立ち上がろうとして、立ち上がれなかった。

 膝が、笑っていたのだと思う。

 この男は、四十年、書類を書いてきた。

 その書類が、何をしていたのかを、今日、初めて数えた。

 

「なぜ、二割なんです」

 

「二割で売る農民が馬鹿なのか。違う。それしか値がつかないからだ」

 

 俺は、椅子から立った。

 

「なぜ値がつかないか。買える奴が、一人しかいないからです」

「相殺できるのは、ヴィント商会だけです」

 

 俺は言った。

 

「俺は、断られました。理由は、記さず、と」

 

 俺は、窓の外を見た。小さな窓だ。

 

「相殺できない人間にとって、あの紙は、ただの紙屑です。紙屑に、値はつかない」

 

 俺は、振り返った。

 

「だから、買えるのは一人だけだ。一人しか買えないなら、値段は、その一人が決める」

 

 

「ブラントさん」

 

 俺は言った。

 

「値段ってのは、買える奴が二人いて、初めて値段になる」

 

 俺は、その日の夕方、東門の市に行った。

 紙を一枚、市の壁に貼った。

 釘は、三本使った。

 ——王国の徴発手形を、二割で売っている方へ。

 ——その紙は、ヴィント商会が買っています。

 ——ヴィント商会は、その紙を、額面のまま、王国への納入代金の支払いに使っています。

 ——あなたが二十ターレンで売った紙は、百ターレンになります。

 ——五倍です。

 ——これは、軍務庁の帳簿に、書いてあります。

 ——売らないでください。

 ——カイ・ハーゼル

 

 俺は、その紙の前に立って、字の読めない者に読んでやった。

 三十人ばかりが、聞いた。

 次の日には、五十人になった。

 三日目には、市が止まった。

 買い手は、五、六人立っていた。

 誰も、売りに来なかった。

 彼らは、二割一分を出した。

 誰も、売らなかった。

 三割を出した。

 誰も、売らなかった。

 四日目に、五割が出た。

 俺は、市の隅で、それを見ていた。

 値が、動いた。

 二十年、動かなかった値が、四日で動いた。

 俺は、一グロートも使っていない。

 使ったのは、釘三本だ。

 

            ◆

 

 ボリスが、俺の隣に立った。

 

「何が起きてるんだ」

「値がついた」

「値?」

「今まで、値がなかった」

 

 俺は、市を見ていた。

 

「あったのは、言い値だ」

 

 その夜、宿の戸が叩かれた。

 ボリスが、開けた。

 男が四人、立っていた。

 今度は、歩き方が揃っていなかった。

 鎧を着ていたからだ。

 

「カイ・ハーゼルどのか」

「そうです」

 

 俺は、藁の上から立ち上がった。

 上着の埃を払った。

 払うほどの上着ではない。

 

「ご同道願いたい」

「どちらへ」

 

 先頭の男は、答えなかった。

 答えずに、道を空けた。

 

「——宰相閣下が、お会いになる」

 

 

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