「なあ」
藁の上で、ボリスが言った。
「その、十樽ってやつな」
「ああ」
「どうやって買うんだ」
俺は、天井を見ていた。
「金がない」
「……ないのか」
「ない」
こいつは、しばらく黙っていた。
「じゃあ、どうすんだ」
「分からん」
俺は、正直に答えた。
二千ターレン要る。南で十樽買うには、二千ターレンだ。王国は、納めるまで一グロートも払わない。俺が、そう決めた。
自分で決めたことで、自分の首を絞めている。
二度目だ。
王都の東門のそばに、小さな市が立つ。
紙の市だ。
俺は、三日、そこに通った。
売っているのは、農民だった。
徴発された村から出てきた男たちだ。麦を取られ、紙を渡され、その紙を持って、十日歩いてくる。
紙には、額面が書いてある。百ターレン。二百ターレン。
彼らは、それを二十ターレンで売る。
四十ターレンで売る。
売らなければ、来年の種が買えないからだ。
買っているのは、一人だった。
いや、正確ではない。買い手は五、六人いる。
だが、五、六人が、全員、同じ値をつける。
——二割。
俺は、三日、その値を見ていた。
一度も、動かなかった。
◆
値段というものは、動く。
麦の値は動く。鉄の値は動く。秘薬の値は動く。
動くのは、買う奴が何人もいるからだ。
誰かが二割で買おうとしたら、隣の誰かが二割一分を出す。出さなければ、荷が取れない。
動かない値は、値ではない。
決められた値だ。
俺は、軍務庁へ行った。
ブラントは、俺を見て、目を伏せた。
この街の男も、この城の男も、伏せ方は同じだ。
「判は、押せません」
「知ってます」
俺は、椅子に座った。
「別のことを、伺いに来ました」
「ヴィント商会は、去年、王国に何を納めましたか」
ブラントの手が、止まった。
「……鉄と、麻と、塩です」
「代金は」
「二万ターレン」
「銀貨で払いましたか」
彼は、答えなかった。
俺は、待った。
「……手形で、相殺されました」
俺は、椅子の背に、体を預けた。
「相殺」
「はい」
「ヴィント商会が持っていた、王国の古い手形。額面二万ターレン。それで、納入代金を消した」
「……はい」
「軍務庁は、銀貨を一枚も払っていない」
「払っておりません」
俺は、天井を見た。
窓の小さい部屋だ。書類を守る建物の形をしている。
——相殺は、できるのだ。
俺には、できなかった。
断られた。理由は、記さず。
「ブラントさん」
「はい」
「その額面二万の手形を、ヴィント商会は、いくらで手に入れましたか」
彼は、俺を見た。
「……存じません」
「二割です」
「四千ターレンです」
俺は言った。
「東門の市で、農民から買っています。三日、見てきました。値は、一度も動きません」
俺は、指を折った。
「四千で買って、二万で使う」
ブラントは、動かなかった。
インクの染みのついた指が、卓の縁を掴んでいた。
「……王国は」
彼は、やっと言った。
「王国は、二万ターレン、損をしている、ということですか」
「いいえ」
俺は、首を振った。
「王国は、損をしていません」
俺は言った。
「二万ターレン分の鉄と麻と塩を受け取って、二万ターレンの借金を消した。勘定は合っています」
俺は、卓に手を置いた。
「損をしたのは、二割で売った奴らです」
部屋が、静かになった。
「額面百ターレンの紙を、二十ターレンで売った農民がいます」
俺は言った。
「その紙は、ヴィント商会の手で、百ターレンになりました」
俺は、ブラントを見た。
「八十ターレンは、どこへ行きましたか」
「ヴィント商会は、王国から盗んでいません」
「——王国が徴発した相手から、盗んでいます」
ブラントは、椅子から立ち上がろうとして、立ち上がれなかった。
膝が、笑っていたのだと思う。
この男は、四十年、書類を書いてきた。
その書類が、何をしていたのかを、今日、初めて数えた。
「なぜ、二割なんです」
「二割で売る農民が馬鹿なのか。違う。それしか値がつかないからだ」
俺は、椅子から立った。
「なぜ値がつかないか。買える奴が、一人しかいないからです」
「相殺できるのは、ヴィント商会だけです」
俺は言った。
「俺は、断られました。理由は、記さず、と」
俺は、窓の外を見た。小さな窓だ。
「相殺できない人間にとって、あの紙は、ただの紙屑です。紙屑に、値はつかない」
俺は、振り返った。
「だから、買えるのは一人だけだ。一人しか買えないなら、値段は、その一人が決める」
「ブラントさん」
俺は言った。
「値段ってのは、買える奴が二人いて、初めて値段になる」
俺は、その日の夕方、東門の市に行った。
紙を一枚、市の壁に貼った。
釘は、三本使った。
——王国の徴発手形を、二割で売っている方へ。
——その紙は、ヴィント商会が買っています。
——ヴィント商会は、その紙を、額面のまま、王国への納入代金の支払いに使っています。
——あなたが二十ターレンで売った紙は、百ターレンになります。
——五倍です。
——これは、軍務庁の帳簿に、書いてあります。
——売らないでください。
——カイ・ハーゼル
俺は、その紙の前に立って、字の読めない者に読んでやった。
三十人ばかりが、聞いた。
次の日には、五十人になった。
三日目には、市が止まった。
買い手は、五、六人立っていた。
誰も、売りに来なかった。
彼らは、二割一分を出した。
誰も、売らなかった。
三割を出した。
誰も、売らなかった。
四日目に、五割が出た。
俺は、市の隅で、それを見ていた。
値が、動いた。
二十年、動かなかった値が、四日で動いた。
俺は、一グロートも使っていない。
使ったのは、釘三本だ。
◆
ボリスが、俺の隣に立った。
「何が起きてるんだ」
「値がついた」
「値?」
「今まで、値がなかった」
俺は、市を見ていた。
「あったのは、言い値だ」
その夜、宿の戸が叩かれた。
ボリスが、開けた。
男が四人、立っていた。
今度は、歩き方が揃っていなかった。
鎧を着ていたからだ。
「カイ・ハーゼルどのか」
「そうです」
俺は、藁の上から立ち上がった。
上着の埃を払った。
払うほどの上着ではない。
「ご同道願いたい」
「どちらへ」
先頭の男は、答えなかった。
答えずに、道を空けた。
「——宰相閣下が、お会いになる」