髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第二十四話 塩

 

 メルクに帰って、俺が最初にやったのは、勘定だった。

 二千ターレン、要る。

 南で秘薬を十樽買うには、二千ターレンだ。王国は、納めるまで一グロートも払わない。俺が、そう決めた。

 手元にあるのは、ゼロ。

 持っているのは、王国の紙が千五百ターレン分。売れば七百五十になるが、売らないと決めた。

 ——二千ターレンというものは、この世に存在しない。

 俺は、それを、宿の机で三度書いた。

 二千ターレンは、存在しない。

 存在するのは、秘薬の樽と、船と、南の商人だ。

 銀貨は、それを買うための紙にすぎない。

 なら。

 南の商人が、銀貨より欲しがるもので買えばいい。

 南方諸市は、港を閉じている。

 自分で閉じた。戦だからだ。

 港を閉じると、何が入らないか。

 鉄が入らない。だから鉄が高い。ドールスの船が、それで儲けた。

 麻が入らない。麦が入らない。

 そして。

 塩が、入らない。

 南の海は、暖かい。

 暖かい海の魚は、腐る。

 腐らせないために、塩がいる。

 南方諸市は、塩を作らない。作れない。あの海の水では、いい塩にならない。

 塩は、北から来る。

 北の岩塩だ。

 ——アルヴェント王国の、北から。

 俺は、書記室に行った。

 ヴィルムが、椅子を出した。

 

「塩の綴りを」

「あるぞ」

 

 老人は、奥から持ってきた。埃をかぶっている。

 塩は、地味な商いだ。誰も読まない。

 俺の父が、扱っていた。

 二十年ぶん、読んだ。

 封鎖のあった年——二十年前だ。

 南方諸市での塩の値は、平常の四倍になった。

 四倍。

 俺は、その数字を、三度数えた。

 塩、五百ターレン分。

 南では、二千ターレンになる。

 秘薬十樽が、二千ターレンだ。

 ——塩と、秘薬を、換えればいい。

 メルクで塩を持っている商人は、三人いる。

 一人は、ヴィント商会だ。

 もう一人は、ヴィント商会の下請けだ。

 最後の一人が。

 ボーデの店は、港から二本入った通りにある。

 俺は、扉を押した。

 この男は、卓に向かっていた。

 顔を上げて、俺を見て、そして、椅子から立ち上がった。

 殴られると思ったのだろう。前もそうだった。

 

「ハーゼル」

「ボーデさん」

「……何しに来た」

「塩を、買いに」

 

 この男は、動かなかった。

「俺を、通らないと言ったな」

「言いました」

「術師に直に買わせると言った。言った通りにした。俺の秘薬の商いは、終わった」

 

 彼は、卓を掴んでいた。

 

「今日は、通るのか」

「通ります」

「……なぜだ」

 

「塩は、あんたしか持ってないからです」

 

 ボーデは、俺を睨んだ。

 

「ヴィントが持ってる」

「ヴィントは、俺に売りません」

「下請けも持ってる」

「下請けも、売りません」

 

 俺は、椅子に座った。

 

「あんたしか、いない」

「都合のいい話だな」

「都合のいい話です」

 

 俺は、頷いた。

 

「あんたが断るなら、それで終わりです。俺は、南へ行けない。十樽は納められない。王国は、傷病兵を二千人抱えたままだ」

 

 俺は、椅子に座り直した。

 

「それだけの話です」

 

 ボーデは、しばらく黙っていた。

 

「……なぜ、俺を潰さなかった」

 

 彼は、聞いた。

 

「あのとき、あんたは俺を潰せた。訴えなくても、市中に触れを出せば、俺は終わってた。契約を破る商人だとな」

 

 彼は、卓に手をついた。

 

「なぜだ。いつか、こうなると思ったからか」

 

 俺は、この男の顔を見た。

 太った、五十がらみの男の顔だ。

 汗をかいている。

 

「違います」

 

 俺は言った。

 

「潰す理由が、なかっただけです」

「あんたは、正しい判断をした。逆らえば潰される相手と、破っても勝てる相手。どっちを裏切るか、考えるまでもない」

 

 俺は、椅子から立った。

 

「俺が、あんたを潰したら、それは腹いせです。腹いせに、金は払えません」

 

 俺は、卓に手を置いた。

 

「結果として、今日、助かってます。それだけです」

 

 ボーデは、椅子に座った。

 座って、しばらく、俺を見ていた。

 

「……いくら要る」

「五百ターレン分」

「金は」

「ありません」

 

 この男は、笑った。

 この日、初めて笑った。

 

「ないのか」

「一グロートも」

「じゃあ、どうやって買う」

 

「南から秘薬が戻ったら、王国が二千ターレン払います」

 

 俺は言った。

 

「そこから、あんたに千ターレン払います」

 

 ボーデの手が、止まった。

 

「五百の塩で、千受け取る。二倍です」

「……沈んだら」

「一銭も要りません」

 

 俺は、笑った。

 

「俺が損をするだけです」

 

 ボーデは、動かなかった。

 この男は、算術を知らない。だが、損得は分かる。

 断る理由は、一つしかない。

 

「ヴィントに、殺されるぞ」

 

 彼は、言った。

 

「俺じゃない。あんたが、だ」

「殺されます」

 

俺は、頷いた。

 

「それでもか」

「それでもです」

 

ボーデは、長いこと、卓を見ていた。

 太った指で、卓の木目を、なぞっていた。

 

「ハーゼル」

「はい」

「……お前の親父は、塩を扱ってた」

 

 彼は、顔を上げなかった。

 

「知ってます」

「わしは、お前の親父から塩を買ってた。二十年、な」

 

 俺は、動かなかった。

 

「あの男は、量りを、必ず客に見せた」

 

 ボーデは言った。

 

「一俵、量るたびに、客に秤を見せた。面倒だから、みんなやめろと言った。あの男は、やめんかった」

 

 彼は、指で木目をなぞり続けた。

 

「潰れたときな。わしは、何もせんかった」

 

 

 彼は、立ち上がった。

 奥へ行って、しばらくして、鍵を持って戻ってきた。

 

「倉は、三番だ」

 

 彼は、鍵を卓に置いた。

 

「五百ターレン分と言わず、持っていけ。八百ターレン分ある」

「ボーデさん」

「なんだ」

「八百ターレン分だと、南で三千二百になります」

 

 俺は、鍵を取った。

「秘薬は、二千ターレン分しか要りません。残りは、千二百です」

「……千二百」

「約束は、塩の値の二倍です。八百の二倍で、千六百」

 

 俺は、指を折った。

 

「千二百は、銀貨で持って帰ります。足りない四百は、王国が払ったら、そこから」

「沈んだら」

「一銭も入りません」

 

 俺は、鍵を懐に入れた。

 

「そのときは、あんたの塩が八百、海の底です。俺は、四年、港で担ぎます」

 

 ボーデは、椅子から立ち上がった。

 立ち上がって、何か言おうとして、言わなかった。

 俺は、扉を押した。

 押して、振り返った。

 

「秤は、見せます」

 

 俺は言った。

 

「一俵、量るたびに」

 

 

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