髑髏の王冠   作:朝凪小夜

25 / 30
第二十五話 書いてない掟

 

 塩を南に売る。

 南方諸市は、この国と戦をしている。

 ——それは、掟に触れるのか。

 俺は、書記室で三日、綴りを読んだ。

 メルクハーフェンの掟。二百年ぶん。

 禁じられているものは、書いてある。

 鉄。硝石。鉛。弓の材。

 どれも、人を殺す道具になる。

 塩は、書いていない。

 書いていない。

 だが、書いていないというのは、許されているという意味ではない。

 誰も、やらなかっただけかもしれない。

 やった者が、いなかっただけかもしれない。

 ——掟は、持ってる奴のものだ。

 俺は、それを、市庁舎の石段で覚えた。

 俺は、参事会に、届けを出した。

 届けを出す商人は、この街にいない。

 黙って出せばいい。誰も見ていない。港の書記に酒を一杯おごれば、荷の中身など、どうにでもなる。

 俺は、届けを出した。

 三日後、召喚状が来た。

 二度目だ。

 ボリスが、紙を逆さに眺めた。

 

「捕まえるって書いてあるのか」

「呼んでる、と書いてある」

「違うのか」

「同じかもしれん」

 

              ◆

 

 大広間に、椅子が並んでいた。

 参事会が十二人。傍聴の席に、大商会の当主。

 三度目だ。

 俺は、真ん中に立った。

 立たされている、というべきかもしれない。

 参事会長のヘルダーが、届けを持ち上げた。

 

「塩を、八百ターレン分。南方諸市へ売る、と」

「はい」

「南方諸市は、王国の敵だ」

「敵です」

「敵に、物を売るのか」

「売ります」

 

 広間が、ざわついた。

 誰かが、売国と言った。

 俺は、その男を見た。

 穀物商のケラーだ。倉が燃えると言われた男である。

 

「一つ、お伺いします」

 

 俺は言った。

 

「塩を敵に売ってはならない、という掟は、この街にありますか」

 

 ヘルダーが、書付を見た。

 それから、隣を見た。

 隣が、その隣を見た。

 誰も、答えなかった。

 

「三日、綴りを読みました」

 

 俺は言った。

 

「禁じられているのは、鉄、硝石、鉛、弓の材。二百年、変わっていません」

 

 俺は、指を折った。

 

「どれも、人を殺す道具になるからです」

 

 俺は、顔を上げた。

 

「塩は、魚を腐らせないための物です」

 

「書いてないなら、売ります」

 

 俺は言った。

 

「書いてあるなら、売りません」

 

 俺は、参事会の席を見回した。

 

「どちらでも構いません。書いてあるかどうかだけ、教えてください」

 

 沈黙は、長かった。

 ケラーが、立ち上がった。

 

「書いてなくても、売国は売国だ!」

「では、書いてください」

 

 俺は、頷いた。

 

「今日、書けばいい。塩を敵に売ってはならない、と。俺は、従います」

 

 俺は、この男を見た。

 

「ただし、今日からです」

 

 広間が、静かになった。

 

「四日前の掟で、半年前の紙を罰することはできない」

 

 俺は言った。

 

「前に、この広間で申し上げました。参事会は、それを認めた」

 

 俺は、届けを指した。

 

「俺は、届けを出しました。まだ、売っていません」

 

 俺は、一度、言葉を切った。

 

「今日、掟を書けば、俺は売りません。書かなければ、売ります」

 

「——書いてない掟は、誰のものでもない」

 

 参事会は、決を採らなかった。

 採れなかった、というのが正しい。

 塩を禁じれば、この街の塩商が困る。塩は、南へ出す量が一番多い。

 禁じなければ、俺が売る。

 どちらも、この十二人には、決められなかった。

 アルノー・ヴィントが、立ち上がった。

 この男が、広間で立つのを、俺は初めて見た。

 

「参事会長」

「……ヴィント殿」

「掟は、書くべきです」

 

 俺は、この男を見た。

 

「塩は、敵に売るべきではない」

 

 彼は、静かに言った。

 

「わたしは、そう考えます。……ですが」

 

 彼は、俺のほうを向いた。

 

「掟を書くのは、参事会ではありません」

 

「戦をしているのは、王国です。敵を決めているのは、王です」

 

 彼は言った。

 

「何を売ってよく、何を売ってはならないか。それを決めるのは、王の掟です」

 

 彼は、参事会を見た。

 

「この街には、その掟がありません。三十年、誰も置いていないからです」

 

 俺は、動かなかった。

 三十年。

 俺は、その言葉を、書庫で聞いた。

 ——監査の職は、三十年、空席です。

 ヴィントは、椅子に座った。

 座って、こう言った。

 

「ハーゼルさんは、売ればよろしい」

 

 彼は、俺を見なかった。

 

「掟がないのですから」

 

 俺は、広間を出た。

 出ながら、笑った。

 笑うようなことではないだろうが、笑う。

 

 ——あの男は、俺に売らせたいのだ。

 

 売らせて、それから、掟を作る。

 王の掟を。

 塩を敵に売った商人は、売国だ、と。

 そのとき、俺は首を落とされる。

 掟のないところで正しく振る舞った男を、王国は罰しない。宰相は、そう言った。

 だが、掟ができたあとなら、罰せる。

 俺は、港へ歩いた。

 メーヴェが、桟橋にいる。ドールスの船だ。帆は繕ってある。

 ヨストが、水夫を集めていた。十四人。アルバで座礁した連中だ。

 塩は、もう積んである。八百ターレン分。

 ボリスが、麻袋を担いでいた。

 俺は、桟橋の上で、足を止めた。

 男が一人、立っていた。

 背は高くない。髪は薄い。指が長い。

 エーリク・フォーゲル。

 

「ハーゼルさん」

「フォーゲルさん」

「南へ、行かれるとか」

「行きます」

「掟が、できますよ」

「できるでしょうね」

 

 俺は、笑った。

 

「あんたが、書くんでしょう」

 

 フォーゲルは、答えなかった。

 答えずに、桟橋の先を見ていた。

 海は、灰色だった。

 

「ハーゼルさん」

「はい」

「主が、あなたの船を待っています」

 

 俺は、この男を見た。

 

「南で?」

「——南で」

 

 俺は、しばらく、この男の顔を見ていた。

 三十年、笑うことで飯を食ってきた顔だ。

 今日は、笑っていなかった。

 

「フォーゲルさん」

「はい」

「あんた、いま、俺に何をした」

 

 フォーゲルは、帽子を取った。

 取って、深く、頭を下げた。

 番頭が、荷役上がりの商人に、そこまでする理由はない。

 

 彼は、頭を上げずに、言った。

 

「読めば、書いてあります」

 

 俺は、船に乗った。

 メーヴェは、その日の夕方に出た。

 風は、南から来ていた。

 向かい風だ。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。