髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第二十六話 裏

 

 メーヴェの船倉は、塩の匂いがした。

 八百ターレン分の塩が、麻袋に詰めて積んである。

 俺は、その上に座って、紙を読んでいた。

 フォーゲルの言葉が、頭から離れなかった。

 ——読めば、書いてあります。

 俺は、持っている紙を、全部出した。

 王国とヴィント商会の契約書。イレーネが寄越した写しだ。四つ目の条項は、三度読んだ。

 ヴェルナーと交わした、秘薬十樽の契約書。俺が書いた。五つの条項。四つ目に、罠はない。

 参事会に出した、塩の届けの控え。

 そして。

 四つの村の、徴発手形。

 額面千五百ターレン。軍務庁の判が押してある。

 俺は、これを三度読んだ。

 ——アルヴェント王国は、本徴発により受領せし麦の代価として、金千五百ターレンを支払う。

 ——支払期日は、来春とする。

 ——アルヴェント王国、軍務庁。

 三度読んだ。

 表を、三度読んだ。

 俺は、紙を裏返した。

 書いてあった。

 小さい字で、二行。

 ——本手形は、期日までに軍務庁へ呈示なきときは、失効す。

 ——呈示は、徴発を受けたる村の長、または、村の長が書面もて立てたる代理人に限る。

 船が、揺れた。

 俺は、紙を膝の上に置いたまま、しばらく動かなかった。

 俺は、この紙を、村長から買った。

 六百ターレン払った。

 銀貨を数えて、渡した。

 村長は、銀貨を数えて、俺の顔を見た。

 ——あんた、損をするんじゃないのかね。

 俺は、代理人の書面を、もらっていない。

 もらう必要があるとは、思わなかった。

 紙を買った。金を払った。紙は俺のものだ。

 この街では、そうだ。

 ——王国では、違った。

 俺は、笑わなかった。

 こういうときは笑うことにしている。笑わないと、俺は俺でなくなる。

 笑えなかった。

 俺は、十二の年に、父の紙を読んだ。

 七つの条項があって、四つ目に罠があった。

 俺は、読めた。

 父に言った。

 ——これは、読んだほうがいい、と。

 父は、笑って、頭を撫でた。

 二十二の俺は。

 ——裏を、読まなかった。

 俺は、船倉の梁に、背中を預けた。

 塩の匂いがする。

 父の商いの匂いだ。

 期日は、来春だ。

 サルヴァまで四十日。買い付けに十日。帰りに四十日。

 九十日。

 メルクに着くのが、春の初めだ。

 そこから王都まで、十一日。

 ——間に合うか、間に合わないか。

 俺には、数えられない。風が、数えられないからだ。

 それに、間に合っても、俺は呈示できない。

 村長の書面が、要る。

 村は、北にある。俺は、南へ向かっている。

 ボリスが、船倉に降りてきた。

 俺の顔を見て、足を止めた。

 

「どうした」

「読んでなかった」

「何をだ」

「裏を」

 

 こいつは、俺の隣に座った。

 塩の袋が、沈んだ。

 

「どうなるんだ」

「村の紙が、紙屑になる」

「……あんたが、六百払ったやつか」

「そうだ」

「ゲルトも、トーマも、あんたも、出した金か」

「そうだ」

 

 俺は、天井を見た。

 船倉の天井は、低い。

 

「村に、八百四十ターレン返すと言った」

 

 俺は言った。

 

「王都の市の壁に、貼った。三十人が聞いた」

 

 俺は、膝を抱えた。

 

「返せない」

 

 ボリスは、何も言わなかった。

 言わずに、しばらく座っていた。

 

「なあ」

「なんだ」

「あんた、なんで裏を読まなかったんだ」

 

 俺は、答えなかった。

 答えられなかったのではない。

 答えが、一つしかなかったからだ。

 

「読む必要がないと、思ったからだ」

 

 俺は言った。

 

「額面が書いてある。期日が書いてある。判が押してある。それで、全部だと思った」

 

 俺は、紙を握った。

 

「俺の親父も、そう思った」

 

 俺は、紙を膝に広げた。

 

「数え違いは、割れない」

 

 俺は言った。

 

「一度目は、封鎖だ。二十年前の綴りを、読まなかった」

 

 指を、一本折る。

 

「二度目は、今回だけだ、と言った。マイヤーが止めた」

 

 二本目。

 

「三度目は、宰相だ。俺が釘を打つと、兵の給金が遅れる。数えなかった」

 

 三本目。

 

 俺は、手を開いた。

 

「四度目が、これだ」

「ボリス」

「なんだ」

「俺は、四回、数え違えた」

 

 俺は言った。

 

「三回は、払った。今回は、払えない」

 

 ボリスは、立ち上がった。

 塩の袋から、埃が落ちた。

 

「じゃあ、払える金を作りゃいいだろ」

「……」

「南で、塩を売るんだろ」

 

 こいつは、梯子に手をかけた。

 

「三千二百になるって、あんたが言ったんだ」

 

 俺は、顔を上げた。

 

「秘薬に二千。ボーデさんに千二百」

 俺は言った。

 

「一グロートも、残らない」

「じゃあ、もっと売れよ」

 

 ボリスは、梯子を登った。

 

「あんた、値をつけるのが仕事だろ」

 

 俺は、船倉に一人になった。

 塩の匂いがする。

 俺は、紙を懐に戻した。

 戻して、それから、別の紙を出した。

 白紙だ。

 俺は、二通、書いた。

 一通目は、メルクのマイヤー宛てだ。

 ——四つの村の村長に、書面を書かせてください。徴発手形の代理人として、カイ・ハーゼルを立てる、と。

 ——書面ができたら、王都の軍務庁、主計官ブラントへ届けてください。

 ——費用は、あなたが立て替えてください。俺は、まだ払えません。

 俺は、そこで手を止めた。

 この男は、俺を憎んでいる。

 俺が潰れれば、儲かる。

 だから、俺の帳面を見張らせている。

 その男に、金を立て替えろと書いている。

 俺は、続きを書いた。

 ——断ってくださって、構いません。

 ——あなたには、断る理由があります。

 二通目は、王都の書庫宛てだ。

 名前は、書かなかった。

 書いたのは、一行だけだ。

 ——裏を、読んでいませんでした。

 

 

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