四十三日目に、南の海が見えた。
海の色が違う。北の海は灰色で、南の海は青い。
青いというのは、澄んでいるということだ。
澄んでいる海には、魚が少ない。
だから南の連中は、魚を遠くまで獲りに行く。
遠くまで行くと、帰るまでに魚が腐る。
——だから、塩が要る。
ヨストが、俺の隣に立った。
片方の耳がない船長だ。二十年、南方便に乗っている。
「船が三隻、出てきた」
「軍船ですか」
「軍船だ」
彼は、目を細めた。
「舷側に、砲がある」
メーヴェは、帆を降ろした。
降ろすのが、正しい。逃げれば、沈められる。
三隻が、両側と後ろについた。
板が渡された。
男が七人、乗り込んできた。
先頭の男は、四十がらみだった。
日に焼けている。目が細い。剣は抜いていない。
抜かないのは、抜く必要がないと思っているからだ。
「北の船か」
言葉は、通じた。
商人の言葉は、どこの海でも同じだ。
「メルクハーフェンです」
「アルヴェントの街だな」
「自由市です」
「アルヴェントの、自由市だ」
彼は、正しい。
俺は、頷いた。
「荷は」
「塩です」
男の顔が、動いた。
瞬きが、一度。
俺は、それを見た。
——この男は、塩を欲しがっている。
「船倉を、見せろ」
「どうぞ」
俺は、梯子を降りた。
男が三人、ついてきた。
船倉には、麻袋が積んである。
男は、一つ切った。
白い粉が、こぼれた。
彼は、指で掬って、舐めた。
舐めて、動かなくなった。
「……北の岩塩だ」
彼は、言った。
声が、少し変わっていた。
「二年、見ていない」
俺は、船倉の梁に、背中を預けた。
「八百ターレン分あります」
俺は言った。
「北の値で、八百です」
男は、俺を見た。
「ここでは、四倍だ」
「知ってます」
「知ってて、来たのか」
「知ってて、来ました」
彼は、麻袋の上に腰を下ろした。
剣は、まだ抜いていない。
「兄さん」
「はい」
「わしは、この船を沈められる」
「沈められます」
「沈めて、塩を取ればいい」
彼は、指を折った。
「三千二百ターレン分の塩が、ただで手に入る」
「そうですね」
俺は、頷いた。
男の眉が、動いた。
「……否まないのか」
「否めません」
俺は、袋に手を置いた。
「あんたは、沈められる。俺は、沈められる。それは、事実です」
俺は、この男を見た。
「事実に、口ごたえしても、しょうがない」
沈黙は、長かった。
船倉は、暗い。塩の匂いがする。
俺は、待った。
「一つだけ」
俺は、やっと言った。
「沈めたら、塩が沈みます」
「船倉に穴が開けば、水が入ります。塩は、水に溶けます」
俺は、袋を叩いた。
「三千二百ターレン分の塩が、海の水になる」
俺は、指を一本立てた。
「引き上げるには、船が要ります。潜る者が要ります。塩は、その間に溶けます」
俺は、手を開いた。
「——沈めた塩は、塩じゃない」
男は、動かなかった。
「では、沈めずに、奪えばいい」
彼は、言った。
「板を渡して、袋を運ぶ。それだけだ」
「できます」
俺は、頷いた。
「今日は、できます」
俺は、麻袋の上に座り直した。
「明日は、どうします」
「来年は、どうします」
俺は言った。
「北の岩塩は、二年、来ていない。あんたが、そう言った」
俺は、この男を見た。
「なぜ来ないか。沈められるからです」
「北の商人は、馬鹿じゃない。沈められる海に、船は出さない」
俺は言った。
「二年、誰も来なかった。だから、あんたらは魚を捨ててる。獲って、腐らせて、捨ててる」
俺は、指を折った。
「今日、俺の塩を奪えば、三千二百ターレン、儲かります」
二本目。
「明日から、また、二年、誰も来ません」
俺は、手を開いた。
「——あんたは、一度きりの儲けと、毎年の塩を、天秤にかけてる」
男は、麻袋の上で、動かなかった。
日に焼けた顔だ。目が細い。
この男は、算術を知らない。
知らないが、二十年、海で人を数えてきた。
彼は、立ち上がった。
立ち上がって、俺の顔を、しばらく見ていた。
「兄さん。名は」
「カイ・ハーゼルです」
「塩の商人か」
「そうです」
俺は、笑った。
「うちの親父も、そうでした」
男は、梯子に手をかけた。
かけて、振り返った。
「アドリク」
彼は、言った。
「サルヴァの、港務の頭だ」
「四倍で買う」
彼は言った。
「三千二百ターレン。銀貨で払う」
彼は、梯子を登った。
「来年も、来い」
メーヴェは、軍船に挟まれたまま、サルヴァに入った。
白い街だった。
石が白い。屋根が白い。日が強いからだ。
メルクの石は、灰色だ。北の石は、日を吸う。南の石は、日を返す。
港は、静かだった。
船が、少ない。
荷役が、少ない。
物乞いが——
俺は、桟橋から、大通りを見た。
数えた。
物乞いは、五十六人いた。
そのうち、二十三人が、片腕か片脚がなかった。
王都では、四十一人だった。
うち十九人が、腕か脚を失っていた。
——こっちのほうが、多い。
ボリスが、俺の隣に立った。
「同じだな」
「同じだ」
「敵なんだろ、こいつら」
「敵だ」
俺は、大通りを見ていた。
「敵は、同じ形をしてる」
桟橋の奥に、船が一隻、繋いであった。
北の船だ。
帆は畳んである。
舷側に、紋が描いてあった。
——鷲が、天秤を掴んでいる。