サルヴァから、馬で四日。
村があった。
オルデ、という名だと、あとで聞いた。
丘の中腹に、石を積んだ家が、三十ばかり。
人が出てきた。
痩せていた。
北の四つの村で、俺は同じ痩せ方を見た。
村の長は、女だった。
マレナ、という。
六十を越えている。背が低い。目が、鋭い。
この女は、俺を見て、最初にこう言った。
「北の者か」
「メルクハーフェンです」
「アルヴェントか」
「そうです」
村の男が、鍬を持った。
三人。四人。七人になった。
俺は、動かなかった。
ボリスが、俺の前に出ようとしたので、腕で止めた。
「息子を、二人やった」
女は、言った。
「北の戦で」
俺は、頷いた。
「帰ってきませんか」
「片方は、帰った」
彼女は、家のほうを見た。
「脚が、ない」
俺は、しばらく、何も言わなかった。
言うことがなかったのではない。
言っていいことが、一つもなかった。
「秘薬を、買いに来ました」
俺は言った。
「二年、売れとらん」
彼女は、鋭い目で、俺を見た。
「腐っとる。半分は、もう使えん」
「残りは」
「残りも、じきに腐る」
「いくつ、ありますか」
女は、答えなかった。
答えずに、俺の顔を見ていた。
俺も、見返した。
「二十二」
マレナは、言った。
「腐ってないのが、十二」
十二。
俺は、その数字を、頭の中に置いた。
十樽、要る。
「買います」
俺は言った。
「一樽、いくらです」
女は、鼻を鳴らした。
「銀貨は、要らん」
「銀貨で、何が買える」
彼女は言った。
「港は閉じとる。船は来ん。銀貨を持っとっても、この丘には、何も来ん」
彼女は、村を指した。
「去年、麦を買いに、港へ行った。銀貨を持ってな」
彼女は、俺を見た。
「売る麦が、なかった」
俺は、頷いた。
「では、何が要りますか」
女は、答えなかった。
答える必要が、なかったからだ。
俺は、もう、分かっていた。
この村の家の軒に、魚が吊るしてある。
干した魚だ。
塩を、使っていない。
だから、黒く変わっている。
「塩、ですね」
女の目が、動いた。
初めて、動いた。
「持っとるのか」
「売りました」
俺は言った。
「港で。三千二百ターレンで」
彼女は、俺を睨んだ。
「では、ないではないか」
「銀貨があります」
「銀貨では、塩は買えん」
「買えます」
俺は、笑った。
「港に、俺が売った塩があります」
女は、動かなかった。
「アドリクという男に、売りました。港務の頭です」
俺は言った。
「あの男は、四倍で買った。北の値が八百、南の値が三千二百です」
俺は、指を折った。
「あの男が、それを、この丘まで運びますか」
「運ばん」
彼女は、即答した。
「港の連中は、丘に来ん」
「なぜです」
「銭にならんからだ」
俺は、頷いた。
「では、俺が運びます」
「買い戻します」
俺は言った。
「アドリクから、塩を買い戻す。南の値で。三千二百ターレンで」
俺は、女を見た。
「それを、この丘へ運ぶ」
「……ちょっと待て」
女が、言った。
「お前は、八百の塩を、三千二百で売った」
「売りました」
「その三千二百で、同じ塩を買い戻す」
「買い戻します」
「それでは、何も儲からんではないか」
「塩は、儲かりません」
俺は言った。
「儲けるのは、秘薬です」
俺は、指を一本立てた。
「あんたの秘薬を、十二樽もらいます。塩と換えます」
俺は、二本目を立てた。
「十樽は、王国に納めます。一樽二百ターレンで、二千です」
三本目。
「残り二樽は、俺のものです」
「二千で、足りるのか」
「足りません」
俺は、正直に答えた。
「塩の買い戻しが、三千二百。王国からもらえるのが、二千」
俺は、手を開いた。
「千二百、足りません」
女は、俺を見た。
「では、なぜやる」
「残りの二樽です」
俺は言った。
「北で、一樽二百で売れます。四百ターレン」
「まだ、八百足りん」
「足りません」
俺は、笑った。
「腐りかけの秘薬が、十樽あるとあんたは言った」
俺は、指で家を指した。
「それも、もらいます」
「腐っとるぞ」
「腐ってます」
「使えんぞ」
「使えません」
俺は、頷いた。
「今は」
女は、鋭い目で、俺を見ていた。
「秘薬は、熱で腐ります」
俺は言った。
「腐りかけの十樽も、全部が駄目なわけじゃない。上の方は、まだ生きてます」
俺は、丘を見た。
「北の術師に、選り分けさせます。生きてる分だけ取れば、三樽か四樽にはなる」
俺は、女を見た。
「六百ターレンから、八百ターレン」
「二十二樽、全部もらいます」
俺は言った。
「塩を、三千二百ターレン分、この丘に運びます」
俺は、腰を下ろした。
「勘定は、ぎりぎりです。沈めば、俺は四年、港で担ぎます」
村の男たちが、鍬を下ろした。
いつ下ろしたのか、俺は気づかなかった。
女は、しばらく黙っていた。
「北の者」
「はい」
「その秘薬は、どこへ行く」
俺は、答えなかった。
答えないのは、卑怯だ。
俺は、この女に、卑怯なことをしたくなかった。
「アルヴェントの、傷病兵に行きます」
俺は言った。
「二千人います。半分は、これで戦列に戻ります」
俺は、顔を上げた。
「戻れば、また、南に来ます」
村が、静まり返った。
男たちが、鍬を握り直した。
ボリスが、俺の前に出ようとした。
俺は、また、腕で止めた。
女は、俺を見ていた。
六十を越えた、痩せた女だ。
息子を二人やって、一人が脚をなくして帰ってきた。
「なぜ、言った」
彼女は、聞いた。
「隠せたぞ。北の術師が使う、とでも言えば、わしらは分からん」
「隠した紙が、うちの親父を殺しました」
俺は言った。
「俺は、隠しません」
俺は、立ち上がった。
「読めば、書いてある。書いてないことは、口で言う」
女は、長いこと、動かなかった。
風が、丘を渡った。
白い花が、揺れた。
「北の者」
「はい」
「戦をしとるのは、誰だ」
俺は、この女を見た。
「王です」
俺は言った。
「アルヴェントの王と、南方諸市の議会です」
俺は、丘を見回した。
「——あんたと俺は、してません」
マレナは、鼻を鳴らした。
鼻を鳴らして、それから、家のほうへ歩いた。
歩きながら、こう言った。
「二十二樽だ」
彼女は、振り返らなかった。
「塩を、持ってこい」
俺は、その背に、頭を下げた。
下げてから、思い出した。
俺は、この村で一度も、名を名乗っていない。
「カイ・ハーゼルです」
俺は、言った。
女は、足を止めた。
止めて、こう言った。
「次は、麦も持ってこい」