賭場では、金は増えない。
卓の上にある銭の総量は、始まりと終わりで変わらない。誰かが取れば、誰かが失う。それだけの話だ。俺が七に置いて勝った六ターレンは、天から降ってきたのではない。二や十二に置いた誰かの財布から出てきた。
増えるのは、海の方だ。
北の鉄が南で高く売れる。南の麻が北で高く売れる。船が一往復するたびに、この世に無かった価値が生まれる。誰かの財布から出てくるのではなく、増える。
だから俺は、海を見に行った。
手持ちは一ターレン。ゲルトの卓で稼いだ六枚のうち、五枚はボリスに返してある。
一ターレンでは、麻の袋一つ買えない。
だが、値段をつけるのに元手は要らない。
◆
ヤン・ドールスという老いた船主がいた。
持ち船は一隻。「メーヴェ」という古い帆船で、名の通り海鳥のような形をしている。速くはないが沈みにくい、と港の連中は言う。
その老人が三月、桟橋に座っていた。
荷はある。北の鉄が、倉に千ターレン分。南に持っていけば千五百になる。行って帰れば五百の儲けだ。
だが、船が出ない。
水夫の賃金も、食糧も、港の使用料も、前払いだ。二百ターレンかかる。ドールスにその金はない。
だから借りようとした。
貸す者はいた。金貸しのマイヤーという男で、この街では珍しくもない商売をしている。だがマイヤーがつけた値は、年に五割だった。
「五割ですか」
「南方便だからな」
俺が聞くと、桟橋の老人はそう言った。声に怒りはない。この街では当たり前の値だから、怒りようがないのだ。
「南方便は沈むから、五割だと」
「そういうことだ」
二百ターレンを借りて、三百ターレン返す。儲けは五百。手元に残るのは二百。それでも出さないよりましだ、と老人は言う。言いながら、桟橋から動かない。
動かないのは、まだ判を押していないからだ。
俺はそれを見ていた。
判を押す前の人間の背中を、俺は一度、見たことがある。
◆
港の書記のところに三日通った。
酒は三杯おごった。安い投資だ。
この十年で、メルクハーフェンを出た南方便は百二十四。
帰らなかったのは、十一。
十一。百二十四のうち、十一だ。
十のうち、一つ。
俺は同じ数字を三度数え直した。書記が呆れた顔をしたが、こういうものは三度数える。
十のうち一つ沈む。
九つは帰る。
マイヤーの店は、港から二本入った通りにある。狭い。狭いのは、金貸しの店は狭いほうが客が居心地を悪くするからだ。この男はそれを知っていてやっている。
「ドールスの件で」
「あんた、誰だ」
「荷役です」
マイヤーは笑った。荷役が金貸しの店に来て、しかも他人の借金の話をする。笑うのが正しい。
「五割ってのは、どこから出た数字です」
「南方便は沈む。沈めば戻らん。戻らんかもしれん金を貸すんだ、それくらい取る」
「沈む船は、十のうち一つですよ」
彼の笑いが止まった。
止まったが、まだ余裕がある。この男は、俺が何を言っているのか分かっていない。分かっていないから、まだ笑える。
「一割の危険だ」
俺は指を一本立てた。
「あんたは一割の危険に、十割の値段をつけてる」
◆
説明はしてやった。しなくてもよかったが、この男には一度、正確に理解させておきたかった。
百隻出て、十一隻沈む。
沈んだ十一隻ぶんの金は、確かに戻ってこない。だが残りの八十九隻は、利息をつけて返してくる。八十九隻から少しずつ集めれば、十一隻ぶんの穴は埋まる。
埋めるのに必要な利息は、五割ではない。
「一割と少し。あんたが取っていいのは、それくらいだ」
「……八十九隻から集める?」
「そうだ」
「俺は一隻にしか貸してない」
そこだ。
その一言に、この男の商売の全部が入っている。
「だからあんたは、五割取らなきゃならないんだ」
俺は椅子を引いた。
「一隻に貸すと、その一隻が沈んだら全部消える。だから沈む前提の値段をつける。当たり前だ。あんたは正しい」
マイヤーは何も言わなかった。
「——一人で全部背負うなら、な」
◆
その夜、俺は「三の目」に行った。
ゲルトの卓は生きていた。配当は変えてある。三十を、出方の数で割る。七は五倍、二は三十倍。客は減っていない。むしろ増えていた。正直な卓だという噂が立ったからだ。
卓の周りには、いつもの二十人ばかり。
荷役、水夫、船大工、酒場の親父。銭が余っているわけではない。余っていないから賭ける。
俺は卓の上に、一ターレンを置いた。
「賭けの話をしに来た」
二十人が俺を見た。
「船だ」
「船?」
「メーヴェが南に出る。荷は千ターレン。行って帰れば千五百になる」
誰かが笑った。沈むぞ、と言った。
「沈むな」
俺は頷いた。
「十のうち、一つは沈む」
笑いが止まった。
こいつらは、賭場の人間だ。六分の一だの、十一分の一だのという言葉で、三月ぶん銭を失ってきた連中である。だから、十のうち一つ、という言葉の重さを、この街の誰よりも正確に知っている。
九つは、帰る。
「荷の権利を、二十に割る」
俺は指で卓に線を引いた。
「一口、十ターレン。二十口で二百ターレン。それでメーヴェは出せる」
「……十ターレン」
「帰ってくれば、一口が十五ターレンになる」
誰かが唾を飲む音がした。
「沈んだら、十ターレン失う。それだけだ。船が沈んでも、あんたの家は取られない。女房も取られない。あんたが失うのは、十ターレンだけだ」
俺は一ターレンを指で弾いた。
「十のうち九、五割増し。十のうち一、丸損。——あんたら、これより悪い賭けに三月通ってただろう」
◆
ゲルトが最初に手を出した。
二口。
この男は数字を読まない。読まないが、卓の胴元を二十年やってきた。良い賭けと悪い賭けの匂いだけは、この街の誰よりも嗅ぎ分ける。
ゲルトが二口置いた時点で、残りは埋まった。
二十口。二百ターレン。
ボリスは一口買った。ボリスの持ち金は、俺が返した五ターレンと、荷役の日銭を足したものだ。
「分からんが、買う」
「分からんのに買うのか」
「あんたが数えたんだろ」
こいつは笑った。
俺はこの男の顔を、少し長く見た。
組んだのは俺だ。値をつけたのも俺だ。
だから口銭を取った。二十ターレンぶん。
一ターレンしか持っていない男が、二十ターレンを稼いだ。
紙一枚と、数えた三日で。
◆
ドールスは判を押さなかった。マイヤーの証文にではない、という意味だ。
老人は俺の書いた紙に判を押した。金を借りたのではない。荷の権利を、二十人に売っただけだ。返す義務はない。沈めば、老人も何も得ない。ただ、家も船も取られない。
判を押したあと、老人は俺の顔を長いこと見ていた。
「あんた、ハーゼルさんのところの」
「ええ」
「……そうか」
それきり、何も言わなかった。
この街の年寄りは、みんなそういう黙り方をする。
メーヴェは十日後に出た。
俺は桟橋でそれを見ていた。ボリスも、ゲルトも、卓の連中も来ていた。二十人が、自分の十ターレンが海に出ていくのを見送っていた。
悪くない光景だと思った。
その夜、南から早船が着いた。
港が騒がしくなったので、俺は宿を出て見に行った。
南方諸市の戦況が変わった、という話だった。
——南の三つの港が、封鎖された。