塩をオルデ村へ運ぶのに、六日かかった。
アドリクは、三千二百ターレンで売り返した。
一グロートも、上乗せしなかった。
「なぜです」
俺が聞くと、この男は、こう言った。
「わしが四倍で買った塩だ。四倍で売る。それが商いだろう」
彼は、日に焼けた顔で、俺を見た。
「兄さん。あんたが丘へ運ぶと聞いた」
「運びます」
「サルヴァの連中は、丘へ行かん。銭にならんからだ」
彼は、荷馬車を指した。
「馬を、十頭貸す」
彼は、背を向けた。
「銭は、要らん」
二十二樽が、メーヴェに積まれた。
生きているのが、十二。
腐りかけが、十。
俺の手元には、銀貨が一枚もない。
三千二百は、全部、塩に戻った。
◆
出港は、明日の朝だ。
俺は、その夜、サルヴァの桟橋を歩いた。
南の夜は、暖かい。
街灯が、焚いてある。
この街は、油を戦に取られていない。
——まだ、余裕がある。
桟橋の端に、男が立っていた。
背は高くない。太ってもいない。
上着は上等だが、飾りがない。
目立たない男だ。
「ハーゼルさん」
アルノー・ヴィントは、海を見ていた。
俺は、この男の隣に立った。
立って、同じ海を見た。
「畑へ、行かれたそうですね」
「行きました」
「二十二樽」
「二十二樽です」
彼は、頷いた。
「わたしは、市を買いました」
「知ってます」
「十四樽。三百ターレンで」
彼は、海を見たままだった。
「二百年、秘薬は市にありました」
「二百年、市を押さえれば、秘薬は押さえられた」
彼は言った。
「わたしは、二百年ぶんの正しさで、市を買いました」
彼は、初めて、俺のほうを向いた。
「あなたは、二年ぶんを数えた」
俺は、この男の顔を見た。
六十を越えている。目立たない。
悔しがっていなかった。
怒ってもいなかった。
——この男は、負けたことを、正確に理解している。
「一つ、伺っていいですか」
俺は言った。
「どうぞ」
「なぜ、うちの親父を潰したんです」
ヴィントは、動かなかった。
海を、見ていた。
「潰していません」
彼は、言った。
「わたしは、貸しただけです」
「飢饉の年でした」
「北の村が、凶作だった。麦が採れなかった。あなたの父上は、村へ行って、麦を高く買った」
彼は、指を組んだ。
「採れなかった村から、麦を買う。なぜだと思いますか」
「村を、生かすためです」
「その通りです」
彼は、頷いた。
「買わなければ、村は売り食いを始める。売り食いを始めた村は、翌年、何も蒔けない」
彼は、海を見た。
「あなたの父上は、村を四つ、救いました」
「そのために、金を借りた」
俺は言った。
「借りました」
「あんたが、貸した」
「貸しました」
「利息は」
「年に、一割二分です」
俺は、この男を見た。
「安い」
「安いです」
彼は、頷いた。
「あの年、この街の金貸しは、五割で貸していました」
彼は、俺を見なかった。
「わたしは、一割二分で貸しました。あなたの父上を、潰す気はなかった」
「では、四つ目は」
俺は言った。
「豊作の年は返済を待つ。待った分は元本に足される。あれは、なんです」
ヴィントは、しばらく黙っていた。
海が、鳴っていた。
「あれは、優しさです」
「豊作の年は、麦の値が下がります」
彼は言った。
「値が下がれば、穀物商は儲かりません。儲からない年に、返済を求められれば、商会は潰れます」
彼は、俺を見た。
「だから、待つ。待って、翌年、値が戻ってから返してもらう」
彼は、手を組み直した。
「待った分に利がつくのは、当たり前です。貸した金は、その間、寝ています」
「それは、正しい」
俺は言った。
「正しいですね」
「正しいです」
彼は、頷いた。
「では、なぜ、うちの親父は死んだんです」
ヴィントは、答えなかった。
俺は、待った。
「豊作が、三年、続いたからです」
「三年、続きました」
彼は言った。
「この街で、豊作が三年続いたのは、二百年で、四度です」
彼は、指を折った。
「あなたの父上は、三年、待ちました。待った分が、元本に足されました。三年で、山は倍になりました」
彼は、手を開いた。
「わたしは、掟の通りに、取りました」
俺は、桟橋の柱に、手を置いた。
南の夜は、暖かい。
だが、手が冷えていた。
「あんたは、三年続くと知ってましたか」
俺は、聞いた。
「知りません」
彼は、即答した。
「誰も知りません」
彼は、俺を見た。
「二百年で四度です。三年続く見込みは、五十に一つだ」
「では、あんたは」
俺は言った。
「五十に一つの目に、賭けたんですか」
「賭けていません」
彼は言った。
「賭けたのは、あなたの父上です」
俺は、動かなかった。
「わたしは、四つ目の条項を書きました」
彼は言った。
「豊作の年は待つ。待った分は元本に足される。そう書きました」
彼は、海を見た。
「あなたの父上は、それを読んで、判を押した」
彼は、静かに言った。
「読んで、判を押すというのは、そういうことです」
「あの人は、豊作が三年続く見込みを、数えなかった」
彼は言った。
「数えていれば、その条項が何を意味するか、分かったはずです」
彼は、俺のほうを向いた。
「あなたの父上は、いい商人でした」
「秤を、必ず客に見せた」
彼は言った。
「一俵、量るたびに、見せた。面倒だから、みんなやめろと言った。あの人は、やめなかった」
彼は、桟橋の柱に、手を置いた。
「わたしは、あの人が好きでした」
「——ただ、値を、つけられなかった」
俺は、海を見ていた。
南の海は、夜でも青い。
「あんたは、俺の親父の値をつけた」
俺は言った。
「五十に一つを、数えられない男だと」
「つけました」
「正確でしたね」
「正確でした」
俺は、桟橋の柱から、手を離した。
「ヴィントさん」
「はい」
「俺は、四回、数え違えました」
俺は言った。
「三回は、払いました。四回目は、まだ払えていません」
俺は、この男を見た。
「俺も、あんたに値をつけられますか」
アルノー・ヴィントは、俺を見た。
六十を越えた男の、目立たない顔だ。
この男は、初めて、少しだけ、笑った。
「つけられません」
彼は、言った。
「あなたは、払うからです」
「数え違えて、払う男の値は、つけられない」
彼は言った。
「払うか、払わないかで、値が変わる。払う男は、次があります。次があるなら、今日の負けは、負けではない」
彼は、上着の埃を払った。
払うほどの埃は、ついていなかった。
「宰相閣下が、同じことを仰ったそうですね」
「一度、話しませんか」
彼は、言った。
「割に合わん」
俺は、即答した。
ヴィントは、頷いた。
「そうでしょうね」
彼は、桟橋を歩き出した。
三歩ほど歩いて、足を止めた。
止めて、振り返らずに、こう言った。
「王都で、掟ができました」
「公布は、二月三日です」
「王令です。——塩を、敵に売った者は、売国とする」
彼は、歩き出した。
歩きながら、こう言った。
「あなたが塩を売ったのは、二月十九日です」
彼は、足を止めなかった。
「——十六日、遅い」