髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第三十話 値を、つけられなかった

 

 塩をオルデ村へ運ぶのに、六日かかった。

 アドリクは、三千二百ターレンで売り返した。

 一グロートも、上乗せしなかった。

 

「なぜです」

 

 俺が聞くと、この男は、こう言った。

 

「わしが四倍で買った塩だ。四倍で売る。それが商いだろう」

 

 彼は、日に焼けた顔で、俺を見た。

 

「兄さん。あんたが丘へ運ぶと聞いた」

「運びます」

「サルヴァの連中は、丘へ行かん。銭にならんからだ」

 

 彼は、荷馬車を指した。

 

「馬を、十頭貸す」

 

 彼は、背を向けた。

 

「銭は、要らん」

 

 二十二樽が、メーヴェに積まれた。

 生きているのが、十二。

 腐りかけが、十。

 俺の手元には、銀貨が一枚もない。

 三千二百は、全部、塩に戻った。

 

              ◆

 

 出港は、明日の朝だ。

 俺は、その夜、サルヴァの桟橋を歩いた。

 南の夜は、暖かい。

 街灯が、焚いてある。

 この街は、油を戦に取られていない。

 ——まだ、余裕がある。

 桟橋の端に、男が立っていた。

 背は高くない。太ってもいない。

 上着は上等だが、飾りがない。

 目立たない男だ。

 

「ハーゼルさん」

 

 アルノー・ヴィントは、海を見ていた。

 俺は、この男の隣に立った。

 立って、同じ海を見た。

 

「畑へ、行かれたそうですね」

「行きました」

「二十二樽」

「二十二樽です」

 

 彼は、頷いた。

 

「わたしは、市を買いました」

「知ってます」

「十四樽。三百ターレンで」

 

 彼は、海を見たままだった。

 

「二百年、秘薬は市にありました」

「二百年、市を押さえれば、秘薬は押さえられた」

 

 彼は言った。

 

「わたしは、二百年ぶんの正しさで、市を買いました」

 

 彼は、初めて、俺のほうを向いた。

 

「あなたは、二年ぶんを数えた」

 

 俺は、この男の顔を見た。

 六十を越えている。目立たない。

 悔しがっていなかった。

 怒ってもいなかった。

 ——この男は、負けたことを、正確に理解している。

 

「一つ、伺っていいですか」

 

 俺は言った。

 

「どうぞ」

「なぜ、うちの親父を潰したんです」

 

 ヴィントは、動かなかった。

 海を、見ていた。

 

「潰していません」

 

 彼は、言った。

 

「わたしは、貸しただけです」

 

「飢饉の年でした」

 

「北の村が、凶作だった。麦が採れなかった。あなたの父上は、村へ行って、麦を高く買った」

 

 彼は、指を組んだ。

 

「採れなかった村から、麦を買う。なぜだと思いますか」

「村を、生かすためです」

「その通りです」

 

 彼は、頷いた。

 

「買わなければ、村は売り食いを始める。売り食いを始めた村は、翌年、何も蒔けない」

 

 彼は、海を見た。

 

「あなたの父上は、村を四つ、救いました」

「そのために、金を借りた」

 

 俺は言った。

 

「借りました」

「あんたが、貸した」

「貸しました」

「利息は」

「年に、一割二分です」

 

 俺は、この男を見た。

 

「安い」

「安いです」

 

 彼は、頷いた。

 

「あの年、この街の金貸しは、五割で貸していました」

 

 彼は、俺を見なかった。

 

「わたしは、一割二分で貸しました。あなたの父上を、潰す気はなかった」

「では、四つ目は」

 

 俺は言った。

 

「豊作の年は返済を待つ。待った分は元本に足される。あれは、なんです」

 

 ヴィントは、しばらく黙っていた。

 海が、鳴っていた。

 

「あれは、優しさです」

「豊作の年は、麦の値が下がります」

 

 彼は言った。

 

「値が下がれば、穀物商は儲かりません。儲からない年に、返済を求められれば、商会は潰れます」

 

 彼は、俺を見た。

 

「だから、待つ。待って、翌年、値が戻ってから返してもらう」

 

 彼は、手を組み直した。

 

「待った分に利がつくのは、当たり前です。貸した金は、その間、寝ています」

「それは、正しい」

 

 俺は言った。

 

「正しいですね」

「正しいです」

 

 彼は、頷いた。

 

「では、なぜ、うちの親父は死んだんです」

 

 ヴィントは、答えなかった。

 俺は、待った。

 

「豊作が、三年、続いたからです」

「三年、続きました」

 

 彼は言った。

 

「この街で、豊作が三年続いたのは、二百年で、四度です」

 

 彼は、指を折った。

 

「あなたの父上は、三年、待ちました。待った分が、元本に足されました。三年で、山は倍になりました」

 

 彼は、手を開いた。

 

「わたしは、掟の通りに、取りました」

 

 俺は、桟橋の柱に、手を置いた。

 南の夜は、暖かい。

 だが、手が冷えていた。

 

「あんたは、三年続くと知ってましたか」

 

 俺は、聞いた。

 

「知りません」

 

 彼は、即答した。

 

「誰も知りません」

 

 彼は、俺を見た。

 

「二百年で四度です。三年続く見込みは、五十に一つだ」

「では、あんたは」

 

 俺は言った。

 

「五十に一つの目に、賭けたんですか」

 

「賭けていません」

 

 彼は言った。

「賭けたのは、あなたの父上です」

 

 俺は、動かなかった。

 

「わたしは、四つ目の条項を書きました」

 

 彼は言った。

 

「豊作の年は待つ。待った分は元本に足される。そう書きました」

 

 彼は、海を見た。

 

「あなたの父上は、それを読んで、判を押した」

 

 彼は、静かに言った。

 

「読んで、判を押すというのは、そういうことです」

「あの人は、豊作が三年続く見込みを、数えなかった」

 

 彼は言った。

 

「数えていれば、その条項が何を意味するか、分かったはずです」

 

 彼は、俺のほうを向いた。

 

「あなたの父上は、いい商人でした」

 

「秤を、必ず客に見せた」

 

 彼は言った。

 

「一俵、量るたびに、見せた。面倒だから、みんなやめろと言った。あの人は、やめなかった」

 彼は、桟橋の柱に、手を置いた。

 

「わたしは、あの人が好きでした」

 

「——ただ、値を、つけられなかった」

 

 俺は、海を見ていた。

 南の海は、夜でも青い。

 

「あんたは、俺の親父の値をつけた」

 

 俺は言った。

 

「五十に一つを、数えられない男だと」

「つけました」

「正確でしたね」

「正確でした」

 

 俺は、桟橋の柱から、手を離した。

 

「ヴィントさん」

「はい」

「俺は、四回、数え違えました」

 

 俺は言った。

 

「三回は、払いました。四回目は、まだ払えていません」

 

 俺は、この男を見た。

 

「俺も、あんたに値をつけられますか」

 

 アルノー・ヴィントは、俺を見た。

 六十を越えた男の、目立たない顔だ。

 この男は、初めて、少しだけ、笑った。

 

「つけられません」

 

 彼は、言った。

 

「あなたは、払うからです」

 

「数え違えて、払う男の値は、つけられない」

 

 彼は言った。

 

「払うか、払わないかで、値が変わる。払う男は、次があります。次があるなら、今日の負けは、負けではない」

 

 彼は、上着の埃を払った。

 払うほどの埃は、ついていなかった。

 

「宰相閣下が、同じことを仰ったそうですね」

「一度、話しませんか」

 

 彼は、言った。

 

「割に合わん」

 

 俺は、即答した。

 ヴィントは、頷いた。

 

「そうでしょうね」

 

 彼は、桟橋を歩き出した。

 三歩ほど歩いて、足を止めた。

 止めて、振り返らずに、こう言った。

 

「王都で、掟ができました」

 

「公布は、二月三日です」

 

「王令です。——塩を、敵に売った者は、売国とする」

 

 彼は、歩き出した。

 歩きながら、こう言った。

 

「あなたが塩を売ったのは、二月十九日です」

 

 彼は、足を止めなかった。

 

「——十六日、遅い」

 

 

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