髑髏の王冠   作:朝凪小夜

35 / 44
第三十五話 首を、二十に割れ

 

 メルクハーフェンに帰ったのは、春の終わりだった。

 港は、変わっていなかった。

 変わっていたのは、俺だ。

 手元に、一グロートもない。

 背負っているのは、千六百ターレンの約束が一つ。

 ボーデの店に、まっすぐ行った。

 この男は、卓に向かっていた。

 顔を上げて、俺を見て、そして——

 立ち上がらなかった。

 

「生きてたか」

「生きてました」

「牢に入ったと聞いた」

「入りました」

「出たのか」

「出ました」

 

 俺は、椅子に座った。

 

「掟が、消えました」

 

 ボーデは、しばらく、俺を見ていた。

 

「銀貨は」

「ありません」

 

 俺は、正直に言った。

 

「一グロートも」

 

 この男は、動かなかった。

 

「千六百、払う約束だった」

「約束しました」

「塩は、三千二百で売れたと聞いた」

「売れました」

「じゃあ、なんで払えん」

「三千二百で、塩を買い戻しました」

 

 俺は言った。

 

「同じ塩を。同じ値で」

 

 ボーデの口が、開いた。

 

「……なんだと?」

「南の畑に、運びました」

「畑の連中は、銀貨を要らないと言った。港が閉じてるから、銀貨で何も買えない。塩が要ると言った」

 

 俺は、指を折った。

 

「塩と、秘薬を換えました。二十二樽」

「秘薬は」

「王国に、献上しました」

「献上?」

「代金は、取っていません」

 

 俺は、頷いた。

 

「売国の商人から、王国が物を買うわけにはいかんでしょう」

 

 ボーデは、卓を掴んだ。

 太った指が、白くなっていた。

 

「お前……」

 

 彼は、言った。

 

「わしの塩を、全部、捨てたのか」

「捨てました」

 

「傷病兵が、千人、戦列に戻ります」

 

 俺は、この男を見た。

 

「その千人は、南に行きます。南の村の男を、殺します」

 

 俺は、椅子に座り直した。

 

「俺は、それも、南の村長に言いました」

 

「隠しませんでした」

 

 俺は言った。

 

「隠した紙が、うちの親父を殺したので」

 

 オルデ村の長は、マレナという女だった。

 息子を二人、北の戦にやった女だ。

 俺が全部言い終えたとき、あの女は、鼻を鳴らした。

 鼻を鳴らして、二十二樽を寄越した。

 そして、こう言った。

 ——次は、麦も持ってこい。

 俺は、その麦を、まだ持っていない。

 ボーデは、卓に手をついたまま、動かなかった。

 

「千六百は、払います」

 

 俺は言った。

 

「いつだ」

「分かりません」

「……分からんのか」

「分かりません」

 

 俺は、頷いた。

 

「今日、払えません。明日も払えません。いつ払えるか、俺には数えられません」

 

 俺は、懐から紙を出した。

 牢の中で、書いたものだ。

 

「証文です」

 

「条項は、五つ。全部、俺に不利です」

 

 俺は、卓に置いた。

 

「返済猶予の項は、ありません。豊作の年に待つ、という一文も、ありません」

 

 俺は、この男を見た。

 

「四つ目に、罠はありません」

 

 ボーデは、その紙を、読まなかった。

 読まずに、俺の顔を見ていた。

 

「利息は」

「一割三分」

「この街の値だな」

「この街の値です」

 

 彼は、紙を手に取った。

 取って、卓の上で、指で押さえた。

 

「ハーゼル」

「はい」

「わしは、お前の親父から、二十年、塩を買った」

 

 彼は、俺を見なかった。

 

「潰れたときな。わしは、何もせんかった」

 

 彼は、指を離さなかった。

 

「……二度目は、せん」

 

 彼は、紙に判を押した。

 押して、卓に置いた。

 

「利息は、要らん」

「要ります」

「要らん」

「ボーデさん」

 

 俺は、首を振った。

 

「利息を取らない金は、施しです」

 

 俺は、紙を指した。

 

「施しを受けたら、俺は、あんたに頭が上がらなくなる」

 

 俺は、この男を見た。

 

「頭の上がらない男とは、商売ができません」

 

 ボーデは、しばらく黙っていた。

 それから、鼻を鳴らした。

 

「……一割三分だ」

「一割三分です」

 

 「三の目」の卓に、俺は座った。

 ゲルトが、麦酒を出した。

 卓の周りに、二十人が座っていた。

 いや、三十人だ。

 いや、もっといた。

 俺は、卓の上に、銀貨の袋を置いた。

 六百六十ターレン。

 

「返します」

 

 俺は言った。

 

「六百ターレンと、一割の利息です」

 

 ゲルトが、銀貨を数えた。

 二刻かかった。

 この男は、掛け算ができない。

 だが、銭は数えられる。

 

「合ってる」

 

 彼は、言った。

 俺は、卓の上に、銀貨をもう二枚置いた。

 それから、馬一頭ぶんの銭を置いた。

 

「氷室の借り賃が、二ターレン。馬が一頭」

 

 俺は言った。

 

「一年、借りっぱなしでした」

 

 ゲルトは、それを見た。

 

「利息は」

「一割三分」

 

 俺は、上乗せの銭を置いた。

 

「この街の値です」

 

 ゲルトは、鼻を鳴らした。

 鼻を鳴らして、銭を懐に入れた。

 

「兄さん」

「なんです」

「俺は、利息が要ると言った覚えはねえ」

 

 俺は、麦酒を飲んだ。

 

「俺が、要ると言いました」

 

 ボリスが、三十ターレンと三ターレンを受け取った。

 こいつは、それを掌に乗せて、しばらく見ていた。

 

「増えたな」

「増えた」

「あんた、いくら取った」

「一グロートも」

「……また、無一文か」

「また、無一文だ」

 

 ゲルトが、卓を拭いていた。

 拭きながら、俺を見ずに、言った。

 

「兄さん」

「なんです」

「前に、聞いたな」

 

 彼は、布を絞った。

 

「あんたの首の値だ」

「値は、つかないと言いました」

 

 俺は言った。

 

「首は、一つしかない。割れないものに、値はつかない」

「じゃあ、割れと言った」

「言いました」

 

 ゲルトは、布を置いた。

 置いて、俺の向かいに座った。

 卓が、軋んだ。

 

「あんたは、王都で、王令を一つ殺した」

 

 彼は言った。

 

「秘薬を十五樽、ただでくれてやった」

 

 彼は、指を折らなかった。

 折れないからだ。

 

「村に八百四十返した。俺たちに六百六十返した」

 

 彼は、俺を見た。

 

「一グロートも、取ってねえ」

「あんた、何で食ってんだ」

 

 俺は、麦酒を飲んだ。

 答えなかった。

 答えられなかった。

 ゲルトは、卓の下から、革袋を出した。

 置いた。

 重い音がした。

 

「二千ターレンある」

 

 俺は、その袋を見た。

 

「あんたの首を、二十に割った」

 

 ゲルトは言った。

 

「一口、百ターレン」

 

 彼は、卓を叩いた。

 

「二十口だ。全部、埋まった」

 

 俺は、顔を上げた。

 卓の周りに、人が立っていた。

 トーマがいた。ドールスがいた。ヨストがいた。水夫が十四人いた。マイヤーがいた。ボーデがいた。カスパーがいた。ペーターがいた。

 三の目の十八人が、いた。

 

「配当は」

 

 俺は、聞いた。

 声が、うまく出なかった。

 

「あんたが決めろ」

 

 ゲルトは言った。

 

「あんたが、値をつける男だ」

 

 俺は、革袋を見ていた。

 しばらく、見ていた。

 

「沈むかもしれません」

 

 俺は言った。

 

「王都に行きます。首輪をつけます。つけたら、商いができません」

 

 俺は、革袋に手を置いた。

 

「二千ターレンは、丸損になるかもしれない」

 

「十のうち、いくつだ」

 

 ゲルトが、聞いた。

 俺は、数えた。

 数えて、正直に言った。

 

「八つ」

 

 卓の周りが、静かになった。

 十のうち八つ、沈む。

 俺が数えた。

 ゲルトは、鼻を鳴らした。

 

「二より、まだましだ」

 

 彼は、卓を叩いた。

 

「三十六回に一回だぞ、あれは」

 

 カスパーが、笑った。

 

「俺は、二に置く男だ」

 

 彼は、麦酒を掲げた。

 

「十のうち二つなら、上等だ」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。