二百七十通のうち、四つ目が動いたのは、十一通。
俺は、その十一通を、卓に並べた。
並べて、三日、見ていた。
十一通の中に、ハーゼル商会があった。
十二年前。
父の判。
残る二百五十九通は、動いていない。
豊作の年が来ても、待った分が元本に足されても、ヴィント商会は、取り立てていない。
二十年、取り立てていない。
俺は、その二百五十九通の、借り主を数えた。
商会が二十一。船主が四十四。職人が九十。小さな商いが、百十五。
ボーデの名があった。
トーマの名があった。
ドールスの名があった。
ケラーの名があった。
参事会長ヘルダーの名が、あった。
参事会の十二人のうち、七人が、ヴィント商会に借りている。
俺は、参事会の広間で、三度立たされた。
三度とも、決を採るときに、ヴィント商会は手を挙げなかった。
挙げる必要が、なかったのだ。
俺は、「三の目」の卓に、その紙を持っていった。
ゲルトが、麦酒を出した。
俺は、飲まなかった。
「ゲルトさん」
「なんだ」
「あんた、ヴィント商会に借りてますか」
ゲルトは、布を止めた。
しばらく、動かなかった。
「……借りとる」
彼は、言った。
「二十年前だ」
彼は、卓を拭き始めた。
「卓を出すのに、五十ターレン借りた。返せんかった年がある。豊作の年でな。待ってくれた」
彼は、俺を見なかった。
「あれから、二十年、待ってもらっとる」
「いくらになってます」
「知らん」
「知らない?」
「聞いたことがねえ」
俺は、束をめくった。
三の目、と書いてある紙があった。
元本、五十ターレン。
二十年、待った。
利は、年に一割二分。
俺は、数えた。
三度、数えた。
「四百八十二ターレンです」
ゲルトの手から、布が落ちた。
「五十が、四百八十二か」
「なります」
「二十年で」
「二十年で」
彼は、卓に手をついた。
「わしは、二千ターレン、あんたに出したぞ」
「出しました」
「四百八十二も返せねえ男が、二千出したのか」
「出せました」
俺は言った。
「取り立てられてないからです」
俺は、卓に紙を置いた。
「ゲルトさん。あんたは、四百八十二ターレン借りてる」
俺は言った。
「持ってますか」
「……持っとらん」
「二千は、出せた」
「出した」
「なぜです」
ゲルトは、答えなかった。
「借りてることを、忘れてたからです」
俺は言った。
「二十年、誰も取り立てに来なかった。だから、無いのと同じだと思った」
俺は、この男を見た。
「無いのと同じものは、あるんです」
卓の周りが、静かになった。
トーマがいた。ドールスがいた。ボーデがいた。
全員が、俺を見ていた。
全員の名が、束の中にある。
「あの男が、明日、取り立てに来たら、どうなります」
俺は、卓を見回した。
「ゲルトさんは、四百八十二払う。払えなければ、卓を取られる」
俺は、指を折った。
「トーマさんは、店を取られる。三代続いた店です」
二本目。
「ドールスさんは、船を取られる」
三本目。
「参事会長は、屋敷を取られる」
俺は、手を開いた。
「この街が、一晩で、あの男のものになります」
ボーデが、椅子から立ち上がった。
「じゃあ、なぜ取り立てん!」
俺は、この男を見た。
見て、静かに言った。
「取り立てたら、飼えなくなるからです」
卓が、静まり返った。
「取り立てれば、この街の二百七十軒が潰れます」
俺は言った。
「潰れた街から、あの男は、何も取れない。荷役の日銭も、船具屋の縄も、船大工の腕も、全部消えます」
俺は、束を叩いた。
「取り立てないほうが、儲かるんです」
「取り立てなければ、この街は生きています」
「生きている街から、あの男は、毎年、少しずつ取ります」
俺は、指で紙をなぞった。
「利息じゃない。言うことを聞かせる、という形で」
「参事会の十二人のうち、七人が借りてます」
「あの男は、参事会で、一度も手を挙げません」
俺は、顔を上げた。
「挙げる必要が、ないからです」
「俺の紙を禁じる布告」
「九対三で通りました」
「あの九人のうち、六人が、あの男に借りてます」
誰も、動かなかった。
ゲルトが、床の布を拾った。
拾って、卓に置いた。
「兄さん」
「なんです」
「わしは、飼われとったのか」
俺は、この男の顔を見た。
二十年、卓の裏で銭を数えてきた男だ。
この街で、いちばん正直な卓を出している男だ。
「飼われてました」
俺は言った。
「俺の親父もです」
「うちの親父は、飼われて、それから、殺されました」
俺は言った。
「二百七十のうち、十一が殺されてる」
俺は、卓に手を置いた。
「二百五十九は、生きてる。生かされてる」
「どっちが、ましだと思います」
誰も、答えなかった。
俺は、麦酒を飲んだ。
やっと、飲んだ。
ぬるくなっていた。
「怒らないでください」
俺は言った。
「あの男は、掟の通りにやってます。嘘は一つもない。全部、紙に書いてある」
俺は、椀を置いた。
「読まなかったのは、こっちです」
「そして、あの男は、取り立てなかった」
俺は言った。
「取り立てられていたら、ゲルトさんの卓は、二十年前になくなってます」
俺は、卓を撫でた。
「この卓で、俺は八グロート借りて、七に置いた」
俺は、笑った。
「あの男が取り立てなかったから、俺は、ここにいます」
ゲルトは、しばらく黙っていた。
「……兄さん」
「なんです」
「どうすりゃいい」
俺は、束を、卓の中央に置いた。
二百七十通。
この街の、二百七十軒。
俺は、その上に、手を置いた。
「値を、つけます」