髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第四十三話 あの朝

 

 三年目の冬が来た。

 二百七十通の値付けが、終わった。

 一年半かかった。

 ヨナスと二人で、二百年ぶんの綴りを数えた。

 紙は、二百七十枚できた。

 一枚に、一軒。

 俺は、まだ、それを誰にも見せていない。

 

              ◆

 

 値をつけただけでは、何も動かない。

 値がついたものを、買う奴が要る。

 買える奴が一人しかいなければ、それは値段ではない。

 言い値だ。

 俺は、それを東門の市で覚えた。

 俺は、二人目になる。

 そのために、金が要る。

 二百七十軒の四つ目を買うには、いくら要るのか。

 ——一万八千ターレン。

 俺の手元には、四千ある。

 氷室が一つ。麦が三千俵。秘薬の商いが一つ。

 全部売っても、七千。

 一万一千、足りない。

 俺は、その冬、それを数えていた。

 数えても、増えない。

 増えないと分かっていて、数えた。

 その朝が、来た。

 ヴィント商会の応接間で、俺はフォーゲルと向かい合った。

 樽三つ。言い値の倍。

 俺は、帳面を出さなかった。

 術師の数と、腐る量と、南から来る荷を、順に並べた。

 どれも、あの商会自身の帳簿に載っている数字だ。

 誰も、並べて見なかっただけの話である。

 樽三つは、八掛けで俺のものになった。

 あの朝のことを、俺は、あとで何度も思い出した。

 思い出すたびに、同じところで、引っかかる。

 ——フォーゲルは、なぜ、あの値を出したのか。

 あの男は、俺が氷室を持っていることを知っていた。

 術師の数も、腐る量も、南の荷も、知っていた。

 三十年、あの商会の紙を清書してきた男だ。

 俺より正確に、あの三つの数字を知っている。

 知っていて、言い値の倍を出した。

 ——負けるために、出した。

 俺は、あの朝、それに気づかなかった。

 気づいたのは、ずっと後だ。

 玄関で、あの男は、俺を見送った。

 番頭が、わざわざそこまでする相手ではない。

 ——うちの主が、あなたに会いたがっています。

 ——光栄、で済ませないほうがいい。

 俺は、笑って、手を振って帰った。

 そういうやり方が、俺のやり方だ。

 港の酒場で、ボリスが二杯目を空けていた。

 三杯目が来て、四杯目が来た。

 ——あんた、博打の王様だな。

 俺は、鼻で笑った。

 髑髏の話をした。

 ボリスは、難しいことを言う、と笑った。

 いつも通りだ。

 ——じゃあ何なら欲しいんだよ、あんたは。

 俺は、少し考えた。

 考えるふりをしたのではない。

 本当に、その時まで、考えたことがなかった。

 ——金庫の鍵、かな。

 ——なんだそりゃ。

 ——さあ。

 自分でも分かっていなかったので、そう答えた。

 部屋に戻ったのは、鐘が二つ鳴った後だった。

 机の引き出しを開けた。

 紙が一枚だけ入っている。

 十二年前の日付。父の判。

 条項は七つ。四つ目に、罠がある。

 俺は、この紙を、十二年、読み返してきた。

 十二の年は、憎むために読んだ。

 十八の年は、覚えるために読んだ。

 二十一の年は、自分の紙を書くために読んだ。

              ◆

 

二十四の冬に。

 俺は、この紙を、初めて値付けの対象として見た。

 豊作の年は返済を待つ。

 待った分は元本に足される。

 三年続けば、山は倍になる。

 二百年で、四度。

 五十に、一つ。

 五十に一つの目には、値がつく。

 ——この紙も、二百七十通の一枚だ。

 俺は、その夜、初めて、それに気づいた。

 十二年、憎んできた紙が。

 二百七十分の、一になった。

 俺は、笑わなかった。

 笑うようなことでは、なかった。

 俺は紙を戻して、引き出しを閉めた。

 翌朝、宿の下女が手紙を持ってきた。

 封蝋に、鷲が天秤を掴んでいる。

 開けもせずに、俺は上着を取った。

 中身は分かっている。

 会いたがっている、とフォーゲルが言っていた。

 会いたいのなら、会えばいい。

 ただ、その前に、一つだけ。

 俺は、引き出しをもう一度開けた。

 父の紙を、上着の内側に入れた。

  持っていく理由を、俺は、三つ数えた。

 一つ。この紙を書いた男に、この紙を見せる。

 二つ。この紙は、二百七十通の一枚だ。あの男は、それを知っている。

 三つ。

 三つ目を、俺は、うまく言葉にできなかった。

 言葉にできないものを、俺は信用しない。

 信用しないが、持っていくことにした。

 あとになって、分かった。

 三つ目は、こうだ。

  ——俺は、あの男に、親父を見せに行った。

 秤を、必ず客に見せた男だ。

 一俵、量るたびに、見せた。

 面倒だから、みんなやめろと言った。

 あの人は、やめなかった。

 そういう男が、判を押した。

 俺は、上着の襟を直した。

 ——三年前、俺は無一文だった。

 

 

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