髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第四十四話 主

 

 ヴィント商会の奥は、暗かった。

 応接間ではない。

 廊下を三つ曲がって、階段を一つ上がる。

 窓が、小さい。

 書類を守る建物の形だ。

 部屋は、狭かった。

 卓が一つ。椅子が二つ。棚に、綴り。

 絨毯はない。織物もない。炭も焚いていない。

 この街でいちばん金を持っている男の部屋は、金貸しのマイヤーの店より、狭かった。

 アルノー・ヴィントは、卓に向かっていた。

 六十を越えている。目立たない。

 

「三年、お待ちしました」

 

 彼は、そう言った。

 俺は、椅子に座った。

 勧められる前に。

 行儀が悪い。

 行儀のいい商人は、この部屋に入れてもらえない。

 

「割に合わなかったので」

「今日は」

「合いました」

 

 俺は、上着の内から、紙を出した。

 十二年前の日付。

 父の判。

 卓の上に、置いた。

 ヴィントは、それを見た。

 見て、動かなかった。

 

「ハーゼル商会」

 

 彼は、言った。

 

「穀物と塩」

「三代目です」

「四代目が、いた」

 

 彼は、俺を見なかった。

 

「箒を持っていた、と聞きました」

「六年、持ちました」

「六年」

「市庁舎の書記室です」

 

 俺は、椅子に背を預けた。

 

「二百年ぶんの綴りが、あそこにあります」

 

 ヴィントの指が、卓の上で、一度、止まった。

 

「……六年、読まれたのですか」

「読みました」

「誰も読まない綴りを」

「誰も数えない綴りを」

 

 この男は、しばらく、動かなかった。

 

「わたしは」

 

 彼は、言った。

 

「三十年前に、あの部屋に行きました」

 

 俺は、動かなかった。

 

「二百年ぶんの綴りを、二年、読みました」

 

 彼は言った。

 

「船の綴り。麦の綴り。塩の綴り。豊作の綴り」

 

 彼は、指を組んだ。

 

「豊作が三年続いた回数を、数えました」

「四度です」

「二百年で、四度」

 

 彼は言った。

 

「五十に一つ」

 

 俺は、この男の顔を見た。

 目立たない男だ。

 六十を越えている。

 上着は上等だが、飾りがない。

 

 ——この男は、俺だ。

 

「四つ目を、書きました」

 

 ヴィントは言った。

 

「豊作の年は返済を待つ。待った分は元本に足される」

 

 彼は、俺の父の紙を、指で押さえた。

 

「五十に一つの目に、罠を仕掛けました」

「五十に一つなら、五十年に一度しか動きません」

 

 彼は言った。

 

「動かなければ、誰も気づかない」

 

 彼は、俺を見た。

 

「気づかれない罠は、罠ではない」

 

「鎖です」

 

 俺は、椅子の上で、動かなかった。

 

「二百七十軒に、貸しました」

 

 彼は言った。

 

「二十年で、十一軒、動きました」

 

 彼は、指を折らなかった。

 

「二百五十九軒は、動いていません」

 

「取り立てていません」

 

「取り立てれば、二百七十軒が潰れます」

 

 彼は言った。

 

「潰れた街から、わたしは何も取れない」

 

 彼は、卓の上で手を組み直した。

 

「取り立てないほうが、儲かる」

「知ってます」

 

 俺は言った。

 

「一年半、数えました」

 

 ヴィントは、俺を見た。

 初めて、まっすぐ見た。

 

「ヨナスですね」

「ヨナスです」

「よい男です」

 

 彼は、頷いた。

 

「フォーゲルが、逃がしました」

「知っていて、放っておかれた」

「放っておきました」

「なぜです」

 

 ヴィントは、答えなかった。

 答えずに、俺の父の紙を、指で押さえたままでいた。

 

「ハーゼルさん」

「はい」

「あなたは、二百七十通に、値をつけましたね」

 

 俺は、動かなかった。

 

「いくらでした」

 

 俺は、この男を見た。

 六十を越えた、目立たない男だ。

 三十年前、市庁舎の書記室で、二百年ぶんの綴りを読んだ男だ。

 

「一万八千ターレン」

 

 ヴィントは、頷いた。

 

「わたしの見立ては、一万七千四百でした」

 

 俺は、笑った。

 

「六百、違います」

「六百です」

「どこが違うんです」

「三の目です」

 

 彼は、言った。

 

「賭場の卓です」

 

 彼は、綴りを開かなかった。

 開く必要が、なかったのだ。

 

「あの卓の元本は、五十ターレン。二十年、待っています」

 

 彼は、俺を見た。

 

「四百八十二ターレン」

 

「わたしは、それを、ゼロで数えました」

 

 俺は、動かなかった。

 

「ゲルトは、二十年、卓を出しています」

 

 彼は言った。

 

「あの卓で、荷役が銭を落とす。落とした銭が、酒場に回る。酒場から、パン屋に回る」

 

 彼は、卓の縁を、指で撫でた。

 

「あの卓が消えたら、この街の銭の回りが、少し止まります」

 

「だから、取りません」

 

 彼は言った。

 

「取らないと決めたものを、帳簿に載せません」

 

 彼は、俺を見た。

 

「四百八十二は、ゼロです」

 

 俺は、しばらく、この男の顔を見ていた。

 

「ヴィントさん」

「はい」

「俺は、それを、四百八十二で数えました」

「知っています」

「なぜです」

「あなたは、取り立てるからです」

 

 部屋が、静かになった。

 窓が小さいので、暗い。

 

「取り立てません」

 

 俺は言った。

 

「取り立てます」

 

 彼は、言った。

 

「いつか、必ず」

 

 彼は、俺を見た。

 

「あなたが、そう言ったそうですね。ヨナスに」

 

 俺は、動かなかった。

 ——罠は、便利です。書いておけば、いつか助かる。助かった日に、俺は、書いてよかったと思う。

 ——思った日から、俺は、あの男になります。

 俺は、それを、宿の机で言った。

 ヨナスに、言った。

 

「あの男は、あなたのところにいます」

 

 ヴィントは言った。

 

「あなたの紙を、清書しています」

 

 彼は、指を組んだ。

 

「わたしの番頭は、三十年、わたしの紙を清書しました」

 

 俺は、この男を見た。

 

「ハーゼルさん」

「はい」

「——わたしは、あなたです」

 

 彼は、俺の父の紙から、指を離した。

 

「三十年前、わたしは、この街でいちばん速い新参でした」

 

 彼は言った。

 

「綴りを数えました。誰も数えないものに、値をつけました」

 

 彼は、椅子に背を預けた。

 

「そして、四つ目を書きました」

 

「五十に一つの目に、罠を書いた」

 

 彼は言った。

 

「便利だったからです」

 

 彼は、俺を見た。

 

「あなたは、まだ、書いていない」

 

 彼は言った。

 

「二百通、ヨナスが読みました。四つ目は、一つもなかった」

 

 彼は、卓に手を置いた。

 

「——何年、書かずにいられますか」

 

 

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