「何年、書かずにいられますか」
俺は、その問いを、しばらく持っていた。
答えは、一つしかない。
「分かりません」
ヴィントは、頷いた。
頷いて、何も言わなかった。
「一年半前に、俺は書きかけました」
俺は言った。
「北の村が飢える。紙を出せば、救える。規則を破れば、救える」
俺は、卓に手を置いた。
「今回だけだ、と言いました」
「止まりましたか」
「止められました」
「誰にです」
「金貸しのマイヤーです」
俺は、この男を見た。
「俺が潰れると、儲かる男です」
ヴィントの指が、また、止まった。
「……その男に、帳面を見せているのですか」
「月に一度」
「あなたが規則を破ったら」
「街に触れを出させます」
「触れが出れば、あなたは終わる」
「終わります」
俺は、椅子に背を預けた。
「俺を止められるのは、俺が潰れて得をする奴だけです」
部屋が、静かだった。
窓が小さい。暗い。
ヴィントは、長いこと、動かなかった。
「わたしには」
彼は、言った。
「そういう男が、いませんでした」
「三十年前、この部屋には、わたししかいなかった」
彼は言った。
「フォーゲルは、わたしの紙を清書しました。読みました。読んで、何も言わなかった」
彼は、卓を撫でた。
「あの男は、わたしを止められる立場にいた」
「止めませんでした」
「なぜです」
「わたしが儲かると、あの男も儲かるからです」
俺は、動かなかった。
——俺の周りにいる人間は、全員、俺が儲かると儲かる。
——だから、全員、使えない。
俺は、それを、三年前に数えた。
この男は、三十年、数えなかった。
「ヴィントさん」
俺は言った。
「二百七十通を、売ってください」
彼は、俺を見た。
「一万八千ターレンで」
「持っていませんね」
「持っていません」
「四千です。全部売って、七千」
「七千です」
俺は、頷いた。
「一万一千、足りません」
「では、なぜ言うのです」
「買うと言ったんじゃない」
俺は言った。
「売ってくれと言ったんです」
俺は、上着から、紙を出した。
二百七十枚のうちの、一枚だ。
ヨナスが清書した。
卓に、置いた。
——三の目、ゲルト。
——元本、五十ターレン。二十年、待つ。
——現在の元利、四百八十二ターレン。
——四つ目が動く見込み、五十に一つ。
——四つ目の値、九ターレンと十グロート。
ヴィントは、その紙を見た。
見て、動かなかった。
「四百八十二を、五十で割った」
彼は、言った。
「九ターレン六十四グロート。……九ターレンと十グロートで、少し安い」
「安いです」
俺は、頷いた。
「取り立てない見込みを、少し入れました」
ヴィントは、紙を、指で押さえた。
「ハーゼルさん」
「はい」
「これは、なんです」
「四つ目の、値段です」
「ゲルトは、四百八十二借りています」
俺は言った。
「これは、消えません。借りたものは、返す。当たり前です」
俺は、指を一本立てた。
「消えないものに、俺は手を出しません」
「ですが、四つ目は、別です」
俺は言った。
「四つ目が動けば、四百八十二が、九百に膨らむ。千八百に膨らむ」
俺は、二本目を立てた。
「動く見込みは、五十に一つ」
「五十に一つの目に、俺が値をつけました」
俺は言った。
「九ターレンと十グロート」
「ゲルトは、それを、俺に払います」
俺は、三本目を立てた。
「払えば、四つ目が動いたとき、膨らんだ分は、俺が払う」
俺は、手を開いた。
「——四つ目を、俺が引き受けます」
部屋は、静かだった。
ヴィントは、紙を見ていた。
長いこと、見ていた。
「二百七十軒から」
彼は、やっと言った。
「一軒あたり、九ターレンから、百ターレン」
「締めて、三千七百ターレンです」
俺は言った。
「二百七十軒が、俺に払います」
「あなたの手元は」
「四千あります」
「合わせて、七千七百」
ヴィントは、卓の上で手を組んだ。
「四つ目が動いたら、いくら払うのです」
俺は、この男を見た。
「二百七十軒の元利は、締めて一万八千です」
俺は言った。
「三年、豊作が続けば、山は倍になります」
俺は、指を折った。
「膨らむのは、一万八千」
部屋は、静かだった。
「七千七百で、一万八千を払うのですね」
「払えません」
「足りませんね」
「足りません」
「一万八千は、要らんのですね」
「要りません」
俺は言った。
「四つ目を買うのに、元本は要りません」
「元本は、あんたのものです。ゲルトは、あんたに返す。二十年でも、三十年でもかけて」
俺は、椅子から立った。
「俺が買うのは、五十に一つの目だけです」
ヴィントは、動かなかった。
「危険を、割ったのですか」
彼は、聞いた。
「割りました」
俺は、頷いた。
「二百七十軒の四つ目は、同じ日には動きません。豊作は、街全体に来る」
俺は、首を振った。
「いや。同じ日に動きます。豊作は、街全体に来る」
「では、割れていない」
「割れていません」
俺は、卓に手を置いた。
「割れないものを、俺が引き受けます」
俺は言った。
「三年、豊作が続いたら、俺は、二百七十軒ぶんの膨らみを払います」
俺は、この男を見た。
「払えません」
「そのときは、俺が潰れます」
俺は言った。
「二百七十軒は、潰れません」
俺は、上着の襟を直した。
「一軒が潰れるのと、二百七十軒が潰れるのと」
「どっちが安いですか」
アルノー・ヴィントは、俺を見ていた。
六十を越えた、目立たない男だ。
三十年前、この街でいちばん速い新参だった男だ。
この男は、卓の上の紙を、俺のほうへ押した。
「値が、安い」
彼は、言った。
「九ターレンと十グロートでは、あなたが損をします」
彼は、椅子から立った。
「十ターレンにしなさい」