髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第四十五話 五十に一つの目

 

「何年、書かずにいられますか」

 俺は、その問いを、しばらく持っていた。

 答えは、一つしかない。

 

「分かりません」

 

 ヴィントは、頷いた。

 頷いて、何も言わなかった。

 

「一年半前に、俺は書きかけました」

 

 俺は言った。

 

「北の村が飢える。紙を出せば、救える。規則を破れば、救える」

 

 俺は、卓に手を置いた。

 

「今回だけだ、と言いました」

「止まりましたか」

「止められました」

「誰にです」

「金貸しのマイヤーです」

 

 俺は、この男を見た。

 

「俺が潰れると、儲かる男です」

 

 ヴィントの指が、また、止まった。

 

「……その男に、帳面を見せているのですか」

「月に一度」

「あなたが規則を破ったら」

「街に触れを出させます」

「触れが出れば、あなたは終わる」

「終わります」

 

 俺は、椅子に背を預けた。

 

「俺を止められるのは、俺が潰れて得をする奴だけです」

 

 部屋が、静かだった。

 窓が小さい。暗い。

 ヴィントは、長いこと、動かなかった。

 

「わたしには」

 

 彼は、言った。

 

「そういう男が、いませんでした」

「三十年前、この部屋には、わたししかいなかった」

 

 彼は言った。

 

「フォーゲルは、わたしの紙を清書しました。読みました。読んで、何も言わなかった」

 

 彼は、卓を撫でた。

 

「あの男は、わたしを止められる立場にいた」

「止めませんでした」

「なぜです」

「わたしが儲かると、あの男も儲かるからです」

 

 俺は、動かなかった。

 ——俺の周りにいる人間は、全員、俺が儲かると儲かる。

 ——だから、全員、使えない。

 俺は、それを、三年前に数えた。

 この男は、三十年、数えなかった。

 

「ヴィントさん」

 

 俺は言った。

 

「二百七十通を、売ってください」

 

 彼は、俺を見た。

 

「一万八千ターレンで」

「持っていませんね」

「持っていません」

「四千です。全部売って、七千」

「七千です」

 

 俺は、頷いた。

 

「一万一千、足りません」

「では、なぜ言うのです」

 

「買うと言ったんじゃない」

 

 俺は言った。

 

「売ってくれと言ったんです」

 

 俺は、上着から、紙を出した。

 二百七十枚のうちの、一枚だ。

 ヨナスが清書した。

 卓に、置いた。

 

 ——三の目、ゲルト。

 ——元本、五十ターレン。二十年、待つ。

 ——現在の元利、四百八十二ターレン。

 ——四つ目が動く見込み、五十に一つ。

 ——四つ目の値、九ターレンと十グロート。

 

 ヴィントは、その紙を見た。

 見て、動かなかった。

 

「四百八十二を、五十で割った」

 

 彼は、言った。

 

「九ターレン六十四グロート。……九ターレンと十グロートで、少し安い」

「安いです」

 

 俺は、頷いた。

 

「取り立てない見込みを、少し入れました」

 

 ヴィントは、紙を、指で押さえた。

 

「ハーゼルさん」

「はい」

「これは、なんです」

「四つ目の、値段です」

「ゲルトは、四百八十二借りています」

 

 俺は言った。

 

「これは、消えません。借りたものは、返す。当たり前です」

 

 俺は、指を一本立てた。

 

「消えないものに、俺は手を出しません」

「ですが、四つ目は、別です」

 

 俺は言った。

 

「四つ目が動けば、四百八十二が、九百に膨らむ。千八百に膨らむ」

 

 俺は、二本目を立てた。

 

「動く見込みは、五十に一つ」

「五十に一つの目に、俺が値をつけました」

 俺は言った。

 

「九ターレンと十グロート」

 

「ゲルトは、それを、俺に払います」

 

 俺は、三本目を立てた。

 

「払えば、四つ目が動いたとき、膨らんだ分は、俺が払う」

 

 俺は、手を開いた。

 

「——四つ目を、俺が引き受けます」

 

 部屋は、静かだった。

 ヴィントは、紙を見ていた。

 長いこと、見ていた。

 

「二百七十軒から」

 

 彼は、やっと言った。

 

「一軒あたり、九ターレンから、百ターレン」

「締めて、三千七百ターレンです」

 

 俺は言った。

 

「二百七十軒が、俺に払います」

「あなたの手元は」

「四千あります」

「合わせて、七千七百」

 

 ヴィントは、卓の上で手を組んだ。

 

「四つ目が動いたら、いくら払うのです」

 

 俺は、この男を見た。

 

「二百七十軒の元利は、締めて一万八千です」

 

 俺は言った。

 

「三年、豊作が続けば、山は倍になります」

 

 俺は、指を折った。

 

「膨らむのは、一万八千」

 

 部屋は、静かだった。

 

「七千七百で、一万八千を払うのですね」

「払えません」

「足りませんね」

「足りません」

「一万八千は、要らんのですね」

「要りません」

 

 俺は言った。

 

「四つ目を買うのに、元本は要りません」

 

「元本は、あんたのものです。ゲルトは、あんたに返す。二十年でも、三十年でもかけて」

 

 俺は、椅子から立った。

 

「俺が買うのは、五十に一つの目だけです」

 

 ヴィントは、動かなかった。

 

「危険を、割ったのですか」

 

 彼は、聞いた。

 

「割りました」

 

 俺は、頷いた。

 

「二百七十軒の四つ目は、同じ日には動きません。豊作は、街全体に来る」

 

 俺は、首を振った。

 

「いや。同じ日に動きます。豊作は、街全体に来る」

 

「では、割れていない」

 

「割れていません」

 

 俺は、卓に手を置いた。

 

「割れないものを、俺が引き受けます」

 

 俺は言った。

 

「三年、豊作が続いたら、俺は、二百七十軒ぶんの膨らみを払います」

 

 俺は、この男を見た。

 

「払えません」

「そのときは、俺が潰れます」

 

 俺は言った。

 

「二百七十軒は、潰れません」

 

 俺は、上着の襟を直した。

 

「一軒が潰れるのと、二百七十軒が潰れるのと」

 

 

「どっちが安いですか」

 

アルノー・ヴィントは、俺を見ていた。

 六十を越えた、目立たない男だ。

 三十年前、この街でいちばん速い新参だった男だ。

 この男は、卓の上の紙を、俺のほうへ押した。

 

「値が、安い」

 

 彼は、言った。

 

「九ターレンと十グロートでは、あなたが損をします」

 

 彼は、椅子から立った。

 

「十ターレンにしなさい」

 

 

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