髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第四十六話 値が、ついた

 

「十ターレンにしなさい」

 

 俺は、その言葉を、しばらく持っていた。

 

「なぜです」

 

 アルノー・ヴィントは、窓のほうを向いていた。

 小さい窓だ。外は、ほとんど見えない。

 

「あなたは、取り立てない見込みを、値に入れました」

 

 彼は言った。

 

「わたしが取り立てない、という見込みです」

 

 彼は、俺を見なかった。

 

「それは、わたしの善意を、勘定に入れたということです」

「善意に、値をつけてはいけません」

 

 彼は言った。

 

「善意は、変わります」

 

 彼は、窓に手を置いた。

 

「わたしは、六十四です。あと十年、生きるかどうか」

 

「わたしが死んだら、誰が取り立てますか」

 

 俺は、動かなかった。

 

「二百七十通は、遺産になります」

 

 彼は言った。

 

「わたしの息子に行きます。あるいは、売られます」

 

 彼は、振り返った。

 

「買った男が、取り立てないと、なぜ言えますか」

「言えません」

 

「十ターレンです」

 

 彼は、言った。

 

「取り立てる前提で、値をつけなさい」

 

 彼は、椅子に座った。

 

「善意は、割れません」

 

 俺は、その言葉を、頭の中に置いた。

 ——数え違いは、割れない。

 ——善意も、割れない。

 どちらも、一人のものだ。

 一人のものは、その一人が死ねば、消える。

 俺は、紙を取った。

 九ターレン十グロートを、消した。

 十ターレン、と書いた。

 ヴィントは、それを見ていた。

 

「ハーゼルさん」

「はい」

「二百七十軒を、回るのですか」

「回ります」

「一軒ずつ」

「一軒ずつ」

「読ませます」

 

 俺は言った。

 

「四つ目を、読ませます。字が読めない者には、俺が読みます」

 

 俺は、紙を懐に入れた。

 

「読んだ上で、買うかどうか、決めてもらいます」

「買わない者も、出ます」

「出ます」

「そのとき、その者は、罠を抱えたままです」

「抱えたままです」

「止めないのですか」

「止めません」

 俺は、椅子から立った。

「読ませます。それだけです」

 

 俺は、扉のほうへ歩いた。

 歩いて、足を止めた。

 

「ヴィントさん」

「はい」

「一つ、伺っていいですか」

「なぜ、俺に売るんです」

 

 部屋は、暗かった。

 窓が小さい。

 アルノー・ヴィントは、卓に向かっていた。

 

「六十四です」

 

 彼は、言った。

 

「三十年前、わたしは、あの綴りを読みました」

 

 彼は言った。

 

「読んで、数えて、四つ目を書きました」

 

 彼は、指を組んだ。

 

「便利でした」

 

「二百七十軒が、わたしの言うことを聞きます」

 

 彼は言った。

 

「参事会の七人が、わたしに借りています。わたしは、手を挙げなくていい」

 

 彼は、卓を撫でた。

 

「この街は、静かです」

 

「三十年、静かでした」

 

 彼は、顔を上げた。

 

「静かすぎました」

 

 俺は、扉の前で、動かなかった。

 

「誰も、わたしに逆らいません」

 

 彼は言った。

 

「逆らわないから、誰も、わたしの数え違いを見つけません」

 

 彼は、俺を見た。

 

「三十年、一度も、指摘されていません」

 

「三十年、一度も、数え違えなかったと思いますか」

 

 俺は、何も言わなかった。

 

「わたしは、数え違えました」

 

 彼は言った。

 

「何度も。何十回も」

 

 彼は、卓の縁を掴んだ。

 

「誰も、教えてくれなかった」

 

 俺は、扉に手をかけた。

 

「ヴィントさん」

「はい」

「俺が、教えます」

 

「あんたの見立ては、一万七千四百でした」

 

 俺は言った。

 

「六百、違いました」

 

 俺は、この男を見た。

 

「あんたが、間違えてました」

 

 アルノー・ヴィントは、動かなかった。

 それから。

 この男は、笑った。

 声を出して、笑った。

 俺は、その笑い方を、初めて聞いた。

 

              ◆

 

 二百七十軒を回るのに、四月かかった。

 俺は、一軒ずつ、四つ目を読んだ。

 字の読めない者には、読んでやった。

 豊作の年は返済を待つ。

 待った分は元本に足される。

 三年続けば、山は倍になる。

 二百年で、四度あった。

 五十に、一つだ。

 読み終わってから、俺は、こう言った。

 

「その五十に一つを、俺が引き受けます」

 

 俺は言った。

 

「値は、書いてある通りです。あんたの場合は、十ターレン」

 

 俺は、紙を渡した。

 

「払えば、豊作が三年続いても、膨らんだ分は俺が払います」

 

「払わなくても、いい」

 

 俺は言った。

 

「五十に一つです。払わないのも、正しい」

 

 二百七十軒のうち、二百三十一軒が、買った。

 三十九軒は、買わなかった。

 買わなかった三十九軒のうち、七軒は、こう言った。

 ——五十に一つなら、要らん。

 俺は、頷いた。

 正しい。

 その七軒は、たぶん、この街で一番、数が読める。

 残りの三十二軒は、こう言った。

 ——あんたが信じられん。

 俺は、それにも、頷いた。

 

「正しいです」

 

 俺は言った。

 

「俺は、三年前、荷役でした」

 

 集まった金は、三千二百ターレン。

 俺は、それを、氷室の奥に置いた。

 使わない。

 商いに回さない。

 豊作が三年続いた日に、払う金だ。

 マイヤーが、月に一度、それを数えに来る。

 

「三千二百」

 

 彼は、言う。

 

「合ってる」

 

 その冬、ゲルトが、卓を拭きながら、こう言った。

 

「兄さん」

「なんです」

「わしは、まだ四百八十二借りとる」

「借りてます」

「二十年でも、三十年でも、かけて返す」

「返してください」

 

 彼は、布を絞った。

 

「だが、もう、飼われとらん」

 

 俺は、麦酒を飲んだ。

 その春の参事会で、俺の紙を禁じた布告が、廃された。

 九対三で、廃された。

 三年前、九対三で、通った布告だ。

 あのとき賛成した九人のうち、六人が、ヴィント商会に借りていた。

 六人とも、四つ目を、俺から買っていた。

 アルノー・ヴィントは、その日も、手を挙げなかった。

 挙げる必要が、なかったのだ。

 

 

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