「十ターレンにしなさい」
俺は、その言葉を、しばらく持っていた。
「なぜです」
アルノー・ヴィントは、窓のほうを向いていた。
小さい窓だ。外は、ほとんど見えない。
「あなたは、取り立てない見込みを、値に入れました」
彼は言った。
「わたしが取り立てない、という見込みです」
彼は、俺を見なかった。
「それは、わたしの善意を、勘定に入れたということです」
「善意に、値をつけてはいけません」
彼は言った。
「善意は、変わります」
彼は、窓に手を置いた。
「わたしは、六十四です。あと十年、生きるかどうか」
「わたしが死んだら、誰が取り立てますか」
俺は、動かなかった。
「二百七十通は、遺産になります」
彼は言った。
「わたしの息子に行きます。あるいは、売られます」
彼は、振り返った。
「買った男が、取り立てないと、なぜ言えますか」
「言えません」
「十ターレンです」
彼は、言った。
「取り立てる前提で、値をつけなさい」
彼は、椅子に座った。
「善意は、割れません」
俺は、その言葉を、頭の中に置いた。
——数え違いは、割れない。
——善意も、割れない。
どちらも、一人のものだ。
一人のものは、その一人が死ねば、消える。
俺は、紙を取った。
九ターレン十グロートを、消した。
十ターレン、と書いた。
ヴィントは、それを見ていた。
「ハーゼルさん」
「はい」
「二百七十軒を、回るのですか」
「回ります」
「一軒ずつ」
「一軒ずつ」
「読ませます」
俺は言った。
「四つ目を、読ませます。字が読めない者には、俺が読みます」
俺は、紙を懐に入れた。
「読んだ上で、買うかどうか、決めてもらいます」
「買わない者も、出ます」
「出ます」
「そのとき、その者は、罠を抱えたままです」
「抱えたままです」
「止めないのですか」
「止めません」
俺は、椅子から立った。
「読ませます。それだけです」
俺は、扉のほうへ歩いた。
歩いて、足を止めた。
「ヴィントさん」
「はい」
「一つ、伺っていいですか」
「なぜ、俺に売るんです」
部屋は、暗かった。
窓が小さい。
アルノー・ヴィントは、卓に向かっていた。
「六十四です」
彼は、言った。
「三十年前、わたしは、あの綴りを読みました」
彼は言った。
「読んで、数えて、四つ目を書きました」
彼は、指を組んだ。
「便利でした」
「二百七十軒が、わたしの言うことを聞きます」
彼は言った。
「参事会の七人が、わたしに借りています。わたしは、手を挙げなくていい」
彼は、卓を撫でた。
「この街は、静かです」
「三十年、静かでした」
彼は、顔を上げた。
「静かすぎました」
俺は、扉の前で、動かなかった。
「誰も、わたしに逆らいません」
彼は言った。
「逆らわないから、誰も、わたしの数え違いを見つけません」
彼は、俺を見た。
「三十年、一度も、指摘されていません」
「三十年、一度も、数え違えなかったと思いますか」
俺は、何も言わなかった。
「わたしは、数え違えました」
彼は言った。
「何度も。何十回も」
彼は、卓の縁を掴んだ。
「誰も、教えてくれなかった」
俺は、扉に手をかけた。
「ヴィントさん」
「はい」
「俺が、教えます」
「あんたの見立ては、一万七千四百でした」
俺は言った。
「六百、違いました」
俺は、この男を見た。
「あんたが、間違えてました」
アルノー・ヴィントは、動かなかった。
それから。
この男は、笑った。
声を出して、笑った。
俺は、その笑い方を、初めて聞いた。
◆
二百七十軒を回るのに、四月かかった。
俺は、一軒ずつ、四つ目を読んだ。
字の読めない者には、読んでやった。
豊作の年は返済を待つ。
待った分は元本に足される。
三年続けば、山は倍になる。
二百年で、四度あった。
五十に、一つだ。
読み終わってから、俺は、こう言った。
「その五十に一つを、俺が引き受けます」
俺は言った。
「値は、書いてある通りです。あんたの場合は、十ターレン」
俺は、紙を渡した。
「払えば、豊作が三年続いても、膨らんだ分は俺が払います」
「払わなくても、いい」
俺は言った。
「五十に一つです。払わないのも、正しい」
二百七十軒のうち、二百三十一軒が、買った。
三十九軒は、買わなかった。
買わなかった三十九軒のうち、七軒は、こう言った。
——五十に一つなら、要らん。
俺は、頷いた。
正しい。
その七軒は、たぶん、この街で一番、数が読める。
残りの三十二軒は、こう言った。
——あんたが信じられん。
俺は、それにも、頷いた。
「正しいです」
俺は言った。
「俺は、三年前、荷役でした」
集まった金は、三千二百ターレン。
俺は、それを、氷室の奥に置いた。
使わない。
商いに回さない。
豊作が三年続いた日に、払う金だ。
マイヤーが、月に一度、それを数えに来る。
「三千二百」
彼は、言う。
「合ってる」
その冬、ゲルトが、卓を拭きながら、こう言った。
「兄さん」
「なんです」
「わしは、まだ四百八十二借りとる」
「借りてます」
「二十年でも、三十年でも、かけて返す」
「返してください」
彼は、布を絞った。
「だが、もう、飼われとらん」
俺は、麦酒を飲んだ。
その春の参事会で、俺の紙を禁じた布告が、廃された。
九対三で、廃された。
三年前、九対三で、通った布告だ。
あのとき賛成した九人のうち、六人が、ヴィント商会に借りていた。
六人とも、四つ目を、俺から買っていた。
アルノー・ヴィントは、その日も、手を挙げなかった。
挙げる必要が、なかったのだ。