髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第四十七話 ハーゼル

 

 名前は、売り物ではない。

 俺は、それを、三年前に言った。

 ——親父の名前を、あんたらから買い戻すわけにはいかない。

 ——あれは、あんたらが取ったものだ。取ったものを売り返してもらうのは、商売じゃない。

 ——物乞いだ。

 俺は、それを、ヴィント商会の玄関で言った。

 言って、笑って、帰った。

 三年、俺はハーゼルと名乗ってきた。

 カイ・ハーゼル。

 それは、俺の名だ。

 だが、ハーゼル商会は、この街に存在しない。

 十二年前に消えた。

 参事会の商会の綴りから、名前が消されている。

 消したのは、掟だ。

 商会が潰れると、名が消える。

 二百年、そうしてきた。

 

              ◆

 

 俺は、市庁舎の書記室に行った。

 ヴィルムが、椅子を出した。

 

「小僧」

「ヴィルムさん」

「商会の綴りだな」

「なぜ、分かるんです」

 

 老人は、綴りを持ってきた。

 埃を、払わなかった。

 もう、埃は、ついていなかった。

 

「毎日、拭いとる」

 

 彼は、言った。

 

「三年、拭いとる」

 

 俺は、その綴りを開いた。

 ハーゼル商会。

 三代。穀物と塩。

 十二年前、抹消。

 抹消の下に、線が引いてある。

 誰が引いたのか、書いていない。

 

「ヴィルムさん」

「なんだ」

「新しい商会を、起こせますか」

「起こせる」

 

 彼は、言った。

 

「参事会に届けを出せばいい。名は、なんでもいい」

「ハーゼル商会は」

「使えん」

 

 彼は、綴りを叩いた。

 

「抹消された名だ。二百年、掟でそうなっとる」

 

 彼は、俺を見なかった。

 

「潰れた名は、二度と使えん」

「なぜです」

「潰れた商会の名を、別の男が使ったら、客が騙される」

 

 彼は、言った。

 

「借金も、名についてくる。名を継げば、借金も継ぐ」

 

 俺は、その言葉を、頭の中に置いた。

 

「借金は、いくら残ってます」

 

 ヴィルムは、俺を見た。

 

「小僧」

「はい」

「お前の親父の商会は、全部返しとる」

 

 俺は、動かなかった。

 

「倉も、船も、家も、全部取られた」

 

 彼は、言った。

 

「取られて、売られて、それで足りた」

 

 彼は、綴りをめくった。

 

「借金は、ゼロだ。十二年前に、ゼロになっとる」

 

 俺は、綴りを見た。

 ハーゼル商会。

 負債、皆済。

 その下に、判が押してある。

 ヴィント商会。

 

「なら、なぜ使えないんです」

 

 俺は、言った。

 

「借金がないなら、客は騙されない」

 

 俺は、綴りを叩いた。

 

「なぜ、使えないんです」

 ヴィルムは、答えなかった。

 

「掟に、書いてあるからだ」

 

 彼は、やっと言った。

 

「二百年、そうだ」

「掟に、書いてある」

 

 俺は、繰り返した。

 

「理由は、書いてありますか」

 

 老人は、綴りを閉じた。

 閉じて、しばらく、動かなかった。

 

「……書いとらん」

 

 俺は、参事会に届けを出した。

 

 ——ハーゼル商会の再興を、願い出る。

 ——負債は、十二年前に皆済されている。

 ——皆済の判は、ヴィント商会。

 ——騙される客は、一人もいない。

 

 大広間に、椅子が並んだ。

 参事会が十二人。傍聴に、大商会の当主。

 五度目だ。

 俺は、真ん中に立った。

 立たされている、のではない。

 立っている。

 参事会長のヘルダーが、届けを持ち上げた。

 

「抹消された商会の名は、使えん」

 

 彼は、言った。

 

「掟だ」

「理由を、お聞かせください」

 

 俺は、言った。

 

「客が騙されるからだ」

「借金は、ゼロです」

「……そうだが」

「騙される客が、一人でもいますか」

 

 ヘルダーは、書付を見た。

 それから、隣を見た。

 隣が、その隣を見た。

 誰も、答えなかった。

 

「では、なぜ、その掟があるんです」

 

 俺は、言った。

 

「二百年、誰も聞かなかったからです」

 

 俺は、広間を見回した。

 

「潰れた商会の名は、消える」

 

 俺は言った。

 

「消えれば、誰も思い出さない。思い出さなければ、なぜ潰れたかも、思い出さない」

 

 俺は、指を一本立てた。

 

「二百年で、この街から、何軒の商会が消えましたか」

 

 誰も、答えなかった。

 

「千四百三十二軒です」

 

 俺は言った。

 

「書記室の綴りに、書いてあります。誰でも読めます」

 

 俺は、指を折った。

 

「千四百三十二軒が消えて、名前も消えました」

 

「なぜ潰れたかは、どこにも書いてありません」

 

 俺は、広間の中央で、上着の内から紙を出した。

 十二年前の日付。

 父の判。

 条項は七つ。

 四つ目に、罠がある。

 俺は、それを、卓の上に置いた。

 

「ハーゼル商会は、これで潰れました」

 

 俺は言った。

 

「四つ目です。豊作の年は返済を待つ。待った分は元本に足される」

 

 俺は、紙を指で押さえた。

 

「三年、豊作が続きました。二百年で、四度しかないことです」

 

「父は、読みました」

 

 俺は言った。

 

「読んで、判を押した。数えなかっただけです」

 

「嘘は、一つもありません」

 俺は、広間を見回した。

 

「書いた男は、隠していない。全部、紙にあります」

 

 俺は、顔を上げた。

 

「読まなかったのは、こっちです」

 

 広間は、静かだった。

 

「名前を、残してください」

 

 俺は言った。

 

「ハーゼル商会は、四つ目で潰れました。それを、この街が覚えていられるように」

 

 俺は、紙を、卓の上に残した。

 

「消えた名は、教訓になりません」

 

 傍聴の席で、アルノー・ヴィントが、立ち上がった。

 

「発言を、お許しいただきたい」

 

 ヘルダーが、頷いた。

 この男は、卓のほうへ歩いた。

 俺の隣に立った。

 そして、父の紙を、指で押さえた。

 

「これを書いたのは、わたしです」

 

 広間が、ざわついた。

 

「四つ目を、書きました」

 

 彼は言った。

 

「三十年前、市庁舎の書記室で、二百年ぶんの綴りを読みました」

 

 彼は、俺を見なかった。

 

「豊作が三年続く見込みは、五十に一つです」

 

「五十に一つの目に、罠を書きました」

 

「便利だったからです」

 

 彼は、顔を上げた。

 

「二百七十軒に、同じ紙で貸しました」

 

 彼は言った。

 

「この広間の、七人にも」

 

 参事会の席が、崩れた。

 

「ハーゼル商会の再興に、賛成します」

 

 彼は、言った。

 

「そして、掟を一つ、変えていただきたい」

 

 彼は、俺の父の紙を、卓の中央に置いた。

 

「——潰れた商会の名は、綴りに残す」

              ◆

「なぜ潰れたかを、書き添えて」

 

 

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