髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第四十八話 一万五千

 

 王令が出たのは、その年の秋だった。

 ——王令、第二十号。

 ——監査官の職に関する条項の、四を、以下の通り改める。

 ——監査官は、王の命により、これを解く。

 ——解かれたる監査官は、解任の日より三十日を経て、その数えたるところを、公に告ぐることを得。

 俺は、その紙を、三度読んだ。

 三度読んでも、同じことが書いてあった。

 俺は、紙を裏返した。

 裏には、何も書いていなかった。

 俺は、しばらく、白い裏を見ていた。

 三十日。

 解かれてから、三十日で、俺は数えたものを言える。

 三十日は、逃げる時間だ。

 あるいは——三十日で殺す時間だ。

 どちらでもいい。

 二十九年前の監査官には、その三十日が、なかった。

 持ってきたのは、ヴェルナーだった。

 三年で、この男は、ずいぶん痩せた。

 背は、まだ高い。姿勢も、まだいい。

 

「通ったんですね」

「通った」

「王が、判を押した」

「押された」

 

 俺は、椅子を勧めた。

 この男は、座らなかった。

 

「ヴェルナーさん」

「なんだ」

「王は、なぜ押したんです」

 

 ヴェルナーは、答えなかった。

 俺は、紙を卓に置いた。

 

「三年前、宰相閣下は、こう仰いました」

 

 俺は言った。

 

「王は、この国が死んでいることを知りません」

 

 俺は、指で紙を叩いた。

 

「知らない王が、なぜ、自分の帳簿を公にする掟に、判を押すんです」

 

 ヴェルナーは、窓のほうを見ていた。

 

「押す理由が、あった」

 

 彼は、言った。

 

「何です」

 

 彼は、答えなかった。

 

「ヴェルナーさん」

「……」

「この王令は、いくらでした」

 

 この男の背が、初めて、曲がった。

 四十年、宮廷で使者を務めてきた男だ。

 王命を読み上げて、書類を書いて、数字を伏せてきた男だ。

 その背が、曲がった。

 

「王女殿下が」

 

 彼は、言った。

 

「北の、フリースラント公国に、輿入れなさる」

 

 俺は、動かなかった。

 

「来春だ」

 

 彼は、言った。

 

「議は、三月前に決まった。殿下が、自ら申し出られた」

 

 彼は、俺を見なかった。

 

「王は、渋られた。……渋られたが、支度金の額を聞いて、頷かれた」

 

 俺は、卓に手を置いた。

 

「支度金は」

 

 俺は、聞いた。

 声が、出た。

 出たと思う。

 

「一万五千ターレン」

 

 俺は、その数字を、頭の中に置いた。

 一万五千。

 一万五千二百五十。

 俺が数えた、この国の、一年の不足だ。

 俺は、それを、手紙に書いた。

 ——足りないのは、千ではありません。

 ——一万五千二百五十です。

 ——数え違いは、割れません。

 ——一人のものです。

 ——払ってください。

 俺は、卓の縁を掴んだ。

 掴んで、しばらく、動かなかった。

 

「殿下は」

 

 俺は、言った。

 

「殿下は、その額を、ご自分で出されたんですか」

「出された」

 

 ヴェルナーは、言った。

 

「フリースラント公は、一万ターレンと申し出た」

 

 彼は、窓を見ていた。

 

「殿下が、一万五千と仰った」

「値を、上げられた」

 

 俺は、椅子に座った。

 座らないと、立っていられなかった。

 ——あなたが値をつけたもんは、その値になる。

 ボリスが、そう言った。

 王都の宿の、藁の上で、天井を見ながら、そう言った。

 

 俺は、それを、褒め言葉だと思っていた。

 

 俺は、値をつけた。

 一万五千二百五十だと、書いて送った。

 その女は、自分に、その値をつけた。

 俺は、机に、両手をついた。

 

「ヴェルナーさん」

「なんだ」

「俺が、書きました」

 

 ヴェルナーは、俺を見た。

 

「不足の額を、俺が数えて、殿下に送りました」

 

 俺は言った。

 

「一年前です」

 

 俺は、顔を上げなかった。

 

「一万五千二百五十だと」

「払ってください、と書きました」

 

 部屋は、静かだった。

 ヴェルナーは、長いこと、動かなかった。

 

「ハーゼル」

 

 彼は、やっと言った。

 

「殿下は、九つの年から、数えておられた」

 

 彼は、言った。

 

「誰も、聞かなかった」

 

 彼は、俺を見た。

 

「十五年、誰も聞かなかった」

「そなたが、初めてだ」

「初めて、殿下の数えたものを、数え直した男だ」

 

 俺は、顔を上げた。

 

「それは、慰めですか」

「違う」

 

 彼は、首を振った。

 

「そなたは、殿下に、一人ではないと言った」

 

 俺は、しばらく、この男の顔を見ていた。

 窓の外は、港だ。

 荷役の松明が、動いている。

 俺は、立ち上がった。

 

「ヴェルナーさん」

「なんだ」

「一万五千ターレンは、一年ぶんです」

 俺は言った。

 

「この国は、毎年、一万五千足りない」

 

 俺は、卓の上の王令を、指で押さえた。

 

「殿下を売って、一年、しのぐ」

 

 俺は、顔を上げた。

 

「来年は、誰を売るんです」

 

 ヴェルナーは、答えなかった。

 答えないのが、答えだ。

 俺は、上着を取った。

 取って、しばらく、それを持っていた。

 王冠は、髑髏だ。

 かぶれば、死ぬ日を数えて生きることになる。

 割に合わない。

 俺は、そう言った。

 書庫で、そう言った。

 あの女は、笑わなかった。

 もう一度、と言った。

 俺は、もう一度、言った。

 ——割に、合いません。

 あの女は、目を閉じた。

 蝋燭が一本、短くなるまで、開けなかった。

 俺は、上着を着た。

 

「ヴェルナーさん」

「首輪を、つけます」

 

 

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