髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第五話 出目は一つしかない

 

 五十日の間に、俺は港で荷を担いだ。

 所持金がゼロだったからだ。数え違いの代金を全部払うと、こういうことになる。

 ボリスは何も言わなかった。言わずに、毎朝、隣で麻袋を担いだ。担ぎながら、たまに笑った。

 

「なんで笑うんだ」

「あんたが担いでるからだよ」

「悪いか」

「いいや」

 

 こいつは麻袋を肩に乗せ直した。

 

「二十ターレン持ってる男が、二十ターレン返して、こうしてる。悪いわけがない」

 

 五十日目、メーヴェは帰らなかった。

 五十五日目も、帰らなかった。

 「三の目」の卓は動いていたが、二十人のうち誰も賭けなかった。ゲルトが銭を受け取らなくなったからではない。誰も、賭ける気にならなかったからだ。

 拿捕された船の名前が、南から来る船のたびに港に貼り出される。

 六隻、七隻、九隻。

 メーヴェの名は、なかった。

 名がないのは、良い報せではない。沈んだ船の名は、誰も貼りに来ない。

 

              ◆

 

 六十一日目の朝、鐘が鳴った。

 入港の鐘だ。俺は麻袋を肩に乗せたまま、桟橋に走った。走ったのは、この三年で初めてだった。

 海鳥の形をした帆船が、灰色の海から出てきた。

 帆は破れていた。舷側に、焦げた跡が一つあった。

 だが、浮かんでいた。

 桟橋の上で、二十人が声を上げていた。ゲルトが誰かの肩を叩き、ボリスは俺の背中を叩いた。息が止まるかと思った。

 俺は、荷を確かめに行った。

 声を上げる前に、勘定を合わせるのが、俺の仕事だ。

 ドールスは老けていた。六十日で十歳ぶん老けるということが、この世にはあるらしい。

 

「南は、入れなかった」

 

 老人は言った。

 

「三つとも閉じていた。手前の岬で二日待った。他の船も待っていた。何隻かは、待ちきれずに突っ込んで、そのまま帰ってこん」

 

 俺は頷いた。

 

「あんたは、突っ込まなかった」

「わしは、あんたの紙を持っていた」

 

 老人は懐から紙を出した。俺が書いた、荷の権利を二十に割った紙だ。海水で膨らんで、判のところが滲んでいる。

 

「これに、判を押す日にな。あんたはこう言った。沈んでもわしの家は取られん、と。船と荷は失う。だが家は残る、と」

「言いました」

「だから、突っ込まなかった」

 

 老人は紙を懐に戻した。

 

「借りていたら、突っ込んどった。五割の利息を背負って戻れば、家も船も取られる。どうせ取られるなら、突っ込むしかない。……わしは、そういう男だ」

 

 俺は、何も言わなかった。

 言うことがなかったからではない。

 言うべきことが、多すぎたからだ。

 

              ◆

 

 それで、鉄はどうなったのか。

 ドールスは岬の手前の、封鎖されていない小さな港に入った。名も知られていない漁港だ。買い手などいない。

 いなかったはずだった。

 だが、その港に、南方諸市の兵站の男が来ていた。

 戦をしている国は、鉄を欲しがる。

 封鎖しているのは南方諸市自身であって、南方諸市が鉄を要らないという意味ではない。むしろ逆だ。港を閉じたから、鉄が入ってこない。入ってこないから、値が上がる。

 千ターレンの鉄は、二千二百ターレンで売れた。

 その夜、「三の目」は満員だった。

 卓の上に酒が並び、誰も賭けをしていなかった。ゲルトが樽ごと開けていた。二十人が、俺の名を呼んでいた。

 俺は卓に上がった。

 上がって、手を挙げた。静かになるまで、少し待った。

 

「まず、払いの話だ」

 

 声が上がった。

 

「一口十五ターレン。約束通りだ。ゲルトのところに置いてある。明日、取りに来い」

 

 歓声が上がった。

 

「十五だけだ」

 

 歓声が、少し止まった。

 

「二千二百で売れた。だが、あんたらが買ったのは十五ターレンの約束だ。二千二百でも、三千でも、十五だ」

 

 誰かが、それでいい、と言った。ゲルトだった。

 

「俺たちは、沈まねえほうに賭けたんだ。高く売れるほうに賭けたんじゃねえ」

 

 俺は、この男の値段を、また少し上げた。

 

              ◆

 

「次に、俺の話だ」

 

 卓の上に立ったまま、俺は言った。

 

「俺は今日、いい賭けを組んだ男ってことになってる。違う」

 

 誰かが笑った。謙遜だと思ったのだ。

 

「俺は二つ、数え違えた」

 

 笑いが止まった。

 

「一つ目は、封鎖だ。俺は十のうち一つ沈むと数えた。本当は、十のうち四つだった。これは前に言った」

 

 俺は指を一本立てた。

 

「二つ目は、鉄の値だ」

 

 二本目を立てた。

 

「封鎖されれば、鉄は入らない。入らなければ、値は上がる。閉じた港の向こうでは、鉄は高い。当たり前の話だ。俺は、それを数えなかった」

 

 卓の周りが、静かになっていた。

 

「俺は危険を低く見て、値も低く見た。二つ間違えた。二つ間違えて、儲かった」

 

 俺はジョッキを取って、一度、揺らした。

 

「賽の目は、六分の一で七が出る。だが振れば、出目は一つしかない。今日は七が出た。それだけだ」

 

 俺は酒を飲んだ。

 

「——これは俺の手柄じゃない」

 

 誰も、何も言わなかった。

 三十人が、俺を見上げていた。

 ボリスだけが、卓の下で笑っていた。

 

              ◆

 

 ドールスは、上乗せを払うと言った。

 二千二百で売れたのだから、二十人にもう少し払わせてくれ、と。

 俺は断った。

 

「約束は十五です」

「だがな」

「約束を超えて払う男は、いつか約束を下回って払う」

 

 俺は首を振った。

 

「あんたはそうしない。俺は知ってる。だが、この街の誰かがそれを見て、真似をする。そいつは、いい年には上乗せして、悪い年には値切る。そして、値切られたほうが泣く」

 

 俺は老人の目を見た。

 

「約束は、いい年にこそ守るもんです」

 

 ドールスは、しばらく黙っていた。

 それから、こう言った。

 

「では、次の航海だ」

「次?」

「二十口。あの二十人に、先に買わせてくれ。他の誰よりも先に」

 

 俺は、少し考えた。

 それは約束を壊さない。払いを変えるのではなく、次の順番を渡すだけだ。

 

「いいでしょう」

 

              ◆

 

 翌日から、俺のところに人が来た。

 船主が四人、荷主が七人、それから金貸しのマイヤー。

 皆、同じことを聞きに来た。二十に割るというのは、どうやるのか。

 俺は椅子に座って、一人ずつ、話を聞いた。

 船の名を聞き、行き先を聞き、荷を聞き、季節を聞いた。それから港の書記の綴りを引いて、その航路が過去に何隻出て、何隻帰らなかったかを数えた。

 数えて、値をつけた。

 値をつけるたびに、口銭が入った。

 一月で、俺の手元には百八十ターレンあった。

 荷役の日銭で、四年ぶんだ。

 マイヤーは、金を出すと言ってきた。

 

「八十九隻から集める、ってやつだ」

「利息は」

「一割五分」

 

 俺は笑った。

 

「一割二分」

「一割四分」

「一割三分。それ以上は、あんたが取りすぎだ」

 

 この男は、渋い顔をして、それから頷いた。

 五割で貸していた男が、一割三分で貸すことにした。

 この街の金の値段が、その日、変わった。

 

              ◆

 

 その週の終わりに、桟橋でドールスに会った。

 老人は、また同じ場所に座っていた。判を押す前に座っていた場所だ。

 

「ハーゼルさん」

「ええ」

「あんたの親父さんも、この桟橋に座っとった」

 

 俺は、老人の隣に腰を下ろした。

 

「判を押す前ですか」

「押した後だ」

 

 老人は海を見ていた。

 

「わしに、金を貸してくれたことがある。証文なしでな。船が沈んだ年だった。返せんかもしれんと言ったら、返せる時に返せと言った。……ああいう男が、判を押すんだ」

 俺は何も言わなかった。

 波が桟橋を三度叩いた。

 

「カイさん」

 

 老人が、初めて俺を名で呼んだ。

 

「あの紙をな。あんたの親父さんが押した紙を、書いた男を、わしは知っとる」

 

 風が来た。

 

「エーリク・フォーゲルだ」

 

              ◆

 

 俺は、少し笑った。

 笑うようなことではないのだが、こういうときに笑わないと、俺は俺でなくなる。

 

「知ってます」

 

 老人が、俺を見た。

 

「十二年前から。あの紙の下に、署名がありました」

 

 俺は立ち上がって、上着の埃を払った。

 

「いい人ですよ、あの人は」

 

 宿に戻ると、扉に紙が挟んであった。

 封蝋に、見覚えのない紋。

 鷲が、天秤を掴んでいる。

 ——ヴィント商会。

 

 

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