「もう一人、いますよ」
宰相は、そう言った。
言って、書付を、俺のほうへ滑らせた。
——軍務庁。兵の名簿。
俺は、その紙を、受け取った。
受け取りながら、一つ、数えた。
——なぜ、この男が教えるのか。
数えたが、その日は、それ以上、数えなかった。
軍務庁の主計官は、ブラントという。
インクの染みが、指についている。
四十年、書類を書いてきた男だ。
俺を見て、この男は、立ち上がった。
「ハーゼルどの」
「ブラントさん」
「……監査官どの、と呼ぶべきですかな」
「ハーゼルで」
俺は、椅子に座った。
「三年前、あんたは、俺に書付を渡そうとした」
俺は言った。
「ヴィント商会の、十年ぶんの相殺の記録です」
「渡しました」
「受け取りませんでした」
「……受け取られませんでした」
俺は、任命状を、卓に置いた。
「今日、受け取ります」
ブラントの手が、震えた。
この男は、抽斗を開けた。
三年、そこにあった。
兵の名簿は、二十年ぶん、あった。
俺は、十四日、それを数えた。
アルヴェント王国の兵は、四千人。
給金は、一人、年に十ターレン。
締めて、四万ターレン。
戦費は、年に六万。
給金が四万。残りの二万が、兵糧と、武器と、馬だ。
名簿には、四千人の名が書いてある。
俺は、その名を、一人ずつ、戦死の届けと突き合わせた。
十四日、かかった。
ボリスが、隣で、紙を運んだ。
この男は、字が読めない。
だが、紙は運べる。
◆
十四日目に、俺は、数え終わった。
戦死の届けが出ている名。
二千八百人。
五年の戦で、二千八百人が死んだ。
名簿に、名が残っている。
そのうち、給金の受け取りが続いている名。
千二百人。
俺は、その数字を、三度数えた。
千二百人。
一人、十ターレン。
年に、一万二千ターレン。
五年で、六万。
俺は、紙を、卓に伏せた。
「ブラントさん」
「はい」
「あんたは、知ってましたね」
この男は、答えなかった。
答えずに、インクの染みのついた指で、卓の縁を掴んだ。
「……書きました」
彼は、言った。
「四十年、書類を書いてきました」
彼は、俺を見なかった。
「戦死の届けを、書きました。給金の帳簿も、書きました」
「二つの帳簿を」
俺は言った。
「並べましたか」
ブラントは、動かなかった。
「……並べませんでした」
「なぜです」
「並べる仕事では、ありませんでした」
俺は、この男の顔を、しばらく見ていた。
六年、俺は市庁舎の書記室で箒を持っていた。
書記のヴィルムは、一度だけ、こう言った。
——そいつは、数えてやらんと、ただの紙だぞ。
俺は、立ち上がった。
「ブラントさん」
「はい」
「並べる仕事は、今、俺の仕事です」
「あんたの仕事は、書くことでした」
俺は言った。
「四十年、正確に書いた」
俺は、名簿を叩いた。
「書いてなかったら、俺は数えられませんでした」
ブラントは、俺を見た。
この男の目が、赤かった。
軍務庁長官は、ローデといった。
六十を越えている。将軍だった男だ。
右手の指が、二本ない。
この男は、俺の紙を見て、笑わなかった。
「千二百人だな」
「千二百人です」
「一万二千ターレン」
「年に、です」
彼は、卓に手を置いた。
「わしのところには、来ておらん」
彼は、言った。
「隊長どもだ」
「知ってましたか」
「知っとった」
この男は、即答した。
「なぜ、止めなかったんです」
ローデは、右手を、卓の上に置いた。
指が、二本ない。
「兵の給金は、遅れる」
彼は、言った。
「三月、遅れる。半年、遅れる」
彼は、指の欠けた手を、握った。
「隊長どもは、死んだ兵の給金で、生きとる兵に飯を食わせとる」
俺は、動かなかった。
「一万二千ターレンだ」
彼は、言った。
「そのうち、いくらが隊長の懐に入っとるか、わしは知らん」
彼は、俺を見た。
「だが、いくらかは、兵の腹に入っとる」
部屋は、静かだった。
俺は、紙を、卓に置いた。
「ローデさん」
「なんだ」
「隊長は、何人います」
「四十人だ」
「一万二千を、四十で割ると、三百です」
俺は言った。
「隊長一人あたり、年に三百ターレン」
俺は、指を折った。
「隊長の正しい給金は、年に六十ターレンです。名簿に、書いてあります」
「五倍です」
「五倍を、全部、兵の腹に入れる男が」
俺は言った。
「四十人、いますか」
ローデは、動かなかった。
右手の、指の欠けた手が、卓の上で、震えていた。
「……おらん」
「何人ですか」
この男は、答えなかった。
「ローデさん」
俺は、静かに言った。
「俺は、数えます」
俺は言った。
「四十人、一人ずつ、数えます」
「兵の腹に入れた男は、残します」
ローデが、顔を上げた。
「……残す?」
「残します」
俺は、頷いた。
「その男は、掟を破りました。だが、兵を食わせた」
俺は、紙を畳んだ。
「掟を直すのは、俺の仕事です。兵を食わせなかった掟が、悪い」
俺は、立ち上がった。
「懐に入れた男は、返してもらいます」
俺は、扉のほうへ歩いた。
「ハーゼル」
ローデが、俺の背に言った。
「どうやって、分ける」
俺は、振り返った。
「隊の兵の、痩せ具合を見ます」
四十日、かかった。
四十の隊を、全部、回った。
兵の顔を見た。手を見た。飯の量を数えた。
隊長の屋敷を見た。妻の服を見た。馬の数を数えた。
四十のうち、十一人が、兵に食わせていた。
二十九人が、懐に入れていた。
俺は、二十九人の名を、宰相に上げた。
返ってきたのは、三万八千ターレン。
十一人の名は、上げなかった。
代わりに、こう書いた。
——兵の給金を、遅らせるのをやめてください。
——遅らせるから、盗まれます。