髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第六十話 誰が聞きますか

 

 王城を出たのはその日の夕方だった。

 鍵は返した。

 任命状は置いてきた。

 俺の上着の内には紙が二枚ある。

 一枚はヴァルター公の紙。

 俺が書いた。俺が数えた。

 もう一枚はアルブレヒトの覚書。

 二十九年塩の綴りに挟まっていた紙だ。

 これだけは持ち出した。

 七つ目に背いた。

 俺はそれを承知で持ち出した。

 二十九年前の男が誰も読まない綴りに挟んだ紙だ。

 読む奴が来るまで待たせるために。

 俺は来た。

 だから持って出た。

 ボリスが城門の外で待っていた。

 麻袋を担いでいる。

 

「終わったか」

「終わった」

「勝ったか」

 

 俺は答えなかった。

 こいつはそれ以上聞かなかった。

 聞かないところだけはいつも間違えない。

 三十日待った。

 王都のいちばん安い宿だ。

 藁の上で三十日数えた。

 俺は覚えている。

 造幣局の綴り。二十年ぶん。

 軍務庁の名簿。四千人。

 徴税請負の綴り。三十年ぶん。二百七十の村。

 兵站の綴り。麦一俵六ターレン。

 王国の借入綴第一巻。三千ターレン。三十年前。

 全部覚えている。

 俺は数えた。

 数えたものは消えない。

 俺は三十枚書いた。

 

 三十一日目の朝東門の市へ行った。

 三年半前俺が釘を三本打った壁だ。

 あの紙はまだ貼ってある。

 誰かが雨よけの板を掛けてくれていた。

 俺はその隣に三十枚を貼った。

 釘は九十本使った。

 字の読めない者に読んでやった。

 三十人が聞いた。

 次の日は五十人になった。

 三日目には百人になった。

 俺は毎日読んだ。

 王の弟が村から取った麦を王国に二倍半で売っている。

 造幣局長が銀貨から銀を抜いていた。

 死んだ兵に給金が払われている。

 王国は三千ターレン借りて九万返すことになっている。

 百人が聞いた。

 百人が怒った。

 百人が帰った。

 七日目に人は四十人になった。

 十日目に十二人になった。

 十四日目に誰も来なかった。

 俺は壁の前に立っていた。

 三十枚の紙が貼ってある。

 風で端がめくれている。

 俺はそれを押さえた。

 押さえてしばらく動かなかった。

 三年半前。

 俺はこの壁に紙を一枚貼った。

 ——王国の徴発手形を二割で売っている方へ。

 ——その紙はヴィント商会が買っています。

 ——五倍です。

 ——売らないでください。

 四日で値が動いた。

 二割が五割になった。

 俺は釘三本でそれをやった。

 今度は九十本打った。

 何も動かなかった。

 俺はその違いを十四日数えた。

 三年半前俺が貼った紙は。

 ——その紙を二割で売ればあんたは八十ターレン損をする。

 読んだ男は明日八十ターレン得をする。

 だから動いた。

 今度俺が貼った紙は。

 ——王の弟が年に二万一千ターレン盗んでいる。

 読んだ男は。

 明日何をすればいい。

 俺は壁の前で答えを探した。

 探して見つからなかった。

 ——何もできない。

 王の弟は王が庇う。

 王は王だ。

 訴える先がない。

 掟は王が書く。

 東門の市で俺の紙を読んだ百人は。

 怒って帰って麦を買った。

 明日も麦を買う。

 それだけだ。

 二十日目に宰相の使いが来た。

 俺は宿の藁の上でそれを受け取った。

 紙が一枚。

 書いてあったのは一行だ。

 ——お会いしましょう。

 グレゴール・ザイツは宰相の部屋にいた。

 目の下が黒い。

 俺を見てこの男は椅子を勧めた。

 俺は座った。

 

「貼りましたね」

「貼りました」

「三十枚」

「三十枚です」

「読まれましたか」

「読まれました」

 

 俺はそう答えた。

 

「百人が読みました」

 

 ザイツは頷いた。

 頷いてこう言った。

 

「それで」

 

 俺は動かなかった。

 

「あなたは数えました」

 

 彼は言った。

 

「正しい。一つも間違っていません」

 

 彼は卓の上で手を組んだ。

 

「わたしも数えました。十二年前に」

「アルブレヒトどのも数えました。二十九年前に」

「殿下も数えられました。十五年前に」

 

 彼は俺を見た。

 

「四人が数えました」

 

「四人とも正しかった」

 

 部屋は静かだった。

 窓が小さい。

 

「ハーゼルどの」

「はい」

「あなたは正しい」

 

 彼は静かに言った。

 

 

「——それで誰が聞きますか」

 

 俺は椅子の上で動かなかった。

 十二の俺には読めた。

 誰も聞かなかった。

 俺はそれを十二年恨んできた。

 恨んで、金を稼いだ。

 金を稼げば聞かれると思った。

 稼いだ。

 掟が要ると思った。

 取った。

 首輪をつけた。

 帳簿を開けた。

 数えた。

 正しかった。

 貼った。

 ——誰も聞かなかった。

 俺は椅子の背に体を預けた。

 天井を見た。

 窓が小さいので暗い。

 俺はそこで笑った。

 声を出して笑った。

 ザイツが俺を見た。

 俺は笑いながらこう言った。

 

「閣下」

 

 

「——値がついてない」

 

 ザイツの手が卓の上で止まった。

 俺は上体を起こした。

 

「三年半前、東門の市で俺は、釘を三本打ちました」

 

 俺は言った。

 

「四日で値が動きました」

 

「二割が五割になった」

 

「なぜ動いたか」

 

 俺は卓に手を置いた。

 

「読んだ男が明日儲かるからです」

 

「今度の紙にはそれがない」

 

 俺は言った。

 

「王の弟が盗んでいると読んで明日誰がいくら儲かりますか」

 

「誰も儲かりません」

 

「だから誰も動かない」

 

 俺は椅子から立った。

 

「閣下」

 

「正しさには値がつきません」

 

 俺はそう言った。

 

「二十九年前も十五年前も十二年前も今日も」

 

「正しさを貼りました」

 

「値がつかないものに人は動きません」

 

 俺は扉のほうへ歩いた。

 

「ハーゼルどの」

 

 ザイツが言った。

 

「ではどうするのです」

 

 俺は扉に手をかけた。

 かけて振り返った。

 

「値を、つけます」

 

「——正しいことをやると儲かるようにします」

 

 

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