髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第七十九話 手を伸ばす

 

 扉が叩かれた。

 俺は王国金庫の奥の部屋で綴りを数えていた。

 この部屋に来る者は少ない。

 鍵を持つ四人だけだ。

 ヨナスは叩かない。監査官はいつでも入れる。

 ザイツも叩かない。宰相は断らない。

 ヴィントは叩く。だがあの男は来る前に必ず報せる。

 報せが来ていなかった。

 俺は扉を開けた。

 イレーネ・ヴァル・アルヴェントが立っていた。

 頭巾は被っていなかった。

 髪は黒い。

 目は灰色だ。

 乾いていた目が今日は乾いていなかった。

 

「殿下」

「ハーゼル」

「報せが来ていませんでした」

「報せずに来ました」

 

 彼女は言った。

 俺は動かなかった。

 王の娘が報せずに荷役上がりの商人を訪ねる。

 この城でそれが何を意味するかは知らない。

 知らないがいい話だろう。

 俺は扉を大きく開けた。

 

「どうぞ」

「入りません」

 

 彼女は首を振った。

 

「用はここで済みます」

 

 俺は扉のところに立っていた。

 

「殿下」

「はい」

「金庫の鍵のことですか」

「違います」

「和議のことですか」

「違います」

「では」

 

 イレーネは俺を見ていた。

 灰色の目だ。

 乾いていない。

 

「四年前」

 

 彼女は言った。

 

「あなたはわたしにこう言いました」

 

「――割に合わんと」

 

 俺は動かなかった。

 

「王の娘を売って一年をしのぐ国のことを」

 

 彼女は言った。

 

「あなたは割に合わないと言った」

 

 彼女は俺を見た。

 

「わたしのことを言ったのだと思いました」

「違いました」

 

 彼女は言った。

 

「あなたは国のことを言っていた」

 

 俺は答えなかった。

 

「ですが」

 

 彼女は言った。

 

「今なら分かります」

 

「あなたはわたしのことも言っていた」

 

 俺は動かなかった。

 

「あなたの勘定で」

 

 彼女は言った。

 

「割に合わないものが一つあります」

 

 彼女は俺を見た。

 

「わたしです」

 

 俺は答えなかった。

 答えると負ける。

 

「あなたは髑髏をかぶろうとした」

 

 彼女は言った。

 

「わたしのために。そして破った」

 

 彼女は俺を見た。

 

「わたしの求めたものでなくなるからと」

 

「あなたはわたしのために割に合わないことをしようとして」

 

 彼女は言った。

 

「わたしのためにそれをやめた」

 

「二重にわたしのために動いた」

 

 俺は動かなかった。

 

「なぜそれを俺が認めると思うんです」

 

 俺はやっと言った。

 

「認めなくていいです」

 

 彼女は言った。

 

「あなたは値をつける男です」

 

 彼女は言った。

 

「何にでも値をつける」

 

 彼女は俺を見た。

 

「ですが、自分の気持ちには値をつけられない」

 

 

「値をつけられないものを、あなたは信用しない」

 

 彼女は言った。

 

「だからあなたは動けない」

 

「あなたはわたしが手を伸ばすのを待っている」

 

 俺は動かなかった。

 

「待っているくせに」

 

「待っているとは言わない」

 

 彼女は俺を見た。

 

「言えば、負けるからです」

 

 俺はこの女を見た。

 この女は俺が四年口に出さなかったことを。

 全部数え終えている。

 書庫で初めて会った日と同じだ。

 この女はいつも答えを先に持っている。

 

「殿下」

「はい」

「あなたは王の娘です」

「でした」

 

 彼女は言った。

 

「今は鍵を持つ女です」

 

「鍵を持つ女は」

 

 彼女は言った。

 

「自分で扉を開けます」

 

 イレーネは手を伸ばした。

 俺の手を取った。

 王の娘の手は冷たかった。

 九つの年から寝床の影を数えてきた女の手だ。

 

「ハーゼル」

「はい」

「わたしはあなたが欲しい」

 

 俺はその手を握り返そうとして。

 止まった。

 

「殿下」

「はい」

「俺は荷役上がりの商人です」

「知っています」

「王の娘と商人が結ばれるのは」

「割に合わない」

 

 彼女は言った。

 

「わたしが数えました」

 

 彼女は言った。

 

「全部割に合わないと出ました」

 

 彼女は俺を見た。

 

「あなたの勘定で割に合わないものがわたしです」

 

「わたしの勘定で割に合わないものが」

 

 彼女は言った。

 

「あなたです」

 

「二人とも割に合わない」

 

 彼女は俺の手を握った。

 

「――だから割れません」

 

 俺は動かなかった。

 

「割に合わないもの同士は」

 

 彼女は言った。

 

「足しても割に合わない」

 

 彼女は俺を見た。

 

「ですが割れないものは一人のものです」

 

「あなたが言いました」

 

「割れないものは二人のものにすればいいと」

 

 俺はこの女を見た。

 灰色の目だ。

 乾いていない。

 俺は握られた手を握り返した。

 握り返してこう言った。

 

「殿下」

「はい」

「――割に合いません」

 

 イレーネの灰色の目が動いた。

 

「ですが」

 

 俺は言った。

 

「割に合わないものを一つだけ持つことにしました」

 

「王冠は割に合わない。だから蹴った」

 

「公位は割に合わない。だから蹴った」

 

「あなたは割に合わない」

 

「――だから蹴りません」

 

 イレーネが笑った。

 四年で二度目に見る笑い方だった。

 いや。

 こんなふうに笑うのは初めてだった。

 

 

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