髑髏の王冠   作:朝凪小夜

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第八話 読めば、書いてある

 

 三十九枚。

 俺が出した紙の数だ。一口十ターレン、帰れば十五ターレン。三十九口。

 その紙が、街を回っていた。

 水夫が麦酒を買い、酒場の親父がパンを買い、パン屋が薪を買う。薪屋がその紙を持って、俺のところへ来ることはない。次に誰かに渡すからだ。

 紙は、回っている限り、俺のところへ戻ってこない。

 回るのをやめた瞬間、全部が一度に戻ってくる。

 それを、俺は知っていた。

 知っていて、止められなかった。

 十日目の夜、宿の戸を叩く音がした。

 ペーターだった。

 口を返して、名前を消した男だ。子どもが三人いて、上が七つで、下がまだ歩かない。

 こいつは、俺の顔を見ずに言った。

 

「明日だ」

「何が」

「親方が、紙を集めてる」

 

 俺は、扉を大きく開けた。

 

「入れ」

「入らねえ」

 

 ペーターは首を振った。ここで俺の部屋に入ったところを見られたら、この男は終わりだ。

 

「ヴィント商会が、触れを出す。明日の朝だ。うちはハーゼルの紙を受け取らない、と」

 

 俺は、何も言わなかった。

 

「親方が、荷役の連中から紙を買い集めてる。一枚八ターレンで。八ターレンでも、明日ゼロになるより、ましだって言って」

 

 ペーターは、そこで初めて俺を見た。

 

「集めた紙を、明日、全部あんたのところへ持っていく。銀貨に換えろって」

 

              ◆

 

「なぜ、教えに来た」

 

 俺は聞いた。

 ペーターは、しばらく黙っていた。

 

「あんた、俺に十ターレンくれた」

「買い戻しただけだ」

「九ターレンでいいって言ったのに、十くれた」

 

 彼は、拳を握った。

 

「食い扶持が先だ、って言った」

 

 この男の目は、赤かった。

 

「あれを言われて、あの銭を持って帰って、俺は子どもに飯を食わせた。あんたの銭で」

 

 彼は、それだけ言って、走って行った。

 俺は、開いた扉の前に、しばらく立っていた。

 俺の手元には、九十ターレンある。

 紙は三十九枚。

 帰港すれば、五百八十五ターレン払う。今日払うなら、いくらだ。

 俺は机に向かった。

 三隻はまだ海の上だ。帰るまで四十日。この航路の過去は、俺が数えた。十のうち一つ沈む。

 十のうち九つが十五ターレンになり、十のうち一つがゼロになる。

 平均すれば、一口は十三ターレンと半分だ。

 だが、今日、銀貨が欲しい者にとっては、それは十三ターレン半ではない。四十日後の十三ターレン半だ。

 俺は、十二ターレンと書いた。

 四十日待てない者から、俺が買い取る値。

 十三ターレン半のものを、十二で買う。

 ——俺が、一ターレン半、儲ける。

 

              ◆

 

 その数字を、俺は三度見直した。

 儲けていいのか。

 いいのだ、と俺は決めた。

 四十日を待てるのは、待てる余裕がある者だけだ。余裕を持っている者は、その余裕を売っている。売ったものには、値がつく。

 これは施しではない。商売だ。

 施しにした瞬間に、この仕組みは死ぬ。

 夜が明ける前に、俺は「三の目」の扉に紙を打ちつけた。

 書いてあることは、四つ。

 一つ。俺は今日、銀貨を九十ターレン持っている。それ以上は持っていない。

 二つ。紙は三十九枚出ている。全部を今日、銀貨にすることはできない。

 三つ。今日、銀貨が欲しい者には、一口十二ターレンで買い戻す。九十ターレンなので、七口まで。先に来た者から。

 四つ。十二ターレンで売れば、十三ターレン半のものを十二で手放すことになる。損だ。それでも売りたい者は売れ。それは、あんたの都合だ。

 俺は釘を三本打った。

 夜明けまで、あと一刻あった。

 

              ◆

 

 朝、人が来た。

 荷役の親方が、紙を十四枚持って先頭にいた。八ターレンで買い集めた紙だ。後ろに三十人ばかりいる。

 俺は「三の目」の卓の上に、銀貨を九十枚並べていた。

 積まなかった。並べた。積むと、多く見える。多く見せる必要はない。

 

「銀貨に換えろ」

 

 親方が言った。

 

「換える」

 

 俺は頷いた。

 

「一口十二ターレンだ。あんたが十四枚持ってるなら、百六十八ターレン。俺は九十ターレンしか持ってない。だから七口までだ」

「足りねえだろうが」

「足りない」

 

 俺は、卓の上の銀貨を指した。

 

「見ての通りだ。俺は、あるだけしか払えない」

 

              ◆

 

 群衆がざわついた。

 誰かが、詐欺だと言った。

 俺は、その男を見た。

 

「読んだか」

 

 男は黙った。

 

「紙に、何が書いてある」

 

 俺は懐から一枚出して、掲げた。

 

「三隻が帰港すれば十五ターレンを支払う。荷が欠ければ、欠けた分だけ払いを減らす。——これだけだ。条項は五つ。全部読める。字が読めないなら、隣の奴に読ませろ。俺が読んでやってもいい」

 

 俺は紙を、扉に打ちつけた紙の隣に貼った。

 

「今日払うとは、一文字も書いてない」

 

 静かになった。

 俺は卓から降りて、群衆の中に立った。

 こういうときは、上から言ってはいけない。上から言うと、演説になる。演説は、疑われる。

 

「あんたらが持ってるのは、銀貨じゃない。船だ」

 

 俺は言った。

 

「三隻、海の上にいる。四十日で帰る。帰れば、一口十五ターレンだ。沈めば、ゼロだ。十のうち一つ、沈む」

 

 俺は指を一本立てた。

 

「これは俺が数えた。数え方が知りたい奴は、港の書記に聞け。綴りを見せてくれる。俺の数字が間違ってると思うなら、自分で数えろ。俺は、前に一度、数え違えた」

 

 誰かが、息を吸った。

 

「そのときは、頼まれもしないのに、二十ターレン返した。ここにいる連中の何人かは、その銀貨を受け取ってる」

 

 ゲルトが、卓の後ろで動かなかった。

 

「——読めば、書いてある」

 

 俺は言った。

 

「隠してない。四つ目の条項に、罠は入れてない。俺は、そういう紙で親父を殺された男だ」

 

              ◆

 

 親方は、俺を睨んでいた。

 この男は悪くない。荷役の親方は、荷役の食い扶持を守るのが仕事だ。ヴィントに言われれば、そうする。そうしなければ、三十人が食えない。

 俺は、この男の値段を、正しくつけた。

 

「親方さん」

「なんだ」

「あんたは、一枚八ターレンで買った。十四枚で、百十二ターレン払った」

「そうだ」

「俺は今日、七口を十二ターレンで買う。八十四ターレンだ。あんたが先頭にいる。全部あんたに払ってもいい」

 

 俺は銀貨を七枚ずつ、二列に並べ直した。

 

「だが、そうすると、あんたの手元には七枚の紙が残る。それは四十日後に、百五枚の銀貨になる」

 

 親方の眉が動いた。

 

「合わせて、百八十九ターレンだ。あんたは百十二払った。七十七、儲かる」

 

              ◆

 

 群衆が、静かになった。

 全員が、同じ計算をしていた。

 この街の荷役が、頭の中で、掛け算をしていた。

 俺が卓の上で賽を並べてから、まだ半年も経っていない。

 

「親方さん。あんたはさっき、詐欺だと言われる紙を、八ターレンで十四枚買った」

 

 俺は笑った。

 

「あんた、いい商売してますよ」

 

 誰も、売らなかった。

 七口の枠は、埋まらなかった。

 九十枚の銀貨は、卓の上に並んだまま、日が暮れるまでそこにあった。

 その日の夕方、ヴィント商会の触れが街角に貼られた。

 ——当商会は、ハーゼルの紙を受け取らない。

 誰も、それを見に行かなかった。

 

              ◆

 

 フォーゲルは、通りの向かいに立っていた。

 朝からずっと、そこにいた。

 俺が卓を片付けて出てくると、彼は帽子を取った。

 

「ハーゼルさん」

「フォーゲルさん」

「九十枚、並べましたね」

「並べました」

「積めば、多く見えたでしょう」

「見えたでしょうね」

 

 俺は、上着の埃を払った。

 

「多く見せると、次に少なく見せなきゃならん日が来る」

 

 フォーゲルは、少しだけ笑った。

 三十年ぶんの笑い方ではなかった。もっと、下手な笑い方だった。

 

「わたしは、あなたを潰す側です」

「知ってます」

「今日は、負けました」

 彼は帽子をかぶり直した。

「主に、そう報告します」

 

              ◆

 

 その夜、俺は宿の机に向かった。

 紙を一枚、広げた。

 今日は勝った。だが、勝ったのは運だ。ペーターが走ってこなければ、俺は明日の朝、何の用意もなく三十人に囲まれていた。

 九十枚を並べる時間が、なかった。

 俺は、書いた。

 ——俺の紙は、海に浮かんでいる荷の値打ちを超えて、出してはならない。

 一行、書いて、それを見た。

 当たり前のことだ。当たり前だが、今日まで俺は、この一行を書いていなかった。

 紙が麦酒に化けたとき、俺は「悪くない気分だ」と思った。

 あれは、危ない気分だった。

 もう百枚出せば、もっと儲かる。二百枚出せば、もっと儲かる。誰も俺を止めない。俺の紙は、俺が出す。

 ——俺が、いつか、数え違える。

 

              ◆

 

 俺は、その下に、もう一行書いた。

 書いてから、しばらく動かなかった。

 ——この規則を、俺以外の誰かに、見張らせなければならない。

 俺は、自分を数えられない。

 

 

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