強者の理
頬が痛い。
エリスの拳は、相変わらず容赦がない。
地面から起き上がりながら口の中を確認する。
歯はある。
舌も噛んでいない。
首も動く。
よし、生きている。
「何よ」
俺が頬を押さえながら見ていると、エリスが睨んできた。
「いえ、なんでもありません」
「なら見ないでよ!」
理不尽である。
いや、人の手を舐めた俺が悪いか。
少し離れたところでは、コジローがこちらへ背を向けていた。
肩が僅かに揺れた気がする。
「……笑いました?」
「さて」
振り返りもしない。
絶対に笑ったな。
ともあれ、いつまでもここにいるわけにもいかない。
俺たちは再び石化の森へ足を踏み入れた。
◇
森を歩きながら、俺はルイジェルドについて考えていた。
これまで俺の中でのルイジェルドは、子供好きの正義漢だった。
子供を傷つける奴には容赦がない。
困っている子供がいれば助ける。
悪人には厳しい。
そういう単純な人物だと思っていた。
けれど、先ほどのクルトたちとのやり取りで、一つ妙な言葉が引っ掛かった。
戦士。
「ルイジェルドさん」
「なんだ」
「ルイジェルドさんにとって、戦士ってなんですか?」
ルイジェルドは迷わなかった。
「子供を守り、仲間を大切にする者だ」
即答だった。
なるほど。
その言葉を聞いた瞬間、今までの出来事が少しずつ一本につながった。
ルイジェルドは、単純に善人と悪人を分けていたわけじゃない。
彼の中には、戦う者が守るべき一線があるのだ。
子供を害さない。
子供を守る。
仲間を見捨てない。
仲間を守る。
だからペット誘拐犯を許さなかった。
仲間を見捨てようとした者にも怒った。
そして、クルトたちを最初は守るべき子供だと思っていた。
その子供を助けようとしなかった俺に怒った。
けれどクルトたちは、自分たちは冒険者であり、自分で危険を選び、自分で死を覚悟していると言った。
そこでルイジェルドは、彼らを見る目を変えた。
子供ではなく。
一人前の戦士として。
ルイジェルドの中では、それで筋が通っているのだろう。
問題は、その境界線が俺にはよく分からないということだ。
エリスは、たぶん子供だ。
ルイジェルドが何かと世話を焼いているところを見る限り、まず間違いない。
では俺は?
子供なのか。
戦士なのか。
聞いてみたい。
でも怖い。
即答で「子供だ」と言われたら、ちょっと傷つく。
逆に「戦士だ」と言われても、それはそれで先ほどの失敗が重くのしかかりそうだ。
俺が一人で悩んでいると、隣を歩いていたコジローがこちらを見た。
「何か?」
「いや。随分と小難しい顔をしておるのでな」
「考え事です」
「そうか。小僧のうちから皺を刻むものではないぞ」
それだけ言って、前へ戻る。
こういう時、余計なことを聞いてこないのはありがたい。
「戦っている」
突然、ルイジェルドが足を止めた。
空気が変わる。
「戦っている?」
「ああ」
ルイジェルドは森の奥へ顔を向けた。
「さっきの連中ですか?」
「ブレイズたちだ」
スーパーブレイズ。
Bランクパーティー。
リカリスの町へ来た初日に、俺たちを笑っていた連中だ。
「助けますか?」
「必要ない」
即答。
さすがBランク。
ルイジェルドから見ても助ける必要のない、一人前の戦士ということか。
そう思ったのだが。
森を進み、戦闘のあった場所へ辿り着いた俺は言葉を失った。
「……え?」
死体が転がっていた。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
見覚えのある装備。
スーパーブレイズの連中だ。
「……死んでるじゃないですか」
必要ないって、そっちの意味か。
助ける必要がないんじゃない。
もう助けられない。
「ブレイズは?」
豚頭の男の姿が見当たらない。
逃げたのだろうか。
「残りも死んでいる」
ルイジェルドが言った。
「……全滅?」
「ああ」
六人。
Bランク冒険者六人が、全員死んだ。
ついさっき一人の冒険者が死ぬところを見たばかりだ。
なのに今度は、自分たちより上のランクにいた連中がまとめて死んでいる。
魔大陸。
知識として危険だとは分かっていた。
でも、俺はどこかでゲームの難易度のように考えていたのかもしれない。
ランクが高ければ生き残れる。
強くなれば安全になる。
そんな単純な場所ではないらしい。
「しかし……何にやられたんです?」
答えはすぐ近くにいた。
巨大な蛇。
赤い鱗。
十メートルはありそうな長大な胴体。
俺とエリスが二人で手を繋いでも、胴を囲えるか怪しい。
頚部は大きく左右へ広がり、そこから覗く牙だけで俺の腕ほどありそうだった。
そして腹の一部分だけが、不自然に膨らんでいる。
……中身について考えるのはやめよう。
「ルイジェルドさん。あれは?」
「
「
謎の魔物の正体は、てっきり
「この森にいるものなんですか?」
「普通はいない。だが、
どうやら
体はさらに巨大。
それでいて動きは速い。
鱗は硬く、火にも強い。
牙には猛毒。
危険度はAランク。
「Aランク……」
Bランクの六人組が全滅した理由が分かった気がする。
赤蛇はこちらに気づいていない。
死体の一つへ顔を寄せ、食事を続けようとしている。
「やれるわよね?」
エリスが剣を抜いた。
すごいな、この子。
ついさっき人が死ぬところを見たばかりで、今だって辺りは死屍累々だというのに。
いや。
怖くないわけではないのかもしれない。
怖くても剣を抜ける。
そういう人間なのだろう。
「やるのか?」
ルイジェルドが俺を見た。
「……僕が決めるんですか?」
「任せる」
「決めるのはお主よ」
「他に誰が決めるのよ」
ルイジェルドに続き、コジローもエリスも当然のように言う。
リーダー、か。
つい先ほど、その判断を誤ったばかりだというのに。
改めて
依頼は、正体不明の魔物の発見か討伐。
恐らくこいつで間違いない。
見つけた時点で最低限の依頼は達成している。
倒せば追加報酬。
鉄銭二枚。
……鉄銭二枚。
追加報酬は欲しい。
でも今は、死体が六つある。
さらに少し前にはガブリンが死んだ。
負ければ死ぬ。
金は、死んだら使えない。
「俺が一人で倒してもいい」
悩んでいると、ルイジェルドが言った。
「一人で?」
「ああ」
「……エリスを守りながらでも?」
「問題ない」
なんとも頼もしい。
Aランク相手に、この余裕だ。
少なくとも、無謀な賭けではなさそうだ。
俺は一度、エリスを見る。
やる気満々だ。
次にルイジェルド。
いつも通り。
最後にコジローを見た。
彼は
しばらくして、僅かに目を細める。
「コジローさんは?」
「さて」
コジローは長刀へ手を掛けることもなく、森の奥へ視線を巡らせた。
「ルイジェルド殿がおれば、私の出る幕でもあるまい」
そう言って、再び森の奥へ目を向ける。
その声音に不安はない。
俺よりずっと戦いを知っている人間がそう言うのだ。
なら、信じよう。
「分かりました。やりましょう」
◇
いつもの形でいく。
俺が後方から魔術。
ルイジェルドとエリスが前衛。
コジローは少し離れたところで周囲を見ている。
戦う気はないらしい。
もっとも、あの人が本当に何もしていないとは思えない。
森のどこかから別の魔物が出てくれば、たぶん俺より早く気づく。
なら今は
Aランク。
さっきまでの相手とは違う。
なら、最初から威力を上げる。
岩を作る。
普通の球形ではなく、先端を絞る。
速度を出す。
内部には火。
着弾と同時に爆発するよう調整。
狙いは胴体。
外さない。
発射。
次の瞬間。
「なっ!?」
首ではない。
巨体そのものを捻った。
そのまま背後で爆発。
爆音。
炎。
土煙。
当たっていない。
「避けた……?」
偶然じゃない。
赤蛇は、飛んでくる岩を見た。
その上で避けた。
「嘘だろ……」
呆然としている暇はない。
ルイジェルドが走る。
その後ろへエリスが続く。
いつもと少し違う。
普段ならエリスが先頭へ出たがる。
今日はルイジェルドが前。
エリスは半歩後ろ。
「シャアァァァ!」
赤蛇が頚部を広げる。
ルイジェルドの短槍が頭部へ伸びた。
速い。
俺の目では追いきれない。
それでも赤蛇は首を大きく反らし、穂先から逃れた。
その動きを利用して、今度は牙をルイジェルドへ突き立てようとする。
巨大な口。
喰らえば上半身ごと持っていかれそうだ。
ルイジェルドは慌てない。
槍の柄で牙を横へ流す。
噛みつきが逸れた。
その時には、エリスが側面へ回り込んでいる。
「はぁっ!」
剣が尻尾へ叩き込まれた。
硬い音。
浅い。
斬れてはいる。
しかし、切断にはほど遠い。
鱗が硬いのだ。
いつものエリスなら。
そう思った。
いつものエリスなら、すでに二撃目を振っていた。
力任せに。
さらに深く。
何度でも。
けれど。
エリスは振らなかった。
「……?」
一歩引いた。
剣を構え直すでもない。
ただ赤蛇を見ている。
頭が回る。
巨体が捻れる。
ルイジェルドが前へ出た。
赤蛇の頭が再びそちらへ引かれる。
そして。
その胴が捩れた瞬間。
「っ!」
エリスが踏み込んだ。
剣が走る。
今度は、赤い血が飛んだ。
先ほどより明らかに深い。
「シャアアァァッ!」
赤蛇が激しく尾を振る。
エリスは追わない。
すぐに離れた。
なんだ?
今の。
偶然か?
いや。
狙っていたように見えた。
鱗の隙間が開く瞬間を。
少し離れた場所で、コジローが僅かに目を細めた。
それだけだった。
「ルーデウス!」
ルイジェルドの声。
「はい!」
考えるのは後だ。
二人が離れる。
俺の番。
今度は頭ではなく、胴体の太い部分。
発射。
速い。
当たる。
そう思った。
赤蛇が身をくねらせる。
「また!?」
外れた。
見てから避けた。
二発続けて。
なるほど。
これがAランク相当の魔物か。
体が大きいから鈍い、なんて常識は通用しないらしい。
なら、当たるまで撃つ。
俺の攻撃を警戒させれば、その分だけルイジェルドとエリスが動きやすくなる。
ルイジェルドが頭部を狙う。
赤蛇が避ける。
エリスが側面へ回る。
だが、無闇には斬らない。
赤蛇がルイジェルドへ反応する。
その瞬間だけ踏み込む。
一撃。
離脱。
また待つ。
妙だ。
戦い方が変わっている。
エリスが大人しくなったわけじゃない。
「こっちよ!」
叫んでいる。
楽しそうですらある。
相変わらずエリスだ。
なのに剣だけが、ほんの少し変わった。
闇雲に叩き込む回数が減っている。
一回を選んでいる。
もしかして。
コジローとの稽古か。
考えてみれば、屋敷にいた頃から、エリスはコジローにも何度も稽古をつけてもらっていた。
コジローはエリスに何を教えているのだろう。
あとで聞いてみよう。
いや。
エリスに聞いた方が早いか。
……ちゃんと説明できるかは分からないが。
戦闘は続く。
赤蛇は強い。
硬い。
速い。
俺の
だが、こちらは四人。
もっとも、一人は完全に見守る側に回っているが。
しかも前衛にはルイジェルドがいる。
赤蛇がエリスへ向かおうとすれば、必ず槍が割り込む。
俺を狙おうにも、その前にルイジェルドが立つ。
逃げようとすれば、エリスが側面へ回り込む。
俺は遠距離から魔術を撃つ。
当たらなくてもいい。
避けさせる。
動かす。
少しずつ。
赤蛇の動きが鈍っていく。
呼吸が荒くなる。
巨体を何度も捻り、攻撃をかわし続けたせいだ。
そして。
もう一発。
ルイジェルドを見る。
エリスを見る。
視線を俺の方へ戻した時には。
直撃。
轟音。
巨大な赤い胴体が跳ねる。
今度こそ、当たった。
◇
解体が終わる頃には、すっかり日が暮れていた。
今夜の夕食は
Aランクの魔物を食べるというのは、なんだか罰当たりな気分になる。
もっとも味は普通に肉だった。
こういう時に濃い味付けが欲しくなるのは俺が現代っ子だからかもしれない。
エリスは気にせず食べている。
ルイジェルドも普通に食べている。
コジローは一口食べて、
「悪くない」
とだけ言った。
とりあえず牙を引っこ抜き、皮を剥いで絨毯のように丸めた。
全部売れるかは分からないが、持って帰ればそれなりの金になるだろう。
森の奥では、巨大な卵も見つかった。
恐らくクルトたちが探していた物だ。
だが、でかすぎる。
どうやって持ち帰れというのだ。
少し考えた末、割ることにした。
魔物を増やすような真似は避けた方がいいらしい。
ブレイズたちの死体からは、売れそうな装備を回収した。
その後、焼いて埋めた。
放っておけば、あれもエクスキューショナーになるのだろうか。
死体がゾンビになる。
前世では映画やゲームで散々見た。
だが、現実に起きるとなると、いまいち理解しがたい。
焚き火の前で、俺は昼間の戦闘を思い返していた。
強かった。
何より驚いたのは、俺の
一度ではない。
何度も。
偶然じゃない。
あいつは、飛んでくる物を認識してから避けていた。
俺の
そこらの弓矢より、よほど速いはずだ。
それでも避ける。
この世界には、そんな生物がいる。
ルイジェルドの槍まで何度か避けていたが、あれは話が違う。
本人が「一人で十分」と言っていた。
実際、戦闘中もずっとエリスを守りながら動いていた。
本気で一人だけで殺すつもりなら、もっと早く終わっていたのだろう。
ちらりとルイジェルドを見る。
普通に肉を食っている。
強い。
改めてそう思う。
次に、少し離れたコジローを見る。
こちらは焚き火の向こうで、長刀を膝元へ置き、夜空を眺めていた。
結局、一度も剣を抜かなかった。
Aランクの魔物を前にして。
だ。
俺には、
Bランクの六人組を全滅させた怪物。
俺の魔術を見て避ける怪物。
それなのにルイジェルドは一人で倒せると言い、コジローは「出る幕ではない」と言った。
この世界は広い。
そして。
俺が思っているより、遥かに上がいる。
Aランクですら、頂点ではない。
Sランクの魔物ならどうなる?
もっと上の剣士なら?
……怖い。
危険そうな場所には、なるべく近づかないようにしよう。
そう心に決める。
ふと、エリスを見る。
「何よ?」
「いえ」
「言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「今日、戦い方がちょっと違いましたね」
「……そう?」
本人は首を傾げた。
自覚がないのか。
「前なら、もっとガンガン斬ってたような気がするんですが」
「硬かったからよ」
「それだけですか?」
「それだけよ!」
本当だろうか。
まあ、エリスに聞いた俺が悪かったかもしれない。
エリスの向こう。
焚き火を挟んだ先で、コジローが月を見ている。
こちらの話を聞いているのかいないのか。
表情からは分からない。
ただ。
ほんの僅かに、その口元が緩んだように見えた。
気のせいかもしれないが。
ともあれ。
こうして俺たちは、正体不明の魔物の捜索と討伐を終えた。
結果だけを見れば、依頼は成功。
追加報酬も期待できる。
そして──。
これが、俺たちがリカリスの町で受けた最後の依頼となった。