WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――ポーランド国営通信社・特別報道
西暦二〇二六年

WILKグループは本日、ポーランド国内に建設された新本社、航空研究所および無人航空機工場の正式稼働を発表した。

同社は第一次世界大戦後のポーランドで創業し、第二次世界大戦中に英国へ本拠を移した企業である。現在は航空宇宙、食品、冷凍設備、教育、福祉などの事業を世界各地で展開している。

記者から「祖国への帰還」について問われた同社代表は、次のように回答した。

「帰還ではありません。我々は一度も故郷を忘れたことがありませんでした」

なお式典会場には、同社最新型の無人航空機とともに、創業期に製造された双発郵便機が展示された。


第1話 帰還ではありません

最初に映ったのは、火だった。

 

 夜明け前の平原を、小型無人航空機が地面すれすれに飛んでいる。

 

 長い翼の下に、爆薬らしきものは見えない。

 

 機体は左右へ細かく揺れながら、森の端へ接近した。

 

 木々の陰に隠されていた車両が見える。

 

 無人機は上昇しなかった。

 

 回避もしなかった。

 

 そのまま車両へ突入した。

 

 映像が白く染まる。

 

 火柱が上がった。

 

 直後、別方向を飛んでいた二機目の無人機が旋回する。

 

 地上から銃弾が撃ち上げられた。

 

 左翼が千切れ、機体が傾く。

 

 無人機は数秒だけ飛び続けた後、畑の中へ墜落した。

 

 発砲した兵士たちが塹壕から顔を出す。

 

 その瞬間。

 

 三機目が、まったく別の方向から飛来した。

 

 機体は先ほどまで機関銃が置かれていた地点へ、正確に突入した。

 

 映像はそこで止まった。

 

『撃墜された二機目が、防空陣地の位置を後続機へ送信したものと見られています』

 

 朝のニュース番組で、軍事解説者が淡々と説明していた。

 

 画面右下には、灰色の無人機が映っている。

 

 機首に描かれているのは、正面を向いた狼の印だった。

 

『WILK社製無人機の特徴は、単独機の性能だけを追求していない点です。各機が周辺機と情報を共有し、任務と観測結果を引き継ぎます』

 

 司会者が眉を上げた。

 

『撃墜されることを前提に作られている、ということでしょうか』

 

『正確には、撃墜されても戦力が失われ切らないように作られています』

 

『ずいぶん独特ですね』

 

『百年前から、そういう会社です』

 

 画面が切り替わる。

 

 広大な敷地。

 

 長い滑走路。

 

 無人航空機の組立工場。

 

 研究棟。

 

 倉庫。

 

 そこまでは、航空機メーカーとして理解できた。

 

 だが工場の隣には乳製品加工施設があった。

 

 少し離れた場所には学校がある。

 

 さらに奥には老人福祉施設らしき建物まで見えた。

 

 敷地内の道路を、狼の印を付けた配送車が走っている。

 

 一台は航空機の翼を運び、もう一台はパンを運んでいた。

 

『本日、ポーランド南部に新設されたWILKグループ本社において、記念式典が行われました』

 

 ニュース映像の中で、一人の老人が壇上へ立った。

 

 細身の体に黒い背広。

 

 胸元には、小さな銀色の狼章がある。

 

 背後には最新型の無人航空機と、古びた双発機が並んでいた。

 

 片方は灰色の複合材で作られた無人機。

 

 もう片方は、木と鋼管と布で作られた巨大な翼の飛行機。

 

 同じ会社の製品とは思えないほど時代が違う。

 

 記者の一人が手を挙げた。

 

「WILK社にとって、今回のポーランド帰還には、どのような意味がありますか」

 

 老人は少し考えた。

 

「訂正させてください」

 

 会場が静かになる。

 

「帰還ではありません」

 

 記者たちの手が止まった。

 

「我々は一度も、故郷を忘れたことがありませんでした」

 

 背後の巨大画面に、白黒写真が映し出された。

 

 雪に埋もれた小屋。

 

 泥まみれの男たち。

 

 壊れた発動機。

 

 まだ翼も付いていない飛行機。

 

「工場は移りました。社員たちは英国へ、アメリカへ、カナダへ、世界各地へ散りました」

 

 写真が変わる。

 

 軍服姿の若者たちが、翼の下で何かを食べている。

 

 白い器に入っているものは、どう見てもアイスクリームだった。

 

「事業は増えました。航空機だけでなく、食品、冷凍設備、教育、福祉、農業、店舗経営にも関わるようになりました」

 

 次の写真。

 

 元軍人らしい男が、妻と子供とともにパン屋の前へ立っている。

 

 次の写真。

 

 老人たちがダーツをしている。

 

 さらにその後ろで、子供たちが模型飛行機を持って走っていた。

 

「今では我々自身でさえ、何の企業なのか説明に困ることがあります」

 

 会場に小さな笑いが起きる。

 

 別の記者が手を挙げた。

 

「では、WILK社は航空機メーカーなのでしょうか。それとも食品企業なのでしょうか」

 

 老人は困ったように笑った。

 

「その質問には、百年間、誰も答えられていません」

 

 今度は、会場のあちこちから笑い声が上がった。

 

「ただ、ひとつだけ言えることがあります」

 

 老人は背後の古い双発機へ目を向けた。

 

「我々は、帰ってきた者が、次の日も生きられるようにする会社です」

 

 最新型無人機の横では、若い整備員が機体を点検している。

 

 少し離れた屋台では、子供たちにアイスが配られていた。

 

 滑走路の向こうでは、パンを積んだ配送車が走っている。

 

 記念式典の最中だというのに、広大な企業敷地は普段通り動いていた。

 

 式典よりも日々の仕事の方が大事だと言わんばかりに。

 

 そして実際、WILKという会社にとっては、その通りだった。

 

 式典の終盤。

 

 老人は壇上を降り、古い双発機のそばへ歩いた。

 

 機体表面の布は張り替えられている。

 

 木製の翼も丁寧に修復されていた。

 

 それでも胴体には、百年分の傷跡が残っている。

 

 薄れた狼の印の下に、ポーランド語の文字があった。

 

『手紙、薬品、軽貨物。乗員二名。必要ならば人間も運ぶ』

 

 若い記者が老人の隣へ立った。

 

「これが、WILK最初の機体ですか」

 

「最初の量産型です。もっとも、量産と呼べるほど作れたかは怪しいそうですが」

 

「そうです、とは?」

 

「私は創業者に会ったことがありません」

 

「では、誰から話を?」

 

「創業者を知っていた者から聞いた者に、直接聞きました」

 

「遠いですね」

 

「百年企業ですから」

 

 老人は肩をすくめた。

 

「話の内容は、大抵同じです」

 

「どのような?」

 

「金がなかった」

 

「はい」

 

「設備もなかった」

 

「はい」

 

「材料も足りなかった」

 

「はい」

 

「発動機は一基もまともに動かなかった」

 

「それは困りますね」

 

「なのに、なぜか双発機を作ろうとした」

 

 記者は古い機体を見上げた。

 

「無謀ですね」

 

「WILKでは、後に成功した無謀を伝統と呼びます」

 

 老人がそう言った直後。

 

 背後で最新無人機の発動機が回り始めた。

 

 小さな機体が滑走路を走る。

 

 加速する。

 

 やがて地面を離れ、ポーランドの空へ上がっていった。

 

 同じ空を、百年以上前にも一機の飛行機が目指していた。

 

 ただし、その時には滑走路などなかった。

 

 大きな工場もなかった。

 

 学校もなかった。

 

 老人ホームも、墓地園も、食品工場もなかった。

 

 あったのは、傾いた小屋。

 

 壊れた発動機。

 

 大量の借金。

 

 雪。

 

 泥。

 

 そして、互いをほとんど信用していない五人の男だけだった。

 

     ◇

 

 一九一九年。

 

 独立を取り戻したばかりのポーランド。

 

 国境線は定まらず、道路は荒れ、鉄道網は戦争によって寸断されていた。

 

 役所から隣町へ書類を送るだけで何日もかかる。

 

 医薬品が届かない。

 

 医師が来ない。

 

 地方で何が起きているか、中央政府が知る頃には何もかも終わっている。

 

 国家は独立した。

 

 だが、それは地図の上に新しい線が引かれたというだけだった。

 

 国を動かすための手足は、まだなかった。

 

 そんなポーランドの片隅に、ひどく傾いた小屋があった。

 

 看板はない。

 

 窓は一枚割れている。

 

 煙突は斜めに伸び、屋根には雪が積もっている。

 

 扉だけは妙に頑丈だった。

 

 その扉を、ポーランド軍将校が蹴った。

 

「開けろ!」

 

 扉は開かなかった。

 

 もう一度蹴る。

 

 屋根の雪が落ち、軍帽から肩まで真っ白になった。

 

 小屋の中から声が返ってきた。

 

「押すのではなく、引いてください」

 

 軍将校は黙った。

 

 取っ手を握り、引いた。

 

 扉は簡単に開いた。

 

 室内には四人の男がいた。

 

 一人は帳簿を読んでいる。

 

 一人は古い発動機を分解している。

 

 一人は机いっぱいに地図を広げている。

 

 最後の一人は、暖炉の前で濡れた靴下を乾かしていた。

 

 帳簿を読んでいた実業家が顔を上げる。

 

「良い知らせでしょうか」

 

 軍将校は肩の雪を払い、紙を一枚取り出した。

 

「軍から正式な回答が来た」

 

「表情を見る限り、良い知らせではなさそうですね」

 

「予算はない」

 

「予想通りです」

 

「工場も貸せない」

 

「それも予想通りです」

 

「資材の優先配給もない」

 

「美しいほど一貫しています」

 

 軍将校は机を叩いた。

 

「何が美しい!」

 

 発動機を分解していた元ドイツ帝国軍技師が顔を上げた。

 

「机を叩くな。軸受が転がった」

 

「知るか!」

 

 床を見ていた元白軍将校が、転がってきた金属部品を靴先で止める。

 

「これか」

 

「踏むな!」

 

「止めただけだ」

 

「靴が泥だらけだ!」

 

「床も泥だらけだ」

 

「そういう問題ではない!」

 

 暖炉の前にいた元ポーランド独立運動家が、片方の靴下を履きながら尋ねた。

 

「それで、軍は何なら出す」

 

「注文だ」

 

 四人の動きが止まった。

 

 実業家が手を差し出す。

 

 軍将校は紙を渡した。

 

「軽郵便機、一機」

 

 実業家は注文書を読む。

 

「操縦士一名。郵便百キロ。航続距離三百キロ。不整地運用可能」

 

「そうだ」

 

「前金は」

 

「ない」

 

「材料支給は」

 

「ない」

 

「試験費用は」

 

「自前だ」

 

「事故補償は」

 

「ない」

 

 実業家は注文書を丁寧に机へ置いた。

 

「軍は、我々に死ねと言っていますか」

 

「飛べと言っている」

 

「同じ意味になる可能性がありますね」

 

 元独立運動家が注文書を覗き込んだ。

 

「郵便百キロでは少ないな」

 

「軍の要求は百キロだ」

 

「薬も運ぶ」

 

「勝手に増やすな」

 

「医者も乗せる」

 

「操縦士一名と書いてある!」

 

「患者も運ぶかもしれん」

 

「だから増やすなと言っている!」

 

 元白軍将校が地図を引き寄せた。

 

「双発がよい」

 

 軍将校が振り向いた。

 

「郵便機だぞ!」

 

「片方が止まっても飛べる」

 

「重くなる!」

 

「落ちるよりよい」

 

 元ドイツ帝国軍技師が首を振る。

 

「双発は構造が複雑になる。小型単発機で十分だ」

 

「冬の森林地帯で発動機が止まったらどうする」

 

「正しく整備する」

 

 元白軍将校は鼻で笑った。

 

「前線の整備状況を見たことがないな」

 

「白軍の整備状況を基準に航空機を設計するな」

 

「ドイツの工場を基準にするな」

 

「規格を守れないことを誇るな!」

 

「規格通りの部品が手に入ることを前提にするな!」

 

 二人が立ち上がった。

 

 軍将校も立っている。

 

 実業家は新しい帳簿を守るように、静かに自分の方へ引き寄せた。

 

 元独立運動家は、もう片方の靴下を暖炉へ近づけた。

 

「喧嘩する前に聞きたい」

 

 三人が彼を見る。

 

「発動機は何基ある」

 

 小屋の中央には、分解された古い発動機が一基ある。

 

 元ドイツ帝国軍技師が答えた。

 

「一基」

 

「動くのか」

 

「動く可能性がある」

 

「動かないのだな」

 

「正確には、現在は動いていない」

 

 元白軍将校が壁際の木箱を指さした。

 

「もう一基分の部品はある」

 

 軍将校が確認する。

 

「組めるのか」

 

「部品が足りない」

 

「どのくらい」

 

「半分ほど」

 

「それは一基分とは言わん!」

 

「二基目の始まりではある」

 

「双発を諦めろ!」

 

「落ちるよりよい」

 

「その前に飛ばないだろうが!」

 

 再び口論が始まった。

 

 実業家は注文書と帳簿を見比べた。

 

 軍が支払う予定の金額。

 

 必要になるであろう材料費。

 

 発動機の修理費。

 

 工具代。

 

 人件費。

 

 試験飛行中に何かが壊れた場合の費用。

 

 どう計算しても合わない。

 

 成功しても利益が出るか怪しい。

 

 失敗すれば、借金だけが残る。

 

「断るなら今です」

 

 実業家が言った。

 

 口論が止まった。

 

 四人が彼を見る。

 

「この注文を受ける合理的な理由は、ほとんどありません」

 

 軍将校が腕を組む。

 

「国に飛行機が必要だ」

 

「それは軍の事情です」

 

「道路がない。鉄道も足りない。役所から隣の県へ書類を送るだけで何日もかかる」

 

 軍将校は机の地図を指さした。

 

「薬が届かず、人が死ぬ。地方の状況を首都が知る頃には、村が一つ消えている」

 

 小屋の中が少し静かになった。

 

「この国は独立した」

 

 軍将校は続ける。

 

「だが、独立しただけだ。国として動くための手足がない」

 

 元独立運動家が地図を見下ろす。

 

「だから、空から繋ぐ」

 

「そうだ」

 

「郵便百キロでは足りんな」

 

「話を戻すな!」

 

「薬も医者も必要だ」

 

「要求書にない!」

 

「必要になる」

 

 元白軍将校も地図を見る。

 

「冬でも飛べる必要がある」

 

 元ドイツ帝国軍技師は発動機へ目を向けた。

 

「翼面積を増やせば、低速性能は確保できる」

 

 軍将校が驚いて彼を見る。

 

「作る気か」

 

「作るとは言っていない」

 

「今、翼の話をしただろう」

 

「技術的可能性を述べただけだ」

 

「同じだ」

 

「違う」

 

 元白軍将校が言う。

 

「双発ならば、医師と患者を乗せても帰れる」

 

 軍将校が額を押さえた。

 

「要求がどんどん増えている」

 

 元独立運動家が椅子へ座る。

 

「国もこれから増える。役所も増える。届ける物も増える」

 

 実業家は四人を順番に見た。

 

 ポーランド軍将校。

 

 元ポーランド独立運動家。

 

 元白軍将校。

 

 元ドイツ帝国軍技師。

 

 国籍も違う。

 

 経歴も違う。

 

 信条も違う。

 

 本来なら同じ部屋にいるだけで揉める人間たちだった。

 

 実際、会話の半分は揉め事でできている。

 

 だが誰も帰ろうとはしていなかった。

 

 元ドイツ帝国軍技師は、発動機の部品を並べ直し始めた。

 

 元白軍将校は、不足している配管の代用品を考えている。

 

 元独立運動家は、町のどこへ行けば木材と布が手に入るかを書き出している。

 

 軍将校は、軍倉庫の廃棄予定品一覧を思い出そうとしていた。

 

 まだ受注を決めてもいないのに、全員が作る準備を始めている。

 

 実業家は注文書を持ち上げた。

 

「では、作りましょう」

 

 軍将校が頷く。

 

「単発でな」

 

 元白軍将校が即座に返す。

 

「双発だ」

 

「まだ決まっていない!」

 

 元独立運動家が地図を片づけ、紙を広げた。

 

「まず必要なものを書き出そう」

 

 元ドイツ帝国軍技師が発動機を指さす。

 

「最初にこれを安定して動かす」

 

「二基必要だ」

 

「一基目すら動いていない!」

 

「だから二基目も探す」

 

「話を聞け!」

 

 小屋の外では雪が降り続けていた。

 

 国には金がない。

 

 軍にも金がない。

 

 彼らにも金がない。

 

 設備は足りず、材料もなく、まともな滑走路さえなかった。

 

 完成する見込みは、どこにもなかった。

 

 それでもその日。

 

 五人の男は、軽郵便機の設計を始めた。

 

 実業家は帳簿を開き、日付を書いた。

 

 少し迷った後、その下へ一行だけ記す。

 

今日、誰も逃げなかった。

 

 その時点では、会社名すらまだ決まっていなかった。

 

 後に世界各地で知られることになる狼の印も、まだ存在していない。

 

 あるのは、傾いた小屋と、壊れた発動機と、無謀な注文書だけだった。

 

 そして翌朝。

 

 五人全員が、また小屋へやってきた。

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