WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK本社・各地域治安悪化報告整理要領
一九三二年七月

各支社、取引先、協力工房および従業員居住地域から提出された暴行、投石、脅迫、放火、略奪その他の報告について、以下の要領で整理する。

一、国籍別に分冊しない。
二、宗教別に分冊しない。
三、被害者および加害者の所属は、確認できた場合のみ記載する。
四、当事者による自称と、第三者による分類を区別する。
五、警察、行政および裁判所が事件を認定しなかった場合も、報告そのものは廃棄しない。
六、事実関係が確定しない場合は、確定しないまま残す。
七、写しを三か所へ保管する。

整理担当者は、報告書を国別に分けない理由を質問した。

経営部は、

「原因が別であると確認できるまでは、同じ綴りへ入れろ」

と回答した。

整理担当者は、

「同じ原因であるとも確認できません」

と指摘した。

経営部は、

「だから分けるな」

と再回答した。


第102話 また始まった

騒動から三週間。

 

門は直った。

 

窓も直った。

 

食堂の机は元の位置へ戻された。

 

赤い麻袋の不足分は補充された。

 

黄色い麻袋は、通常の食料配送へ戻った。

 

緑の麻袋は、武器庫から一つも出なかった。

 

外から見れば、WILKは平常へ戻りつつあった。

 

煙突から煙。

 

格納庫から発動機音。

 

木箱部門の鋸。

 

食品棟の蒸気。

 

印刷室の機械音。

 

人々は出勤し、昼食を取り、帰宅する。

 

ただし帰宅は一人ではなかった。

 

同じ通りの者がまとまる。

 

遠回りでも明るい道を選ぶ。

 

顔を隠した集団を見れば、道を変える。

 

誰もが夜を警戒している。

 

警戒しているため、夜へ出る者が増えた。

 

夜へ出る者が増えたため、さらに警戒する者が増えた。

 

町は、自分自身を見張っていた。

 

WILKの会議室には、各地から届いた報告が積まれていた。

 

紙質は違う。

 

言語も違う。

 

書式も違う。

 

だが内容は似ている。

 

窓を割られた。

 

帰宅途中に囲まれた。

 

商店へ印を付けられた。

 

職場を追われた。

 

近所から立ち退きを求められた。

 

警察へ届けた。

 

記録されなかった。

 

裁判所へ申し立てた。

 

証拠不十分とされた。

 

行政へ相談した。

 

当事者同士で解決するよう言われた。

 

元ドイツ軍技術者は、報告書の束を高さごとに分けていた。

 

薄い束。

 

窓、看板、投石。

 

中くらい。

 

暴行、脅迫、仕事の喪失。

 

厚い束。

 

放火、略奪、失踪。

 

ポーランド軍将校が見る。

 

「何をしている」

 

「被害の大きさで分けている」

 

元独立運動家が首を振る。

 

「窓一枚から始まることもある」

 

「では日付順にする」

 

ユダヤ人実業家が言った。

 

「場所も必要です」

 

元白軍将校が答える。

 

「場所で分けるなと決めた」

 

「分けずに索引を作ります」

 

「紙が増える」

 

ポーランド軍将校がぼやく。

 

元ドイツ軍技術者が顔を上げた。

 

「紙を惜しんで何を残す」

 

ポーランド軍将校は言い返さなかった。

 

最初に、自分の過去を話したのはユダヤ人実業家だった。

 

きっかけは、一枚の報告書。

 

国外支社と取引のある小さな衣料品店。

 

夜間に窓を割られ、商品を持ち去られた。

 

警察は、

 

暴動に伴う一般的な窃盗。

 

と記録した。

 

店主は、店内へ残された文字を報告書へ添えた。

 

出ていけ。

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「ただの窃盗ではない」

 

ユダヤ人実業家は紙を見ていた。

 

「窃盗でもあります」

 

「だが目的が」

 

「持っていける物は持っていくものです」

 

声は静かだった。

 

元独立運動家が彼を見る。

 

「経験があるのか」

 

ユダヤ人実業家は、しばらく答えなかった。

 

それから椅子へ深く座った。

 

「昔、家の近くに小さな店がありました」

 

誰の店かは言わない。

 

自分の家族か。

 

親類か。

 

知人か。

 

五人は尋ねなかった。

 

「最初に窓が割れました」

 

外から石。

 

一枚。

 

その夜は、それだけだった。

 

翌朝、店主は板を打った。

 

翌々日。

 

板へ文字。

 

汚すな。

 

店主は消した。

 

その次。

 

客が減った。

 

常連は遠回りをする。

 

買い物をする者も、包みを服の下へ隠した。

 

そしてある夜、人が集まった。

 

最初は数人。

 

次に十人。

 

誰かが扉を蹴った。

 

誰かが止めた。

 

止めた者が殴られた。

 

店内へ入った者は、布。

 

靴。

 

砂糖。

 

秤。

 

金庫。

 

持てる物を持ち出した。

 

持てない物は壊した。

 

最後に火を付けた。

 

「警察は」

 

ポーランド軍将校が尋ねる。

 

「来ました」

 

「止めたのか」

 

「火がほとんど消えてから」

 

「犯人は」

 

「確認できないと」

 

「見ていた者がいるだろう」

 

「いました」

 

「では」

 

ユダヤ人実業家は笑った。

 

笑う内容ではなかった。

 

「目撃者は、暗くて顔が分からなかったそうです」

 

「名前を叫んでいた者もいたでしょう」

 

「聞こえなかったそうです」

 

「店主は」

 

「税金を滞納していました」

 

ポーランド軍将校が顔をしかめる。

 

「今、その話をしていない」

 

「役所はしました」

 

店は焼けた。

 

商品もなくなった。

 

家族の一人は、逃げる途中で倒れた。

 

寒い夜だった。

 

死因は暴行ではなく、低体温とされた。

 

建物が焼かれたことと、死は別件。

 

略奪と放火も別件。

 

誰も一つの事件として扱わなかった。

 

「燃えた建物は確認できなくても」

 

ユダヤ人実業家は言った。

 

「税金の滞納だけは確認できました」

 

会議室が静かになった。

 

元ドイツ軍技術者は、報告書を積む手を止めていた。

 

次に話したのは元白軍将校だった。

 

彼は窓の外を見ながら話した。

 

「私のところは、もっと分かりやすかった」

 

革命。

 

内戦。

 

赤い旗。

 

土地。

 

正義。

 

解放。

 

彼の生家が襲われた時、先頭にいたのは見知らぬ者ばかりではなかった。

 

近くの村の者。

 

雇っていた者。

 

馬を貸した者。

 

冬に穀物を渡した家族。

 

全員ではない。

 

助けた者もいた。

 

門を閉めた者。

 

裏口を教えた者。

 

子供を荷車へ隠した者。

 

だが、襲う側にも知った顔がいた。

 

「最初は、書類を持ってきた」

 

元白軍将校は言った。

 

接収命令。

 

誰が出したか分からない印。

 

武器を差し出せ。

 

馬を差し出せ。

 

穀物を差し出せ。

 

屋敷を人民へ返せ。

 

「断ったのか」

 

ポーランド軍将校が尋ねる。

 

「一部は渡した」

 

「それでも」

 

「次が来た」

 

最初の集団は、命令を示した。

 

二番目は、最初の集団が持ち去らなかった物を要求した。

 

三番目は、屋敷に武器を隠していると言った。

 

四番目は、反革命分子を匿っていると言った。

 

どれも別の集団だった。

 

どれも、自分たちが正当な権限を持つと主張した。

 

「最後は何を持っていった」

 

元独立運動家が尋ねる。

 

「人だ」

 

馬番。

 

料理人。

 

事務員。

 

元兵士。

 

家族。

 

連れていかれた。

 

尋問。

 

徴用。

 

処罰。

 

どの言葉を使うかは、連れていった側が決めた。

 

「最初は正義を叫ぶ」

 

元白軍将校は机へ指を置いた。

 

「その後は、持てる物を持っていく」

 

指を一度動かす。

 

「持てる物がなくなれば、人を持っていく」

 

ポーランド軍将校が尋ねた。

 

「どうやって逃げた」

 

「裏道」

 

「準備していたのか」

 

「していなかった」

 

近くの農民が教えた。

 

川沿い。

 

森。

 

使われていない納屋。

 

逃げる途中、荷車の車輪が壊れた。

 

荷物を捨てた。

 

家財。

 

書類。

 

銀器。

 

衣服。

 

先祖の肖像。

 

何を捨てるかで揉める時間はなかった。

 

「最後に何を残した」

 

ユダヤ人実業家が尋ねる。

 

元白軍将校は答えた。

 

「名簿」

 

「持って出たのですか」

 

「燃やした」

 

全員が彼を見る。

 

「捕まった時に、使用人と家族の行き先が分からないようにした」

 

「では誰が逃げたか」

 

「私の頭に入れた」

 

「全部」

 

「全部だ」

 

元白軍将校は、現在WILKで使われている従業員名簿を見る。

 

「頭は撃たれれば終わる」

 

彼は言った。

 

「紙は燃える」

 

「だから、両方要る」

 

元ドイツ軍技術者は、自分から話し始めなかった。

 

一枚の報告書を何度も読み返していた。

 

ドイツ国内の協力工場。

 

不況下で夜勤を続けていた。

 

外国資本の犬。

 

裏切り者。

 

敗戦で利益を得た者。

 

窓を割られた。

 

職長が殴られた。

 

警察は労使間の衝突と記録。

 

翌週、工場は操業を一時停止した。

 

その報告書の下に、別の紙。

 

停止した工場へ、以前投石した者の一人が求人を求めて訪れた。

 

「知っている話か」

 

元独立運動家が尋ねる。

 

元ドイツ軍技術者は紙を置いた。

 

「似た話だ」

 

戦後。

 

敗戦。

 

工場へ戻った時、門前に人がいた。

 

兵士。

 

失業者。

 

元職工。

 

政治団体。

 

彼らは、敗北の原因を探していた。

 

前線の兵士ではない者。

 

武器を作った者。

 

作り方を変えた者。

 

外国語を話す者。

 

新しい機械を導入した者。

 

旧式設備を捨てた者。

 

誰でもよかった。

 

「私は設計室にいた」

 

彼は言った。

 

「だから、前線のことを知らないと言われた」

 

別の者には、

 

武器を作ったのだから戦争を長引かせた。

 

と言われた。

 

さらに別の者には、

 

十分な武器を作らなかったから負けた。

 

と言われた。

 

同じ日に。

 

同じ門の前で。

 

「どちらが正しい」

 

ポーランド軍将校が尋ねる。

 

「どちらも、私を殴るには十分だった」

 

笑わなかった。

 

工場へ石が飛んだ。

 

旋盤の窓。

 

工具室。

 

完成品倉庫。

 

中へ入った者が、一台の旋盤を倒そうとした。

 

倒れない。

 

台座へ固定されている。

 

なら壊す。

 

送りねじ。

 

刃物台。

 

主軸。

 

油差し。

 

壊せる場所を壊した。

 

「翌週、その男が来た」

 

元ドイツ軍技術者は言った。

 

「仕事を求めて」

 

ポーランド軍将校が眉を寄せる。

 

「自分で壊した工場へ?」

 

「旋盤を壊したのは怒りのためだ。仕事を求めたのは生活のためだ。本人の中では別の話だった」

 

「雇ったのか」

 

「工場は動かなかった」

 

壊れた主軸。

 

割れた窓。

 

持ち去られた工具。

 

注文停止。

 

資金不足。

 

雇う仕事そのものがなかった。

 

男は門前で、

 

裏切り者どもが仕事を隠している。

 

と叫んだ。

 

「自分で壊したのに」

 

ポーランド軍将校が言う。

 

元ドイツ軍技術者は答えた。

 

「壊した記憶が、その男の中でどうなったかは知らん」

 

彼は、WILKの整備記録用紙を一枚取った。

 

「機械は壊れた箇所を隠さない」

 

油が漏れる。

 

軸が振れる。

 

歯が欠ける。

 

測れば分かる。

 

「人間は違う」

 

紙を机へ戻す。

 

「自分で壊した箇所を、自分の中から消せる」

 

元独立運動家は、三人の話を聞いていた。

 

その顔には驚きがなかった。

 

「私は、捕まった回数を正確に覚えていない」

 

ポーランド軍将校が彼を見る。

 

「そんなに多いのか」

 

「記録がない」

 

「自分では」

 

「移送の途中と、釈放と、脱走の区別が曖昧だ」

 

若い頃。

 

独立運動。

 

地下組織。

 

印刷物。

 

武器。

 

密告。

 

逮捕。

 

牢。

 

尋問。

 

移送。

 

逃亡。

 

別名。

 

別の町。

 

また逮捕。

 

「誰に売られた」

 

元白軍将校が尋ねる。

 

「いろいろだ」

 

金のため。

 

脅されたため。

 

家族を守るため。

 

自分の罪を軽くするため。

 

以前から嫌っていたため。

 

理由は一つではない。

 

密告した者が、後になって助けを求めてきたこともあった。

 

「助けたのか」

 

「一度は」

 

「なぜ」

 

「その時は、そいつの子供も一緒だった」

 

元独立運動家は話を続けた。

 

拘束された場所の一つには、正式な名称がなかった。

 

警察署ではない。

 

軍施設でもない。

 

倉庫。

 

地下室。

 

使われていない役所の一室。

 

「記録は」

 

ポーランド軍将校が尋ねる。

 

「ない」

 

「逮捕状は」

 

「ない」

 

「釈放記録は」

 

「ない」

 

「では、拘束された証明が」

 

「ない」

 

何日いたか。

 

誰に殴られたか。

 

誰と一緒だったか。

 

外へ出た時、誰が残っていたか。

 

全部、本人たちの記憶だけ。

 

行政へ申し立てても、

 

その施設での拘束記録は存在しない。

 

と返された。

 

「記録がない拘束は」

 

元独立運動家は言った。

 

「何度でもできる」

 

同じ人間を。

 

同じ場所で。

 

別の名目で。

 

存在しなかったことにして。

 

「だから記録を残す」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

元独立運動家は彼を見る。

 

「記録があっても、無視される」

 

「それでも残す」

 

「裁判所が読まなければ」

 

「次が読む」

 

「次も読まなければ」

 

「その次だ」

 

元独立運動家は少し笑った。

 

「軍人らしくないな」

 

ポーランド軍将校は答えた。

 

「軍も記録で動く」

 

元白軍将校が口を挟む。

 

「軍は都合の悪い記録をなくす」

 

「だから複製する!」

 

四人が話し終えた後、視線がポーランド軍将校へ集まった。

 

「私は」

 

彼は言いかけた。

 

止まる。

 

彼の過去にも戦争はあった。

 

混乱も。

 

敗北も。

 

命令の不備も。

 

だが、他の四人が話したような経験を、自分のものとして語るのは違う気がした。

 

彼は行政と軍を信じていた。

 

完全ではない。

 

失敗する。

 

遅れる。

 

腐敗もある。

 

それでも、制度を作り直せば対応できると思っていた。

 

騒擾の後も、最初に考えたのは手続きだった。

 

警察の増員。

 

夜間巡回。

 

集会許可条件。

 

武器携行禁止。

 

損害申告。

 

被害者補償。

 

「制度で止められると思っている」

 

元白軍将校が言った。

 

「止めるための制度だ」

 

「制度を使う者が、止めたくなければ」

 

「監督する」

 

元独立運動家が尋ねる。

 

「誰が」

 

「別の機関が」

 

「その機関も止めたくなければ」

 

ポーランド軍将校は苛立つ。

 

「なら何もできんだろう!」

 

ユダヤ人実業家が静かに答えた。

 

「何もできないとは言っていません」

 

「では」

 

「制度が助けるまで、生き残る仕組みが必要です」

 

その言葉で、会議の目的が変わった。

 

暴力を止める方法ではない。

 

止まらなかった場合に、人を残す方法。

 

元ドイツ軍技術者が黒板へ書いた。

 

一つの故障で、全部を失わない。

 

Bizonの設計で何度も使った考え方。

 

燃料槽を分ける。

 

配管を分ける。

 

発動機架を交換できるようにする。

 

片方の発動機で、降りる場所を選べるようにする。

 

脚が壊れても、腹で受ける。

 

武装を外して荷物を載せる。

 

荷物を捨てれば、さらに飛べる。

 

完全ではない。

 

だが選択肢が残る。

 

ユダヤ人実業家が、その下へ項目を書き足した。

 

家族名簿。

 

住所。

 

緊急連絡先。

 

本人確認書類。

 

賃金記録。

 

雇用証明。

 

健康記録。

 

子供の学校。

 

避難先。

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「個人情報を増やしすぎるな」

 

元独立運動家が答える。

 

「一か所へ集めなければよい」

 

元白軍将校が黒板へ線を引く。

 

本社。

 

支社。

 

国外保管。

 

本人。

 

家族。

 

信頼できる第三者。

 

「全員が全部を持つな」

 

「分割するのか」

 

「捕まった一人から全部が漏れないようにする」

 

ポーランド軍将校が顔をしかめた。

 

「諜報組織ではない」

 

元独立運動家が答える。

 

「逃げる人間の名簿を作るなら、似たものになる」

 

「逃げる前提にするな」

 

元白軍将校が彼を見る。

 

「門の補強を今後使う前提にするなと言ったのは誰だ」

 

ポーランド軍将校は黙った。

 

現金。

 

会社の金庫だけではない。

 

少額を分散。

 

国外支社。

 

協力商店。

 

信頼できる職工組合。

 

教会。

 

慈善団体。

 

個人。

 

一人が持ち逃げしても、全部はなくならない。

 

食料。

 

黄色い麻袋。

 

通常配送の中へ混ぜる。

 

非常用だけを大きな倉庫へ積めば、奪われる。

 

パン。

 

粉乳。

 

乾燥チーズ。

 

塩。

 

水の容器。

 

同じ規格。

 

どの支社でも使える。

 

輸送。

 

二輪台車。

 

荷車。

 

鉄道。

 

民間トラック。

 

航空機。

 

一つの経路が閉じた場合の代替。

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「Bizonで人を運ぶ場合、荷物を減らす」

 

ポーランド軍将校が答える。

 

「勝手に国外へ飛ばすな」

 

「国内移動にも使う」

 

「飛行許可が」

 

元独立運動家が言った。

 

「許可が出ない時の話をしている」

 

「無許可飛行を計画書へ書けるか!」

 

ユダヤ人実業家が間へ入る。

 

「計画書には、緊急輸送と書きます」

 

「同じだ!」

 

元白軍将校が言った。

 

「飛ぶかどうかは、その時の操縦者が決める」

 

ポーランド軍将校は頭を抱えた。

 

「選択肢を残すだけです」

 

ユダヤ人実業家が付け加えた。

 

「選ばせるなとは書けません」

 

「選ばせるなとは言っていない!」

 

「では残します」

 

いつもの会議に少し戻った。

 

誰も笑わなかったが、声の調子だけは以前と同じだった。

 

避難先。

 

国外支社の宿舎。

 

農村の倉庫。

 

修理工場。

 

冷蔵施設。

 

学校。

 

老人施設。

 

WILKが飛行機以外へ手を広げた結果、各地に人を置ける場所があった。

 

以前は、

 

飛行機会社がなぜ宿舎を持つ。

 

と問われた。

 

今は、その宿舎が逃げ場所になる。

 

なぜ食品倉庫を持つ。

 

今は食べられる。

 

なぜ印刷室を持つ。

 

今は名簿と証明書を刷れる。

 

なぜ台車まで共通化する。

 

今はどこでも負傷者を運べる。

 

ポーランド軍将校は一覧を見た。

 

「最初から、このために作ったように見える」

 

元ドイツ軍技術者が答えた。

 

「違う」

 

「分かっている」

 

「必要になった時、使えるだけだ」

 

ユダヤ人実業家が言った。

 

「会社とは、平時には余計な物を抱えているように見えるものです」

 

元白軍将校が鼻で笑う。

 

「戦時には足りない」

 

「戦時ではありません」

 

ポーランド軍将校が反射的に言った。

 

今度は、誰も「まだ」と返さなかった。

 

その沈黙の方が重かった。

 

国外から届く報告は、夏になっても減らなかった。

 

フランス。

 

外国人労働者を守るとした店主が、商売を妨害された。

 

翌週、店主は保護を取り下げた。

 

警察は営業上の判断と記録。

 

英国。

 

移民商店への投石事件で少年二名を拘束。

 

一人は被害商店の常連客の息子。

 

本人は友人に誘われただけと供述。

 

父親は、

 

息子は政治に興味がない。

 

と主張した。

 

ドイツ。

 

労働者同士の街頭衝突。

 

負傷者多数。

 

警察は片方の集会のみ解散。

 

もう片方は秩序維持へ協力した団体として報告。

 

翌月、その団体は会員を増やした。

 

アメリカ。

 

食料配布所周辺の自警組織が、列の整理を始めた。

 

最初は割り込み防止。

 

次に受給資格確認。

 

その次に、誰を地域住民と認めるかを決め始めた。

 

ベルギー。

 

国外企業との取引を理由に、工房の契約が打ち切られた。

 

打ち切った会社は翌月、同じ部品を別の国外企業から購入。

 

価格は高かった。

 

理由は記録されていない。

 

スウェーデン。

 

反外国企業集会の主催者が、WILK製冷蔵機を使う食堂で会合を開いた。

 

現地製であるため問題ないと説明。

 

食堂の看板にはWILKの名があった。

 

翌週、看板だけ外された。

 

機械は使われ続けた。

 

元ドイツ軍技術者は言った。

 

「看板を外せば、機械は外国でなくなるらしい」

 

ポーランド軍将校が答える。

 

「便利だな」

 

元白軍将校が報告書を閉じた。

 

「人間の看板も外せればよいが」

 

誰も続けなかった。

 

一九三二年の終わり。

 

町の夜間暴行は減った。

 

自警団も表向きは解散した。

 

商店の窓板も一部外された。

 

工場門前の警察配置も縮小。

 

新聞は、

 

地域秩序は回復しつつある。

 

と報じた。

 

秩序は回復した。

 

信頼は戻らなかった。

 

人々は、誰がどちら側にいたかを覚えている。

 

正確にではない。

 

自分に都合のよい形で。

 

殴った者は、守ったと覚えた。

 

殴られた者は、獣を見たと覚えた。

 

見物していた者は、自分が止めようとしたと覚えた。

 

逃げた者は、家族を守るためだったと覚えた。

 

煽った者は、民衆の声を代弁しただけと覚えた。

 

警察は、最小限の被害で収束させたと報告した。

 

行政は、重大な制度上の不備は確認できないと結論した。

 

全員が、自分の内部へ安定を取り戻した。

 

その安定は、他者を外へ押し出すことで作られていた。

 

一九三三年。

 

街頭の暴力を終わらせると約束する者が増えた。

 

演説は明快だった。

 

仕事を戻す。

 

商店を守る。

 

家族を守る。

 

国を立て直す。

 

不当な暴力を禁じる。

 

混乱を終わらせる。

 

敵を取り除く。

 

最後の一項だけが、演説ごとに違った。

 

外国人。

 

共産主義者。

 

資本家。

 

労働組合。

 

宗教団体。

 

少数民族。

 

敗戦の責任者。

 

国家の敵。

 

地域の裏切り者。

 

誰を入れても、文章は成立した。

 

人々は疲れていた。

 

夜に顔を隠した集団が歩くことへ。

 

誰が先に殴ったか分からない争いへ。

 

警察へ届けても何も起きないことへ。

 

自分の家族が次に狙われるかもしれない不安へ。

 

だから、

 

暴力を終わらせる。

 

という言葉を歓迎した。

 

その後ろに、

 

暴力を使う権利を、一つへ集める。

 

という意味があることを、考えない者もいた。

 

考えていても、自分の側へ使われると思った者もいた。

 

WILKの会議室。

 

各国の政治報告が並べられた。

 

ポーランド軍将校が一枚を読む。

 

「暴動を止めると言っている」

 

元独立運動家が答えた。

 

「誰を暴徒と呼ぶかも、彼らが決める」

 

元ドイツ軍技術者は別の紙を見る。

 

「工場を再稼働させるとも書いてある」

 

ユダヤ人実業家が尋ねた。

 

「誰の工場としてでしょうね」

 

元白軍将校は椅子へ背を預けた。

 

「こういう時は、口のうまい者がまとめる」

 

ポーランド軍将校が彼を見る。

 

「何を」

 

「恐怖だ」

 

元白軍将校は指を一本立てる。

 

「最初に暴力を止める」

 

二本目。

 

「次に、暴力を使える者を自分だけにする」

 

三本目。

 

「それから敵を作る」

 

元ドイツ軍技術者が尋ねた。

 

「敵は既にいるのでは」

 

「いる」

 

「なら作る必要はない」

 

「増やす」

 

会議室の外で、発動機試験が始まった。

 

以前より強い音。

 

新しい型。

 

高い出力。

 

試験担当者の歓声が聞こえる。

 

工場は明るくなりつつあった。

 

軍の問い合わせが増える。

 

修理契約。

 

輸送機。

 

偵察機。

 

武装。

 

飛行場設備。

 

食品保存。

 

冷蔵輸送。

 

失業対策の名目で、工場拡張を求める声も出た。

 

一年前には、

 

WILKが仕事を独占している。

 

と叫んだ者たちが、今度は、

 

WILKへもっと仕事を出せ。

 

と行政へ要求している。

 

矛盾ではなかった。

 

人々が求めているのは、一貫した理屈ではない。

 

明日の賃金だった。

 

それを誰が用意するかが変わっただけ。

 

一九三四年。

 

ドイツでは、とある政党が国家そのものになろうとしていた。

 

他の国々でも、秩序を約束する政治家が支持を伸ばした。

 

街頭の制服は、少しずつ公的な制服へ近づいた。

 

私的な名簿は、行政の名簿へ近づいた。

 

店の窓へ書かれていた言葉が、演説台へ上がった。

 

演説台の言葉が、役所の書式へ入った。

 

誰を雇うか。

 

誰を住民と認めるか。

 

誰を移動させるか。

 

誰を監視するか。

 

誰の財産を凍結するか。

 

誰の集会を暴動と呼ぶか。

 

以前は、夜道で棒を持った者たちが勝手に決めていた。

 

今度は、印章を持つ者が決めようとしていた。

 

人々は、それを進歩と呼ぶことができた。

 

少なくとも、夜の襲撃よりは整然としていた。

 

書類がある。

 

担当者がいる。

 

命令系統がある。

 

制服がある。

 

責任者もいるように見える。

 

だが責任は、上へ行くほど薄くなった。

 

下の者は命令に従った。

 

上の者は一般方針を示しただけ。

 

役所は法律を適用した。

 

政治家は民意へ応えた。

 

民衆は選んだだけ。

 

誰も、自分が最初の石を投げたとは思わなかった。

 

WILKでは、避難用名簿の最初の更新が行われた。

 

家族構成。

 

住所変更。

 

緊急時の集合場所。

 

国外連絡先。

 

持病。

 

移動に補助が必要な者。

 

子供。

 

老人。

 

本人確認用の写真。

 

写しは三か所。

 

一部は暗号化。

 

一部は分割。

 

現金も分散。

 

食料も分散。

 

輸送手段も一つに頼らない。

 

ポーランド軍将校は最終欄へ署名した。

 

「これで足りるか」

 

元独立運動家が答える。

 

「足りない」

 

「何が」

 

「実際に逃げる訓練」

 

「工場を止めて避難訓練をするのか」

 

「火災訓練はする」

 

「暴徒避難訓練と書けるか!」

 

ユダヤ人実業家が言った。

 

「広域災害時退避訓練にしましょう」

 

元ドイツ軍技術者が頷く。

 

「鉄道停止も含める」

 

元白軍将校が付け加える。

 

「道路封鎖も」

 

「飛行場使用不能も」

 

「橋の破壊も」

 

ポーランド軍将校が机を叩いた。

 

「戦争準備ではないか!」

 

四人が彼を見る。

 

「違うのか」

 

元白軍将校が尋ねた。

 

ポーランド軍将校は答えなかった。

 

やがて、書類の題名を書き直した。

 

事業継続および従業員安全確保訓練。

 

元ドイツ軍技術者が読む。

 

「長い」

 

「お前たちが増やした!」

 

少しだけ、以前の会議の空気が戻った。

 

それでも窓の外では、新型発動機が回っている。

 

注文は増える。

 

技術は進む。

 

仕事は戻る。

 

工場は拡張される。

 

WILKにとって、後に黄金期と呼ばれる時代が近づいていた。

 

五人は、その黄金が何で磨かれるのかを、既に知り始めていた。

 

会議が終わった後。

 

ユダヤ人実業家は、各地の暴行記録を一つの箱へ入れた。

 

蓋を閉める。

 

箱の側面には、内容を示す文字。

 

一九三二年以降・地域騒擾および排斥記録。

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「以降、と書くのか」

 

「終わっていませんから」

 

元独立運動家が窓辺に立つ。

 

「また始まったな」

 

ユダヤ人実業家は箱へ手を置いた。

 

「ええ」

 

元白軍将校が首を振る。

 

「始まったのではない」

 

三人が彼を見る。

 

外では、若い工員たちが新しい発動機の試験成功を喜んでいた。

 

拍手。

 

口笛。

 

誰かが帽子を投げる。

 

明るい声。

 

元白軍将校は、その音を聞いた。

 

「戻ってきた」

 

ポーランド軍将校は報告書を閉じた。

 

表紙には、治安回復。

 

経済再建。

 

雇用拡大。

 

国家秩序。

 

力強い言葉が並んでいる。

 

その下で、誰を排除するかを決める条文が増えていた。

 

人々は非合法な暴力を恐れた。

 

その結果、暴力そのものを拒んだのではない。

 

もっと安全な暴力を求めた。

 

自分が殴られない暴力。

 

自分の家族を守る暴力。

 

自分の仕事を増やす暴力。

 

自分の怒りを正しいものにする暴力。

 

そして、自分の手を汚さずに済む暴力。

 

暴力はなくならなかった。

 

ただ、書類を持つようになった。

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