WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――ポーランド陸軍航空部・WILK社新型発動機搭載機要求書
一九三四年

新型空冷星型発動機の搭載により、Bizon系列機の性能向上が見込まれる。

航空部は、増加した出力を以下の用途へ活用することを希望する。

爆弾搭載量の増加。
燃料搭載量の増加。
無線設備の増強。
写真偵察設備の増強。
防御武装の増加。
装甲の追加。
救急搬送人数の増加。
貨物搭載量の増加。
短距離離着陸性能の向上。
上昇性能の向上。
最高速度の向上。

WILK社は、

「同時には実現できない」

と回答した。

航空部は、

「新型発動機を搭載する意味がない」

と再回答した。

WILK社は、

「意味を一つに決めてから送れ」

と要求書を返送した。

要求書は翌日、項目を一つも削除せず再提出された。


第103話 出力が増えた分だけ載せるな

新しい発動機は、古い発動機より大きかった。

 

重かった。

 

高かった。

 

そして、よく回った。

 

試験台へ固定された星型発動機が唸るたび、地面がわずかに震える。

 

排気。

 

油。

 

熱。

 

回転するプロペラが空気を押し、見学位置の帽子を飛ばした。

 

若い工員が走って追う。

 

別の工員が笑う。

 

試験主任が計器を読む。

 

「回転、安定!」

 

「油圧、正常!」

 

「温度、上昇中!」

 

元ドイツ軍技術者は計器板から目を離さなかった。

 

「上昇中ではなく、値を言え」

 

「百六十二!」

 

「単位を言え!」

 

「摂氏です!」

 

「最初から言え!」

 

ポーランド軍将校は少し離れた場所で耳を塞いでいた。

 

「いつまで回す!」

 

「規定時間までだ!」

 

「何分だ!」

 

「あと十一分!」

 

「長い!」

 

「発動機へ言え!」

 

ユダヤ人実業家は、試験台の脇で費用表を見ていた。

 

燃料。

 

潤滑油。

 

交換部品。

 

整備工数。

 

輸入部品。

 

国内加工品。

 

試験一回ごとに、数字が減っていく。

 

「もう少し静かに試験できませんか」

 

元ドイツ軍技術者が振り返る。

 

「発動機を回さずに試験しろと?」

 

「音を半分に」

 

「出力も半分になる」

 

「費用は」

 

「減らん」

 

元独立運動家が、飛ばされた帽子を持って戻ってきた。

 

「町から苦情が来るぞ」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「以前は煙が出ていると怒られ、今度は音が出ていると怒られるのか」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「煙も音も、出している側には仕事ですが、外からは別の意味に聞こえます」

 

元白軍将校は回転する発動機を見た。

 

「今度は、軍靴の音だと言われる」

 

誰も返さなかった。

 

試験台の発動機だけが、力強く回り続けた。

 

一九三四年。

 

軍の注文は増えていた。

 

急にではない。

 

最初は修理。

 

次に既存機の改修。

 

無線機搭載。

 

冬季始動装置。

 

交換用脚。

 

後方銃座。

 

写真機。

 

貨物固定具。

 

それから新造機。

 

小規模注文。

 

追加注文。

 

仕様変更。

 

さらに追加。

 

軍は、一度に大きな数を約束しなかった。

 

予算がない。

 

政情が読めない。

 

隣国の動きも読めない。

 

だが、必要な物の一覧だけは毎月増えた。

 

ポーランド軍将校は、新しい要求書を会議机へ置いた。

 

「航空部からだ」

 

元ドイツ軍技術者が一枚目を読む。

 

「爆弾搭載量増加」

 

二枚目。

 

「航続距離増加」

 

三枚目。

 

「速度増加」

 

四枚目。

 

「装甲増加」

 

五枚目。

 

「離着陸距離短縮」

 

彼は紙を重ねた。

 

「発動機を増やす前に、要求を減らせ」

 

ポーランド軍将校が答える。

 

「軍は全部必要だ」

 

「物理は全部を許可していない」

 

「新型発動機で出力が増える」

 

「重量も増える」

 

「差し引きで余る」

 

「余った分へ全部載せようとしている」

 

元独立運動家が要求書を覗く。

 

「救急搬送六名」

 

「以前は四名だった」

 

「貨物一・五倍」

 

「以前より床を強くした」

 

「後方銃二挺」

 

元白軍将校が顔を上げた。

 

「二挺?」

 

ポーランド軍将校が答える。

 

「単装二基、または連装一基」

 

「射手は」

 

「一名」

 

「腕が四本あるのか」

 

「交互に使う」

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「一人に二挺を渡せば、二挺とも十分に使えない」

 

「敵機は複数来る」

 

「射手は一人だ」

 

ユダヤ人実業家は見積り欄を見た。

 

「二挺分の銃と弾薬を載せても、射手の給料は一人分です」

 

ポーランド軍将校が彼を見る。

 

「そこを評価するな」

 

「軍の考え方としては合理的です」

 

「味方するな!」

 

会議室の黒板へ、Bizon改良型の重量表が書かれた。

 

機体。

 

発動機。

 

燃料。

 

乗員。

 

無線。

 

写真機。

 

装甲。

 

武装。

 

弾薬。

 

爆弾。

 

貨物。

 

担架。

 

食料。

 

工具。

 

予備部品。

 

項目が増えるたび、合計が増える。

 

元ドイツ軍技術者が線を引いた。

 

「最大離陸重量を越えた」

 

ポーランド軍将校が言う。

 

「滑走路を長くする」

 

「短距離離着陸要求と矛盾する」

 

「翼を大きくする」

 

「速度が落ちる」

 

「発動機を強くする」

 

「既に強くした」

 

「もっと強い物を」

 

「まだない」

 

元白軍将校が黒板を見る。

 

「爆弾を減らせ」

 

「爆撃機だぞ」

 

「偵察任務なら要らん」

 

「偵察中に目標を見つけたら」

 

「報告しろ」

 

「その場で叩ける方がよい」

 

「では写真機を下ろせ」

 

「成果確認ができない」

 

元独立運動家が言った。

 

「担架を下ろすか」

 

ポーランド軍将校が振り返る。

 

「救急搬送能力は残せ」

 

「爆弾と負傷者を同時に載せるのか」

 

「帰りに載せる」

 

「爆弾を全部落とした後なら重量は減る」

 

元ドイツ軍技術者の手が止まった。

 

全員も止まる。

 

ポーランド軍将校が慎重に尋ねた。

 

「できるのか」

 

元ドイツ軍技術者は彼を睨んだ。

 

「そこだけ拾うな」

 

元白軍将校は既に黒板へ線を引いていた。

 

往路。

 

爆弾。

 

弾薬。

 

燃料。

 

復路。

 

負傷者。

 

回収部品。

 

郵便。

 

「空荷で帰るなという思想には合う」

 

ユダヤ人実業家も頷く。

 

「往復で異なる任務を設定すれば、稼働率は上がります」

 

ポーランド軍将校が嬉しそうに言った。

 

「やはりできるではないか」

 

元ドイツ軍技術者が机を叩いた。

 

「全任務を同時にできるとは言っていない!」

 

結局、要求は一機へ全部載せるのではなく、搭載構成を分けることになった。

 

偵察構成。

 

爆撃構成。

 

輸送構成。

 

救急構成。

 

地上攻撃構成。

 

長距離連絡構成。

 

共通機体。

 

交換可能な設備。

 

同じ床レール。

 

同じ固定点。

 

同じ配線基部。

 

同じ外部懸架位置。

 

任務ごとに、必要な物だけを載せる。

 

元独立運動家が一覧を作る。

 

「交換時間は」

 

「四時間以内」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

元ドイツ軍技術者が即答する。

 

「無理だ」

 

「新型機だぞ」

 

「新型だから時間が縮むと思うな」

 

「六時間」

 

「整備員の人数は」

 

「通常班」

 

「何人だ」

 

「基地による」

 

「工具は」

 

「標準工具」

 

「標準とはどれだ」

 

ポーランド軍将校が黙る。

 

ユダヤ人実業家が言った。

 

「WILK標準工具一式を販売できます」

 

ポーランド軍将校が振り向く。

 

「今、商売を増やすな」

 

「交換時間を縮めるには工具が必要です」

 

「軍の工具を使う」

 

「各基地で違います」

 

元ドイツ軍技術者が頷いた。

 

「専用工具は減らす。共通工具で扱える部分を増やす。ただし、必要な治具は同梱する」

 

元白軍将校が尋ねる。

 

「なくす」

 

「鎖を付ける」

 

「切る」

 

「番号を振る」

 

「別の箱へ入れる」

 

「箱にも番号を振る」

 

元独立運動家が言った。

 

「箱ごと別任務へ持っていかれる」

 

ユダヤ人実業家が帳簿へ何か書いた。

 

「工具貸出記録票も付けます」

 

ポーランド軍将校が顔を覆った。

 

「飛行機一機で、なぜ帳簿が三冊増える」

 

「工具をなくすからです」

 

四人が同時に答えた。

 

新型発動機を搭載したBizon改良試験機は、格納庫の中央に置かれていた。

 

以前より大きなカウリング。

 

幅の増した発動機架。

 

強化された防火壁。

 

配管は色だけでなく、触れば分かる形に分けられている。

 

燃料。

 

油。

 

消火。

 

空気。

 

夜間。

 

煙。

 

手袋。

 

目が見えにくい状況でも、間違えにくくする。

 

若い整備員が配管を撫でた。

 

「丸が燃料」

 

「半円が油」

 

「二本筋が消火」

 

「これは」

 

「空気」

 

「印が薄い」

 

元ドイツ軍技術者が見る。

 

「塗装で埋まった」

 

「削りますか」

 

「溝を深くしろ」

 

「今から全部?」

 

「量産前だ」

 

整備員は発動機周囲を見る。

 

左右二基。

 

配管。

 

取付金具。

 

交換架。

 

「両方ですか」

 

「両方だ」

 

「今日中に」

 

「できるところまで」

 

「また仕様変更ですか」

 

「試験で見つかった改善だ」

 

「現場では同じ意味です」

 

元ドイツ軍技術者は少し考えた。

 

「違う」

 

「どう違います」

 

「仕様変更は誰かの思いつきだ」

 

ポーランド軍将校が格納庫へ入ってくる。

 

「防弾板をあと二枚追加できるか」

 

元ドイツ軍技術者は整備員を見た。

 

整備員も彼を見る。

 

二人は同時に言った。

 

「思いつきだ」

 

「軍の要求だ!」

 

防弾板の追加位置は、操縦席側面と無線席後方だった。

 

重量。

 

視界。

 

整備性。

 

脱出。

 

元白軍将校が試験機へ乗り込む。

 

操縦席。

 

肩を動かす。

 

横を見る。

 

「狭い」

 

ポーランド軍将校が言う。

 

「弾は通りにくい」

 

「人も通りにくい」

 

「脱出は上から」

 

「機体が裏返ったら」

 

「横から」

 

「板がある」

 

「窓を外す」

 

「飛行中に?」

 

「墜落後だ!」

 

元独立運動家が外から板を叩く。

 

「着脱式にする」

 

元ドイツ軍技術者が反対する。

 

「飛行中に外れたら危険だ」

 

「確実な固定具を」

 

「重くなる」

 

ユダヤ人実業家が尋ねる。

 

「防弾板一枚の価格は」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「今は価格ではない」

 

「量産時には価格です」

 

「乗員の命だぞ」

 

「だから必要数を買える価格にします」

 

元白軍将校が操縦席から顔を出した。

 

「全部を守ろうとするな」

 

ポーランド軍将校が睨む。

 

「どこを捨てろと」

 

「人がいるところを守れ」

 

「だから増やしている」

 

「機体全部を装甲すれば飛べん」

 

元ドイツ軍技術者が図面へ印を付ける。

 

操縦席前面。

 

側面の一部。

 

燃料配管集中部。

 

無線席背面。

 

床下の最小範囲。

 

「重要箇所だけ」

 

ポーランド軍将校は不満そうだった。

 

「敵は重要箇所を避けて撃たない」

 

元白軍将校が答える。

 

「こちらも弾へ説明書を渡せん」

 

初飛行当日。

 

滑走路の脇には、工員と軍関係者が集まっていた。

 

新しい発動機。

 

改良された発動機架。

 

増した出力。

 

少し大きくなった機体重量。

 

試験搭載は最小限。

 

乗員。

 

計測器。

 

必要燃料。

 

工具。

 

赤い麻袋一つ。

 

黄色い麻袋一つ。

 

緑はない。

 

ポーランド軍将校が積荷を確認した。

 

「なぜ食料袋がある」

 

ユダヤ人実業家が答える。

 

「予定外着陸に備えて」

 

「試験飛行だ」

 

「だからです」

 

「赤袋は」

 

「怪我に備えて」

 

「緑は」

 

元白軍将校が言った。

 

「今日は撃たない」

 

「確認しただけだ」

 

元ドイツ軍技術者が搭乗前点検を終える。

 

「右発動機、始動」

 

プロペラが回る。

 

咳き込むような音。

 

白煙。

 

次に安定。

 

左。

 

同じく始動。

 

二基の星型発動機が揃う。

 

以前のBizonより低く、太い音。

 

滑走路周辺の工員が黙る。

 

試験機が動き出す。

 

速度を上げる。

 

尾輪が浮く。

 

主脚が地面を離れる。

 

上昇。

 

以前より早い。

 

明らかに。

 

若い工員から歓声。

 

帽子がまた飛ぶ。

 

今度は誰も追わなかった。

 

全員、空を見ていた。

 

機内。

 

元白軍将校が操縦桿を握る。

 

元ドイツ軍技術者が計器を見る。

 

「上昇率」

 

「以前より良い」

 

「数字で言え」

 

「今読んでいる!」

 

ポーランド軍将校は後席で記録。

 

「軍の要求値へ届くか」

 

「現在重量なら」

 

「実戦重量では」

 

「落ちる」

 

「どの程度」

 

「載せる物による」

 

「全部載せたら」

 

二人が同時に振り返った。

 

「載せるな!」

 

機体が少し揺れる。

 

ポーランド軍将校が座り直す。

 

「前を見ろ!」

 

元独立運動家は貨物室で固定点を確認していた。

 

新しい発動機の振動。

 

床。

 

レール。

 

後方銃座基部。

 

異常なし。

 

ユダヤ人実業家は地上に残っていた。

 

費用の増加を数える役である。

 

高度を取る。

 

旋回。

 

片側出力低下。

 

再加速。

 

低速飛行。

 

脚の収納。

 

展開。

 

以前より機体は重い。

 

だが出力に余裕がある。

 

元白軍将校が言った。

 

「良い」

 

元ドイツ軍技術者は即座に返す。

 

「何が」

 

「操縦」

 

「どこが」

 

「前より急かされない」

 

「報告書に書ける言葉で言え」

 

「操縦者が考える時間が増えた」

 

元ドイツ軍技術者の手が止まる。

 

それは計器の数字ではない。

 

だがWILKにとっては重要だった。

 

上昇中に障害物を避けられる。

 

片発時に降りる場所を選べる。

 

荷物を捨てるか判断できる。

 

再始動を試す時間がある。

 

速度そのものより、選択肢が増える。

 

元ドイツ軍技術者は記録用紙へ書いた。

 

余剰出力により、操縦判断時間が増加。

 

後で軍から、

 

判断時間を爆弾重量へ換算せよ。

 

と言われるかもしれない。

 

それでも書いた。

 

着陸。

 

主脚が出る。

 

巨大な低圧タイヤ。

 

接地。

 

一度跳ねる。

 

二度目は小さい。

 

減速。

 

滑走路を外れない。

 

試験機が止まる。

 

地上員が駆け寄る。

 

元白軍将校が降りる。

 

「どうだった!」

 

ポーランド軍将校が先に尋ねる。

 

「飛んだ」

 

「それは見た!」

 

元ドイツ軍技術者が続いて降りる。

 

「出力余裕あり。油温は許容範囲。振動は右側が少し大きい。脚収納後の抵抗減少は予想どおり。重心は前寄り」

 

「速度は」

 

「後で計算する」

 

「上昇は」

 

「後で計算する」

 

「爆弾は増やせるか」

 

元ドイツ軍技術者が彼を見る。

 

「最初にそれか」

 

元独立運動家が貨物扉を開けた。

 

赤袋。

 

黄色袋。

 

固定に異常なし。

 

黄色い袋を取り出す。

 

中からパン。

 

工員たちへ配る。

 

ポーランド軍将校が叫んだ。

 

「試験機でパンを運ぶな!」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「空いた搭載量の実証です」

 

「パンで何を実証する!」

 

元白軍将校が一つ取る。

 

「帰りを空荷にしなかった」

 

「同じ飛行場だ!」

 

若い工員たちが笑う。

 

久しぶりに、工場全体が遠慮なく笑った。

 

門の外を気にせず。

 

窓を気にせず。

 

誰が聞いているかを気にせず。

 

新しい発動機は回った。

 

機体は飛んだ。

 

仕事が増える。

 

給料が出る。

 

明日も工場へ来られる。

 

その瞬間だけは、それで十分だった。

 

試験終了後。

 

軍の担当者が、改良型Bizonの周囲を歩いた。

 

新しい発動機。

 

強化脚。

 

固定武装四門。

 

後方銃座。

 

貨物扉。

 

担架用床レール。

 

外部懸架点。

 

「良い機体だ」

 

担当者が言った。

 

ポーランド軍将校は胸を張りかけた。

 

元ドイツ軍技術者が先に答える。

 

「まだ試験機だ」

 

「量産できるか」

 

ユダヤ人実業家が尋ねる。

 

「何機です」

 

担当者は曖昧に笑う。

 

「まず十二機」

 

「まず?」

 

「状況によって追加」

 

「契約書には」

 

「十二機」

 

「追加は」

 

「状況による」

 

ユダヤ人実業家の顔から笑みが消える。

 

「前金は」

 

「予算執行後」

 

「材料手配は」

 

「先に始めてほしい」

 

「補償は」

 

「国家の注文だ」

 

五人は同時に、彼を見た。

 

一九一九年。

 

軽郵便機一機。

 

前金なし。

 

資材なし。

 

補償なし。

 

あの時と、言い方がよく似ていた。

 

ポーランド軍将校が咳払いする。

 

「今回は、軍が責任を持つ」

 

ユダヤ人実業家が尋ねる。

 

「誰が署名しますか」

 

担当者はポーランド軍将校を見る。

 

ポーランド軍将校は担当者を見る。

 

元独立運動家が契約書を机へ置く。

 

「署名欄を増やしておいた」

 

元ドイツ軍技術者が尋ねる。

 

「いつ」

 

「昨日」

 

元白軍将校が笑った。

 

「経験が生きたな」

 

ポーランド軍将校は契約書を読んだ。

 

前金。

 

材料価格変動。

 

仕様変更費用。

 

納期変更。

 

検収条件。

 

追加試験。

 

政府都合による契約停止時の補償。

 

十二機分。

 

一つも空欄ではない。

 

「長い」

 

軍担当者が言った。

 

ユダヤ人実業家が答える。

 

「平和が長くないので」

 

担当者は冗談だと思って笑った。

 

五人は笑わなかった。

 

夕方。

 

試験機は格納庫へ戻された。

 

整備員がカウリングを外す。

 

油漏れ。

 

締結部。

 

振動痕。

 

熱変色。

 

飛んだから終わりではない。

 

飛んだ後に、何が壊れかけたかを見る。

 

若い整備員が右発動機架の一部を指した。

 

「ここ、擦れています」

 

元ドイツ軍技術者が寄る。

 

配管留め具。

 

わずかな接触。

 

今は傷だけ。

 

続けば穴が開く。

 

「よく見つけた」

 

整備員が答える。

 

「前の型でも似た場所がありました」

 

「記録は」

 

「持ってきます」

 

古い記録。

 

Tur。

 

初期Bizon。

 

今回の試験機。

 

同じではない。

 

だが、似ている。

 

元ドイツ軍技術者は三枚を並べた。

 

「留め位置を変える」

 

「全機ですか」

 

「十二機全部」

 

「まだ作っていません」

 

「だから今変えられる」

 

若い整備員は笑った。

 

「作る前から修理ですね」

 

「設計とはそういうものだ」

 

格納庫の外。

 

新型発動機の音を聞きつけた町の子供たちが、柵の向こうに集まっていた。

 

飛行機を見たかった。

 

以前、小麦粉を投げられた工員の子供もいた。

 

隣には、投げた側の子供の一人。

 

二人は少し離れて立っている。

 

同じ機体を見上げている。

 

「速かったな」

 

片方が言う。

 

もう片方が頷く。

 

「音が大きい」

 

「前のより」

 

「うん」

 

それだけ。

 

仲直りはしていない。

 

謝ってもいない。

 

忘れてもいない。

 

だが飛行機が飛んだ時、二人とも同じ方向を見た。

 

格納庫から、ポーランド軍将校の怒鳴り声が聞こえる。

 

「救急型へ爆弾架を残すな!」

 

元独立運動家の声。

 

「外す時間が惜しい!」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「空の架でも抵抗になる!」

 

元白軍将校。

 

「負傷者が元気なら爆弾を投げさせろ!」

 

「何を言っている!」

 

子供たちが笑った。

 

柵の内側でも工員が笑う。

 

町のすべてが元へ戻ったわけではない。

 

戻ることもない。

 

それでも喜劇は残っていた。

 

存在できる場所を狭めながら。

 

その夜。

 

ユダヤ人実業家は十二機分の契約書を金庫へ入れた。

 

その隣には、地域騒擾および排斥記録の箱。

 

片方は新しい仕事。

 

片方は、逃げる準備。

 

同じ金庫。

 

同じ鍵。

 

彼はしばらく二つを見た。

 

工場は大きくなる。

 

注文は増える。

 

発動機は強くなる。

 

飛行機は速くなる。

 

新聞はいずれ、復興と再軍備の時代を華やかに書くだろう。

 

若者は操縦席へ憧れる。

 

工員は新しい旋盤を喜ぶ。

 

軍人は航続距離と爆弾搭載量を比べる。

 

政治家は雇用者数を演説で読み上げる。

 

すべて本当だった。

 

そして、別のことも本当だった。

 

この仕事が必要とされる理由。

 

この飛行機が飛ぶ場所。

 

この発動機の出力が運ぶもの。

 

ユダヤ人実業家は金庫を閉めた。

 

鍵を回す。

 

背後で元白軍将校が言った。

 

「黄金期だな」

 

「まだ十二機です」

 

「数の話ではない」

 

「では」

 

元白軍将校は格納庫の方を見る。

 

夜間整備の灯り。

 

磨かれた金属。

 

新しい工具。

 

働く人影。

 

「血の匂いがする仕事は、よく光る」

 

ユダヤ人実業家は返事をしなかった。

 

格納庫の中から、またポーランド軍将校の声がした。

 

「出力が増えたからといって、全部載せるな!」

 

元ドイツ軍技術者が怒鳴り返す。

 

「それを軍へ言え!」

 

ユダヤ人実業家は、ようやく少し笑った。

 

華やかな呪われた時代は、

 

まず十二機の注文書を持って、

 

WILKの門をくぐった。

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家出人、別名「歴史の観測者」(作者:未来で勘違い)(オリジナル歴史/冒険・バトル)

ただ自由を求めた旅人が無自覚に歴史の転換点を踏み抜き黒幕扱いされてしまう勘違いもの▼未来で評価考察され、過去と落差があるやつが好きです。


総合評価:8222/評価:8.78/完結:9話/更新日時:2026年06月21日(日) 09:02 小説情報

カードゲーム世界で考察配信したら、黒幕っぽくて楽しい(作者:マクロコスモス)(オリジナル現代/冒険・バトル)

カードゲーム世界で無名配信者をしていたヒカルは、ある時カードのイラストやフレーバーに関する考察配信をしてみることにした。▼転生者特有のメタ読みを活用した結果、見事にカードの裏に潜む悪の組織の意図に気付き、組織が壊滅。▼まるで黒幕のようだと、ヒカルは思う。▼そんな状況でヒカルは――喜んで配信を続けることにした。▼なぜなら彼は人の嫌がることが大好きな陰湿デッキ使…


総合評価:25910/評価:8.64/連載:14話/更新日時:2026年07月31日(金) 18:00 小説情報

地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)(作者:あなたへのレクイエムです)(原作:HUNTER×HUNTER)

「ねえ! あなたの目を、私にちょうだい? 綺麗な瓶に入れて、毎日眺めたいの!」▼アンドー=ルモアが出会ったのは間違いなく地雷系の女の子だった。ウワーッ!?▼ヨークシンシティのオークションまであと10年。▼ネオン=ノストラードの"破裂"する運命は変えられるのか。▼※掲示板形式主体作品の検索利便性を考慮しタグを控えていますが、幕間の末尾などに…


総合評価:69164/評価:9.03/完結:60話/更新日時:2026年06月16日(火) 20:01 小説情報


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