一九三四年
航空発動機および機体生産に必要な輸入資源について、供給元からポーランド国内工場へ直接搬入する現行方式を再検討した。
対象。
特殊鋼。
アルミニウム材。
銅。
軸受。
天然ゴム。
耐熱材。
絶縁材。
工作機械。
精密測定器。
潤滑油および防錆剤。
現行方式の問題。
到着後に規格不適合が判明する。
輸送中の破損と製造時の不良を区別できない。
証明書と現物が一致しない場合がある。
不適合品を返送する費用が高い。
一度ポーランドへ集積すると、別国の工場へ回しにくい。
輸入許可、鉄道、港湾のいずれかが止まると全量が滞留する。
北欧の港湾都市に、受入倉庫、材料検査所および工作機械調査部門を設ける案を提出する。
候補国。
ノルウェー。
陸軍航空部は、
「ポーランドで使う材料を、なぜ一度ノルウェーへ送るのか」
と質問した。
WILK社は、
「ポーランドで使えない材料を、ポーランドまで運ばないためである」
と回答した。
陸軍航空部は、
「使える物はすべて本国へ送れ」
と指示した。
WILK社は、
「すべて本国へ送れば、本国以外では使えない」
と再回答した。
航空部は、回答が質問への返答になっているか検討中である。
ノルウェー支社を作る話は、倉庫不足から始まった。
共同材料倉庫へ、英国から特殊鋼が届いた。
フランスから銅管。
スウェーデンから軸受鋼。
ベルギー経由で中古研削盤。
米国から測定器。
全部、ポーランドへ入ってきた。
そして全部、置く場所がなかった。
倉庫の通路には木箱。
壁際には棒材。
天井近くまで積まれた防錆紙。
検査待ちの材料。
返品待ちの材料。
送り先未定の機械。
ポーランド軍将校は通路へ横向きに入った。
「これ以上置けん」
ユダヤ人実業家が答えた。
「だから国外へ置きます」
「国外へ置いた物は使えん」
「必要な分だけ送ります」
「全部必要だ」
元ドイツ軍技術者が棒材の札を確認した。
「これは使えん」
ポーランド軍将校が振り向く。
「なぜ」
「規格が違う」
「証明書には航空用とある」
「硬さが足りない」
「なら返品しろ」
ユダヤ人実業家が運賃表を見る。
「ここから英国へ戻すと、買値の三割以上かかります」
「では台車へ使え」
元ドイツ軍技術者が言った。
「高い台車になる」
元独立運動家が一本持ち上げる。
「工具へ回す」
「工具鋼ではない」
「杭は」
「鋼を見れば全部杭にするな」
元白軍将校が倉庫の奥を見た。
「届く前に調べられなかったのか」
ユダヤ人実業家は答えた。
「書類上は合格品でした」
「現物は違う」
「ええ」
「なら現物を見る場所を、もっと手前に置け」
全員が彼を見た。
ポーランド軍将校が言う。
「手前とはどこだ」
ユダヤ人実業家は壁の地図を指した。
北海。
バルト海。
英国。
スウェーデン。
ノルウェー。
「港です」
候補地の資料が集められた。
オスロ。
銀行。
商社。
港。
鉄道。
政府機関。
ただし土地が高い。
南部の工業港。
化学工場。
金属工場。
水力電力。
大型貨物を扱える岸壁。
土地は比較的安い。
ただし商業事務所から遠い。
ポーランド軍将校が資料をめくった。
「どちらか一つにしろ」
ユダヤ人実業家が答えた。
「両方です」
「支社は一つだ」
「登記は一つです」
「建物が二つある」
「用途が違います」
「支社は建物ではないのか」
元独立運動家が言った。
「会社は建物ではない」
「お前は話を広げるな」
元ドイツ軍技術者は工業港の設備表を見ていた。
「硬さ試験機がある」
「現地工場のものです」
「借りられるか」
ユダヤ人実業家が答える。
「共同出資すれば」
ポーランド軍将校が資料から顔を上げた。
「もう出資の話か」
「先方は設備更新資金を探しています」
「まだ支社もないぞ」
「支社がないから、既存企業を使います」
元白軍将校が尋ねた。
「倉庫は」
「港湾会社が空き倉庫を持っています」
「誰の会社だ」
「共同経営者の知人です」
ポーランド軍将校は目を細めた。
「お前の知人ではないのか」
「会ったことはありません」
「ではなぜ信用できる」
「祖父の代から取引があります」
部屋が静かになった。
「祖父?」
「魚油と穀物です」
「航空資材の話ではなかったか」
「商売は航空機が生まれる前からあります」
元白軍将校が少し笑った。
「飛行機より古い道か」
「ええ」
ノルウェー側の港湾会社は、小さかった。
倉庫三棟。
荷役用クレーン二基。
事務所。
防錆包装の作業場。
魚油と機械部品を扱っている。
共同経営者は年老いたノルウェー人だった。
ユダヤ人実業家を見ると、最初に言った。
「父親に似ていない」
「よく言われます」
「祖父には少し似ている」
「会ったことが?」
「港で樽を数えた」
ポーランド軍将校が小声で尋ねる。
「何年前だ」
元白軍将校が答える。
「聞かない方がよい」
年老いた共同経営者は、倉庫の鍵をユダヤ人実業家へ見せた。
「これはお前の家から預かった」
ポーランド軍将校が目を見開く。
「支社を作りに来たのではないのか」
ユダヤ人実業家は鍵を見た。
古い真鍮。
番号。
一族の商標。
「まだ残っていたのですか」
「倉庫は建て替えた。鍵だけ残した」
「何の倉庫だった」
「乾燥魚、亜麻仁油、銅線。時々、逃げてきた商人の荷物」
年老いた共同経営者は鍵を机へ置いた。
「持ち主は戻らなかった」
ユダヤ人実業家は、すぐには手を伸ばさなかった。
「相続人は」
「手紙を三度出した。返事はない」
「帳簿は」
「ある」
「利益は」
「倉庫維持へ使った。残りは別口座だ」
ポーランド軍将校が二人を見比べた。
「どういう関係だ」
年老いた共同経営者が答えた。
「預かっただけだ」
元白軍将校が静かに言った。
「同じ種類の人間か」
ユダヤ人実業家は鍵を受け取った。
「帳簿を確認します」
「倉庫も使え」
「先に持分を整理します」
「今でもそこからか」
「今だからです」
倉庫は空ではなかった。
魚油の樽。
機械油。
木箱。
船舶部品。
古い織機。
分解された小型発電機。
壁際には、梱包された旋盤が一台。
ポーランド軍将校が言った。
「もう工作機械がある」
年老いた共同経営者が答えた。
「英国の工場から買った。買主が潰れた」
元ドイツ軍技術者が木箱を開ける。
油紙。
鋳鉄。
主軸。
付属品。
「比較的新しい」
「一九二九年製だ」
「なぜ売らない」
「買い叩かれた」
ユダヤ人実業家が帳簿を見る。
「保管費が機械の価値へ近づいています」
「だからお前に売る」
「所有者は」
「銀行だ」
「銀行の同意は」
「取った」
「価格は」
年老いた共同経営者は紙を出した。
ユダヤ人実業家が見る。
少し黙る。
「安すぎます」
ポーランド軍将校が驚いた。
「安いなら買え」
「後で問題になります」
「高く買う気か」
「正しい価格で買います」
年老いた共同経営者が笑った。
「祖父と同じことを言う」
「祖父はどうしました」
「値切った」
ユダヤ人実業家は初めて少し困った顔をした。
元白軍将校が笑った。
「似ていないな」
ノルウェー支社の最初の仕事は、支社を作ることではなかった。
倉庫の中身を数えることだった。
誰の物か。
いつ入ったか。
保険は残っているか。
税は払われているか。
持ち主は生きているか。
相続人はいるか。
売ってよいか。
動かしてよいか。
ポーランド軍将校は三日目に音を上げた。
「古い樽一本まで調べる必要があるのか」
ユダヤ人実業家が答えた。
「他人の物なら」
「中身は油だ」
「所有者は油ではありません」
「腐っていたら」
「処分します」
「なら今捨てろ」
「処分権を確認してからです」
元独立運動家は樽を叩いた。
「中身を燃料へ使える」
元ドイツ軍技術者が言った。
「成分を調べろ」
「燃えればよい」
「発動機へ入れる気か」
「暖房だ」
「先に言え」
元白軍将校は、棚の上の小箱を見つけた。
中には手紙。
鍵。
株券。
古い家族写真。
年老いた共同経営者が言った。
「戻らなかった男の荷物だ」
「何年」
「十四年」
「家族は」
「分からん」
ユダヤ人実業家は箱の番号を帳簿へ写した。
「持って帰るのか」
「ここへ残します」
ポーランド軍将校が尋ねた。
「なぜ」
「最後に置かれた場所だからです」
一瞬だけ、誰も話さなかった。
元独立運動家が古い織機を指した。
「これは誰のだ」
年老いた共同経営者が答える。
「私のだ」
「なら分解して棚を作る」
「やめろ」
会話は元へ戻った。
検査所には、すぐ立派な研究設備を置けなかった。
最初に揃ったもの。
秤。
寸法測定器。
硬さ試験機。
小型切断機。
研磨機。
顕微鏡。
加熱炉。
薬品棚。
防錆試験箱。
引張試験機は高かった。
現地の造船所から借りることになった。
ただし造船所側の予約が優先。
元ドイツ軍技術者が言った。
「必要な時に使えん」
ユダヤ人実業家が答える。
「最初から全部買う金はありません」
「発動機工場へ出資したばかりだ」
「ええ」
ポーランド軍将校が言った。
「支社を増やしすぎではないか」
ユダヤ人実業家は首を振る。
「ここはまだ支社ではありません」
「では何だ」
「出張所です」
「登記書類には支社とあるぞ」
「登記上は支社です」
「さっき違うと言った!」
元白軍将校が倉庫の扉を開ける。
「風が入るぞ」
元ドイツ軍技術者が叫ぶ。
「試験片へ潮風を当てるな!」
最初に検査されたのは、スウェーデンから届いた軸受鋼だった。
証明書。
寸法。
重量。
硬さ。
表面。
切断。
組織確認。
三十本中、二本だけ硬さが違った。
同じ束。
同じ札。
同じ出荷書類。
元ドイツ軍技術者が言った。
「別ロットが混じった」
現地倉庫員が尋ねる。
「使えないのか」
「用途による」
「発動機へは」
「使わない」
「台車へは」
「使える」
ポーランド軍将校が言った。
「なら全部ポーランドへ送れ」
ユダヤ人実業家が答えた。
「二本だけ別の送り先へ回します」
「一緒に送ればよい」
「国内でまた分けるのですか」
「分ければよい」
「そのための倉庫と人が必要です」
「もうある」
「足りないからここを作っています」
ポーランド軍将校は黙った。
元独立運動家が二本へ大きな札を付けた。
航空発動機使用禁止。
一般機械用。
さらに端へ溝を一本入れた。
元ドイツ軍技術者が言う。
「勝手に削るな」
「見分けるためだ」
「材料へ傷を入れるな」
「端だけだ」
「切断予定位置ならよい」
ポーランド軍将校が言った。
「先に相談しろ」
元独立運動家は溝の位置を少し変えた。
「今相談した」
英国から届いたアルミニウム板は、品質に問題がなかった。
だが木箱の内側が湿っていた。
海上輸送中に水が入ったらしい。
表面に白い腐食。
浅い。
研磨すれば使える。
ただし全部をポーランドへ送り、そこで初めて開梱していれば、さらに進んでいた可能性がある。
現地倉庫員が言った。
「箱は無傷だった」
元ドイツ軍技術者が内側を見る。
「釘穴から入った」
家具工場へ電報。
海上輸送箱、釘部防水を強化。
内側防湿紙追加。
箱底を二重化。
家具工場から返電。
重量増加。
WILK。
許容。
家具工場。
価格増加。
ユダヤ人実業家。
許容範囲を送れ。
家具工場。
先に価格を聞くのか。
ユダヤ人実業家。
先に聞かないと軍が怒る。
ポーランド軍将校が電報を読んだ。
「私のせいにするな」
「事実です」
中古工作機械の検品も始まった。
一台目。
外観良好。
主軸摩耗。
送りねじに遊び。
電動機付き。
電圧が違う。
二台目。
精度良好。
制御盤なし。
三台目。
付属品完備。
輸送中に台座が割れている。
四台目。
動く。
説明書がない。
五台目。
説明書だけ届いた。
ポーランド軍将校は木箱を覗いた。
「本体は」
倉庫員が答えた。
「別の船です」
「なぜ分けた」
「保険会社の指示です」
「説明書だけ先に来てどうする」
元ドイツ軍技術者が受け取る。
「読む」
ポーランド軍将校が彼を見る。
「喜んでいないか」
「説明書があるだけ前回よりよい」
元独立運動家は割れた台座を叩いた。
「溶接で直す」
「鋳鉄だ」
「金具を当てる」
「精度が狂う」
「なら台座を作る」
「工作機械の台座を簡単に言うな」
ノルウェーの造船所技師が割れ目を見た。
「船の機関台より小さい」
元ドイツ軍技術者が振り向く。
「作れるのか」
「精度を出すなら時間が要る」
「どれくらい」
「二週間」
ユダヤ人実業家が尋ねる。
「費用は」
技師が答える。
ユダヤ人実業家は少し考えた。
「お願いします」
ポーランド軍将校が言った。
「ポーランドへ送って直せば」
「壊れた機械を運ぶのですか」
「直してから送る」
「だからここで直します」
また一つ、支社の仕事が増えた。
倉庫の一角には、材料を用途別に分ける棚が作られた。
即時出荷。
検査待ち。
再検査。
一般工業用。
航空用。
発動機用。
工作機械修理用。
返品。
所有者確認中。
ポーランド軍将校が最後の棚を指した。
「それは必要か」
ユダヤ人実業家が答えた。
「最初からありました」
古い箱。
鍵。
帳簿。
誰かが戻るまで動かさない物。
「新しい資材と一緒に置くな」
元ドイツ軍技術者が言う。
「棚を分けろ」
「分けています」
「部屋も分けろ」
「増築が必要です」
ポーランド軍将校が警戒する。
「また建てるのか」
元独立運動家が倉庫の奥を測っていた。
「壁を動かせる」
年老いた共同経営者が叫ぶ。
「人の倉庫を勝手に広げるな!」
元白軍将校が言った。
「もう共同出資だ」
「だから余計に勝手にするな!」
輸送経路も試された。
第一経路。
ノルウェー港から船でバルト海へ入り、ポーランド港へ。
第二経路。
ノルウェーからスウェーデンへ鉄道。
そこからバルト海経由。
第三経路。
英国へ戻し、別便でフランス支社へ。
第四経路。
現地で売却し、代わりに必要物資を買う。
ポーランド軍将校が四つ目を見た。
「送らないのか」
ユダヤ人実業家が答える。
「ポーランドで不要なら」
「買った物だぞ」
「必要な物へ換えます」
「資源は備蓄しろ」
「すべてを?」
「使える物は」
元白軍将校が尋ねた。
「いつ使う」
「戦時には必要になる」
「戦時にポーランドへ取りに戻れるか」
ポーランド軍将校が黙る。
ユダヤ人実業家は地図へ線を引いた。
ノルウェー。
英国。
フランス。
ポーランド。
「本国備蓄は必要です」
次の線。
スウェーデン。
ノルウェー。
英国。
「本国以外の備蓄も必要です」
「敵に奪われる」
「本国も奪われます」
部屋が静かになった。
ポーランド軍将校の顔が変わる。
元白軍将校がユダヤ人実業家を見る。
元独立運動家は何も言わなかった。
元ドイツ軍技術者は材料表へ目を落とした。
ユダヤ人実業家だけが地図を見ていた。
「どこも安全ではありません」
彼は続けた。
「だから一か所へ集めないのです」
ポーランド軍将校は、しばらく返事をしなかった。
やがて小さく言う。
「今は平時だ」
ユダヤ人実業家が答えた。
「今しか分けられません」
ノルウェー支社の備蓄量は、当初予定より少なく決められた。
大量の鋼材を積み上げる案は却下。
代わりに置かれたもの。
特殊鋼の標準試料。
材料検査記録。
供給者一覧。
代替供給者一覧。
工作機械の部品表。
測定器。
防錆包装材。
小口の重要資源。
複数通貨の口座。
船会社との契約。
保険会社との契約。
通関担当者。
翻訳者。
倉庫員。
検査技師。
修理工。
港湾労働者。
現物だけでなく、現物をもう一度集める能力を置く。
元白軍将校が一覧を見た。
「倉庫に人間まで数えるのか」
ユダヤ人実業家が答えた。
「機械は勝手に検査しません」
「人間は備蓄できん」
「だから雇います」
ポーランド軍将校が言った。
「雇用表へ備蓄と書くな」
「書いていません」
「顔がそう言っている」
検査所の開所日。
式典は小さかった。
ノルウェー側の役人。
港湾会社。
造船所。
化学工場。
銀行。
WILK。
倉庫前へ机。
旗。
パン。
魚。
コーヒー。
ポーランド軍将校は挨拶文を渡された。
北欧とポーランドの産業協力。
平和的通商。
雇用創出。
品質向上。
海上輸送の発展。
「悪くない」
ユダヤ人実業家が言った。
「軍需とは書いていません」
「発動機材料を扱うのだろう」
「農機具にも船にも使えます」
「航空部が出資している」
「一部です」
「どこまで民間事業なんだ」
元独立運動家が魚を食べながら言った。
「魚を運んでいる間は民間だ」
「食べながら決めるな」
元ドイツ軍技術者は式典を抜け、硬さ試験機の水平を確認していた。
ポーランド軍将校が呼ぶ。
「写真を撮るぞ」
「試験機が傾いている」
「後で直せ」
「後では最初の試験が間違う」
元白軍将校が写真へ入る。
「いつものことだ」
結果、開所記念写真には四人しか写らなかった。
元ドイツ軍技術者は背景で床へしゃがんでいた。
最初の正式出荷は、発動機用特殊鋼十二束。
検査済み。
番号確認。
防錆。
梱包。
二経路へ分ける。
八束はポーランドへ。
二束は英国支社へ。
一束はフランス支社。
一束はノルウェーに残す。
ポーランド軍将校が言った。
「十二束全部、発動機工場が注文した」
ユダヤ人実業家が答える。
「今月必要なのは八束です」
「残りもいずれ使う」
「必要になったら送ります」
「輸送が止まったら」
「本国に八束あります」
「足りなくなったら」
「国外に四束あります」
「国外へ取りに行けなければ」
元白軍将校が言った。
「本国へ全部置いて奪われたら、十二束ともなくなる」
ポーランド軍将校は納得していない顔をした。
だが出荷書類へ署名した。
八。
二。
一。
一。
最初の分散備蓄。
小さな数字だった。
夜。
ユダヤ人実業家は、古い倉庫の事務所で帳簿を読んでいた。
新しい帳簿。
材料。
工作機械。
検査。
輸送。
雇用。
古い帳簿。
魚油。
穀物。
銅線。
預かり品。
返還先不明。
二つの帳簿は、表紙の色も紙も違った。
だが書かれていることは似ていた。
誰から受け取ったか。
どこへ送ったか。
誰が責任を持つか。
戻ってきた時、何を返すか。
年老いた共同経営者が入ってきた。
「鍵は使えたか」
「新しい錠前には合いません」
「当然だ」
「残しておきます」
「なぜ」
ユダヤ人実業家は古い鍵を机へ置いた。
「この倉庫が、私たちより前からここにあった証明です」
「倉庫は建て替えたぞ」
「約束は残っています」
年老いた共同経営者は椅子へ座った。
「お前の家は昔から面倒だ」
「よく言われます」
「預かった物を返そうとする」
「返さない家よりは」
「返した後も、また預けられる」
ユダヤ人実業家は少し笑った。
「それも、よくあります」
翌朝。
ノルウェー支社から最初の報告書がポーランドへ送られた。
特殊鋼十二束を検査。
八束を本国へ出荷。
四束を国外分散。
中古工作機械五台を検査。
二台修理可能。
一台部品取り。
一台返品。
一台、本体未着。
倉庫能力は不足。
検査人員も不足。
引張試験機は借用品。
ただし、運用開始可能。
航空部から返電。
なぜ四束を国外に残した。
ユダヤ人実業家は返事を書いた。
八束を本国へ送るためです。
ポーランド軍将校が読んだ。
「また分かりにくい」
「本国の倉庫へ十二束入らないので」
「そう書け」
「それだけが理由ではありません」
「なら全部書け」
ユダヤ人実業家は新しい紙を出した。
だが、長い説明は書かなかった。
一か所へ全量を置かないこと。
一経路へ全量を載せないこと。
一国の許可へ全量を預けないこと。
備蓄とは、物を集めることではない。
必要な時に、必要な場所へ残っている状態を作ることである。
ポーランド軍将校は最後まで読んだ。
「航空部は嫌がるぞ」
元白軍将校が言った。
「嫌がっても鋼は四か所にある」
元独立運動家が地図へ新しい線を引く。
「次は西だな」
ポーランド軍将校が警戒した。
「どこへ行く気だ」
ユダヤ人実業家は、机の端に置かれた北大西洋航路表を見る。
英国。
アイスランド。
カナダ。
米国。
「海の途中です」
「海の途中に何がある」
元白軍将校が答えた。
「次の港がある」
ノルウェー支社の倉庫には、すべての資源が揃っていたわけではない。
鋼材は少ない。
アルミニウム板も少ない。
工作機械は壊れている。
検査設備は借り物。
職員も足りない。
それでもそこには、
材料を受け取る者がいた。
使えるか調べる者がいた。
直せるか考える者がいた。
別の港へ送り直す者がいた。
誰の物かを記録する者がいた。
そして、戻ってくる者のために古い鍵を保管する者がいた。
WILKはノルウェーへ資源を備蓄した。
だが最初に置かれた最も重要なものは、鋼でも機械でもなかった。
本国が止まっても、
別の場所で仕事を続けるという習慣だった。