一九三四年
黒海、バルカンおよび東地中海方面から調達可能な資源、農産物、燃料、工作機械について、トルコ国内に商業調査拠点を設ける案を提出する。
候補地。
イスタンブール。
イズミル。
メルスィン。
主な業務。
黒海および地中海航路の運賃調査。
船舶通過日数の記録。
バルカン、中東およびコーカサス方面の供給業者調査。
綿花、皮革、油脂、鉱石、穀物および木材の買付け。
石油製品、工作機械および化学原料の品質確認。
地中海側への貨物振分け。
食品、医薬品、燃料および汎用工具の小口備蓄。
船会社、鉄道会社、銀行および保険会社との連絡。
陸軍航空部は、
「ソ連に近すぎる」
と指摘した。
WILK社は、
「ソ連から遠い場所では、ソ連から出てくる物を調べられない」
と回答した。
陸軍航空部は、
「危険な場所へ支社を置くな」
と再回答した。
WILK社は、
「危険が近づいてから置く方が危険である」
と回答した。
航空部は、危険の定義を照会中である。
トルコ支社を作る話は、油から始まった。
航空発動機用ではない。
工作機械用。
発動機工場周辺へ導入された中古旋盤、研削盤、歯切盤。
それらの潤滑油の一部が不足していた。
英国製。
ドイツ製。
フランス製。
製造国ごとに指定油が違う。
輸入先も違う。
価格も上がっている。
ユダヤ人実業家は、机へ缶を並べた。
「同じ機械油ではないのか」
ポーランド軍将校が尋ねた。
元ドイツ軍技術者が缶を一つずつ指した。
「粘度が違う」
「混ぜれば中間になる」
「軍人はなぜ平均を好む」
「足りないのだろう」
「軸受が焼ける」
元独立運動家が缶を傾けた。
「どれかで代用できないか」
「試験する」
「なら混ぜる」
「勝手に混ぜるな」
元白軍将校が言った。
「油がなければ機械は止まる」
ユダヤ人実業家は別の資料を出した。
「黒海方面から、石油製品と機械油を調達できる可能性があります」
ポーランド軍将校が資料を見る。
「ルーマニアか」
「ルーマニアも」
「ほかは」
「ソ連」
部屋が静かになった。
元白軍将校が資料を取る。
「売るのか」
「売ります」
「止めるかもしれん」
「止めるでしょう」
ポーランド軍将校が顔をしかめた。
「なら頼るな」
ユダヤ人実業家は頷いた。
「頼りません。買います」
「同じだ」
「違います」
「どう違う」
「買える間だけ買い、買えなくなっても止まらないよう、別の供給元も持ちます」
元ドイツ軍技術者が言った。
「油の規格確認が要る」
「どこで」
ユダヤ人実業家は地図を広げた。
黒海。
ボスポラス海峡。
マルマラ海。
ダーダネルス海峡。
地中海。
「出口で」
イスタンブールの事務所は、支社というより商人の巣だった。
船会社。
保険会社。
銀行。
通関業者。
穀物商。
油商。
織物商。
鉱石仲介。
各国語の看板。
港には黒海から来た船と、地中海へ出る船が同じ水面に浮かんでいる。
ポーランド軍将校は窓から海峡を見た。
「ここを全部通るのか」
現地代理人が答えた。
「全部ではありません」
「黒海から出る船は」
「多くが」
「なら全部に近い」
「軍艦と商船では違います」
「今は商船の話だ」
元白軍将校は窓辺へ近づいた。
石炭船。
油槽船。
穀物船。
木材。
機械。
乗客。
「船を見れば国が分かる」
現地代理人が言った。
「旗を見れば」
元白軍将校は首を振る。
「旗は変えられる」
ユダヤ人実業家が帳簿を開いた。
「積荷は変えにくい」
ポーランド軍将校が振り返る。
「情報機関を作る気か」
「運賃表を作ります」
「今、船を見て国が分かると言ったぞ」
「商売では重要です」
「何を運んでいるかも?」
「価格に影響します」
元独立運動家が窓から身を乗り出す。
「向こうの船は機械だな」
現地代理人が答えた。
「農業機械です」
元ドイツ軍技術者が尋ねる。
「型式は」
「そこまでは」
「調べろ」
ポーランド軍将校が叫ぶ。
「やはり情報機関ではないか!」
イスタンブール事務所の最初の業務は、船を数えることだった。
黒海から出た船。
黒海へ入った船。
油。
穀物。
石炭。
木材。
工作機械。
自動車。
織物。
化学製品。
積荷が分からない場合は、船会社、通関業者、港湾労働者、保険会社の記録を突き合わせる。
ユダヤ人実業家は調査票を作った。
船名。
船籍。
出港地。
寄港地。
積荷分類。
数量。
運賃。
保険料。
遅延。
検査結果。
「多すぎる」
現地代理人が言った。
「全部埋めなくてよいです」
「空欄が増える」
「空欄も情報です」
ポーランド軍将校が聞いた。
「何が分かる」
「分からない貨物が増えたことが分かります」
「何の役に立つ」
元白軍将校が答えた。
「隠し始めたと分かる」
現地代理人が二人を交互に見た。
「商売の話では?」
ユダヤ人実業家は穏やかに答えた。
「商売です」
事務所へ、ソ連製の工作機械が持ち込まれた。
小型旋盤。
金属は厚い。
仕上げは粗い。
重い。
付属工具は少ない。
説明書はロシア語。
元ドイツ軍技術者は主軸を回した。
「悪くない」
ポーランド軍将校が驚いた。
「粗いぞ」
「外側は」
「中は」
「測る」
現地代理人が尋ねる。
「買うのですか」
ユダヤ人実業家が答えた。
「状態次第です」
「ソ連製ですよ」
元白軍将校が彼を見る。
「だから何だ」
「政治的に」
ポーランド軍将校が先に言った。
「政治的には面倒だ」
元ドイツ軍技術者は旋盤へ測定器を当てる。
「主軸精度は政治で変わらん」
「供給は止まる」
ユダヤ人実業家が答えた。
「交換部品も一緒に買います」
元独立運動家。
「二台買う」
「一台を部品取りにする気か」
「最初からそうする」
元ドイツ軍技術者が止めた。
「動く機械を最初から壊すな」
「壊れたら使う」
「なら予備部品を買え」
「売ってくれるか」
現地代理人が肩をすくめた。
「交渉します」
ポーランド軍将校がため息をついた。
「結局買うのか」
ユダヤ人実業家は価格表を見る。
「英国製中古旋盤の半額です」
「安いな」
「政治は精度へ影響しないのでは」
元ドイツ軍技術者が言った。
「価格へは影響する」
試運転。
旋盤は回った。
音は大きい。
振動も少しある。
だが荒加工には使える。
送り機構は単純。
部品が大きい。
現場で直しやすい。
元独立運動家が気に入った。
「よい」
元ドイツ軍技術者が言った。
「何が」
「壊れても見える」
「歯車箱を開けたからだ」
「開けやすい」
「油が漏れている」
「場所も分かる」
ポーランド軍将校が言った。
「WILKと同じような評価をするな」
ユダヤ人実業家は購入条件へ項目を足した。
予備軸受。
歯車。
送りねじ。
工具。
説明書。
油。
現地代理人が尋ねる。
「説明書は読めるのですか」
元白軍将校が答えた。
「私が読む」
ポーランド軍将校が彼を見る。
「ロシア語ができるのか」
「できる」
「今まで言わなかったな」
「聞かれなかった」
ユダヤ人実業家が少し笑った。
「よくあることです」
油の試験は、イスタンブールではできなかった。
簡単な粘度確認はできる。
だが長時間運転。
低温。
高温。
腐食。
軸受との相性。
発動機工場へ送る前に、もう少し設備が必要だった。
元ドイツ軍技術者が言った。
「検査室を作る」
ポーランド軍将校が警戒した。
「また支社が工場になる」
ユダヤ人実業家は首を振る。
「イスタンブールには置きません」
「ではどこへ」
「イズミルかメルスィン」
「なぜ増える」
「港が違います」
「同じ国だ」
「同じ国でも、海が違います」
元独立運動家が地図を見る。
「イズミルならエーゲ海」
「メルスィンなら東地中海」
元白軍将校が言った。
「黒海側に全部置くな」
ポーランド軍将校は眉を寄せた。
「ソ連が攻めてくると?」
「攻めるかどうかは知らん」
「では」
「出口が一つしかない倉庫は、出口を倉庫へ変える」
一瞬、誰も意味を取れなかった。
元独立運動家が先に頷く。
「塞がれたら中身が出ない」
「最初からそう言え」
元白軍将校は窓の外の海峡を見た。
「最初からそう言った」
イズミルには商社を置いた。
綿花。
皮革。
油脂。
乾燥果物。
木材。
機械部品。
地中海航路。
小さな倉庫。
検品台。
秤。
水分計。
油の簡易試験器。
現地の織物商が共同出資者になった。
彼はユダヤ人実業家を見るなり言った。
「祖父から手紙を預かっている」
ポーランド軍将校が顔を上げた。
「またか」
共同出資者は古い封筒を出した。
封は切られている。
中には短い文。
港が変わっても、荷を捨てるな。
戻ってきた者へ、帳簿を見せよ。
ユダヤ人実業家は読んだ。
「いつのものです」
「戦争の頃だ」
「前の戦争か」
「この辺りでは、そう言わないと分からん」
元白軍将校が小さく笑った。
共同出資者は続けた。
「お前の家は、一度ここから荷を逃がした」
「どこへ」
「エジプト。少しはポルトガル」
ポーランド軍将校が驚いた。
「ポルトガルまで?」
「海はつながっている」
元独立運動家が頷く。
「道がある」
ユダヤ人実業家は手紙を畳んだ。
「帳簿は」
共同出資者は倉庫を指した。
「ある。利益は少ない」
「借金は」
「もっと少ない」
「従業員は」
「十二人」
「残します」
「まだ何も見ていないぞ」
「残した理由があります」
共同出資者は彼を見た。
「祖父より面倒だな」
「よく言われます」
メルスィンには倉庫だけを置く予定だった。
だが、港へ着くと話が変わった。
穀物。
綿花。
油脂。
木箱。
地中海沿岸から来る果物。
内陸へ向かう鉄道。
レヴァント方面の船。
現地倉庫会社は、冷蔵設備を欲しがっていた。
ユダヤ人実業家が設備表を見る。
「魚は」
「少ない」
「肉は」
「ある」
「果物は」
「多い」
「薬は」
「暑さで傷む」
元独立運動家が言った。
「冷蔵庫を入れる」
ポーランド軍将校が頭を抱える。
「航空資材調査所だ」
「油も温度で変わる」
元ドイツ軍技術者が真顔で言う。
「それは事実だ」
「味方をするな」
ユダヤ人実業家は計算した。
果物。
医薬品。
油脂。
航空用ゴム製品。
食品。
冷蔵設備の利用先は多い。
「小型設備から」
現地倉庫会社が言った。
「大型を」
「電力が足りません」
「増やす」
「誰が」
「共同出資で」
ポーランド軍将校が割り込む。
「支社を作りに来ただけだ!」
ユダヤ人実業家は静かに答えた。
「支社は稼がなければ残りません」
元白軍将校が港を見る。
「残らなければ、使えん」
結局、冷蔵倉庫計画が始まった。
また食品部門が航空事業へ侵入した。
三拠点の役割が決まった。
イスタンブール。
事務所。
銀行。
保険。
船会社。
海峡通過記録。
黒海方面の取引。
イズミル。
農産物。
油脂。
皮革。
綿花。
簡易検査。
エーゲ海航路。
メルスィン。
地中海側倉庫。
冷蔵。
医薬品。
燃料。
汎用工具。
南方への再発送。
ポーランド軍将校は一覧を見た。
「一つの支社ではない」
ユダヤ人実業家が答えた。
「登記は一つです」
「それは聞いた」
「では問題ありません」
「建物が三つある!」
「一つへ集めないためです」
元独立運動家が言った。
「港も三つある」
「数えるな」
備蓄品を決める会議。
ポーランド軍将校が言った。
「航空用特殊鋼」
ユダヤ人実業家が首を振る。
「大量には置きません」
「発動機部品」
元ドイツ軍技術者。
「専用品は少量だけ」
「図面」
元独立運動家。
「置かない」
「なぜ」
元白軍将校が答えた。
「奪われる」
「トルコは友好国だ」
「今は」
ポーランド軍将校が嫌な顔をした。
「その言葉を使うな」
ユダヤ人実業家は備蓄表を書いた。
食料。
医薬品。
作業服。
毛布。
汎用工具。
自動車部品。
電線。
無線部品。
燃料。
潤滑油。
梱包材。
現地通貨。
身分証明書の写し。
ポーランド軍将校が最後を指した。
「なぜ身分証明書が資材表にある」
「資材表ではありません」
「同じ紙だ」
「倉庫へ置く物の一覧です」
「誰の写しだ」
「支社職員とその家族」
「家族まで?」
ユダヤ人実業家が答えた。
「支社が動けなくなった時、家族だけ残せません」
元白軍将校が静かに頷いた。
元ドイツ軍技術者は、燃料缶の規格へ目を落とした。
元独立運動家は、三つの港から出る船を地図へ書いた。
誰も、そこから先を口にしなかった。
ソ連製機械油の試験結果が出た。
粘度。
良好。
高温安定性。
一部問題。
低温。
英国製より劣る。
腐食。
問題なし。
研削盤向けには使用可能。
高速軸受には不適。
元ドイツ軍技術者が用途表を作った。
黒札。
高速精密軸受へ使用禁止。
白札。
一般工作機械用。
黄色札。
冬季は加温後使用。
ポーランド軍将校が言った。
「油にまで色を付けるのか」
元独立運動家が答える。
「間違えるからだ」
「缶へ文字を書け」
元ドイツ軍技術者。
「文字も書く」
「色だけに頼るな、だったな」
「覚えたか」
「毎回言われるからな!」
ユダヤ人実業家は購入契約へ条件を足した。
冬季使用制限。
用途限定。
品質ロット検査。
代替供給停止時の通知。
「ソ連側が全部認めるか」
現地代理人が尋ねた。
「認める範囲で買います」
「拒否されたら」
「ルーマニアから買います」
「ルーマニアも値上げしたら」
「英国へ戻します」
「運賃が上がったら」
「在庫を使います」
「在庫が減ったら」
「機械の運転優先順位を決めます」
ポーランド軍将校が言った。
「一つの油を買うだけで、どこまで考える」
ユダヤ人実業家は契約書を閉じた。
「止まってから考えるより短いです」
海峡の通過記録は、月ごとに増えた。
油槽船。
工作機械。
鉄道車両。
農業機械。
穀物。
木材。
鋼材。
化学設備。
無線機。
トラック。
船の数。
積荷の種類。
行き先。
どれも民間用途がある。
農業。
建設。
輸送。
工業化。
生活改善。
だが、同じ品物は別の用途にも使える。
動員。
兵站。
飛行場建設。
軍需生産。
車両化。
ユダヤ人実業家は表を重ねた。
一か月。
三か月。
半年。
黒海へ入る機械が増えている。
黒海から出る油と穀物も増えている。
イスタンブール事務所の現地代理人が言った。
「景気が戻っているのでしょう」
「そうかもしれません」
「よいことです」
「ええ」
「では、なぜ同じ表を何度も見るのです」
ユダヤ人実業家は答えなかった。
海峡の向こうを、一隻の貨物船が進んでいた。
ある夜、メルスィン倉庫へ一台の貨物車が来た。
荷は少ない。
家族が二組。
商人。
妻。
子供。
老人。
黒海側で店を畳んだ者たちだった。
正式な難民ではない。
旅行者。
移住者。
商用渡航。
書類上はそうなっている。
船便が翌日までない。
宿は満室。
倉庫の事務員が、冷蔵庫横の休憩室を開けた。
毛布。
食料。
湯。
子供へ果物。
老人へ薬。
翌朝、家族は別の船へ乗った。
行き先はアレクサンドリア。
ポーランド軍将校が報告を読んだ。
「支社の宿泊規定は」
ユダヤ人実業家が答えた。
「まだありません」
「アイスランドで作っただろう」
「北大西洋用です」
「人が泊まる点は同じだ」
元白軍将校が言った。
「なら同じにしろ」
元ドイツ軍技術者。
「気候が違う」
「寝台は同じでよい」
「換気は違う」
元独立運動家が言った。
「南方用を作る」
ポーランド軍将校が叫ぶ。
「宿泊規定を地域別に増やすな!」
ユダヤ人実業家は既に書き始めていた。
飲料水。
暑熱対策。
蚊帳。
医薬品。
船会社への連絡。
身元確認。
家族照合。
次便手配。
また一つ、商業支社の仕事が増えた。
春。
トルコ支社の帳簿には、三種類の数字が並んだ。
買った物。
売った物。
通過した物。
石油製品。
綿花。
油脂。
皮革。
機械。
食品。
医薬品。
人間は、まだ正式な項目ではない。
ただし休憩室利用者。
臨時食事。
船室手配。
医療費。
その数字だけが少しずつ増えていた。
ポーランド軍将校は支社全体の報告を見た。
「結局、何のための支社だ」
ユダヤ人実業家が答えた。
「南方調達です」
「冷蔵倉庫もある」
「食品を扱います」
「人も泊めている」
「船を待つ者です」
「海峡を通る船を数えている」
「運賃を調べます」
「ソ連製工作機械も買った」
「安かったので」
「全部別の仕事に見える」
元独立運動家が地図へ線を引く。
黒海。
イスタンブール。
イズミル。
メルスィン。
アレクサンドリア。
地中海。
ポルトガル。
「全部、道だ」
ポーランド軍将校は地図を見た。
「どこへ向かう」
元白軍将校が答えた。
「閉じていない方へ」
夜。
ユダヤ人実業家はイスタンブール事務所で、三つの港の在庫表を確認した。
イスタンブール。
書類。
口座。
連絡先。
小口の油。
イズミル。
綿花。
皮革。
油脂。
検査器具。
メルスィン。
食料。
医薬品。
燃料。
毛布。
冷蔵設備。
どこか一つが失われても、残り二つは動く。
三つとも失われても、契約の写しはノルウェーとポルトガルへ送られている。
現地代理人が尋ねた。
「そこまで分ける必要がありますか」
「あります」
「戦争になると?」
ユダヤ人実業家は帳簿から顔を上げた。
「戦争でなくても、港は閉じます」
「病気でも?」
「閉じます」
「政変でも?」
「閉じます」
「なら安全な場所は」
「ありません」
「それでも支社を作る」
「安全だから作るのではありません」
窓の外。
夜の海峡を、船の灯りが動いている。
黒海へ入る船。
地中海へ出る船。
どちらへ向かうかは、灯りだけでは分からない。
「別の方向へ出られるから作ります」
現地代理人は地図を見た。
「ここは出口ですか」
ユダヤ人実業家は少し考えた。
「出口にも、入口にもなります」
「危険ですね」
「ええ」
「では何を置くべきです」
ユダヤ人実業家は三つの在庫表を重ねた。
「失っても全体が死なない物だけです」
後年、トルコ支社は黒海・東地中海通商調査所として記録された。
主な取扱品。
油脂。
石油製品。
綿花。
皮革。
穀物。
工作機械。
食品。
医薬品。
その報告書には、海峡を通過した船舶数と貨物量が細かく残っている。
どの国が何を買い、
何を売り、
何を蓄え始めたか。
当時、それは景気回復と工業化の記録だった。
やがて、その数字は別の意味を持った。
工場が増えた。
車両が増えた。
燃料が増えた。
仕事が増えた。
そして、使い先も増えた。
WILKはトルコに支社を作った。
ソ連から物を買うためだった。
中東へ商品を売るためだった。
地中海へ貨物を逃がすためだった。
だが、最初から誰もそこを安全な場所とは呼ばなかった。
安全な場所ではないからこそ、
そこには三つの港が必要だった。
三つの倉庫が必要だった。
三つの出口が必要だった。
黒海の出口へ全部を置かなかったことで、
WILKは初めて、
南へ逃げる道を一つだけではなくした。