WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK生産部・航空関連増産要請に対する勤務時間試算
一九三五年

航空部より、生産能力増強のため以下の提案があった。

残業時間の延長。
休日出勤の増加。
熟練工への重点配置。
夜間作業の拡大。
複数工程の兼務。
臨時手当による追加勤務。

生産部は、

「勤務時間を増やしても熟練工の人数は増えない」

と回答した。

航空部は、

「生産量は増える」

と再回答した。

技術部は、

「最初は」

と追記した。

航空部は追記の意味を問い合わせた。

回答。

「壊れるまでです」

 


第117話 熟練工を残業で増やすな

 

夜十時。

 

組立棟には、まだ明かりが点いていた。

 

元ドイツ軍技術者は入口で立ち止まった。

 

槌の音。

 

旋盤。

 

研磨。

 

時折、金属の落ちる音。

 

「何をしている」

 

工場長が振り返る。

 

「増産です」

 

「何時まで」

 

「十一時」

 

技術者は時計を見る。

 

「昨日は」

 

「十時半」

 

「一昨日」

 

「十一時」

 

「その前」

 

工場長は少し考えた。

 

「十時頃です」

 

元ドイツ軍技術者は奥を見る。

 

若い工員。

 

中堅。

 

熟練工。

 

全員いる。

 

「帰せ」

 

工場長が驚いた。

 

「今ですか」

 

「今だ」

 

「工程が」

 

「明日やれ」

 

「納期が」

 

「明日も人が来れば間に合う」

 

工場長は少し困った顔をした。

 

「軍から増産を」

 

「聞いている」

 

「人が足りません」

 

「だから帰せ」

 

「逆では」

 

元ドイツ軍技術者は近くの作業台へ行った。

 

発動機架。

 

溶接途中。

 

そこに一人の熟練工がいた。

 

五十代。

 

朝から働いている。

 

「何時間」

 

「十二くらい」

 

「昨日」

 

「十一」

 

「その前」

 

「覚えていない」

 

技術者は溶接部を見る。

 

一か所。

 

指でなぞる。

 

「これ」

 

熟練工も見る。

 

少し黙った。

 

「やり直す」

 

工場長が近づく。

 

「何が」

 

「熱を入れすぎた」

 

熟練工が答えた。

 

「昼なら」

 

元ドイツ軍技術者が聞く。

 

「気づいたか」

 

「多分」

 

「今は」

 

熟練工は溶接部を見る。

 

「見落とした」

 

元ドイツ軍技術者は工場長を見る。

 

「帰せ」

 

今度は反論がなかった。

 

---

 

翌朝。

 

会議室。

 

ポーランド軍将校は不満だった。

 

「昨夜、作業を止めたそうだな」

 

元ドイツ軍技術者が答える。

 

「止めた」

 

「軍の注文が増えている」

 

「知っている」

 

「納期もある」

 

「知っている」

 

「ではなぜ止める」

 

技術者は三週間分の記録を机へ置いた。

 

労働時間。

 

完成数量。

 

手直し。

 

不良。

 

怪我。

 

欠勤。

 

工具破損。

 

軍将校が見る。

 

「十時間で増えている」

 

「そうだ」

 

「十一時間でも」

 

「少し」

 

「十二時間」

 

「ほぼ同じ」

 

「だが減ってはいない」

 

「翌日を見ろ」

 

軍将校が下を見る。

 

十二時間働いた翌日。

 

欠勤。

 

遅刻。

 

作業速度低下。

 

手直し増加。

 

「一日だけなら増える」

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「一週間なら怪しくなる」

 

「一か月なら」

 

「壊れる」

 

軍将校が眉を寄せる。

 

「人が?」

 

「人も、工程も」

 

「手当を増やせば」

 

ユダヤ人実業家が答える。

 

「疲労は買い取れません」

 

「金の問題ではないのか」

 

「金で残業してもらうことはできます」

 

「なら」

 

「翌日の手を買うことはできません」

 

軍将校は表を見る。

 

「では人を増やす」

 

元独立運動家が言った。

 

「募集している」

 

「足りない」

 

「だから育てる」

 

「育つまで待てない」

 

元ドイツ軍技術者が答えた。

 

「待たずに使えるようにする」

 

軍将校が嫌な顔をした。

 

「また工程を分けるのか」

 

「そうだ」

 

「最近そればかりだな」

 

「人間一人へ全部やらせる方が楽だからな」

 

---

 

工場。

 

発動機架。

 

これまでは熟練工一人が、ほぼ全工程を見ていた。

 

材料確認。

 

切断。

 

仮組み。

 

位置決め。

 

溶接。

 

修正。

 

仕上げ。

 

寸法確認。

 

最終判断。

 

元ドイツ軍技術者は工程表を広げた。

 

「分ける」

 

熟練工が嫌そうな顔をする。

 

「俺がやった方が早い」

 

「知っている」

 

「若いのにやらせれば遅くなる」

 

「知っている」

 

「なら」

 

技術者は工程表の最初を指した。

 

材料運搬。

 

「これをお前がやる必要は」

 

「ない」

 

次。

 

長さ確認。

 

「これは」

 

「若いのでもできる」

 

切断。

 

「治具があれば」

 

「できる」

 

面取り。

 

「できる」

 

仮組み。

 

「少し教えれば」

 

位置決め。

 

熟練工が止まる。

 

「ここからは見たい」

 

「なら見ろ」

 

溶接。

 

「俺がやる」

 

「重要箇所だけ」

 

「全部やらせろ」

 

「なぜ」

 

「俺がやった方が早い」

 

元ドイツ軍技術者は即座に答えた。

 

「だからお前しかできない。それが問題だ」

 

熟練工は黙った。

 

周囲の若い工員も黙った。

 

技術者は工程表へ印を付ける。

 

第一段階。

 

補助工。

 

第二段階。

 

訓練済工員。

 

第三段階。

 

熟練工。

 

最終判断。

 

熟練工。

 

「お前の仕事を減らす」

 

熟練工が言った。

 

「首か」

 

「逆だ」

 

「では」

 

「お前にしかできない仕事だけやれ」

 

熟練工は少し考えた。

 

「楽になるな」

 

「その分、人を見る」

 

「増えるではないか」

 

「そうだ」

 

「結局忙しい」

 

「腕ではなく目を使え」

 

熟練工は笑った。

 

「歳寄り向きだ」

 

「まだ歳寄りではない」

 

「昨日十二時間働かせた会社が言うな」

 

元ドイツ軍技術者は工場長を見る。

 

工場長は視線を逸らした。

 

---

 

検査工程でも詰まった。

 

部品は増えた。

 

作る者も増えた。

 

だが検査員が増えていない。

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「熟練工を検査へ」

 

元ドイツ軍技術者が首を振る。

 

「さらに減る」

 

「では誰が」

 

元独立運動家が一人連れてきた。

 

女性。

 

三十代。

 

繊維工場出身。

 

軍将校が見る。

 

「航空機経験は」

 

「ない」

 

「駄目だろう」

 

女性が答えた。

 

「検査経験はあります」

 

「何の」

 

「織布」

 

軍将校は元独立運動家を見る。

 

「布だぞ」

 

「規格を測る仕事だ」

 

元ドイツ軍技術者が女性へ聞く。

 

「何を見ていた」

 

「幅。密度。張力。傷。ロット差。染色むら」

 

「測定器は」

 

「使えます」

 

「記録は」

 

「毎日」

 

技術者は頷いた。

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「航空機を知らないぞ」

 

女性が軍将校を見る。

 

「規格は知っています」

 

元ドイツ軍技術者が少し笑った。

 

「採用」

 

軍将校が反論する。

 

「待て!」

 

「航空機の構造判断はさせない」

 

「では」

 

「寸法検査。外観検査。記録。ゲージ判定」

 

「それだけなら」

 

「熟練工を使う必要はない」

 

女性は検査台へ向かった。

 

最初の一週間。

 

遅い。

 

二週間。

 

早くなる。

 

三週間。

 

不良を一つ見つけた。

 

熟練工が見逃した小さな寸法ずれ。

 

「なぜ分かった」

 

軍将校が聞く。

 

女性は当然のように答えた。

 

「規格外だったので」

 

軍将校は元ドイツ軍技術者を見る。

 

「それだけか」

 

「それだけでよい仕事もある」

 

---

 

さらに、昔の工員が呼び戻された。

 

Turの頃に働いていた者。

 

すでに現場を離れた者。

 

腰を悪くした者。

 

目は利くが重い物は持てない者。

 

一人の老人が椅子へ座っていた。

 

目の前。

 

若い工員が操縦索の金具を組む。

 

老人はしばらく黙って見ている。

 

やがて言った。

 

「それ、曲がるぞ」

 

若い工員が止まる。

 

「規格内です」

 

「そうか」

 

「測りました」

 

「なら振動させろ」

 

試験。

 

微振動。

 

何度か。

 

金具が少しずれる。

 

若い工員が驚く。

 

「なぜ」

 

老人は肩をすくめる。

 

「昔、同じのをやった」

 

元ドイツ軍技術者が近くで聞いていた。

 

「記録は」

 

「ない」

 

「なぜ」

 

「昔だから」

 

技術者はすぐ紙を出した。

 

「書け」

 

「今?」

 

「今」

 

老人が笑う。

 

「二十年前の失敗を?」

 

「二十年後にも使う」

 

老人は紙を取った。

 

若い工員が横で見る。

 

何が起きた。

 

なぜ。

 

どこを見る。

 

どの程度なら危険。

 

どう直した。

 

一人の熟練者の記憶が、初めて工程表になった。

 

---

 

夜勤も変えた。

 

長時間残業を減らす。

 

代わりに交代制。

 

ただし、何でも夜へ回さない。

 

危険作業。

 

最終判断。

 

初めての工程。

 

新人一人作業。

 

大型部品の微調整。

 

これらは昼。

 

夜は、

 

繰り返し加工。

 

材料準備。

 

洗浄。

 

単純組立。

 

記録整理。

 

治具を使う工程。

 

ポーランド軍将校が聞く。

 

「夜も働くではないか」

 

元ドイツ軍技術者が答える。

 

「人を替える」

 

「結局工場は長く動く」

 

「工場は寝なくてよい」

 

「人は」

 

「寝ろ」

 

「単純だな」

 

「だから難しい」

 

「なぜ」

 

「人間は帰りたがらない時がある」

 

軍将校が首を傾げる。

 

実際そうだった。

 

時間外手当。

 

家計。

 

注文増。

 

仕事がある安心。

 

若い工員ほど残りたがった。

 

「あと二時間できます」

 

工場長へ言う。

 

「稼ぎたい」

 

別の者。

 

「今月、妹が学校へ」

 

別の者。

 

「家の屋根を直す」

 

元独立運動家が報告する。

 

「残業禁止だけでは困る者もいる」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「ほら」

 

元ドイツ軍技術者は黙る。

 

ユダヤ人実業家が帳簿を見る。

 

「夜勤手当を交代勤務へ移します」

 

「収入は」

 

「極端に減らさない」

 

「会社負担は」

 

「増えます」

 

軍将校がため息をつく。

 

「またか」

 

「怪我と手直しより安いです」

 

「本当に?」

 

「三週間の数字では」

 

軍将校はその言い方に弱かった。

 

数字がある。

 

---

 

一か月。

 

生産報告。

 

最初の一週間。

 

完成数量。

 

減少。

 

ポーランド軍将校が資料を持って会議室へ飛び込んだ。

 

「減ったぞ!」

 

元ドイツ軍技術者は答える。

 

「知っている」

 

「増産するための改革ではなかったのか」

 

「教育中だ」

 

「いつ戻る」

 

「分からん」

 

「分からん?」

 

「人だからな」

 

軍将校は怒った。

 

「納期がある!」

 

「知っている」

 

二週目。

 

ほぼ回復。

 

三週目。

 

以前を少し超える。

 

四週目。

 

明確に増えた。

 

残業時間。

 

減少。

 

手直し。

 

減少。

 

軽傷。

 

減少。

 

翌日欠勤。

 

減少。

 

工具破損。

 

減少。

 

軍将校は報告書を何度も見る。

 

「本当に増えたな」

 

「増えた」

 

「なぜ」

 

元ドイツ軍技術者が答える。

 

「熟練工が簡単な仕事をしなくなった」

 

「若いのがやった」

 

「そうだ」

 

「若いのは遅い」

 

「最初は」

 

「またそれか」

 

「最初を越えれば速くなる」

 

軍将校は表を見る。

 

熟練工一人あたり。

 

担当する重要工程数。

 

増加。

 

直接作業時間。

 

減少。

 

指導時間。

 

増加。

 

「作る時間が減っているのに生産が増えた」

 

「一人で全部作っていないからな」

 

元独立運動家が言った。

 

「若い工員も仕事を覚えた」

 

ユダヤ人実業家。

 

「ただし賃金総額は増えています」

 

軍将校がすぐ答える。

 

「知っている」

 

四人が彼を見る。

 

「何だ」

 

ユダヤ人実業家が少し笑う。

 

「慣れましたね」

 

「何にだ」

 

「WILKに」

 

「やめろ」

 

---

 

それでも軍は言った。

 

もっと必要だ。

 

もっと早く。

 

もっと機体を。

 

もっと予備部品を。

 

もっと修理能力を。

 

航空部の担当者が会議で言う。

 

「必要なら、一定期間だけ残業を増やせませんか」

 

ポーランド軍将校が元ドイツ軍技術者を見る。

 

技術者は答える。

 

「一定期間とは」

 

「二か月」

 

「その後は」

 

「通常へ」

 

「本当に」

 

「情勢次第です」

 

技術者は少し黙った。

 

「なら駄目だ」

 

「なぜ」

 

「一定期間が延びる」

 

軍担当者が反論する。

 

「必要なら仕方ない」

 

「必要なら、人を増やせ」

 

「すぐには増えない」

 

「だから今増やしている」

 

「間に合わなければ」

 

「仕事を選べ」

 

「軍需だぞ」

 

「人間も軍需だ」

 

会議室が静かになる。

 

元ドイツ軍技術者は続けた。

 

「熟練工を使い潰して、一九三七年に足りなくなったらどうする」

 

「新しく育てる」

 

「何年かかる」

 

軍担当者は答えない。

 

「一九三八年なら」

 

さらに答えない。

 

「一九三九年なら」

 

ポーランド軍将校が目を閉じた。

 

四年しかない。

 

最近、何度も聞いた。

 

だが今度は違う意味だった。

 

四年後に工場を大きくするのではない。

 

四年間、工場を動かし続けなければならない。

 

「不足を勤務時間で隠すな」

 

元ドイツ軍技術者は言った。

 

「足りないなら、足りないと書け」

 

---

 

その日の夕方。

 

組立棟。

 

以前なら、この時間から残業の準備が始まった。

 

今は交代。

 

昼の班が工具を戻す。

 

位置。

 

番号。

 

点検。

 

次の班へ引き継ぐ。

 

若い工員が熟練工へ言う。

 

「この溶接、明日見てもらえますか」

 

熟練工が確認する。

 

「仮付けまでやっておけ」

 

「本溶接は」

 

「明日」

 

「今日できます」

 

「俺が見てから」

 

若い工員は少し不満そうだった。

 

「早く覚えたいです」

 

熟練工は笑った。

 

「だから急ぐな」

 

少し離れたところ。

 

例の女性検査員が寸法表へ記録している。

 

老人は椅子へ座り、若い工員二人へ昔のTurの話をしている。

 

夜勤班が入ってくる。

 

昼勤が出る。

 

工場の灯りは消えない。

 

だが、

 

人間は入れ替わる。

 

元ドイツ軍技術者は入口からそれを見ていた。

 

ポーランド軍将校が隣へ来る。

 

「結局、工場は夜まで動かしているな」

 

「そうだ」

 

「残業を減らした意味は」

 

技術者は出口へ向かう工員たちを見る。

 

「明日の朝、また来る」

 

「それだけか」

 

「それが難しい」

 

軍将校も見る。

 

工員。

 

若者。

 

熟練者。

 

女。

 

老人。

 

教える者。

 

覚える者。

 

測る者。

 

作る者。

 

一人の名人が夜遅くまで全てを背負う工場ではなくなり始めていた。

 

「熟練工は増えたのか」

 

軍将校が聞いた。

 

「まだ」

 

「では生産が増えたのは」

 

「熟練工でなくてもできる仕事を増やした」

 

「そのうち若いのも熟練する」

 

「そうなればよい」

 

「何年」

 

元ドイツ軍技術者は答えた。

 

「分からん」

 

軍将校が笑う。

 

「またそれか」

 

「だから今日始める」

 

工場長が照明を一列消した。

 

使っていない区画。

 

次。

 

もう一列。

 

全部は消えない。

 

必要な場所だけ残る。

 

一九三五年。

 

WILKは、工場を一晩中明るくすることをやめ始めた。

 

その代わり、

 

翌朝その灯りを点けられる人間を増やし始めた。

 

熟練工は、残業では増えない。

 

だからWILKは、

 

時間ではなく、

 

人へ仕事を分け始めた。

 

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