――WILK生産部・重要部品第二生産源設定基準
一九三五年
対象。
主脚車輪軸。
発動機架主要金具。
燃料遮断弁。
操縦索接続部品。
貨物床固定具。
機関銃架基部。
方針。
主要部品について、単一工場のみで生産可能な状態を順次解消する。
ただし、
同一設備を持つ第二工場を建設してはならない。
生産部は理由を求めた。
技術部は、
「そんな金はない」
と回答した。
経営部は、
「そんな時間もありません」
と追記した。
軍側は、
「では何を作るのか」
と質問した。
技術部は、
「部品ではなく、作れる場所を増やす」
と回答した。
問題になったのは、Bizonの車輪軸だった。
太い鋼材を削り、熱処理し、仕上げ、検査する。
目立つ部品ではない。
発動機のように音もしない。
機関銃のように撃たない。
翼のように空気を受けない。
だが、一本曲がれば車輪は回らない。
寸法が合わなければ交換できない。
折れれば機体は傾く。
そして、その車輪軸を作っている工場は一つだけだった。
元ドイツ軍技術者は生産一覧を見ていた。
「全部ここか」
工場長が答える。
「はい」
「なぜ」
「一番上手いからです」
「他では」
「三年前に試しました」
「結果は」
「歩留まりが悪い。時間もかかる。今の工場へ集約しました」
合理的だった。
設備がある。
熟練工がいる。
検査にも慣れている。
運送も短い。
一か所へ集めれば安い。
早い。
品質も揃う。
元ドイツ軍技術者は工場長へ聞いた。
「ここが止まったら」
「止まりません」
「機械は」
「予備があります」
「停電」
「自家発電」
「火事」
「防火設備」
「洪水」
「高台です」
「労働争議」
工場長が少し止まった。
「政治騒擾」
さらに止まる。
元ドイツ軍技術者は最後に言った。
「爆撃」
工場長は答えなかった。
技術者も、それ以上は言わなかった。
一覧表の横へ書く。
第二生産源。
工場長が覗いた。
「第二工場を?」
「建てない」
「では」
「別の工場に作らせる」
「同じ設備を入れるのですか」
「入れない」
工場長の顔が曇った。
「作れませんよ」
元ドイツ軍技術者は答えた。
「全部を同じ場所で作る必要はない」
---
候補に挙がったのは航空機工場ではなかった。
農業機械工場。
鉄道修理工場。
ポンプ工場。
自動車部品工場。
小さな熱処理工場。
ポーランド軍将校が一覧を見る。
「航空機を作ったことがないところばかりだ」
「軸は作っている」
元ドイツ軍技術者が答える。
「鉄道の車軸と航空機の車輪軸は違う」
「違う」
「なら」
「鉄を削るところから教える必要はない」
軍将校は資料を見る。
「全部完成させるのか」
「させない」
「では何を」
元ドイツ軍技術者は車輪軸の図面を広げた。
荒加工。
熱処理。
仕上げ。
研削。
最終検査。
「分ける」
ポーランド軍将校が嫌そうな顔をした。
「一個の部品を何社で作る気だ」
「必要なら三社」
「輸送費が増える」
ユダヤ人実業家が答える。
「増えます」
「管理も」
「増えます」
「検査も」
「増えます」
軍将校が机を叩く。
「では高くなるではないか!」
ユダヤ人実業家は頷いた。
「なります」
軍将校は元ドイツ軍技術者を見る。
「お前は効率を上げたいのではなかったのか」
「上げたい」
「逆だぞ」
「平時の一本だけならな」
軍将校が黙る。
技術者は図面を指した。
「一番良い工場で全部作る。それが一番安い」
「そうだ」
「そこがなくなるまで」
誰も反論しなかった。
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農業機械工場。
古い旋盤が並んでいた。
航空機部品用ではない。
農機具。
車軸。
歯車。
ポンプ軸。
太い鋼材を削ることはできる。
工場主はBizonの図面を見た。
「これは無理です」
元ドイツ軍技術者が聞く。
「どこが」
「この仕上げ精度」
「仕上げろとは言っていない」
工場主が顔を上げる。
技術者は図面へ線を引いた。
「ここまで」
荒加工。
仕上げ代を残す。
「これなら」
工場主はしばらく考える。
「できます」
「月何本」
「慣れれば」
数字を出す。
主力工場より少ない。
かなり少ない。
元ドイツ軍技術者は頷いた。
「十分」
工場主が驚く。
「これで?」
「最初は」
少し離れたところで、ポーランド軍将校が小声で言った。
「最近その言葉ばかりだな」
元白軍将校が答える。
「最後まで最初のままよりいい」
次。
鉄道修理工場。
研削盤がある。
精度も悪くない。
ただし航空機用の検査具がない。
「検査具だけ送る」
元ドイツ軍技術者が言った。
工場責任者が聞く。
「専用機械は」
「買わない」
「生産量を増やすなら」
「今ある物で始める」
「効率が悪い」
技術者は答えた。
「工場を止めて設備を入れ替えるより良い」
責任者が笑った。
「フォードの工場とは逆ですね」
元ドイツ軍技術者が少しだけ顔を上げた。
「フォードの方法は知っている」
「使わないのですか」
「使える部分は使う」
「全部では」
「四年後に完成する工場を作ってどうする」
責任者は笑わなくなった。
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最初の一本。
農業機械工場で荒加工。
熱処理工場へ輸送。
鉄道修理工場で研削。
WILKで最終検査。
結果。
不合格。
ポーランド軍将校が試験票を見た。
「ほら!」
元ドイツ軍技術者は静かに答える。
「ほら、ではない」
「規格外だぞ」
「だから作った」
「規格外を?」
「どこで外れるかを見るために」
ユダヤ人実業家が費用表を持ってきた。
「一本あたり、通常の二・六倍です」
軍将校がそちらを見る。
「ほら!」
「今回は言ってよい」
元ドイツ軍技術者が答えた。
測定記録を並べる。
農業機械工場。
規格内。
熱処理。
規格内。
研削。
規格内。
WILK最終検査。
規格外。
軍将校が眉を寄せる。
「全部合格しているのに、最後だけ外れた?」
「そうだ」
「なぜ」
元ドイツ軍技術者は各工場の測定器を集めさせた。
同じ基準棒を測る。
数字が違った。
ほんのわずか。
だが違う。
「測定器か」
「測定器だけではない」
測定温度。
測る位置。
締め付け。
基準器。
校正日。
記録方法。
全部少しずつ違う。
軍将校が言った。
「同じ測定器を買えば」
「同じ物でもずれる」
「では」
「同じ基準で測る」
軍将校はため息をついた。
「部品を分散したら、測定まで増えた」
ユダヤ人実業家が帳簿を開く。
「校正用基準器、輸送箱、巡回検査員」
「書くな」
「必要です」
「知っている!」
元独立運動家が笑った。
「慣れたな」
「慣れたくなかった」
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二本目。
不合格。
三本目。
合格。
四本目。
合格。
五本目。
不合格。
今度は熱処理。
硬度が揃っていない。
熱処理工場の職人が不満そうに言う。
「鉄道部品はこれで問題ない」
元ドイツ軍技術者が答える。
「これは航空機だ」
「鉄は鉄だ」
「部品は部品ではない」
「航空屋は細かい」
「墜落すると細かく調べられる」
職人が黙った。
炉温。
投入位置。
加熱時間。
冷却。
記録へ残す。
職人は顔をしかめた。
「今までは勘でやってきた」
「勘を捨てろとは言わない」
「なら」
「勘が外れた時に分かるようにしろ」
「面倒だ」
「知っている」
「記録する人間が要る」
元独立運動家が言った。
「一人付けよう」
ポーランド軍将校が反射的に言う。
「宿舎は」
元独立運動家が軍将校を見る。
軍将校も自分で気づいた。
「……今のは忘れろ」
ユダヤ人実業家が静かに帳簿へ書いた。
宿舎候補。
「書くな!」
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一か月後。
第二生産源。
月産能力。
主工場の五分の一。
価格。
一・五倍。
不良率。
まだ高い。
ただし改善中。
ポーランド軍将校は数字を見る。
「これを維持するのか」
「する」
「主工場の方が早い」
「そうだ」
「安い」
「そうだ」
「品質も良い」
「そうだ」
軍将校は両手を広げた。
「なら主工場で作れ!」
「主工場で作る」
「何?」
「主力は変えない」
「第二工場へ半分移すのではないのか」
「そんなことをしたら生産が落ちる」
軍将校がしばらく黙る。
「では第二生産源は何のためだ」
元ドイツ軍技術者は答えた。
「忘れないため」
「忘れる?」
「作り方を」
月に数本。
少なくてもいい。
材料を触る。
図面を読む。
治具を使う。
測る。
記録する。
不良を出す。
直す。
その経験を残す。
「主工場が止まった時、ゼロから始めない」
元白軍将校が頷いた。
「道を使わなくても、道があることは知っておく」
軍将校が聞く。
「戦争の話か」
「撤退の話だ」
「同じでは」
「違う。撤退路は戦争がなくても必要だ」
元ドイツ軍技術者が言った。
「工場も同じだ」
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問題は車輪軸だけではなかった。
燃料遮断弁。
これはさらに難しかった。
漏れてはいけない。
固着してはいけない。
振動。
寒冷。
手袋。
火災。
非常時。
全部が重なる。
候補はポンプ工場。
航空機経験なし。
だが弁を作る技術はある。
試作品。
一個目。
漏れ。
二個目。
固い。
三個目。
合格。
四個目。
合格。
五個目。
低温で作動不良。
ポーランド軍将校が言った。
「専用工場を建てた方が早くないか」
ユダヤ人実業家が聞く。
「建屋からですか」
「既存建屋でもいい」
「設備移設。電力。人員教育。検査。治具。生産停止期間」
軍将校が嫌な顔をする。
元ドイツ軍技術者が言った。
「革命する時間はない」
「では改良か」
「毎日少しずつ変えろ」
「効率が悪い」
「工場を止めるより良い」
軍将校が工場を見る。
古い旋盤。
新しい治具。
手書きだった工程表。
昨日追加された測定具。
若い工員。
横で見る熟練者。
完璧な大量生産工場ではない。
明日、世界最高の工場になる予定もない。
だが今日も部品を作っている。
「良い工場だ」
軍将校が言った。
元ドイツ軍技術者が答える。
「今は」
「なら真似するか」
「時間があるなら」
「四年ある」
技術者は軍将校を見る。
「四年しかない」
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熟練者の派遣も始まった。
WILK本工場から一人。
地方工場へ一週間。
加工。
治具。
検査。
失敗。
戻る。
その一週間、本工場では一人減る。
生産部が反対した。
「今の生産量が落ちます」
元ドイツ軍技術者は答えた。
「少し」
「増産中です」
「知っている」
「なぜ今」
「今しかない」
ポーランド軍将校が聞く。
「半年後では」
「半年後も同じことを言う」
「一年後」
「もっと忙しい」
「二年後」
「さらに忙しい」
「三年後」
元ドイツ軍技術者は答えなかった。
第115話の黒板。
一九三五。
一九三六。
一九三七。
一九三八。
一九三九。
軍将校はそれを思い出した。
「今日一人抜けば」
技術者が言った。
「半年後、別の工場に十人いる」
「必ずか」
「必ずではない」
「なら」
元白軍将校が口を挟んだ。
「教官を前線から抜く話と同じだ」
軍将校が黙る。
「今日使える者を一人減らす」
元白軍将校は続けた。
「明日使える者を増やす」
「工場まで同じか」
元ドイツ軍技術者が答える。
「人間が仕事をしている限りは」
---
秋。
重要部品一覧が変更された。
主生産源。
第二生産源。
第三候補。
ただし、三工場へ同じ設備を置くわけではない。
旋盤が得意。
熱処理が得意。
研削が得意。
鍛造が得意。
検査が得意。
それぞれ違う。
必要になれば組み合わせを変える。
そのために、
部品番号。
材質。
寸法。
公差。
工程。
変更履歴。
検査方法。
治具。
測定基準。
を揃える。
ポーランド軍将校は表を見る。
「フォード式とは逆だな」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「逆ではない」
「同じ物を大量に一か所で作らない」
「同じ物を同じ方法で作れるようにするところは同じだ」
「では違いは」
技術者は少し考えた。
「工場を巨大な一台の機械にしない」
一つの専用ライン。
最高効率。
最短時間。
同じ部品。
同じ順序。
大量。
強い。
ただし。
その工場を失えば、全部なくなる。
「最高効率の工場ではなく」
元ドイツ軍技術者は言った。
「四年間ずっと使える工場を作れ」
軍将校は聞く。
「四年後は」
「別の場所でも始められるようにしておけ」
---
十一月。
主力の車輪軸工場で故障が起きた。
旋盤の主軸軸受。
大事故ではない。
交換。
調整。
三日。
以前なら三日間、生産ゼロ。
今回は電報が飛んだ。
農業機械工場。
荒加工を追加。
熱処理工場。
予定枠を拡大。
鉄道修理工場。
仕上げを優先。
WILK。
検査枠を増加。
一日目。
少ない。
二日目。
まだ少ない。
三日目。
主工場なら作れた本数の、三分の一。
四日目。
主工場復旧。
ポーランド軍将校が報告書を見る。
「三分の一か」
元ドイツ軍技術者が答える。
「そうだ」
「少ない」
「少ない」
「高い」
「高い」
「輸送も面倒」
「面倒だ」
軍将校は紙を見る。
三日間。
生産量。
ゼロではない。
「これが必要だったのか」
元ドイツ軍技術者は答える。
「今回は軸受だった」
軍将校が顔を上げる。
技術者はそれ以上言わなかった。
火事。
騒擾。
徴用。
爆撃。
何でもよい。
工場がなくなる理由は一つである必要がない。
必要なのは、
なくなった後に次の場所があること。
---
夕方。
主工場の旋盤が再び回り始めた。
いつもの工員。
いつもの機械。
いつもの速さ。
遠く離れた農業機械工場でも、一本の車輪軸が削られていた。
遅い。
高い。
航空機専門工員でもない。
完成するまで、別の工場を二つ通る。
効率だけを見れば、無駄だった。
だがそこには、
図面がある。
治具がある。
測定器がある。
基準がある。
工程表がある。
そして、
一度失敗した人間がいる。
二度目に直した人間がいる。
三度目に合格させた人間がいる。
工場を失っても、
その経験まで同時には消えない。
WILKは同じ巨大工場を二つ作らなかった。
そんな金はなかった。
そんな時間もなかった。
だから、
別の工場。
別の機械。
別の職人。
別の会社。
それらを、
同じ部品へつなげた。
一九三五年。
効率を落としてまで残した、細い生産の道。
その道が本当に必要になる日は、
まだ誰も知らなかった。
ただWILKは、
道が必要になってから地図を描くつもりだけはなかった。