WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――第十一歩兵連隊・兵站日誌
一九二〇年

午後四時頃、狼印の双発機一機が南西より飛来。

敵機関銃射撃を受け、右発動機停止。
その後、集落北方の湿地へ不時着した。

乗員は生存。
搭載していた医薬品および命令書も回収。

機体は泥濘へ深く沈み、自力離脱不能。

航空隊は機体放棄を指示したが、連隊兵士および現地住民がこれを拒否。

理由について問うたところ、以下の回答あり。

「明日も来てもらわなければ困る」

現在、馬六頭、兵士四十七名、農民十三名を用い、機体を回収中。

なお機体側面には、現地兵士により新たな名称が記されている。

『葬式拒否』


第12話 落ちたなら持って帰れ

WILK一号機が落ちた。

 

 その報せは、短い電報で届いた。

 

一号機、不時着。

乗員生存。

機体回収困難。

詳細後送。

 

 軍将校は電報を二度読んだ。

 

「場所は」

 

「北東方面です」

 

 伝令が答える。

 

「前線のどの位置だ」

 

「湿地帯の集落付近」

 

「敵は」

 

「近いです」

 

 元独立運動家が立ち上がった。

 

「馬車を出す」

 

 元ドイツ帝国軍技師は、工具箱を閉じる。

 

「予備部品も」

 

 元白軍将校は地図を広げた。

 

「この道は使えない」

 

「なぜ」

 

 軍将校が聞く。

 

「雨で沈む」

 

「別の道は」

 

「遠い」

 

「近道は」

 

「敵に近い」

 

「どれも駄目ではないか!」

 

 実業家だけが、すぐには動かなかった。

 

 電報を見ている。

 

「乗員生存」

 

 静かに確認する。

 

「そう書いてある」

 

 軍将校が答えた。

 

「なら、まず機体を回収できます」

 

「最初に人を心配しろ」

 

「生存確認済みです」

 

「だからといって機体を先に言うな!」

 

「機体も会社資産です」

 

「人間らしく心配しろ!」

 

 実業家は電報を畳んだ。

 

「心配しています」

 

 声はいつもと同じだった。

 

 だが、帳簿を閉じる手だけが少し強かった。

 

     ◇

 

 一号機は、敵の機関銃射撃を受けていた。

 

 前線部隊へ命令書と医薬品を運ぶ途中。

 

 低い雲。

 

 雨。

 

 視界不良。

 

 森の縁を飛んでいた時、右側から射撃を受けた。

 

 主翼へ数発。

 

 胴体へ数発。

 

 右発動機へ一発。

 

 弾は配管を裂き、油を撒き散らした。

 

「右、油圧低下!」

 

 後席の若い操縦士が叫ぶ。

 

 この日は軍将校ではなく、前線付きの操縦士が機体を飛ばしていた。

 

 後席には元ドイツ技師。

 

 貨物室には衛生兵一名。

 

「右を止めろ!」

 

 技師が答える。

 

「まだ回っている!」

 

「焼き付く前に止めろ!」

 

「片肺で湿地を越えられるか!」

 

「燃えたら越えられん!」

 

 右発動機が白煙を吐く。

 

 油が翼へ流れる。

 

 技師は窓越しに確認した。

 

「止めろ!」

 

 操縦士が燃料弁を閉じる。

 

 点火を切る。

 

 右発動機の回転が落ちる。

 

 プロペラが止まりかける。

 

 機体は右へ大きく振られた。

 

 操縦士は左発動機の出力を調整。

 

 方向舵を踏み込む。

 

「高度が落ちる!」

 

「機首を下げすぎるな!」

 

「左だけでは維持できない!」

 

「荷物を捨てる!」

 

 技師が貨物室へ振り返る。

 

 衛生兵が医薬品箱を抱えていた。

 

「捨てるのですか」

 

「重い物から」

 

「薬です!」

 

「分かっている!」

 

「前線で待っています!」

 

 技師は何も言えなかった。

 

 命令書。

 

 医薬品。

 

 軍用郵便。

 

 どれも捨てるために積んだ物ではない。

 

「地上を探せ!」

 

 操縦士が叫ぶ。

 

「降りられる場所!」

 

 窓の下には湿地。

 

 細い道。

 

 木々。

 

 水の溜まった畑。

 

 そして、小さな集落。

 

「北側に草地!」

 

 衛生兵が見つけた。

 

「短い!」

 

「他にない!」

 

「降りる!」

 

     ◇

 

 一号機は、片方の発動機だけで集落へ向かった。

 

 高度は下がり続ける。

 

 左発動機は最大出力。

 

 機体は右へ曲がろうとする。

 

 操縦士は方向舵を踏み続けた。

 

「車輪は下りている!」

 

「元から固定だ!」

 

 技師が叫ぶ。

 

「分かっている!」

 

「確認だ!」

 

「今するな!」

 

 草地へ接近。

 

 その手前に浅い水路。

 

 奥には木製の柵。

 

 軍将校なら、きっとこう言っただろう。

 

 短い。

 

 柔らかい。

 

 柵がある。

 

 そして白軍将校なら、

 

 大車輪だ。

 

 と答えただろう。

 

 操縦士は操縦桿を引く。

 

 機体が水路を越える。

 

 左車輪が草地へ触れる。

 

 右車輪も。

 

 すぐに沈む。

 

 泥が跳ねる。

 

 機体が前へつんのめる。

 

 大車輪が踏ん張る。

 

 尾部が持ち上がる。

 

 プロペラ先端が地面へ当たる。

 

 左発動機が止まる。

 

 機体は斜めを向きながら、泥の中で停止した。

 

 静かになった。

 

 誰も動かなかった。

 

 雨が機体表面を叩く。

 

 操縦士が最初に口を開いた。

 

「着いたか」

 

 技師は周囲を見る。

 

「落ちた」

 

「違いは」

 

「自力で降りたかどうかだ」

 

「今回は」

 

「半分だ」

 

 衛生兵が貨物室を確認する。

 

「薬は無事です」

 

 命令書の筒も無事。

 

 郵便袋は一部濡れていた。

 

 だが届く。

 

 機体は飛べなくても、荷物はまだ前線へ運べる。

 

     ◇

 

 集落の兵士たちが走ってきた。

 

「狼だ!」

 

「落ちたぞ!」

 

「人は!」

 

 貨物扉が開く。

 

 技師が出る。

 

 操縦士も。

 

 衛生兵は医薬品箱を抱えて降りた。

 

「負傷者は」

 

 地上の軍医が尋ねる。

 

「いない」

 

「薬は」

 

「ある」

 

 医薬品箱を渡す。

 

 命令書も。

 

 郵便袋も。

 

 兵士たちは、機体より先に荷物を運び始めた。

 

 技師は泥へ沈んだ右車輪を見る。

 

 深い。

 

 軸近くまで沈んでいる。

 

 左車輪も半分。

 

 右発動機は油まみれ。

 

 主翼に穴。

 

 プロペラ損傷。

 

「飛べるか」

 

 現地将校が尋ねた。

 

「今は無理だ」

 

「直せば」

 

「部品と工具と乾いた場所があれば」

 

「ここにはない」

 

「知っている」

 

「敵は明日にも来る」

 

 技師は機体を見る。

 

「なら回収する」

 

 現地将校は湿地を見た。

 

「どうやって」

 

「引く」

 

「何で」

 

「馬」

 

「何頭」

 

「多いほどよい」

 

 現地将校は少し笑った。

 

「軍の馬は砲を引いている」

 

「農家の馬は」

 

「避難に使っている」

 

「人間は」

 

「塹壕を掘っている」

 

 技師は黙った。

 

 現地将校も黙った。

 

「放棄命令が出るだろう」

 

 やがて将校が言った。

 

「出ても困る」

 

「会社の機体だからか」

 

「それもある」

 

「他には」

 

「これがなければ、次の薬が来ない」

 

 現地将校は、兵士たちが運んでいく医薬品箱を見た。

 

「そうだな」

 

     ◇

 

 放棄命令は、その日の夕方に届いた。

 

敵接近のため、回収困難な航空機は破壊し撤退せよ。

 

 現地将校は命令書を読んだ。

 

 技師へ渡す。

 

「軍命令だ」

 

 技師も読む。

 

「機体を焼けと」

 

「敵に使わせないためだ」

 

「使えない」

 

「修理されるかもしれん」

 

「我々なら修理する」

 

「なら敵もする」

 

「だから回収する」

 

「時間がない」

 

 技師は命令書を折り畳んだ。

 

「一晩ある」

 

「敵が待つと思うか」

 

「待たせるのは軍の仕事だ」

 

「無茶を言うな」

 

「機体を作るのも無茶だった」

 

 現地将校は笑いかけた。

 

 だが笑わなかった。

 

「兵を出せるのは十人だ」

 

「足りない」

 

「これ以上は防御が薄くなる」

 

「住民に頼む」

 

「避難準備中だ」

 

「だからこそ頼む」

 

「何と言う」

 

 技師は機体を見る。

 

「明日も必要だと」

 

     ◇

 

 集落の住民は、最初は断った。

 

 当然だった。

 

 敵が近い。

 

 家財をまとめる。

 

 家畜を移す。

 

 子供と老人を逃がす。

 

 そんな中で、泥に沈んだ飛行機を引けと言われても困る。

 

 村長は言った。

 

「飛行機より、人が先だ」

 

「その通りだ」

 

 技師は答えた。

 

「なら置いていけ」

 

「これがあれば、人を運べる」

 

「今は飛べない」

 

「直せば飛ぶ」

 

「直せるのか」

 

「工房へ戻せば」

 

「いつ戻る」

 

「分からん」

 

「敵は明日来る」

 

「だから今日動かす」

 

 村長は首を振った。

 

「馬は荷車へ使う」

 

「一時間だけ」

 

「一時間で済むのか」

 

「済ませる」

 

「済まなければ」

 

「その時考える」

 

「無責任だな」

 

「よく言われる」

 

 その会話を、診療所の前にいた女が聞いていた。

 

 昨日、WILK機で運ばれた薬を受け取った女だった。

 

 熱を出した子供を抱えている。

 

「この飛行機が薬を持ってきたのですか」

 

 村長が答える。

 

「そうらしい」

 

「次も?」

 

 技師が言う。

 

「飛べれば」

 

 女はしばらく機体を見た。

 

 それから村長を見る。

 

「うちの馬を出します」

 

「避難に使うだろう」

 

「子供の熱が下がるまで動けません」

 

「だが」

 

「薬が来なければ、もっと動けませんでした」

 

 最初の一頭が決まった。

 

 すると次も出た。

 

「うちも一頭」

 

「荷車の綱を使え」

 

「滑車がある」

 

「丸太を敷けば沈みにくい」

 

 気づけば、住民たちは回収方法を話し始めていた。

 

 兵士たちも加わる。

 

 農民。

 

 衛生兵。

 

 軍医。

 

 通信兵。

 

 負傷していない者は、ほとんど全員。

 

 誰かが言った。

 

「明日も来てもらわないと困る」

 

 それが理由になった。

 

     ◇

 

 回収は夜まで続いた。

 

 まず機体を軽くする。

 

 燃料を抜く。

 

 座席を外す。

 

 郵便棚を外す。

 

 航法机を外す。

 

 工具箱も。

 

 機関銃架も。

 

「これは軍の備品だ」

 

 兵士が言う。

 

「勝手に付けた物だ」

 

 技師が答える。

 

「では外す」

 

「丁寧に」

 

「敵が近いのに?」

 

「壊すな!」

 

 右主翼下へ丸太を入れる。

 

 泥を掘る。

 

 車輪の前へ板を敷く。

 

 馬に綱を結ぶ。

 

 胴体後部には兵士たちが付く。

 

「引け!」

 

 馬が進む。

 

 綱が張る。

 

 機体が少し動く。

 

 右車輪が泥を押し分ける。

 

 止まる。

 

「もう一度!」

 

 人間も押す。

 

 機体の布へ手を当てる者がいる。

 

「そこを押すな!」

 

 技師が叫ぶ。

 

「骨組みの位置だ!」

 

「どこだ!」

 

「線の上!」

 

「線が泥で見えん!」

 

「ここだ!」

 

 元々、航空機を押す訓練など誰も受けていない。

 

 それでも動いた。

 

 数センチ。

 

 さらに数センチ。

 

 右車輪が泥から浮き始める。

 

 誰かが転ぶ。

 

 別の者が起こす。

 

 馬が暴れる。

 

 綱を張り直す。

 

「引け!」

 

 機体が大きく前へ出た。

 

 車輪が板の上へ乗る。

 

 歓声が上がる。

 

 技師だけは叫んだ。

 

「まだ終わっていない!」

 

「少しくらい喜ばせろ!」

 

     ◇

 

 集落の端まで運ぶのに、三時間かかった。

 

 そこから先は、荷車用の道がある。

 

 ただし機体の翼幅では通れない。

 

「翼を外す」

 

 技師が言う。

 

 現地兵が驚く。

 

「ここで?」

 

「ここで」

 

「暗いぞ」

 

「灯りを集めろ」

 

「工具は」

 

「機体に積んである」

 

 元白軍将校が設計段階で言っていた。

 

 前線でも換装できる。

 

 元ドイツ技師は、そのたびに工場でやれと怒鳴っていた。

 

 今、その本人が湿地の村で主翼を外そうとしている。

 

「白軍に知られたら笑われるな」

 

 若い操縦士が言った。

 

「言うな」

 

「前線でもできましたね」

 

「これは前線整備ではない」

 

「何です」

 

「緊急回収だ」

 

「呼び方が違うだけでは」

 

「黙って灯りを持て」

 

 灯油ランプ。

 

 松明。

 

 焚火。

 

 ありったけの明かりが集められた。

 

 主翼取付部のボルトを外す。

 

 配管を切り離す。

 

 操縦索を外す。

 

 印を付ける。

 

 部品を布へ包む。

 

 左右の主翼を、それぞれ別の荷車へ載せる。

 

 胴体は車輪を残したまま引く。

 

「交換式にしておいてよかった」

 

 操縦士が言う。

 

「このためではない」

 

「役に立った」

 

「認めたくない」

 

     ◇

 

 夜明け前。

 

 一号機は、ばらばらになって集落を出た。

 

 胴体一台。

 

 右翼一台。

 

 左翼一台。

 

 発動機部品と座席類一台。

 

 まるで葬列だった。

 

 先頭を歩く兵士が、胴体側面へ白い塗料で何かを書いた。

 

 技師が見つける。

 

「何を書いている」

 

「名前だ」

 

「勝手に書くな」

 

「どうせ工房で塗り直すだろう」

 

「何と書いた」

 

 兵士が一歩退く。

 

 狼の印の下。

 

 そこには大きく、

 

葬式拒否

 

 と書かれていた。

 

 若い操縦士が笑った。

 

「今の姿は葬式です」

 

「だから拒否だ」

 

 兵士が答える。

 

「こいつは死んでいない」

 

 技師は文字を見た。

 

 塗り方は雑。

 

 字体も歪んでいる。

 

 本来なら、すぐ消せと言うところだった。

 

「乾くまで触るな」

 

 それだけ言った。

 

     ◇

 

 工房へ報せが届いたのは、その翌日。

 

一号機回収成功。

分解状態で後送中。

到着まで数日を要す。

乗員全員無事。

 

 軍将校は椅子へ座った。

 

「持って帰ったのか」

 

 元白軍将校が満足そうに頷く。

 

「当然だ」

 

「お前は何もしていないだろう」

 

「設計思想が働いた」

 

「回収する思想まで設計した覚えはない!」

 

 実業家は電報を読んだ。

 

「住民と兵士が回収に協力」

 

「費用は」

 

 元独立運動家が尋ねる。

 

「馬の使用料、綱、板、食料」

 

「払う」

 

「軍へ請求します」

 

「またか」

 

「軍務中の損傷です」

 

 軍将校は反論しようとした。

 

 やめた。

 

「払わせろ」

 

     ◇

 

 一号機が工房へ戻った日は、町中の人間が見物に来た。

 

 最初に胴体。

 

 次に左右の翼。

 

 最後に発動機と部品。

 

 すべて泥まみれ。

 

 布は裂け、木材は濡れ、金属部品は錆び始めている。

 

 元ドイツ技師は、到着した一号機の周囲を一周した。

 

 何も言わない。

 

 右発動機を見る。

 

 主翼取付部。

 

 脚。

 

 胴体。

 

 尾部。

 

 そして、狼の印の下に書かれた文字。

 

葬式拒否

 

 軍将校が言う。

 

「消すか」

 

「後で」

 

「残すのか」

 

「修理の邪魔になる部分だけ消す」

 

「つまり残すのだな」

 

「記録だ」

 

 元白軍将校が胴体を叩こうとする。

 

 技師が手を掴んだ。

 

「今は本当に壊れている」

 

「直るか」

 

「直す」

 

「どのくらいかかる」

 

「分からん」

 

「飛べるようには」

 

「する」

 

 返事は短かった。

 

     ◇

 

 分解検査の結果は、ひどいものだった。

 

 右発動機は交換。

 

 左発動機も要整備。

 

 主翼桁の一部に亀裂。

 

 右脚は歪み。

 

 胴体後部の木枠が腐り始めている。

 

 操縦索は交換。

 

 布は半分以上張り直し。

 

 航法机は紛失。

 

 六分儀箱はあるが、六分儀はない。

 

「六分儀はどこだ」

 

 軍将校が尋ねる。

 

 返却書類を読む。

 

「現地連隊が保管」

 

「なぜ」

 

「撤退時の位置確認に使うため」

 

「陸上で?」

 

 元白軍将校が言う。

 

「星は地上からも見える」

 

「そういう問題ではない!」

 

 実業家は修理費を計算した。

 

 長い。

 

 何度も足す。

 

 引く。

 

 もう一度見る。

 

「新造した方が安いですね」

 

 小屋が静かになる。

 

 軍将校が一号機を見る。

 

「なら廃棄か」

 

 元ドイツ技師が即答した。

 

「しない」

 

「経営上は」

 

 実業家が言う。

 

「新造の方が合理的です」

 

「直す」

 

「費用が」

 

「直す」

 

 実業家は技師を見る。

 

「理由は」

 

「最初の一機だ」

 

「感情ですか」

 

「記録だ」

 

「同じようなものでは」

 

「違う」

 

 元独立運動家が、一号機の胴体へ手を置いた。

 

「この機体で助かった者がいる」

 

 元白軍将校も言う。

 

「回収した者もいる」

 

 軍将校は、少し考えた。

 

「軍が払う」

 

 実業家が顔を上げる。

 

「全額を?」

 

「交渉する」

 

「勝てますか」

 

「軍に必要な機体だ」

 

「では強く請求できますね」

 

「急に元気になるな」

 

     ◇

 

 修理は、新造と同じくらい時間がかかった。

 

 壊れた部分を外す。

 

 使える部分を残す。

 

 前線で付けられた部品を確認。

 

 よい改造は正式図面へ。

 

 悪い改造は外す。

 

 判断に困る物は補強して残す。

 

 元白軍将校が、泥まみれの金具を持ち上げた。

 

「これは使える」

 

「何の金具だ」

 

 技師が聞く。

 

「担架を二段に固定していたらしい」

 

「二段?」

 

「負傷兵を上下に」

 

「人間を棚へ載せるな!」

 

「四人運べる」

 

「正式採用しない!」

 

 元独立運動家が言う。

 

「取り外し式なら」

 

「検討するな!」

 

 実業家が帳簿へ書く。

 

「緊急時担架二段化案」

 

「書くな!」

 

     ◇

 

 一号機が再び形になった頃、工房の壁には前線から届いた手紙が何通も貼られていた。

 

あの機体で弟が病院へ運ばれた。

 

命令書が届き、包囲を抜けられた。

 

郵便袋の中に家族からの手紙があった。

 

樽のパンは酸っぱかったが温かかった。

 

落ちたと聞いた。直してほしい。

 

また飛んでくるのを待っている。

 

 実業家は、手紙の一通を帳簿へ挟もうとした。

 

 元独立運動家が止める。

 

「壁に残せ」

 

「紛失します」

 

「なら写しを取れ」

 

「紙代が」

 

 軍将校が言う。

 

「出す」

 

「軍費で?」

 

「私費だ!」

 

「記録しておきます」

 

「するな!」

 

     ◇

 

 修理後の最初の発動機試験。

 

 左右とも、今度は同型だった。

 

 一号機も二号機と同じ発動機へ換装された。

 

 交換式発動機架が、また役に立った。

 

 元ドイツ技師は各部を確認。

 

 元白軍将校がプロペラを回す。

 

「点火切り」

 

「切っている」

 

「燃料」

 

「開いた」

 

「回すぞ」

 

 右発動機が始動。

 

 次に左。

 

 同じ音。

 

 同じ振動。

 

 軍将校は少し寂しそうな顔をした。

 

「左右違いではなくなったな」

 

 技師が振り返る。

 

「文句があるのか」

 

「ない」

 

「なら言うな」

 

「前の音も悪くなかった」

 

「悪かった!」

 

 発動機の回転を上げる。

 

 機体が震える。

 

 だが壊れない。

 

 狼の印の下には、まだ文字が残っている。

 

葬式拒否

 

 塗り直された機体の中で、そこだけ前線の荒い筆跡だった。

 

     ◇

 

 再飛行の日。

 

 牧草地には、回収に参加した集落から代表者が来ていた。

 

 村長。

 

 馬を出した農家。

 

 薬を受け取った女。

 

 そして、あの時熱を出していた子供。

 

 もう歩ける。

 

 子供は機体を見上げた。

 

「同じ飛行機?」

 

 技師が答える。

 

「同じだ」

 

 軍将校が小声で言う。

 

「半分以上交換したが」

 

「同じだ」

 

 技師は繰り返した。

 

 子供は狼の印の下を指さす。

 

「これは何て書いてあるの」

 

 母親が読もうとする。

 

 軍将校が先に答えた。

 

「まだ死なない、という意味だ」

 

 厳密には違う。

 

 だが誰も訂正しなかった。

 

     ◇

 

 一号機は牧草地を走った。

 

 大車輪が泥を跳ね上げる。

 

 尾部が浮く。

 

 機体が地面を離れる。

 

 歓声が上がった。

 

 発動機音は以前と違う。

 

 翼も一部違う。

 

 布の色も違う。

 

 座席も、計器も、脚も違う。

 

 それでも一号機だった。

 

 軍将校が操縦席で言う。

 

「上がった」

 

 後席の技師が答える。

 

「当然だ」

 

「少しは喜べ」

 

「異音を聞いている」

 

「ないか」

 

「今のところ」

 

「なら喜べ」

 

「着陸してからだ」

 

 一号機は町の上を一周した。

 

 次に、回収へ協力した集落の方向へ機首を向ける。

 

 今日の荷物は少ない。

 

 医薬品。

 

 郵便。

 

 修理した六分儀箱。

 

 そしてパン生地樽一つ。

 

「六分儀は入っていないぞ」

 

 軍将校が言う。

 

「現地で返してもらう」

 

「まだ使っているのか」

 

「星は地上からも見えるそうだ」

 

「誰が言った」

 

「白軍だ」

 

「聞くのではなかった」

 

     ◇

 

 その日以降。

 

 WILKでは、墜落した機体を簡単に放棄しなくなった。

 

 可能なら回収する。

 

 翼を外す。

 

 発動機を外す。

 

 車輪を付け替える。

 

 馬で引く。

 

 人が押す。

 

 駄目なら使える部品だけでも持ち帰る。

 

 それは経済的理由でもあった。

 

 新しい部品を買う金がない。

 

 だが、それだけではない。

 

 一度帰ってきた機体は、また誰かを連れて帰れる。

 

 その考えが、工房にも前線にも広がっていった。

 

 赤軍側の新しい指示書には、こう記された。

 

狼印航空機を撃墜した場合、可能な限り機体を焼却せよ。

 

損傷機を放置した場合、敵は回収し再使用する。

 

完全破壊を確認するまで、戦果と見なしてはならない。

 

 その文書を知る者はいなかった。

 

 だがWILKの小屋では、元白軍将校が似たようなことを言っていた。

 

「落ちたら持って帰る」

 

 軍将校が答える。

 

「簡単に言うな」

 

「持って帰れば直せる」

 

 元ドイツ技師も頷く。

 

「部品が残っていれば」

 

 実業家は帳簿へ一行を加えた。

 

回収費用は、修理費とは別に請求する。

 

 元独立運動家がそれを見つける。

 

「結局、そこへ行くのか」

 

「次も回収するには金が要ります」

 

 正しい。

 

 あまりにも正しいので、誰も文句を言えなかった。

 

 WILK一号機『葬式拒否』は、その日も前線へ向かった。

 

 郵便を届けるため。

 

 薬を届けるため。

 

 そして、帰りに誰かを連れて帰るために。

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