WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK軍需部・航空部命令文書取扱注意
一九三五年五月

確認事項。

同一書式。
同一部署名。
同一要求内容。
同一期限表現。

以上が一致していても、

署名者が異なる場合、

命令の意味まで同一とは限らない。

軍側は、

「命令は命令である」

と回答した。

WILK側は、

「では誰へ確認すればよい」

と質問した。

軍側は、

「命令書に記載された担当者へ」

と回答した。

WILK側は、

「その担当者も変わっている」

と指摘した。

軍側は、その後しばらく回答しなかった。



第122話 新しい署名を古い命令と思うな

ピウスツキの葬送が終わった数日後。

 

ポーランド軍将校は、一通の命令書をWILKへ持ってきた。

 

内容。

 

Bizon関連予備部品。

教育能力。

地方飛行場整備。

納期短縮。

 

どれも見覚えがある。

 

元ドイツ軍技術者は紙を読み、

 

最後で止まった。

 

「署名が違う」

 

ポーランド軍将校が答える。

 

「担当者が変わった」

 

「いつ」

 

「今週」

 

「前任者は」

 

「異動」

 

「なぜ」

 

軍将校が嫌な顔をする。

 

「俺に聞くな」

 

「なら誰に」

 

「航空部へ」

 

「航空部の誰に」

 

軍将校が止まった。

 

同じ部署。

 

だが人が変わっている。

 

上官。

 

副官。

 

補給。

 

教育。

 

調達。

 

一部が動いた。

 

まだ国家がひっくり返ったわけではない。

 

軍も残っている。

 

制度も残っている。

 

書式も残っている。

 

ただ、

 

一人の死後、

 

人が動き始めた。

 

元ドイツ軍技術者は命令書を机へ置く。

 

「確認する」

 

軍将校が言った。

 

「必要か」

 

「必要だ」

 

「内容は前と同じだ」

 

「署名が違う」

 

「命令は同じだ」

 

技術者は一文を指した。

 

可能な限り速やかに。

 

「前任者は、これをどう使っていた」

 

軍将校は少し考える。

 

「急げ。ただし品質は落とすな」

 

「新しい者は」

 

「知らん」

 

「なら同じ言葉ではない」

 

---

 

確認の電話を入れる。

 

航空部。

 

新任担当者。

 

元ドイツ軍技術者が聞く。

 

「可能な限り速やかに、とは」

 

返答。

 

「最優先でお願いします」

 

「何を後回しにしてよい」

 

電話の向こうが止まる。

 

「何を、とは」

 

「現在のBizon十二機。予備部品。整備員教育。地方飛行場支援。どれを後へ回す」

 

「全部必要です」

 

「全部最優先は、優先順位ではない」

 

少し沈黙。

 

ポーランド軍将校は横で額を押さえた。

 

「言い方」

 

小声で言う。

 

元ドイツ軍技術者は無視する。

 

電話の向こう。

 

「では完成機を優先してください」

 

「何機」

 

「十二機」

 

「予備部品は」

 

「可能な範囲で」

 

「教育は」

 

「継続」

 

「教官を生産へ戻してよいか」

 

「それは困ります」

 

「地方修理網は」

 

「重要です」

 

元ドイツ軍技術者が受話器を少し離した。

 

ポーランド軍将校を見る。

 

「前と違う」

 

軍将校が小声で答える。

 

「どこが」

 

「本人が違う」

 

電話へ戻る。

 

「優先順位を書面でください」

 

「必要ですか」

 

「必要です」

 

「以前は」

 

「以前の人は、こちらが聞けば決めた」

 

「私も決めています」

 

「では書ける」

 

また沈黙。

 

最終的に、

 

完成機。

予備発動機。

整備員教育。

地方修理設備。

その他。

 

順番が書かれて届いた。

 

元ドイツ軍技術者はそれを見て言った。

 

「これでよい」

 

ポーランド軍将校が紙を見る。

 

「昨日までなかった仕事が増えたな」

 

「確認?」

 

「確認」

 

「必要だった」

 

「知っている」

 

---

 

問題は命令そのものより、

 

解釈だった。

 

同じ言葉。

 

違う人間。

 

前任者は、

 

「可能な限り」

 

を、

 

現場判断を残す意味で使っていた。

 

新任者は、

 

「最大限」

 

に近い意味で使っていた。

 

同じ一文。

 

違う重さ。

 

元独立運動家が言った。

 

「人間の口癖みたいなものか」

 

元ドイツ軍技術者が答える。

 

「文書でもある」

 

「規則なら同じでは」

 

「規則は同じでも、使い方が違う」

 

ユダヤ人実業家が契約書を一枚出した。

 

「商売でも同じです」

 

ポーランド軍将校が嫌そうな顔をする。

 

「今度は何だ」

 

「『合理的な期間内』」

 

「嫌な言葉だな」

 

「売る側と買う側で合理的な期間は違います」

 

「契約で決めろ」

 

「だから決めます」

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「軍も同じにしろ」

 

軍将校が反論する。

 

「軍命令を契約書にするな」

 

「全部ではない」

 

「では」

 

「曖昧なところだけ確認する」

 

「戦場ではそんな暇はない」

 

元白軍将校が口を挟んだ。

 

「今は戦場ではない」

 

軍将校が止まる。

 

「だから今やれ」

 

元白軍将校は続けた。

 

「戦場で確認できない命令を、平時から曖昧にしておくな」

 

---

 

WILKは新しい欄を作った。

 

命令書。

 

受領日。

署名者。

担当部署。

要求内容。

優先順位。

納期。

変更前。

変更後。

確認者。

電話確認。

口頭補足。

理由。

 

ポーランド軍将校が見た。

 

「また書類が増えた」

 

ユダヤ人実業家が答える。

 

「増えました」

 

「最近、それを当然のように言うな」

 

「当然なので」

 

元ドイツ軍技術者は表を指す。

 

「命令が変わった時、いつ変わったか分かる」

 

「紙が残ればな」

 

「複写する」

 

「またか」

 

「まただ」

 

元白軍将校が言った。

 

「命令は後から変わる」

 

軍将校が見る。

 

「戦場で?」

 

「戦場でも。政治でも」

 

「誰かが都合よく書き換える?」

 

「もっと簡単だ」

 

元白軍将校は言った。

 

「皆、自分が正しかったと思いたがる」

 

会議室が静かになる。

 

「昔の命令は、後から立派になる」

 

「どういう意味だ」

 

「失敗した命令は、誰も自分が出した形で覚えない」

 

ポーランド軍将校が少し嫌そうな顔をした。

 

「記録が要るな」

 

「そうだ」

 

「最近、お前まで技術者みたいになったな」

 

元白軍将校は笑った。

 

「負けた側は記録が好きになる」

 

誰もすぐには笑わなかった。

 

---

 

数日後。

 

別の命令。

 

飛行時間増加。

 

操縦士養成のため。

 

内容自体は妥当だった。

 

元ドイツ軍技術者が計算する。

 

訓練機。

 

発動機寿命。

 

燃料。

 

整備時間。

 

教官。

 

ポーランド軍将校が聞く。

 

「できるか」

 

「できる」

 

「珍しい」

 

「ただし」

 

「やはり来たか」

 

「発動機交換が早まる」

 

「予備は」

 

「増やした」

 

「足りる?」

 

「現状なら」

 

「よし」

 

「訓練機の整備員は」

 

軍将校が止まる。

 

「増やす」

 

「どこから」

 

「部隊」

 

「実働部隊が減る」

 

「では新規」

 

「育つまで」

 

軍将校が目を閉じた。

 

「時間」

 

「そうだ」

 

命令は正しい。

 

必要でもある。

 

ただし、

 

一つ命令を変えると、

 

別の場所が動く。

 

飛行時間を増やす。

 

発動機寿命が減る。

 

整備が増える。

 

部品が減る。

 

教官が忙しくなる。

 

事故率も変わる。

 

元ドイツ軍技術者は命令書の余白へ書いた。

 

影響範囲。

 

ポーランド軍将校が見る。

 

「命令へ勝手に書くな」

 

「複写へ書いている」

 

「何だ、その欄は」

 

「この命令を守るために動く物」

 

「そんな物まで」

 

「後で誰かが、なぜ部品が減ったと言う」

 

軍将校が黙る。

 

十分ありそうだった。

 

---

 

実際、言われた。

 

二週間後。

 

航空部から問い合わせ。

 

「予備点火装置の在庫減少が早い」

 

WILKは答える。

 

「訓練飛行時間増加による」

 

返答。

 

「予定以上である」

 

元ドイツ軍技術者は記録を出した。

 

命令日。

 

飛行時間増加。

 

予測消費。

 

実消費。

 

ほぼ一致。

 

ポーランド軍将校が電話を取る。

 

「そちらの命令だ」

 

電話の向こう。

 

「承知している。ただ在庫が」

 

「だから補充計画も送った」

 

「予算が」

 

軍将校の顔が曇る。

 

「そちらの命令で使った部品を、こちらの予算で戻せと?」

 

元ドイツ軍技術者が横から言う。

 

「言い方」

 

軍将校が受話器を押さえる。

 

「お前にだけは言われたくない!」

 

結局、

 

飛行時間。

 

部品消費。

 

追加予算。

 

三つを一緒に再検討することになった。

 

元ドイツ軍技術者は記録表へ一行追加する。

 

予算影響。

 

軍将校が見た。

 

「また欄が増えた」

 

「必要になった」

 

「この会社の帳票は、問題が起きるたび太るな」

 

ユダヤ人実業家が答える。

 

「会社も同じです」

 

「それは知っている」

 

---

 

もっと厄介なのは、

 

口頭命令だった。

 

軍の高官。

 

視察。

 

工場。

 

Bizonを見る。

 

「もっと装甲を増やせないか」

 

現場担当者が答える。

 

「可能です」

 

「では検討してくれ」

 

高官は帰る。

 

翌日。

 

軍側担当者。

 

「装甲増加案はいつ出る」

 

WILK。

 

「検討中」

 

三日後。

 

「上層部の意向だ」

 

一週間後。

 

「増加方針と聞いている」

 

元ドイツ軍技術者が止めた。

 

「誰が決めた」

 

担当者が言う。

 

「先日の視察で」

 

「何と言った」

 

「増やせないか、と」

 

「命令か」

 

「意向だ」

 

「決定か」

 

「検討を」

 

「なら検討だ」

 

ポーランド軍将校が間へ入る。

 

「軍では、上の意向は重い」

 

「知っている」

 

「実質命令になる時もある」

 

「だから危ない」

 

軍将校が眉を寄せる。

 

「何が」

 

「質問が命令に変わる」

 

会議室が静かになる。

 

元ドイツ軍技術者は続ける。

 

「『できるか』」

 

「できる」

 

「『検討しろ』」

 

「検討する」

 

「『やれ』」

 

「やる」

 

「三つは違う」

 

軍将校は頷いた。

 

「軍でも違う」

 

「なら紙でも違わせろ」

 

結果。

 

口頭要望。

 

検討指示。

 

正式命令。

 

三段階で記録することになった。

 

ポーランド軍将校は表を見て言った。

 

「これを軍全体へ広げる気ではないだろうな」

 

元ドイツ軍技術者が答える。

 

「興味はない」

 

軍将校は安心する。

 

「WILKが巻き込まれる範囲だけでよい」

 

安心が終わる。

 

---

 

さらに一件。

 

地方飛行場。

 

燃料貯蔵設備。

 

以前の担当者は、

 

「可能な限り分散」

 

と指示していた。

 

新任者。

 

同じ文言。

 

ただし、

 

考えていた物が違った。

 

前任。

 

複数小型タンク。

 

新任。

 

一か所に大型タンクを作り、その内部を区画。

 

ポーランド軍将校が図面を見る。

 

「どちらも分散と言えるな」

 

元白軍将校が答える。

 

「一発で全部燃えるか」

 

「大型なら」

 

「なら違う」

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「言葉では同じでも、故障の仕方が違う」

 

軍将校が図面を見る。

 

一か所。

 

内部区画。

 

管理は楽。

 

警備も楽。

 

配管も短い。

 

安い。

 

一方。

 

複数箇所。

 

高い。

 

管理が面倒。

 

輸送も増える。

 

ただし、

 

一か所失っても残る。

 

「新任者は間違っているか」

 

軍将校が聞く。

 

元ドイツ軍技術者は首を振る。

 

「目的が違う」

 

「何を優先している」

 

「管理」

 

「前任者は」

 

「損失分散」

 

軍将校は少し考える。

 

「どちらを採る」

 

元白軍将校が答える。

 

「場所による」

 

軍将校が嫌な顔をする。

 

「一番嫌いな答えだ」

 

「一番正しいことが多い」

 

最終的に、

 

大型一基。

 

離れた小型予備。

 

という折衷になった。

 

ユダヤ人実業家が費用を出す。

 

軍将校が紙を見て言った。

 

「高い」

 

「分散ですので」

 

「もう知っている」

 

---

 

WILKの命令受領簿は厚くなった。

 

だが、

 

厚くなったのは紙だけではない。

 

誰が言ったか。

 

何を意味したか。

 

どこまで決まっていたか。

 

何が変わったか。

 

誰が確認したか。

 

その記録が残る。

 

最初は軍側も嫌がった。

 

「信用していないのか」

 

と。

 

元ドイツ軍技術者は答えた。

 

「信用しているから記録する」

 

「逆では」

 

「人は忘れる」

 

「忘れない者もいる」

 

「死ぬ者もいる」

 

その一言で、五月の会議室は静かになった。

 

つい先日、

 

一人の人間が死んだ。

 

国家は残った。

 

命令系統も残った。

 

紙も残った。

 

だが、

 

その紙をどう読むかを知っていた人間は、

 

少しずつ入れ替わっていた。

 

---

 

月末。

 

ポーランド軍将校が古い命令書を持ってきた。

 

前年。

 

署名。

 

前任者。

 

内容。

 

地方整備拠点の拡張。

 

新しい命令。

 

同じ内容。

 

新しい署名。

 

元ドイツ軍技術者が二枚を並べる。

 

「同じに見える」

 

軍将校が言った。

 

「実際、ほぼ同じだ」

 

「確認したか」

 

「した」

 

「優先順位」

 

「同じ」

 

「予算」

 

「少し増えた」

 

「期限」

 

「同じ」

 

「目的」

 

軍将校が止まる。

 

「そこまで聞くのか」

 

「聞いたか」

 

「聞いた」

 

技術者が顔を上げる。

 

「何と」

 

軍将校は紙を見る。

 

「前任者は、地方で修理できる機体を増やすため」

 

「新任者は」

 

「中央工場へ戻さなくて済む機体を増やすため」

 

技術者は少し考える。

 

「似ている」

 

「同じでは」

 

「前者は現場能力」

 

「後者は中央負担軽減」

 

「そうだ」

 

軍将校がため息をついた。

 

「細かいな」

 

「だから違いが分かる」

 

「何か変えるか」

 

元ドイツ軍技術者はしばらく考えた。

 

「今回は変えない」

 

軍将校が驚く。

 

「変えないのか」

 

「同じ設備で両方満たせる」

 

「なら何のために確認した」

 

「変えなくてよいと分かった」

 

軍将校は黙った。

 

そして笑った。

 

「面倒な会社だ」

 

「知っている」

 

「軍も面倒だ」

 

「それも知っている」

 

---

 

夕方。

 

工場。

 

命令書が現場へ下りる。

 

以前なら、

 

「軍から来た」

 

で終わった。

 

今は違う。

 

目的。

 

優先。

 

期限。

 

変更点。

 

前回との差。

 

班長が読む。

 

工員が聞く。

 

「前と同じですか」

 

班長は紙を見る。

 

「作る物は同じ」

 

「では同じ?」

 

「急ぐ理由が違う」

 

「何が」

 

班長は少し考え、

 

答えた。

 

「前は増やすため」

 

「今は」

 

「止めないため」

 

若い工員はよく分からない顔をした。

 

それでよかった。

 

今すぐ全部理解する必要はない。

 

ただ、

 

同じ命令でも、

 

同じ意味とは限らない。

 

それだけが残ればよい。

 

一九三五年。

 

ポーランドの書類から、

 

一つの署名が消え、

 

別の署名が増え始めた。

 

国は続いている。

 

軍も続いている。

 

WILKも続いている。

 

だからこそ、

 

昨日までと同じだと思うのが一番危ない。

 

元ドイツ軍技術者は、新しい命令書を古い命令書の上へ重ねなかった。

 

二枚を、

 

並べて保管した。

 

違いが見えるように。

 

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