一九三五年
友好国との軍事・航空技術交流促進の一環として、WILK製双発機Bizon一機を評価目的にて貸与する案が提出された。
貸与機は現行量産仕様から一部装備を変更し、当該国における飛行性能、整備性、運用適応性について共同評価を実施する。
なお、本件は輸出契約ではない。
友好関係強化を目的とするものである。
「嫌だ」
元ドイツ軍技術者は書類を半分も読まずに言った。
ポーランド軍将校が顔を上げた。
「まだ国名すら言っていない」
「機体を国外へ出す話だろう」
「なぜ分かった」
「一行目に友好と書いてある」
机の反対側で、ユダヤ人実業家が書類を受け取った。
「ルーマニアですね」
「そうだ」
ポーランド軍将校は椅子へ座り直した。
「政府としては悪い話ではない。軍事同盟国との関係強化にもなる。向こうには航空産業もある。共同評価という名目も立つ」
「だから嫌だ」
元ドイツ軍技術者は繰り返した。
元白軍将校が煙草を指の間で転がした。
「最新機か?」
「一機だけだ」
「質問に答えろ」
ポーランド軍将校は少し黙った。
「……現行型を希望されている」
「嫌だ」
三度目だった。
元独立運動家が笑った。
「今回は早いな」
「機体を一機渡すだけではない」
元ドイツ軍技術者は書類を指で叩いた。
「発動機架を見る。配管を見る。脚を見る。貨物架を見る。整備口を見る。部品番号を見る。どこを外せば何が交換できるかを見る」
「見せるための評価機だ」
「だから嫌だと言っている」
ポーランド軍将校は額を押さえた。
「国家間の外交だぞ」
「機械は外交を理解しない」
「そういう話ではない」
「こちらはそういう話をしている」
元白軍将校が口を挟んだ。
「貸すこと自体は決まっているのか」
「ほぼ」
「なら、嫌だと言っても来月には飛んでいる」
「たぶんな」
「では条件を決めろ」
元ドイツ軍技術者が彼を見た。
「お前まで」
「国は機械を持っていく。止められないなら、壊され方を選べ」
数秒の沈黙があった。
ユダヤ人実業家が新しい紙を取り出した。
「では契約にしましょう」
「外交案件だぞ」
「なおさらです」
筆記具の先が紙へ落ちた。
「第一。最新発動機は搭載しない」
ポーランド軍将校が眉を上げた。
「旧型を?」
「飛ぶ」
「飛ぶが」
「評価には十分だ」
元ドイツ軍技術者が続けた。
「現行武装の一部も外す。照準装置も最新型は渡さない。交換部品は試験に必要な数量だけ」
ユダヤ人実業家が書く。
「改造は?」
元白軍将校が尋ねた。
「禁止するか?」
技術者は少し考えた。
「……いや」
全員が彼を見た。
「発動機は交換してよい」
ポーランド軍将校が驚いた。
「いいのか?」
「その代わり全部記録させろ」
「全部?」
「重量。架台。配管。プロペラ。冷却。振動。飛行時間。故障。外した部品。壊れた部品」
ユダヤ人実業家の口元が少し上がった。
「貸与料の代わりに試験資料を取りますか」
「貸与料も取れ」
「友好ですので」
「友好だから安くしろ。無料にするな」
「分かりました」
ポーランド軍将校が小さく息を吐いた。
「外交官が泣くぞ」
「壊したあとに我々が泣くよりいい」
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三日後、貸与機が決まった。
初期生産のBizon一機。
機体構造は現行型に近い。
発動機は一世代前。
一部装備を省略し、試験用計器を追加した。
機体の横には、交換部品と工具箱が並べられた。
さらにその横に、小さな車輪の付いた台車が置かれていた。
外務省から来た担当官が、それを見て止まった。
「これは?」
「共通整備台車です」
WILKの整備員が答えた。
「これも送るのか?」
「標準装備です」
担当官は台車を一周した。
見た目はどう見ても、少し頑丈に作った猫車だった。
「何を運ぶ」
「機関銃。工具。交換部品。貨物」
「全部?」
「上を交換します」
整備員は荷台を固定していた二本のピンを抜いた。
荷台が持ち上がった。
下から共通の取付部が現れた。
横に置いてあった別の上物を載せる。
二本の支柱と、その間に大きな締付具が付いていた。
担当官は首を傾げた。
「これは?」
「機関銃架です」
「……台車では?」
「台車です」
「銃架にもなるのか」
「なります」
整備員は古い十一ミリ機関銃を運んできた。
固定部には黒いゴム板が貼られていた。
銃の機関部を傷めない位置へ置き、左右の締付具を回す。
固定された。
「専用金具ではないのか」
「挟めれば使えます」
担当官はしばらく黙った。
「十一ミリ専用では?」
「違います」
「七・七ミリは?」
「挟めれば」
「軽機関銃は?」
「挟めれば」
「……ライフルは?」
整備員が嫌そうな顔をした。
「挟めますが、やめてください」
「なぜ」
「その質問をした人間が、だいたい次に試すからです」
元ドイツ軍技術者が遠くから声を上げた。
「銃を直接締めるな!」
担当官が振り返った。
「直接?」
「ゴムを使え。なければ革。革もなければ厚い布だ。金属同士で締めるな」
「ゴム板は標準で付いているようだが」
「無くす奴がいる」
「なるほど」
「納得するな」
整備員が銃架の横のねじを緩めた。
機関銃が上を向いた。
担当官の目が細くなった。
「仰角も?」
「取れます」
「対空射撃は」
元ドイツ軍技術者が歩いてきた。
「その質問もするな」
「できるのか?」
「できることと、やっていいことは違う」
「できるんだな」
技術者は答えなかった。
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ルーマニアへの貸与機は、工具、交換部品、整備資料、共通整備台車二台とともに送り出された。
WILK側から技術者と整備員も同行した。
現地で最初に囲まれたのは当然Bizonだった。
ルーマニア側の航空技術者たちは主翼を見て、発動機を見て、脚を見た。
試験飛行では特別な驚きはなかった。
速い。
だが驚くほどではない。
頑丈そうだ。
だが重い。
操縦性は素直。
片発時の上昇は期待するほどではない。
一人の技術者が報告書へ書いた。
『性能上、突出した点は認められない。実用性を重視した設計と推定される。』
翌日。
別の技術者が発動機架を見つけた。
「これは外せるのか?」
WILK技術者が答えた。
「はい」
「発動機ごと?」
「はい」
「別の発動機を載せられる?」
「重量と重心と冷却を見れば」
「我々の発動機でも?」
「架台を作れば」
ルーマニア側の技術者が振り返った。
「架台を作ろう」
WILK技術者が止めた。
「まだ試験二日目です」
「だからだ」
「何がだからなんだ」
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一週間後。
Bizonは格納庫の中で発動機を一基外されていた。
WILK技術者は腕を組んで見ていた。
「友好とは何だ」
ルーマニア技術者が答えた。
「共同研究だ」
「昨日まで評価と言っていた」
「評価した」
「一週間で?」
「次は研究だ」
その横を、例の共通整備台車が通った。
機関銃ではなく、外した配管と工具が載っていた。
さらにもう一台。
こちらには弾薬箱が載っていた。
「待て」
WILK技術者が止めた。
「その台車、今日は何に使っている」
ルーマニア整備員が答えた。
「弾薬」
「昨日は?」
「工具」
「銃架は?」
「午後に使う」
「何に」
「七・九二ミリ」
「……載ったのか」
「挟めた」
技術者は目を閉じた。
「ゴム板は」
「使った」
「ならいい」
そこだけは譲らなかった。
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一か月後、ワルシャワ。
ポーランド軍将校がルーマニアから届いた報告書を持って会議室へ入った。
「評価結果が来た」
元ドイツ軍技術者が手を出した。
最初の数枚はBizonだった。
飛行時間。
離着陸回数。
発動機温度。
燃料消費。
片発飛行。
荒れた地面での走行。
発動機架の換装試験。
現地発動機搭載のための予備計算。
「悪くない」
技術者が言った。
「むしろかなり良い」
ポーランド軍将校が続けた。
「追加貸与の相談もある」
「Bizonか?」
「いや」
紙を一枚渡した。
元ドイツ軍技術者が読んだ。
もう一度読んだ。
「……二十台?」
「二十台」
「何を?」
「共通整備台車」
「なぜだ」
「機関銃運搬、弾薬運搬、工具運搬、地上銃架として便利だそうだ」
「飛行機は?」
「評価継続中」
ユダヤ人実業家が身を乗り出した。
「値段はいくらで出せます?」
「そこに食いつくな」
「飛行機より数が出ます」
「航空機会社だぞ」
元独立運動家が報告書を覗いた。
「民間にも売れるな」
「お前まで何を言っている」
「荷台を付ければ普通の台車だろう」
「元から普通の台車だ!」
少し間があった。
ポーランド軍将校が静かに言った。
「なら問題ないな」
元ドイツ軍技術者は答えなかった。
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その日の午後。
外務省から新しい書類が届いた。
英国。
航空技術交流を目的としたBizon評価貸与についての照会。
その下に別紙。
別の国からも同様の照会。
ポーランド軍将校は書類を机へ置いた。
誰もすぐには読まなかった。
元白軍将校が言った。
「一機出したからだ」
ユダヤ人実業家が頷いた。
「前例になりました」
元独立運動家が笑った。
「外交だな」
元ドイツ軍技術者は天井を見た。
「最新機は出さんぞ」
「旧型発動機で」
「武装も減らす」
「記録は全部返させます」
「猫車は?」
一瞬、全員が黙った。
ポーランド軍将校が答えた。
「標準装備だろう?」
元ドイツ軍技術者は顔を覆った。
「……二台までだ」
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一九三五年末。
WILK共通整備台車の製造手順書に、一行が追加された。
製造国。
材質。
車輪径。
保護材。
上部架台の形状。
いずれも現地事情に応じ変更してよい。
ただし、フレーム側面の見える位置へ、
W
の刻印を施すこと。
理由は記されていなかった。
特許でもなかった。
料金もなかった。
ただ、それだけは残された。
同じ頃、ルーマニアでは新しい台車が二十台作られていた。
そのうち十二台が航空隊へ。
六台が陸軍へ。
二台が食料と湯を運んでいた。
WILKはまだ知らなかった。
最後の二台が、一番長く使われることになる。