WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

126 / 128
――WILK構内運搬規定改訂案
一九三七年

共通整備台車について、構内短距離輸送の効率化を目的として小型二輪車による低速牽引試験を実施する。

連結数は原則三台まで。

舗装路および十分に締め固められた路面に限る。

泥濘、深い轍、急坂その他、路面状態が悪い場所では連結を解除し、人力による運搬へ切り替えること。

なお、本規定は「走れる場所」を定めるものではない。

「走ってよい場所」を定めるものである。


第126話 荒地では押せ

 

一九三七年。

 

英国へ貸したBizonは、まだ戻っていなかった。

 

それについて元ドイツ軍技術者は、もう毎週確認することをやめていた。

 

代わりに彼が朝から怒っていたのは、格納庫の前を走っていた一台のオートバイだった。

 

正確には、その後ろだった。

 

一台。

 

二台。

 

三台。

 

共通整備台車が、短い間隔で連結されていた。

 

一台目には工具箱。

 

二台目には交換部品。

 

三台目には小さな木箱と油缶。

 

オートバイは低速で構内道路を走り、その後ろを三台の台車がガラガラとついていく。

 

元ドイツ軍技術者はしばらく黙って見た。

 

そして言った。

 

「また馬鹿なことをやっている」

 

ポーランド軍将校が横を見る。

 

「止めるか?」

 

「まだ見る」

 

「悪くないと思っているだろう」

 

「まだ言っていない」

 

「顔に出ている」

 

「出ていない」

 

台車列は格納庫の前で止まった。

 

作業員が降りる。

 

後ろ二台の連結を外す。

 

一台目はそのまま格納庫へ。

 

二台目は隣の整備区画へ。

 

三台目は部品庫の前で残された。

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「一人で三人分運んだな」

 

「だからまだ見ている」

 

「やはり悪くないんだろう」

 

「うるさい」

 

---

 

発端は三日前だった。

 

共通整備台車そのものは、すでに珍しい物ではなくなっていた。

 

Bizonの機関銃。

 

交換部品。

 

工具。

 

タイヤ。

 

点火部品。

 

測定器。

 

時には食料。

 

必要な物を必要な場所へ運ぶため、工場にも飛行場にも置かれていた。

 

英国やルーマニアへ出した図面から現地生産まで始まり、WILK自身も製造数を増やしている。

 

そのため、ある問題が起きた。

 

「台車が増えたので、人間も増えました」

 

若い作業員が言った。

 

元ドイツ軍技術者は嫌な顔をした。

 

「どういう意味だ」

 

「台車一台につき一人押しています」

 

「それはそうだ」

 

「部品庫から第四格納庫まで、三台運ぶなら三人です」

 

「そうだな」

 

「オートバイはあります」

 

「あるな」

 

「牽引したら一人です」

 

沈黙。

 

若い作業員は机に置いた紙を一枚めくった。

 

簡単な図だった。

 

オートバイ。

 

その後ろに共通整備台車。

 

さらにその後ろにもう一台。

 

そしてもう一台。

 

ポーランド軍将校が覗き込んだ。

 

「列車か?」

 

「小さいですが」

 

「誰が考えた」

 

「整備班です」

 

元ドイツ軍技術者は図面を手に取った。

 

「連結部は」

 

「前側の牽引金具を流用します。後ろ側にも同じ金具を追加します」

 

「旋回は」

 

「連結部で動きます」

 

「ブレーキは」

 

「ありません」

 

「却下」

 

「低速です」

 

「却下」

 

「時速十五キロ以下」

 

技術者の指が止まった。

 

「なぜ十五だ」

 

「二十で試したら怖かったので」

 

「試したのか」

 

「はい」

 

「誰が許可した」

 

若い作業員は答えなかった。

 

ポーランド軍将校が天井を見た。

 

「また始まったな」

 

---

 

五人が集められた。

 

机の中央には、小さな牽引金具が置かれている。

 

元白軍将校が手に取った。

 

「これだけか?」

 

「これだけです」

 

若い作業員が答えた。

 

「後ろに同じ受けを追加します」

 

「一台ずつ押すよりは楽だな」

 

「はい」

 

ユダヤ人実業家が聞いた。

 

「追加費用は」

 

「ほとんどありません」

 

「専用車両は?」

 

「不要です」

 

「既存のオートバイで?」

 

「構内用なら」

 

「部品点数は?」

 

「連結金具と補強板くらいです」

 

実業家は頷いた。

 

「売れるな」

 

元ドイツ軍技術者が睨んだ。

 

「まだ売るな」

 

元独立運動家が図を見ていた。

 

「工場でも使えるな」

 

「使えます」

 

「倉庫は?」

 

「使えます」

 

「農場でも?」

 

若い作業員が少し考えた。

 

「道が良ければ」

 

「なら悪くない」

 

ポーランド軍将校は五人を見回した。

 

「お前たちは飛行機会社だったよな?」

 

誰も答えなかった。

 

---

 

問題は走らせた後に出た。

 

最初の試験。

 

舗装された工場構内。

 

台車三台。

 

積載量は通常の半分。

 

時速十キロ。

 

問題なし。

 

十二キロ。

 

問題なし。

 

十五キロ。

 

少し揺れるが、問題なし。

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「ここまでだ」

 

作業員が聞いた。

 

「二十は?」

 

「やったと言っただろう」

 

「正式試験として」

 

「必要ない」

 

「限界を知るために」

 

「限界を知っている。怖かったんだろう」

 

「はい」

 

「なら十五だ」

 

その日の午後。

 

別の班が、草地で試した。

 

誰にも言わずに。

 

一台目は通った。

 

二台目も通った。

 

三台目の片輪が、小さな窪みに落ちた。

 

台車が傾いた。

 

後ろから押される。

 

連結部がねじれる。

 

三台目が横を向いた。

 

二台目まで引かれた。

 

積んでいた空箱が散った。

 

幸い人も機械も怪我はなかった。

 

夕方。

 

横転した台車が整備場へ戻ってきた。

 

元ドイツ軍技術者は曲がった連結金具を見た。

 

「どこでやった」

 

誰も答えない。

 

「どこだ」

 

「……草地です」

 

「なぜ」

 

「乾いていました」

 

「だから?」

 

「行けると思いました」

 

技術者は黙って台車の車輪を回した。

 

問題なく回った。

 

フレームも曲がっていない。

 

壊れたのは連結金具だけだった。

 

「直せます」

 

作業員が言った。

 

「知っている」

 

「なら」

 

「直せることと、壊していいことは違う」

 

どこかで聞いたような言葉だった。

 

ポーランド軍将校が小さく笑った。

 

「最近そればかりだな」

 

「誰かが毎回同じことをやるからだ」

 

---

 

翌日、規定案が作られた。

 

舗装路。

 

硬く締まった地面。

 

緩い勾配。

 

低速。

 

三台まで。

 

それ以外では分離する。

 

元白軍将校が読んだ。

 

「野戦飛行場では?」

 

元ドイツ軍技術者が答えた。

 

「地面を見ろ」

 

「乾いていたら」

 

「二台まで」

 

「雨の後は」

 

「押せ」

 

「泥なら」

 

「押せ」

 

「深い轍」

 

「押せ」

 

「雪は」

 

「押せ」

 

元白軍将校は頷いた。

 

「分かりやすい」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「最初から全部『荒地では押せ』でいいのでは?」

 

技術者が彼を見た。

 

少し考えた。

 

「それを見出しにしろ」

 

本当にそうなった。

 

---

 

数週間後。

 

WILK構内では、オートバイの後ろを二台、三台の共通整備台車がついて走る姿が珍しくなくなった。

 

工具。

 

部品。

 

弾薬。

 

測定器。

 

食料。

 

一台ずつ目的地で外される。

 

必要なら、その場から人力で押す。

 

大きなトラックを出すほどではない。

 

しかし人間が何度も往復するには遠い。

 

その間を埋めた。

 

元独立運動家は、食堂の裏で三台連結を見つけた。

 

一台目。

 

パン。

 

二台目。

 

湯。

 

三台目。

 

鍋。

 

「これは何だ」

 

食堂の職員が答えた。

 

「昼食です」

 

「整備台車だぞ」

 

「運べます」

 

「まあ……そうだな」

 

そこへ元ドイツ軍技術者が来た。

 

鍋を見た。

 

台車を見た。

 

連結部を見た。

 

「路面は」

 

「舗装です」

 

「速度は」

 

「十キロ以下」

 

「連結は」

 

「三台」

 

「……よし」

 

元独立運動家が笑った。

 

「何を運んでいるかは聞かないのか」

 

「荷重以内なら構わん」

 

「飛行機会社だぞ」

 

「知っている」

 

---

 

一か月後。

 

軍から照会が来た。

 

共通整備台車の連結牽引方式について、弾薬庫および飛行場内輸送への採用を検討したい。

 

その翌日。

 

鉄道関係者から照会。

 

駅構内の小口貨物輸送に使えないか。

 

さらにその翌日。

 

農業機械を扱う会社から照会。

 

「なぜ農業会社が知っている」

 

元ドイツ軍技術者が聞いた。

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「台車ですので」

 

「航空機用だ」

 

「荷台を付ければ台車です」

 

「航空機用の」

 

「車輪があります」

 

「……あるな」

 

「物を運びます」

 

「運ぶ」

 

「では台車です」

 

元ドイツ軍技術者は黙った。

 

元白軍将校が言った。

 

「諦めろ」

 

「何を」

 

「猫車だ」

 

「共通整備台車だ」

 

そこだけは譲らなかった。

 

---

 

製造手順書には、さらに一行が加わった。

 

牽引金具を装備する場合、前後の規格を同一とすること。

 

ただし、三台を超える連結は推奨しない。

 

その下に手書きで追記があった。

 

四台目をつなぐ前に、本当に必要か考えろ。

 

さらに別の筆跡。

 

五台目は考えるな。

 

誰が書いたのかは記録されていない。

 

一九三七年。

 

WILKは新しい航空機を作っていた。

 

発動機の供給網を整えていた。

 

国外拠点を増やしていた。

 

そして工場の片隅では、

 

一台のオートバイが、

 

三台の猫車を引いて走っていた。

 

元ドイツ軍技術者はそれを見送り、短く言った。

 

「馬鹿な発想だ」

 

ポーランド軍将校が尋ねた。

 

「やめるか?」

 

「いや」

 

少し間があった。

 

「悪くはない」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。