一九三七年
議題。
航空機工場を空襲から守る方法。
提案。
防空強化。
偽装。
設備分散。
予備機械。
工程移転。
地下化。
結論。
地下工場は有効である。
ただし、
地下に入れたから安全だと思うな。
「地下へ入れればいい」
軍側の担当者はそう言った。
元ドイツ軍技術者は黙っていた。
「航空機工場です。爆撃されれば終わる」
「そうだな」
「なら地下へ」
「どこへ」
「地下です」
「聞こえている」
ポーランド軍将校が横から口を挟んだ。
「場所を聞いているんだ」
担当者は地図を広げた。
丘陵地。
採石場。
地下倉庫候補。
鉄道から遠くない。
「ここなら掘れる」
元ドイツ軍技術者は図面を見た。
「何を入れる」
「生産設備を」
「全部?」
「可能な限り」
技術者は椅子にもたれた。
嫌そうな顔だった。
地下工場という考えそのものを、WILKは否定しなかった。
空から見えにくい。
爆風を避けられる。
機械を守れる。
材料を守れる。
人員も守れる。
条件が揃えば強い。
だからこそ危険だった。
「完成まで何年だ」
元ドイツ軍技術者が聞いた。
担当者が答えた。
「本格稼働まで二年程度」
「順調なら?」
「……順調なら」
「機械搬入は」
「掘削後」
「電力は」
「新設」
「換気」
「新設」
「排水」
「新設」
「鉄道引込」
「必要です」
「工作機械を移している間、生産は?」
誰も答えなかった。
元ドイツ軍技術者が鉛筆を置いた。
「工場を守るために工場を止めるのか」
一九三七年。
WILKには時間がなかった。
いや。
時間そのものはあった。
一日二十四時間。
一年三百六十五日。
それは誰にも同じだった。
足りなかったのは、
作り直すための時間だった。
新しい工場を設計する。
土地を取る。
掘る。
補強する。
電気を引く。
換気する。
機械を移す。
作業員を移す。
新しい工程へ慣らす。
不具合を直す。
生産量を戻す。
その間にも注文は来る。
航空機。
発動機周辺部品。
治具。
台車。
交換部品。
訓練用設備。
「二年後に良い工場ができる」
元白軍将校が言った。
「そうです」
担当者が答えた。
「二年後に工場が必要ならな」
部屋が静かになった。
元独立運動家が別の質問をした。
「人はどこに住む」
「近隣へ宿舎を」
「また作るのか」
「必要です」
「学校は」
「?」
「家族も移すなら学校がいる」
「そこまで?」
「工場だけ移して人間が付いてくると思うな」
元ドイツ軍技術者が頷いた。
「地下工場一つ作るつもりが、町を一つ作ることになる」
担当者は困った顔をした。
「しかし現工場が破壊されれば」
「分かっている」
技術者は図面を閉じた。
「だから全部入れるなと言っている」
WILKが出した案は、もっと見栄えが悪かった。
第一案。
既存工場の一部を強化する。
第二案。
重要工作機械を複数工場へ分ける。
第三案。
単純工程を地方工場へ移す。
第四案。
治具、測定器、図面、工程票を別保管する。
第五案。
予備電動機、ベルト、軸受、工具を小口で分散する。
第六案。
地下施設を使う。
ただし、
「完成品を作る工場」にしない。
軍側担当者が首を傾げた。
「何を入れる」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「失ったら再開できなくなる物」
「たとえば」
「基準器」
「ほかは」
「母型。特殊治具。重要図面。検査記録。特殊工具」
「工作機械は?」
「一部」
「全部では?」
「全部ではない」
「航空機は?」
「入れない」
担当者が露骨に不満そうな顔をした。
「地下航空機工場ではないじゃないですか」
「そうだ」
「では何なのです」
少し考えた。
「工場をもう一度作るための倉庫だ」
この案は軍には人気がなかった。
格好が悪かった。
巨大地下工場。
強そうだった。
敵の爆撃を受けても生産継続。
新聞にも載せやすい。
模型にもなる。
視察にも向く。
一方、
小さな地下室。
箱。
図面。
測定器。
治具。
予備部品。
地味だった。
元白軍将校が言った。
「戦争は地味な物から足りなくなる」
ポーランド軍将校が答えた。
「華々しい物は予算が付くからな」
「そういうことだ」
試験が行われた。
仮定。
WILK主要工場の一棟が完全喪失。
中にあった工作機械も使用不能。
条件。
別の工場で、対象部品の生産を再開せよ。
担当者には工場の詳細を教えなかった。
渡したのは、
複写図面。
工程票。
検査基準。
治具。
測定器。
加工見本。
そして経験者二名。
最初の日。
何も作れなかった。
二日目。
粗加工。
三日目。
寸法不良。
四日目。
一個。
不合格。
五日目。
二個。
一個合格。
ポーランド軍将校が記録を見た。
「遅いな」
元ドイツ軍技術者は答えた。
「当たり前だ」
「元工場なら一日に何個だ」
「二十」
「話にならん」
「七日目を見ろ」
七日目。
六個。
十日目。
十一個。
十四日目。
十六個。
三週間後。
十九個。
軍将校は黙った。
技術者が言った。
「工場は建物ではない」
「人と機械か」
「それだけでもない」
図面を指した。
「順番」
治具を指した。
「形」
測定器を指した。
「基準」
工程票を指した。
「記憶」
そして経験者を指した。
「理由を知っている人間」
別の試験では、わざと経験者を付けなかった。
生産再開は遅れた。
もっと問題だったのは、
図面通りに作っているのに不良が出たことだった。
「なぜだ」
若い技師が困っていた。
調査すると、
図面には書かれていない現場上の順番が一つあった。
加熱後。
すぐ加工しない。
一定時間置く。
理由。
歪みが出る。
元ドイツ軍技術者は怒らなかった。
ただ言った。
「まただ」
第119話で散々やった問題だった。
図面を複写しただけでは工場は複写できない。
「記録しろ」
「工程票へ?」
「工程票と理由へ」
「理由まで?」
「次の工場が勝手に省かないようにな」
それから地下保管庫へ入れる物が増えた。
ただし、むやみには増やさなかった。
何でも入れれば、
結局一つの場所へ集まる。
それでは同じだった。
保管場所A。
測定基準。
保管場所B。
治具。
保管場所C。
図面。
保管場所D。
特殊工具。
一部は国内。
一部は国外拠点。
元独立運動家が聞いた。
「分けすぎでは」
ユダヤ人実業家が答えた。
「一か所で全部そろわないようにしています」
「不便だな」
「平時には」
「戦時は?」
「全部一度に失わない」
元白軍将校が笑った。
「またそれか」
「またそれです」
工作機械についても同じだった。
大型機械は動かせない。
なら守る。
中型機械は移せる。
なら分ける。
小型機械。
できるだけ複数置く。
専用機。
なるべく専用にしすぎない。
元ドイツ軍技術者が工場を歩いた。
一台の専用加工機を見て止まった。
「これが壊れたら?」
現場主任が答えた。
「この部品が止まります」
「代わりは?」
「ありません」
「手加工は」
「時間がかかります」
「何倍」
「八倍ほど」
「なら八倍で作れる手順も残せ」
主任が驚いた。
「非効率です」
「非常用だ」
「誰が覚えるんです」
「二人」
「普段は?」
「別の仕事をさせろ」
それがWILKだった。
速い道を作る。
同時に、
遅い道も消さない。
軍側から再び地下工場案が出された。
今度は少し小さかった。
「一部工程だけ地下へ」
元ドイツ軍技術者は図面を見た。
「これはいい」
ポーランド軍将校が驚いた。
「今回は反対しないのか」
「反対しているわけではない」
「前回は散々だったぞ」
「地下が嫌いなんじゃない」
「では?」
「一つにするのが嫌いだ」
最終案。
地下施設一か所。
ではなく。
小規模施設を複数。
その一つでは精密測定。
別では特殊工具保管。
別では重要治具。
別では小型部品加工。
場所によっては採石場跡。
既存倉庫。
工場地下室。
鉄道施設の空間。
新規掘削は必要最小限。
大工事を避けた。
「華がない」
ポーランド軍将校が言った。
「工場に華が必要か」
「政治家には必要だ」
「花でも置いておけ」
元白軍将校が吹き出した。
もっと重要だったのは、地方の精工所だった。
猫車の注文を受けた工場。
整備治具を作った工場。
軸を作った工場。
ねじを作った工場。
単純な航空部品を受け始めた工場。
それらへWILKは少量の仕事を出し続けた。
月に十個。
二十個。
大工場なら一日で作れる量。
それでも出した。
「なぜこんな少量を」
地方工場の主人が聞いた。
WILK担当者は答えた。
「作り方を忘れないためです」
「儲からんでしょう」
「こちらもです」
「ならやめれば」
「やめません」
「変な会社だ」
その工場には、
図面が残った。
治具が残った。
検査具が残った。
そして、
作ったことのある人間が残った。
一九三七年の終わり。
WILKの生産網を一枚の地図にすると、
以前より汚くなっていた。
一本の線ではつながらない。
主工場。
下請工場。
精工所。
木工所。
ゴム加工所。
鉄道工場。
倉庫。
地下保管庫。
国外倉庫。
学校。
訓練所。
一見すると、
非効率だった。
元ドイツ軍技術者はその地図を気に入っていた。
ポーランド軍将校には理解できなかった。
「そんなにいい地図か?」
「いい」
「ごちゃごちゃだぞ」
「だからいい」
「一か所にまとめた方が管理しやすい」
「そうだ」
「生産も速い」
「そうだ」
「安い」
「そうだ」
「じゃあなぜ」
技術者は地図上の主工場を指で隠した。
「ここが消えた」
次に別の工場を指した。
「それでもここがある」
もう一つ。
「ここも」
さらに一つ。
「ここもだ」
手を離した。
「これが答えだ」
WILKは地下工場を否定しなかった。
防空壕も作った。
地下倉庫も使った。
機械も入れた。
だが、
地下へ逃げ込めば戦争から逃れられるとは考えなかった。
入口は塞がる。
電気は切れる。
鉄道は止まる。
人が来られなくなる。
場所が知られれば狙われる。
どんな工場も、
一つしかなければ一つの工場だった。
会議記録の最後に、
元ドイツ軍技術者が一文を書き加えた。
工場を地下へ埋めるな。
埋めるなら、
工場そのものではなく、
次の工場を作るための種を埋めろ。