WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK・国外勤務者配置状況
一九三八年春

英国。

増加。

フランス。

増加。

ルーマニア。

増加。

その他国外拠点。

少数ずつ増加。

目的。

業務拡大。

技術交流。

研修。

長期出張。

家族同伴赴任。

以上。

なお、

帰国予定日は設定されている。

予定である。


第137話 国境が閉まる前に、人を越えさせろ

「また英国か」

 

ポーランド軍将校が名簿を見た。

 

元独立運動家は答えた。

 

「今回は七人」

 

「社員が?」

 

「家族を含めて」

 

「社員は」

 

「二人」

 

「二人送るのに七人動くのか」

 

「人間は一人で生えてこない」

 

「分かっている」

 

もう、このやり取りにも慣れてきた。

 

ポーランド軍将校は次の紙を取った。

 

「フランス」

 

「十一人」

 

「社員は?」

 

「三人」

 

「ルーマニア」

 

「九人」

 

「社員は四人」

 

「……家族の方が多いな」

 

「普通だろう」

 

「会社の人事表なんだぞ」

 

元独立運動家は肩をすくめた。

 

「家族を無視した人事表の方がおかしい」

 

一九三八年春。

 

WILKの国外異動は、

 

目立たない程度に、

 

しかし止まらない程度に続いていた。

 

一度に百人は動かさない。

 

列車一本を埋めない。

 

新聞記事にもならない。

 

数人。

 

一家族。

 

また数人。

 

普通の会社なら、

 

「海外展開が進んでいる」

 

で終わる規模だった。

 

実際、

 

海外展開でもあった。

 

国外支部は人手を必要としていた。

 

英国では航空関係。

 

フランスでは技術連絡。

 

ルーマニアでは整備、輸送、商務。

 

ポルトガル。

 

ノルウェー。

 

トルコ。

 

さらに遠方。

 

仕事はあった。

 

だから、

 

嘘ではなかった。

 

元白軍将校のところには、

 

また手紙が来ていた。

 

今回はチェコスロヴァキア方面。

 

古い知人。

 

元軍人。

 

鉄道関係者。

 

工場勤務者。

 

内容は、

 

やはり一致していなかった。

 

「まだ大丈夫だ」

 

一通。

 

「国境周辺が騒がしい」

 

一通。

 

「ドイツ系住民の集会が増えた」

 

一通。

 

「軍は落ち着いている」

 

一通。

 

「軍が落ち着いているので、民間が余計に不安がっている」

 

一通。

 

ポーランド軍将校が読んだ。

 

「結局、どうなんだ」

 

元白軍将校は答えた。

 

「まだ国はある」

 

「それは見れば分かる」

 

「なら、それ以上は分からん」

 

「お前でも?」

 

「俺は占い師じゃない」

 

そこへユダヤ人実業家が入ってきた。

 

「経済側は?」

 

ポーランド軍将校が聞く。

 

実業家は書類を置いた。

 

「嫌な動きです」

 

「具体的には」

 

「短期契約が増えています」

 

「またか」

 

「はい」

 

「現金決済?」

 

「増えています」

 

「保険は」

 

「一部地域で条件が悪化」

 

「輸送は」

 

「軍需関係が増えた影響で、機械類の納期が延びています」

 

元白軍将校が言った。

 

「人間より金が先」

 

実業家は首を振った。

 

「今回は機械も速いです」

 

チェコスロヴァキアには、

 

優れた工業地帯があった。

 

機械。

 

兵器。

 

鉄鋼。

 

車両。

 

精密加工。

 

WILKにとっても、

 

無関係ではない。

 

取引先。

 

知人。

 

技術者。

 

工場。

 

「技術者を誘うのか」

 

元ドイツ軍技術者が聞いた。

 

ユダヤ人実業家は答えた。

 

「まだ早い」

 

「向こうから来たら?」

 

「雇います」

 

「何人」

 

「使えるだけ」

 

ポーランド軍将校が口を挟んだ。

 

「それ、引き抜きと言わないか」

 

「向こうが辞めるなら」

 

「まだ国があるぞ」

 

元白軍将校が言った。

 

「国があるうちに転職する方が楽だ」

 

また誰も笑わなかった。

 

その日の五人会議。

 

議題。

 

国外人員配置。

 

元ドイツ軍技術者が名簿を見た。

 

「技術だけで選ぶな」

 

元独立運動家が顔を上げた。

 

「お前が言うのか」

 

「言う」

 

「珍しいな」

 

「一人しか知らない仕事を持つ奴は危険だ」

 

「会社にとって?」

 

「会社にも」

 

少し間。

 

「本人にも」

 

元独立運動家が頷いた。

 

「なら家族ごと」

 

「それはもう分かった」

 

「本当に?」

 

「分かったから毎回聞くな」

 

危険度の分類が作られた。

 

ただし、

 

正式名称はひどく地味だった。

 

国外勤務優先度。

 

第一群。

 

国外拠点で即時必要。

 

第二群。

 

代替要員が少ない。

 

第三群。

 

対外関係上、国外配置が望ましい。

 

第四群。

 

本人または家族について、

 

政治的・民族的・宗教的その他の事情から、

 

将来的に移動困難となる可能性あり。

 

ポーランド軍将校が第四群を見た。

 

「ぼかしたな」

 

元独立運動家が答えた。

 

「会社文書だからな」

 

「実際には?」

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「捕まるかもしれない奴だ」

 

空気が止まった。

 

「言い方を考えろ」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「考えた結果だ」

 

「まだ何も起きていない」

 

「オーストリアを見た」

 

「同じことになるとは限らない」

 

「その通りだ」

 

元ドイツ軍技術者は頷いた。

 

「だから全員出すとは言っていない」

 

名簿を叩く。

 

「出せる奴から出す」

 

第四群には、

 

ユダヤ系の社員と家族が目立った。

 

ほかにも、

 

政治活動歴。

 

亡命歴。

 

特定政党との過去の関係。

 

ドイツ側で名前を知られている者。

 

外国籍。

 

複雑な家族背景。

 

「どこまで広げる」

 

元独立運動家が聞いた。

 

ユダヤ人実業家は答えなかった。

 

しばらくして、

 

自分の名前を名簿に書いた。

 

ポーランド軍将校が見た。

 

「お前も?」

 

「条件には該当します」

 

「国外へ行くのか」

 

「まだ」

 

「なぜ」

 

「仕事があります」

 

元白軍将校が笑った。

 

「皆同じことを言う」

 

実業家は少しだけ笑った。

 

「そうですね」

 

元独立運動家が言った。

 

「なら、お前の家族は」

 

実業家の表情が変わった。

 

「先に出します」

 

即答だった。

 

元白軍将校が彼を見る。

 

「自分は残る」

 

「しばらくは」

 

「家族は?」

 

「英国へ」

 

「いつ」

 

「来週」

 

ポーランド軍将校が聞いた。

 

「そんなに早く?」

 

実業家は帳簿を閉じた。

 

「切符が買えるので」

 

その言葉で、

 

誰も止めなかった。

 

国外支部への指示も変わった。

 

以前。

 

社員受入。

 

技術研修。

 

住宅確保。

 

学校調査。

 

現在。

 

家族単位で受け入れ可能な住宅数。

 

児童受入可能な学校。

 

現地語教育。

 

医療機関。

 

追加雇用可能数。

 

一時的に仕事がなくても置いておける人数。

 

「最後の項目は何だ」

 

ポーランド軍将校が聞いた。

 

元独立運動家が答えた。

 

「仕事より先に人が来る場合がある」

 

「会社だぞ」

 

「だから仕事を作る」

 

ユダヤ人実業家が言った。

 

「余剰人員になります」

 

「一時的にな」

 

「費用は」

 

「払え」

 

実業家が計算した。

 

「払えます」

 

「また早いな」

 

「最近、その計算ばかりしていますから」

 

英国支部から返答。

 

住宅。

 

あと六世帯。

 

学校。

 

児童十二名程度なら対応可能。

 

事務職。

 

不足。

 

技術職。

 

不足。

 

倉庫要員。

 

不足。

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「全部不足じゃないか」

 

元独立運動家は嬉しそうだった。

 

「ちょうどいい」

 

「何が」

 

「人を送れる」

 

フランス側。

 

住宅。

 

比較的余裕あり。

 

ただし都市部は高い。

 

郊外利用可能。

 

工場関連の仕事あり。

 

技術者歓迎。

 

ルーマニア。

 

航空関連。

 

鉄道関連。

 

農業機械。

 

倉庫。

 

ポーランド人社員の受入に比較的慣れている。

 

元白軍将校が地図を見た。

 

「南は残せ」

 

ポーランド軍将校が聞く。

 

「何を」

 

「道を」

 

「ルーマニア?」

 

「それだけじゃない」

 

「では」

 

「国境を越えた後、その先へ行ける道だ」

 

ユダヤ人実業家が航路を引いた。

 

港。

 

鉄道。

 

船会社。

 

黒海。

 

地中海。

 

西欧。

 

「ずいぶん先まで見るな」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「一国越えれば安全とは限りません」

 

「まだ逃げる計画では」

 

「物流計画です」

 

元白軍将校が横から言った。

 

「逃げる時にも使える物流計画だ」

 

実業家が頷いた。

 

「その通りです」

 

「認めるのか」

 

「今さらでしょう」

 

ある社員が呼ばれた。

 

三十代。

 

機械検査担当。

 

妻。

 

子供二人。

 

本人は国外赴任を拒んでいた。

 

「なぜ行かなければならないんです」

 

元独立運動家が答えた。

 

「英国支部で検査員が足りない」

 

「他にもいるでしょう」

 

「いる」

 

「なら」

 

「お前の仕事を、ここで二人が覚え始めている」

 

社員が黙った。

 

「私を追い出すんですか」

 

「逆だ」

 

「では」

 

元ドイツ軍技術者が口を挟んだ。

 

「お前の仕事を二か所にする」

 

「仕事を?」

 

「人間ごと」

 

社員は二人を見た。

 

「帰国は」

 

元独立運動家が答えた。

 

「半年後予定」

 

「予定?」

 

「予定だ」

 

「延長は」

 

「ある」

 

「どのくらい」

 

「分からん」

 

社員は長く考えた。

 

「家族も?」

 

「一緒だ」

 

さらに考えた。

 

「……分かりました」

 

その社員が出発した日。

 

ホームには普通の旅客列車。

 

普通の旅行客。

 

普通の荷物。

 

子供が窓から手を振った。

 

父親は、

 

最後まで少し不満そうだった。

 

列車が動いた。

 

元独立運動家が見送った。

 

ポーランド軍将校が隣にいた。

 

「本人は納得してないぞ」

 

「知っている」

 

「無理に行かせた」

 

「仕事命令だ」

 

「卑怯だな」

 

「そうだな」

 

列車が小さくなった。

 

元独立運動家が続けた。

 

「でも、国境が閉じた後に頭を下げても、列車は戻ってこない」

 

元白軍将校のところに、

 

新しい報告が来た。

 

チェコスロヴァキア方面。

 

国境地域。

 

集会。

 

政治運動。

 

緊張。

 

軍の警戒。

 

ドイツ側の報道。

 

人々の不安。

 

一通には、

 

こう書かれていた。

 

「まだ皆、戦争にはならないと言っている」

 

ポーランド軍将校が読んだ。

 

「普通だろう」

 

元白軍将校は首を振った。

 

「違う」

 

「何が」

 

「本当に何もない時、人間は戦争にならないなんて言わない」

 

軍将校が黙った。

 

三人は情報を重ねた。

 

軍。

 

人間。

 

金。

 

軍の報告では、

 

まだ平時。

 

元白軍将校の手紙では、

 

人々が将来を心配している。

 

実業家の帳簿では、

 

将来への信用が少しずつ短くなっている。

 

長期契約が減る。

 

現金を求める。

 

家族を国外へ出す。

 

機械を動かす。

 

倉庫を短期で借りる。

 

「戦争になる証拠ではない」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「そうだ」

 

元白軍将校。

 

「景気の問題かもしれない」

 

「そうだ」

 

「政治不安だけかもしれない」

 

「そうだ」

 

「なら」

 

「だから今なら動ける」

 

それがWILKの判断だった。

 

戦争が確実になってからではない。

 

危険が証明されてからでもない。

 

危険でない可能性が残っているうちに、

 

戻せる範囲で人を動かす。

 

間違っていたら、

 

帰国させればいい。

 

研修が終わった。

 

出張が終わった。

 

そう言えばいい。

 

しかし、

 

正しかった場合。

 

人はすでに国境の向こうにいる。

 

元ドイツ軍技術者は、

 

その考え方を嫌っていた。

 

「無駄が多い」

 

ポーランド軍将校が驚いた。

 

「お前が?」

 

「国外へ出した人間の代わりを育てる」

 

「必要だ」

 

「二人でできた仕事を三人で覚える」

 

「必要だろう」

 

「住宅も二重」

 

「そうだ」

 

「設備も」

 

「そうだ」

 

「非効率だ」

 

元独立運動家が笑った。

 

「お前が散々やってきたことじゃないか」

 

「機械ではな」

 

「人でも同じだ」

 

技術者は黙った。

 

しばらくして、

 

「……そうか」

 

と言った。

 

そこから人員配置の考え方も変わった。

 

本社だけにいる技術者。

 

減らす。

 

国外だけにいる技術者。

 

増やしすぎない。

 

同じ仕事を、

 

少なくとも二拠点でできるようにする。

 

経理。

 

契約。

 

設計。

 

検査。

 

教育。

 

食品。

 

輸送。

 

港湾。

 

「会社そのものを分散するのか」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

元ドイツ軍技術者が答えた。

 

「今さらだ」

 

「工場はやった」

 

「次は人だ」

 

元独立運動家が訂正した。

 

「人は前からやっている」

 

「では」

 

「暮らしだ」

 

国外支部へ送った社員の妻が、

 

英国から手紙を送ってきた。

 

子供は学校へ通い始めた。

 

英語はまだ分からない。

 

近所のパンはポーランドの物と違う。

 

夫は忙しい。

 

雨が多い。

 

猫が一匹、庭へ来る。

 

元独立運動家がそれを読んだ。

 

ポーランド軍将校が聞いた。

 

「何か重要か」

 

「重要だ」

 

「どこが」

 

「生活している」

 

「それだけ?」

 

「それだけでいい」

 

国外支部が、

 

初めて支部以上のものになり始めた。

 

社員が働く。

 

家族が住む。

 

子供が学校へ行く。

 

現地で買い物をする。

 

医者へ行く。

 

家を借りる。

 

近所を知る。

 

銀行を使う。

 

生活が始まる。

 

それまで、

 

WILKが外国に置いていたのは、

 

会社の点だった。

 

今、

 

そこへ人間が根を張り始めていた。

 

一九三八年春。

 

チェコスロヴァキアは、

 

まだあった。

 

ポーランドも、

 

あった。

 

列車は走った。

 

国境は開いていた。

 

だから、

 

WILKは人を越えさせた。

 

急ぎすぎたかもしれない。

 

何も起きなければ、

 

笑われるかもしれない。

 

それでよかった。

 

元白軍将校は言った。

 

「逃げるのが早すぎた奴は、後で笑われる」

 

ポーランド軍将校が聞いた。

 

「遅すぎた奴は?」

 

「笑えない」

 

会議記録の最後。

 

国外勤務者数。

 

増加。

 

国外居住家族数。

 

増加。

 

現地雇用。

 

増加。

 

帰国予定者。

 

多数。

 

その横。

 

元独立運動家が一文を書いた。

 

国境が閉まる前に、

 

人を越えさせろ。

 

元白軍将校がその下に追記した。

 

開いている国境は、

 

それだけで資産である。

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