一九三八年九月
確認事項。
英国。
交渉中。
フランス。
交渉中。
ドイツ。
要求継続。
イタリア。
関与。
チェコスロヴァキア。
当事国。
なお、
当事国が、
常に交渉の中心にいるとは限らない。
結論。
本人のいないところで、
本人の国境を決めるな。
ただし、
決められることはある。
「誰が会っている」
元白軍将校が聞いた。
ポーランド軍将校が紙を見た。
「英国首相」
「ドイツ側」
「当然」
「フランスは」
「協議している」
「イタリア」
「関与している」
元白軍将校は少し待った。
「チェコは」
ポーランド軍将校は答えなかった。
それだけで十分だった。
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九月。
外交の速度は、
さらに上がった。
会談。
提案。
修正。
拒否。
再提案。
新聞には、
毎日のように新しい言葉が出た。
平和。
戦争。
妥協。
自決。
国境。
少数民族。
安全保障。
元白軍将校は、
その中で一つだけ気に入らない言葉があった。
「妥協」
「何が悪い」
ポーランド軍将校が聞いた。
「誰が何を譲る」
「それは」
「そこだ」
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妥協。
英国が譲る。
フランスが譲る。
ドイツが譲る。
そういう話なら分かる。
だが、
譲られる土地が、
別の国の土地なら。
「それは妥協なのか」
元白軍将校が言った。
ポーランド軍将校は答えた。
「戦争を避けるためだ」
「誰の」
「欧州の」
「誰の土地で」
「……」
「誰の兵士が国境を守っている」
「チェコスロヴァキアだ」
「なら本人が決める話では」
「外交はそう単純ではない」
「知っている」
元白軍将校は椅子へ座った。
「だから嫌いなんだ」
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ユダヤ人実業家は、
別のところを見ていた。
「フランス側の取引先から連絡です」
「何と」
「新規長期契約を一部保留」
「理由」
「情勢」
「英国は」
「保険会社が条件を見直しています」
「チェコ側」
「前払い要求が増えています」
元白軍将校が言った。
「まだ撃っていないのにな」
実業家が答えた。
「金は砲声を待ちません」
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WILK国外支部では、
受入人数の再計算が始まった。
英国。
住宅。
増やせる。
ただし高い。
フランス。
工場仕事あり。
ただし情勢次第。
ルーマニア。
南方経路として重要。
ポルトガル。
遠い。
その遠さが価値。
元独立運動家が言った。
「英国だけに寄せるな」
ユダヤ人実業家が答える。
「寄せていません」
「フランスも危ない」
「分かっています」
「ルーマニアも永遠に安全ではない」
「それも」
ポーランド軍将校が横から言った。
「どこへ送ればいいんだ」
元白軍将校が答えた。
「一か所に送らなければいい」
またそれだった。
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元ドイツ軍技術者は、
国外へ出す技術資料の量を増やした。
図面。
治具。
測定基準。
工程票。
加工見本。
全部ではない。
だが、
一か所だけに残さない。
「また箱が増えたな」
ポーランド軍将校が言った。
「人も増えた」
「航空会社だったよな」
「今でもそうだ」
「航空会社が学校と住宅と国外倉庫と箱を送ってるぞ」
「飛行機も作っている」
「ならいいか」
「いい」
誰も本気では納得していなかった。
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チェコスロヴァキアから、
また技術者が来た。
今度は一人ではなかった。
三人。
機械。
検査。
工具。
表向きは商談。
実際には、
話の半分が仕事探しだった。
「全員出たいのか」
元ドイツ軍技術者が聞いた。
一人目。
「分からない」
二人目。
「家族は出したい」
三人目。
「工場を離れたくない」
元独立運動家が言った。
「全部普通だ」
ポーランド軍将校が顔を上げた。
「普通?」
「人間なら」
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一人目は英国を希望。
二人目はフランス。
三人目はチェコスロヴァキアに残る。
元ドイツ軍技術者が三人目へ聞いた。
「なぜ残る」
「工場があります」
「工場がなくなったら」
「分かりません」
「家族は」
「内地へ移しました」
「なら」
「私は残ります」
元白軍将校がそれを聞いていた。
何も言わなかった。
後でポーランド軍将校が聞いた。
「止めないのか」
「何を」
「残ることを」
「本人が決めた」
「危険かもしれない」
「そうだ」
「なら」
元白軍将校は答えた。
「逃げる自由があるなら、残る自由もある」
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ただし、
出ると決めた者には急がせた。
切符。
旅券。
資金。
荷物。
家族。
「工作機械を持っていけない」
技術者が言った。
元ドイツ軍技術者は答えた。
「当たり前だ」
「道具は」
「持てる分」
「図面は」
「権利関係を確認しろ」
「全部置いていくことになるかも」
元白軍将校が言った。
「人間を置いていくよりいい」
その一言で、
話が終わった。
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一方、
ポーランド側の外交も単純ではなかった。
ポーランド軍将校が資料を持ってきた。
「こちらにも要求がある」
元白軍将校が聞く。
「ドイツから?」
「それだけではない」
「チェコスロヴァキアとの国境問題か」
「……そうだ」
ザオルジェ。
長く続く問題。
民族。
歴史。
国境。
鉄道。
工業。
簡単に正義と悪へ分けられる話ではなかった。
元白軍将校が言った。
「取りたいのか」
ポーランド軍将校は少し顔をしかめた。
「俺が決める話ではない」
「国は?」
「要求はある」
「今?」
「今だから、という者もいる」
元白軍将校は黙った。
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ユダヤ人実業家が言った。
「経済的価値はあります」
全員が彼を見る。
「鉄道も、工業も」
「なら取るべきか」
ポーランド軍将校が聞く。
実業家は首を振った。
「私は価値を言っただけです」
「便利だな」
「経済情報ですから」
元白軍将校が言った。
「土地に値段を付ける奴ほど、土地を取れとは言わない方がいい」
「同意します」
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その日の会議は、
珍しく長引いた。
話題。
チェコスロヴァキア。
ドイツ。
英仏。
ポーランド自身。
誰も、
完全に綺麗な立場にはいなかった。
ポーランド軍将校が言った。
「チェコ側にも問題はある」
元白軍将校。
「ある」
「国境問題も昔からだ」
「知っている」
「ポーランド人住民もいる」
「知っている」
「なら」
元白軍将校は言った。
「正しい理由があれば、いつやっても正しいとは限らん」
沈黙。
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ポーランド軍将校は少し苛立った。
「では何もしないのか」
「そうは言っていない」
「取るなとも言わない」
「俺は政府じゃない」
「なら何を言いたい」
元白軍将校は、
壁の地図を見た。
「隣の家が崩れている時に、境界杭を動かすなら」
指を置いた。
「その杭を、あとで誰が見るか考えろ」
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誰も返さなかった。
それは、
道徳だけの話ではなかった。
外交。
評判。
同盟。
将来。
そして、
自分たちが同じ目に遭った時。
誰がどう見るか。
ユダヤ人実業家が静かに言った。
「記録は残ります」
元白軍将校が頷いた。
「そうだ」
ポーランド軍将校が言った。
「国境も?」
「国境は変わる」
「では何が残る」
「誰がどう動いたかだ」
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午後。
国外支部から電報。
英国。
追加受入可能。
フランス。
可能。
ただし短期住宅不足。
ルーマニア。
可能。
ポルトガル。
数家族のみ。
元独立運動家が一覧を見た。
「今日中に出す」
「また?」
ポーランド軍将校が言う。
「まただ」
「何人」
「社員十八」
「家族」
「三十三」
「合計五十一」
「行先」
「四か国」
「仕事は」
「半分決まっている」
「残り」
「作る」
ユダヤ人実業家がため息をついた。
「また赤字が増えます」
元独立運動家が答えた。
「人間が減るよりいい」
実業家は帳簿を閉じた。
「分かっています」
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そこで、
妙な問題が出た。
海外赴任者が増えた結果、
ポーランド本社の仕事が足りなくなった。
正確には、
人が足りなくなった。
「出しすぎたか」
ポーランド軍将校が言った。
元ドイツ軍技術者は表を見る。
「少し」
「戻す?」
「戻すな」
「なら」
「若い奴を上げる」
「早くないか」
「早い」
「経験が」
「足りん」
「危険だろ」
技術者は頷いた。
「だから上に一人付ける」
また育成が始まった。
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二十代の技師。
三十代の経理担当。
若い整備主任。
これまでなら、
あと二年。
三年。
そう考えていた者。
仕事が一段上がった。
「まだ早いです」
若い技師が言った。
元ドイツ軍技術者は答えた。
「知っている」
「なら」
「早くなった」
「何が」
技術者は窓の外を見た。
「世界が」
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元独立運動家も、
若い社員へ仕事を渡した。
国外家族受入。
住宅。
学校。
医療。
「私だけで?」
「最初は俺が見る」
「いつまで」
元独立運動家は少し考えた。
「お前が俺を呼ばなくなるまで」
「長そうですね」
「短くしろ」
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ユダヤ人実業家も同じだった。
若い商務担当へ、
英国案件。
別の者へフランス。
ルーマニア。
ポルトガル。
「全部確認してください」
若手が言った。
「全部はしない」
実業家が答えた。
「え」
「君が決めてください」
「まだ」
「今からです」
「責任は」
「私が取ります」
若手が黙った。
実業家は続けた。
「ただし、記録は残してください」
WILKでは、
いつも最後にそれが付いた。
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元白軍将校は、
その様子を見ていた。
「後ろを作り始めたな」
ポーランド軍将校が聞いた。
「何が」
「俺たちの」
「後継者か?」
「まだ早い」
「今、世界が早くなったと言ったばかりだろ」
「それでも早い」
二人は少し笑った。
最近では珍しい笑いだった。
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夜。
また外電。
会談。
新しい条件。
新しい要求。
若い職員が走ってきた。
「情勢表を更新します」
ポーランド軍将校が聞いた。
「いつの情報だ」
「一時間前です」
「なら使え」
「はい」
元白軍将校が言った。
「明日の朝には?」
若い職員が止まった。
ポーランド軍将校が答えた。
「また作る」
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その夜、
壁の地図は変わらなかった。
チェコスロヴァキアは、
まだそこにあった。
国境線もある。
国名もある。
だが、
机の上では、
その国の土地について、
別の国々が話していた。
WILKには、
その交渉を止める力はない。
決める権利もない。
ただ、
そこに住む人間から、
手紙が来た。
仕事を求める電話が来た。
国外へ家族を出したという報告が来た。
それだけだった。
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一九三八年九月。
外交は、
戦争を止めようとしていた。
それ自体は、
間違っていなかった。
誰も、
もう一度欧州を燃やしたくはなかった。
しかし、
戦争を避けるために、
誰が何を払うのか。
その答えだけは、
全員同じではなかった。
元白軍将校は会議記録の最後に書いた。
会議にいない国の地図を変えるな。
その横に、
ポーランド軍将校が長く迷ってから追記した。
だが、
地図は、
本人がいなくても変えられる。